お経を読むのが下手すぎて絶対に成仏させてあげられない坊主
寺の住職となったばかりの正弘師は困っていた。なぜなら、父親が死んで住職を受け継いだはいいものの、修業時代からずっとお経を読むことが苦手でしょうがなく、師僧から何度も何度も怒られていたからだった。
「いいか、お経というのは亡くなった方を極楽浄土へ導くために読むものなんだ。だというのに、お前のお経はそれが全くできていない。今のお前じゃ、亡くなった方を絶対に成仏させてあげられないぞ!」
正弘も指摘自体は真摯に受け止め、自分なりに頑張って修行にも励んではいた。それでも、人の不得手というのはどうしようもないもので、いくら修行に励んでも、お経を読むことだけは全く上達しなかった。その状態のまま、実家の父親が亡くなってしまい、あれよあれよという間に跡取りとして正弘は住職を継ぐことになった。しかし、お経が下手ということは覆せない事実であり、どうしたものかと正弘は頭を抱えていたのだった。
「いずれ葬儀でお経を読んでくれと頼まれる日がやってくるだろう。だけど、やはり嘘はよくない。正直に自分はお経を読むのがへたくそで亡くなった方を成仏させてあげられないと説明すべきだ」
そう思い立った正弘は、数年前に父親から依頼された作成した寺のHPを更新し、自分が新しい住職となったこと、そして次のような説明を表示するようにした。
『修業を積んだものの、現在の私はお経を読むのが下手すぎて、亡くなった方を絶対に成仏させてあげられない自信があります。万が一お葬式での読経を依頼される場合は、その点をどうかご了承いただきたく存じます』
正弘は更新したHPを確認し、これではきっと読経の依頼など来ないだろうなと一人で苦笑いを浮かべた。ただそれは自分の実力不足のせいなので、なるべく早くこの文言を消せるように精進せねばと誓うのだった。
しかし、HPを更新して一週間も経たないうちに、正弘のもとへ葬式での読経を依頼したいという問い合わせが舞い込んだ。正弘は文言を読んでいなかったのかもしれないと思い、問い合わせを行った方へ電話を掛けた。しかし、正弘の予想に反し、電話の相手はHPの文言は確認済みだと正弘に答えた。
「こちらこそ確認なんですが、絶対に成仏させてあげられないんですよね?」
「ええ、お恥ずかしい話なんですが、それは事実です」
「ああ、それはよかった。そうであれば、ぜひあなたに読経を依頼したいです」
正弘は相手の回答を不思議に思い、どうしてもっとちゃんとした僧ではなく、自分なんかに読経を依頼するのかと尋ねてみる。すると相手は電話越しでも伝わるほどに冷たい口調で返事をするのだった。
「亡くなったのは私の夫なんですが、生前は不倫、暴力、モラハラで散々苦しめられたんです。そんな夫が極楽浄土に行くなんて許せない。夫には、死んだ後でもいいから苦しみ続けて欲しいんです!」
それからというもの、正弘の元には噂を聞きつけた人々からの依頼がひっきりなしにやってきた。依頼主を受けた人には色んな人がいた。葬儀で下手くそな読経を読む度、依頼主たちは晴々とした表情で正弘にお礼を言った。しかし、正弘は彼ら、彼女らの表情を見ながら、どこかいたたまれなさを感じていた。
どのような人間であっても、死後は冥福を祈らなければならない。当たり前のようにそう考えていた正弘にとって、死後も苦しみ続けてほしいと願う依頼主の存在は大きな衝撃だった。それでも正弘は生来の人の好さから頼まれごとには弱く、休む間もなくやってくる読経の依頼を断ることがなかなかできなかった。そして次第に正弘は、毎日の忙しさに追われ、考えることをやめていったのだった。
そうして惰性で法事を続けていたある日のことだった。読経が下手な正弘の噂を聞きつけた位の高いとある僧が寺にやってきた。その僧は法諺と名乗り、昔正弘の亡き父親と親交があったのだと伝えた。
「君の評判は聞いている。悪いのは君ではなく、死んでもなお消えることのない、依頼者たちが胸に抱える怒りなんだ。読経は確かに死者を極楽浄土へ導くためのものでもあるが、残された方々の気持ちを慰めるためのものでもある。君が極楽浄土に導けないことで彼らの怒りは一時的に収まるかもしれないが、心の奥に根差した怒りはいつまでも彼らを蝕み続けるだろう。そのことをよく考えてみてほしい」
法諺の言葉に、正弘はハッと我に返った。そして、今まで深く考えることなく読経を続けていた自分を深く恥じた。正弘が法諺に反省の意を伝えると、法諺は穏やかな微笑みを浮かべながら、正弘を労った。
「私も昔は至らなさゆえに色んな方に迷惑をかけました。怒りというのは強く、激しい感情です。それでも、真摯な気持ちで向かい合い、対話を重ねることで、いつか必ず消すことができるでしょう。そして、誰かがそれを促し、導いてあげる必要がある。私はそう思い、自分の人生を捧げてきました。様々な方の怒りに向き合ってきたあなたにも、ぜひお手伝いしていただきたい」
正弘はためらうことなく頷いた。それから正弘は法諺を師とし、再び修行に励んだ。そして、師として仰ぐ法諺と行動を共にするうち、正弘は師がどれだけ立派な僧であるのかを思い知った。法諺は助けを求める人がいればいつだって駆けつけ、自分のすべてを投げ打ってでも助けようとした。その姿はまさに御仏のようであり、正弘は心より師を尊敬した。
法諺との修行を経て、正弘は一人前の立派な僧侶として成長を果たした。正弘は法諺から一人立ちし、また一から自分の寺の住職として働き始める決意を固めた。自分の正弘はさっそく自分の寺のHPを更新し、物事の始まりとなった一文を削除した。代わりに、自分が法諺から学んだ仏の道、赦しの道を説き、すべての人々のために祈ることを誓う言葉を表示するようにした。
HPを更新して以降、あれだけひっきりなしにやってきた依頼はパタリと途絶えてしまった。しかし、正弘はこれがもともとの自分の実力なのだと認識し、日々修行に励み、時折やってくる相談や読経の依頼に真面目に取り組んでいった。
そして、数年の月日が流れた頃、正弘のもとにHPから一件のメッセージが寄せられた。内容は、以前自分が掲げていた絶対に成仏させてあげられない読経というのはまだ行っているのかという問い合わせだった。正弘はメッセージを読み考えた。これは送ってきたのはまさに、師である法諺が言っていた、怒りを心の奥底に根差した方なのだと。すでにそのような依頼は受け付けていないと断ることもできた。しかし、そこで正弘は師の言葉を思い出し、真摯に今の現状を説明し、それでもお葬式で読経させていただきたいと願い出た。依頼主はそれを了承した。正弘の熱意に押されたのか、それとも今でもなお読経の下手さは健在ではないかと考えたからなのか、それは正弘にもわからなかった。
葬式の日。正弘が葬儀場に訪れると、依頼主である故人の妻が出迎えてくれた。正弘は彼女と向かい合わせに座り、どうして亡くなった夫をそれほど憎んでいるのか、わけを聞いた。
「夫は外面だけはよかったですから、私が夫を憎んでいると知ったらみんな驚くでしょうね。でも、いくら外では立派に振舞っていたとしても、夫としては最低の人間でした。家庭を顧みないのは当たり前。それだけじゃなく、人助けのためだと言っては大事な家のお金を勝手に使ったり、隠れて借金までする有様でした。夫は人助けをしてみんなから愛され、尊敬されていたかもしれませんが、そのための尻拭いはいつだって私や子供たちの仕事でした。夫が作った借金を返済し、夫が起こしたトラブルを謝罪して回りました。何より、そんなことをしておいて、夫は死ぬとき、これ以上にないほどに安らかな死に顔をしていたんです。私はその死に顔を見たとき、自分の中から怒りが湧き上がってきました。私たち身内を不幸にした人間が、苦しみもせず、後悔もせずに死んでいったことがどうしても許せない。だから私はすがるような気持ちで依頼させていただいたんです。どうか夫が死んだ後に、私たちと同じくらいの苦しみを味わってほしいと」
正弘は彼女の話に真摯に受け止め、彼女の感情に寄り添った。彼女の怒りの根深さを理解し、それでもなお、正弘は彼女を救ってあげたいと思った。正弘は彼女の気持ちに共感したうえで、故人のために祈らせていただきたいと告げた。
「ぜひ私にお経を読み上げさせてください。あなたの亡き夫だけではなく、あなた自身のためにも」
それから正弘は一度亡くなった方の顔を拝見させていただきたいとお願いする。正弘は妻に連れられ、遺体が安置された部屋へと案内される。ここまで妻から恨みを買った人とはどのような人だろう。正弘がそう思いながら部屋に入り、そこに飾られていた遺影、そして遺体を見て愕然とした。
なぜならそこにいたのは、自分が師として敬愛していた、法諺だったからであった。