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カレーパン

駅のドアが開いた途端、人の波に揉まれた。人がぶつかった衝撃で、持っていたスマホを落としてしまう。

「あっ!」

 思わず立ち止まるが、人々は容赦なく僕に当たるか、素通りして行く。

「チッ! 邪魔なんだけど」

「どんくさ〜。さっさと動けや」

キツい化粧に派手な髪型。露出度の高い服を着た二人組のギャルが、一瞥して去って行く。

 確かに鈍臭い。それはそう。自分でもそう思う。でも……。

 (ギャルこわっ!)

 優しいギャルなんて幻想だと、つくづく思う。


 波が途切れて、幸いにも踏まれなかったスマホを拾い上げようとしゃがんだ。すると、先に向かいから白く華奢な手が伸びてきた。

「はい」

 その手の主は、スマホを拾うと僕の前に差し出してくれた。見ると、丁寧に巻かれたミルクティー色した髪の毛に、長い睫毛と薄茶色のコンタクトレンズ(だと思う)を着けたギャルが。さっきのギャル……ではないようだ。

「えっあの……」

 戸惑い、言葉を見失ってしまう。

「はい。踏まれへんでよかったなぁ」

 彼女はニカッと笑い、俺の手にスマホをポンと置くと立ち上がった。

「ほな。気ぃ付けや〜」

 ヒラヒラと手を振りながら、そのまま去ってしまった。

「あ、ありがとう……ございます……」

 って、本当に鈍臭いことこの上ない!去ってからお礼を言ってどうする!?

 僕は、ロクに言葉を発せなかった己を恨んだ。

 時が止まっていたかのように、立ち上がると途端に雑踏が耳に入ってきた。ぼうっと人々の後ろ姿を見ながら、彼女の真っ直ぐ見つめてくる瞳と、あの白い手を思い出す。何の飾り気もない、短く整えられた爪だった。それにしても……。

 (優しいギャルって、実在するんだ……)

 僕は、コウノトリのような、貴重な天然記念物を見た気持ちになった。


 たった三店舗目にしてレアなカードが手に入り、僕の足取りは軽かった。それなりに値は張ったが、構いやしない。駅でのギャルからの罵倒も、もうすっかり忘れてしまっていた。しかし、優しい方のギャルにお礼を言えなかった事は、まだ心の中にわだかまっていた。

 どうデッキを組もうか考える度、彼女のあの瞳は薄れ、また濃くなり、僕の心をさ迷っていた。


「……ん?」

 レアカードのお祝いに、たまにはメイド喫茶にでも行ってオムライスを食べようか、と思った時。ふと左の路地裏に目をやると、奥に何やら木の立て看板があることに気が付いた。

「あんな所にお店なんてあったっけ?」

 近付いてみると、それはどうやらカフェのようだった。ツバメの館。可愛い名前だ。看板にあった文言と、その屋号に惹かれ、入ってみることにした。木の扉に手をかけ、開けてみる。

「ようこそ」

 ヒンヤリとした心地よい風と共に出迎えてくれたのは、長く綺麗な黒髪が印象的な、小柄な女の子だった。その子はそのツインテールを揺らして、好きな席にどうぞと促してくれた。制服を見るに、ここはメイド喫茶のようだ。意図せず目的地に来れて、度重なるラッキーに感謝する。しかも、夕方前という時間のせいか、お客も数人しかおらず、ゆっくりできそうで尚良い。

 空いているカウンターの席に腰掛けた。すると、先程とは別のメイドさんが銀のトレーを持って現れた。

「ようこそー。お冷とおしぼりでぇす」

 その子は、ミルクティー色した巻き髪をポニーテールにして、長い睫毛と薄い茶色の……。

「あ!?」

「ん?」

 天然記念物!もとい、駅で助けてくれた優しいギャル!

 僕は思わず立ち上がるが、思いがけぬ再会にまた言葉を無くしてしまった。

「あぁ! あのおにーさんやーん。ど? スマホ壊れてへんかった? ……っと、壊れて、ませんでしたか?」

 彼女は慌てて言い直すと、切子のコップを置いた。

「あ、あの……。あの時は本当にありがとうございました。ろくにお礼も言えず……」

 すみませんでした、という前に、彼女は笑って手を横に振った。

「かまへんかまへん! ……じゃあなくってぇ、お気にせーへんで? なさらず? 気にしなくていいですよ?」

「……ぷっ」

 タメ口の関西弁と、ちぐはぐな敬語に思わず笑ってしまった。

「しゃーないやん〜。ウチもな、奥様みたいにシトヤカになりたくて頑張ってんねん! ……ますねん」

 同じカウンターの奥に座っている、奥様と呼ばれた婦人に目をやる。その婦人は、僕と目が合うと微笑み会釈をし、繊細な手つきでティーカップを持ち上げた。確かに、その佇まいと雰囲気だけで淑女というのが伝わってくる。申し訳ないが、目の前の女の子は正反対の世界に生きているように思う……。

「胡桃ちゃんはそのままでよろしくってよ。心は淑女なのだから」

「奥様はすぐそうやって甘やかしはるけど!ちゃうねん!紺ちゃんも瑠璃ちゃんもおしとやかやし!」

 そう言われて、先程の黒髪ツインテのメイドさんと、その子とは真逆のベリーショートヘアのメイドさんが、

「いや、私たちは……」

「根が暗いだけ……」

 と、首と手を横に振った。

「とにかく! お客様、ご注文をどーぞ!」

 少し投げやりにメニューを渡される。淑やかとは……?


 ペラペラと、ページを捲ってみる。

「あれ? ここってオムライスは無いの?」

 ページ数の少ないメニューを、端から端まで見てみる。が、目的の物は無かった。

「ウチは行ったことないから知らへんけど、オムライスはどこのメイド喫茶にも大体置いてるらしいし。だからって訳じゃないけど、この店には置いてへんよ。それより! 今日はこれ! これ頼んでよ! っていうか、頼んで下さいませ?」

 胡桃さんは、メニューの一ページ目に書かれた、

「本日の軽食」

 という文字を力強く指さした。

「これ、胡桃ちゃん。そうやって無理にお勧めするものじゃなくってよ」

「ふふ。いえ、構いませんよ。本日の軽食って何ですか?」

 胡桃さんは、ほんの一瞬だけ決まりの悪い顔をしたが、すぐに元通りの笑顔になり、

「本日はカレーパン! と、きのこのポタージュでございます! パン生地は粳さんが作ってくれはってて、カレーはウチが作ってん。カレーはウチ得意やねん!」

 胸を張って、堂々と宣伝してくれた。

「スープは奥様作でございます……」

 胡桃さんを補助するように、瑠璃さんがコソッと教えてくれた。

「じゃあ、それをお願いします」

「いぇーい!お にーさ……お客様なら、頼んでくれると思ってました!」

 メニューを受け取ると、スキップしそうな勢いで奥へと戻った。……と思うと、今度は向かいのキッチンへ移動して来た。よく見ると、エプロンが先程のフリルが着いたものと違って、シンプルなデザインに変わっている。いつの間に着け変えたんだ?

「ウチが今から揚げさせてもらいますー」

「え!? できるの!? 大丈夫!?」

 咄嗟に、できないだろう、と、見た目と話し方のイメージで決めつけてしまった。

 しまった!失礼なことを言ってしまった、と思わず口を噤んだが、彼女はまるで意に介さないように、明るく返してくれた。

「ウチなぁ、めっちゃ兄妹多くてな。ママが仕事でいーひん日は、ウチが料理してんねん。言うて簡単なのばっかやけど。その中でもカレーが一番人気あんねん!」

 楽しそうに話しながら、パンを揚げていく。

 油の弾ける音と共に、天ぷらでもない、フライでもない、軽く香ばしい香りが漂ってきた。一人暮らしを始めてから、女性が揚げ物を揚げている後ろ姿というのを、久しく見てなかった。揚げ始めから終わりまでのその手際の良さに、母を思い出す。


 揚げ立てのカレーパンをプレートに乗せ、その脇に瑠璃さんが温めたスープが座った。

「お待たせしましたー!」

 またエプロンを付け替えて、胡桃さんが持ってきてくれた。まだチリチリと音を立て、パンパンに膨らんだきつね色のそれが食欲をそそる。ポタージュスープも、負けじときのこの芳香を届けてくれる。

「どちらもめっちゃあっついので、気ぃ付けてお召し上がりください!」

 僕がカレーパンを食べるのを待っているのだろうか。胡桃さんは、ニヤつきながらそのまま動かない。

「い、いただきます」

 何となく居心地の悪さを感じつつも、その黄金色の誘惑に誘われるまま、僕はカレーパンを手に取った。熱さが手に伝わり、思わず指先を踊らせる。

「あつ、あっつぅ! あつ……ハグ……!」

 指先で転がしたまま、口に放り込む。

 あ、美味い!……めちゃくちゃ美味いぞ、これ!

 まず、カリッと歯触りの良いパン生地の香ばしさが鼻を抜ける。次に、カレーの濃い香りがそれの後を追いかけ、口中を満たしてくれる。

 我先にと口に入ってきたのは、人参とサイコロの牛肉だった。小さく溶けたそれらは、角が削られルゥと一体化し、柔らかなパン生地と共に口内を喜ばす。ルゥの味は、子供の頃を想起させるような甘さだった。

「胡桃さん、これすっごく美味いよ!」

「せやろ!?」

 本物のドヤ顔と言うのを、初めて見た。

「あはは、めっちゃ自信あるんじゃん!」

 思わず、声を立てて笑ってしまった。胡桃さんは、それでも胸を張っている。

「そらそうやで! ウチのカレーは弟も妹も、ねぇちゃんおかわりー言うて、いっぱい食べるんやから!」

 ああ、それでこの甘さなのか、と納得した。

 胡桃さんの兄妹がどんな子達なのか知る由も無いが、その団欒風景を思い浮かべて、心が暖かくなった。


 ポタージュも頂こう。上にかけられた黒胡椒の粒と共に、その匙を沈める。一口含めば、早秋の香りが……。と、見ると胡桃さんは忽然と姿を消していた。

「こっちにも、軽食ちょうだい!」

「私にも、くるみん家のカレーパン下さいな」

 店内のお客が、次々に注文しだした。胡桃さんは、いつの間にか嬉しそうにキッチンに立っていた。勿論、エプロンは着け替えて。

「旦那が美味そうに食うから、まんまと乗っちゃったよ」

 同じカウンターに座る男性客が、楽しそうな口調で話しかけてきた。

「本当に美味しいですよ、胡桃さんのカレーパン。このポタージュもね」

 先駆者ではないが、何となく得意げになる。キッチンから、カレーパンを揚げる音と、胡桃さんの鼻歌が聞こえてきた。

 

 カレーパンの欠片一つ残さず、最後まで美味しく頂いた。席を立とうとすると、胡桃さんが

「ごめん! 今手が離されへん! ありがとなー!」

 と、キッチンから声を張上げてくれた。

 ありがとうはこちらの台詞なのに、と思いつつ……。いや、ちゃんと声に出そう。

「胡桃さん、ありがとう! また来るよ!」

 揚げている音に掻き消えないように、少し大きめの声で言う。ちゃんと聞こえたんだろう、彼女は満面の笑みで手を振ってくれた。

「ありがとうございました。ポイントカード、作っておきますね」

 瑠璃さんが、有無を言わさずお釣りと共にツバメのロゴが入ったポイントカードを渡してきた。また来るというのが、見透かされているようだ。


 瑠璃さんが、外まで見送ってくれた。

「胡桃さんは、カレーの他に豚汁も得意ですよ。冬限定ですけど」

 コソッと教えてくれた情報に、思わず笑ってしまった。やっぱり、大鍋料理なのか。僕は、瑠璃さんにもお礼を言うと、その裏路地を後にした。

 オムライスに「祝」の文字は叶わなかったが、レアカードの……いや、それ以上の喜びに出会えた。次はいつ行こうか?

 優しいギャルという括りではなく、胡桃さんという女性に出会えた幸運を、僕は感謝した。

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