桃のパイ
「ようこそ!」
「日替わり軽食、お願いしまぁす」
「行ってらっしゃいませー!」
「申し訳ありません。本日、プリン売り切れました」
「お待たせ致しました。本日のおやつでございます!」
ワイワイ、ガヤガヤ……。
今日はいつになく忙しそうだ。外に待ちも何組か出ている。こんなにも忙しそうなのに、こんなにも慌ただしいのに、あの人だけは変わらない。
「胡桃さん、客席の方もやっておくから、お茶でも飲んで少し休んで下さいな。皆で順番こに、ね?」
「そんな言うて! 粳先輩もずっとキッチンで……」
「私は大丈夫! さ、今のうちに!」
「……サーセン、ありがとうございます!」
胡桃さんと入れ替わって、ピッチャーを持って客席に出てきて下さった。そう、粳さん。その人だ。
「お冷、お注ぎ致しますね」
隣のテーブルに座るお客さんに会釈すると、コップを持ち上げ注いだ。
「粳ちゃん、やっとキッチンから出て来れたねー。今日忙しいもんなぁ。あ、これさぁ見てみて。休みの日に九州に行ってきてん。ほら、西鉄! このカラーがほんまキュートやない? これ普通車ね、こっち特急で……」
悪いなと思いつつも、チラと横目で見る。アルバムに几帳面に整理された電車の写真が、ズラリと並んでいる。どれも先頭車両のヘッド?とやらの写真のようだ。正直……どれも同じに見える。
「西鉄のアイスグリーン、ほんま可愛いですねぇ。7000系と言うことは、こちらは甘木線で撮られたのですか?」
「せやねん! さすが粳ちゃん、よく知ってるねぇ!」
何系がどうでこう、この車両がレアでどう、など、私にとって未知なる話題が繰り広げられる。
かと思えば、次は向かいのカウンター席で今期のアニメ「隻眼で赤眼な俺が異世界から戻ったんだが世界が崩壊していた件について」の話題でも盛り上がっている。
「うるちゃんはアゼリ派なんだ。俺はやっぱりヒロインのメリアムが好きでさぁ」
「分かります。メリアムちゃんの左目が、実は亡き母の右目だって分かったシーン……」
「泣けたよねぇー!」
と、ハンカチを濡らしていると思ったら、お次はメイドさんの瑠璃さんと歴代特撮ヒーロー、しかも怪人の方でクイズを出し合っていた。
「では粳さんに問題です。マスクライダー獣王の第21話に出てくる、猪の怪人ジノーイノの好物は……」
「初級問題やね。正解は柿。人間に化けて逃げた時に、優しい少女がくれたのが柿だから、ですね」
「さすが、正解です……」
瑠璃さんがニヤリと笑う。
粳ちゃん、この前言ってた時代劇の。
粳さん、英国喫茶のお茶が。
うるちゃん、あの歌劇の退団公演に行ったらしいね。
粳さんが客席に出ている少しの時間に、多種多様すぎる話題が繰り広げられた。
く胡桃さんが戻って来てまたキッチンに入ると、今度は流れるような身のこなしで注文を捌いていった。
「お待たせしました。本日のおやつ、桃のパイとピーチティーでございます」
胡桃さんは、ごゆっくりどうぞ、とニカッと明るく笑うと、おしぼりを新しい物に交換してくれた。
「粳さんが作った、桃のパイ……」
桃の爽やかな香りは紅茶から。甘く蠱惑的な香りはパイから漂ってきた。
パイから漂うバターと桃の濃い香りを愉しみながら、それを口に入れた。
まず、軽快な音を立てるパイ生地に、耳と歯が喜んだ。次に、焼いたことによってとろけるような柔らかさになり、強い甘みまでも纏った桃の実と、それを邪魔しない控えめなカスタードクリームに舌が歓喜した。
このパイ生地にカスタードクリーム。私は、去年の冬に食べた林檎のパイを思い出した。
「美味しい……」
格子が付いた円い窓から、チラチラと雪が舞っているのが見える。
寒さから逃れる為にと、何の情報もなく入ったカフェ。メイド喫茶だと分かった時は驚いたが、雰囲気といい、このアップルパイ(メニューには、林檎のパイとあった)といい、大正解だ。
「わたくしね、林檎のパイが好きなのよ」
同じカウンターに座った女性……話によると、オーナーらしい。が、ティーカップを傾けながら言った。
「わ、私も。です。パイ、好きで。アップルパイとかピーチパイとか……ピーチパイって滅多に見ないんですけど……タルトはよく見るけど……あはっ、えっと……あ、いえ、あの……」
何言ってるの、私!
上手く話せない恥ずかしさと気まずさから、顔がみるみる赤くなるのが分かった。
何で急に話しかけてくるの!?気の利いた返事なんてできないよ!私なんて……話も下手で……。
情けなくて、首を項垂れようとした時。
「なるほど、ピーチパイ! それ、ええですねぇ。パイと言えばアップルパイばかり考えてしまって」
「良いわね。ピーチパイ、桃のパイ。メルヘンで可愛らしい響きね」
「あっ、えっ……」
マダムと粳さんが、目を輝かせながらはしゃいでいる。粳さんは私に向き直ると、とびきりの笑顔を見せてくれた。
「とっても素晴らしいアイディアを、有難うございます! 奥様、桃の時期が来たら作ってみてもよろしいでしょうか?」
「ええ、勿論そうして頂戴。粳ちゃんの桃のパイね、楽しみだわぁ。お客様、わたくしからもお礼を言いますわ」
「あっ、いえ、そんな……」
しどろもどろに話した事に、こんな反応が返ってくるとは。つい嬉しくなって、照れ隠しにアップルティーに口をつける。
いや、でも。ただのサービスじゃないか?ここはメイド喫茶だし。リップサービス的な。私みたいな口下手な客には慣れているんだろう。喜ばせる術も、熟知しているに違いない。
自分でも悲しくなるほど、卑屈な考え方だ。
「そうだわ。粳ちゃん、あれ、あれ」
「……ああ! アレですね」
二人は何やらヒソヒソと話すと、ニコリとこちらに笑って見せた。
「お客様、申し訳ありません。アップルパイのお皿、一度お下げしてよろしいでしょうか?」
「は、はい……? あっ、どうぞ……」
まだ一口しかかじっていないパイ。下げられたと思ったら、すぐにまた戻ってきた。今度は、生クリームの隣に、白く丸い小山を作って。
「あ、アイスだぁ!」
思わず声に出た。
「わたくし、温かいアップルパイにアイスクリームを添えて食べるのが大好きですの。暖かいお部屋に、温かいお菓子。そこに冷たいアイスクリームなんて、最高の贅沢ではなくって? 隠れメニューと言うのかしら、どうぞお召し上がりになって」
「新メニューのお礼……と言うと、ささやか過ぎますが。さ、温かくて冷たいうちにどうぞ」
二人共に促され、おずおずと頂く。
温かいアップルパイに、雪のようにひんやりと冷たいアイスクリーム。白い山にちょこんと乗ったミントが、喫茶店感を出していて何とも可愛らしい。
「ふふっ……。すごく、すごく美味しいです」
思わず、緩く柔らかな笑みがこぼれた。アイスなんかで釣られて、何て安い女だろう。でも、それが嬉しい。柄にもなく、今年の夏を待ってみようか。そう思ったのだった。
最後の一口を味わった後、程なくして私は席を立った。
瑠璃さんがお会計をしてくれた後、粳さんがキッチンから慌てて出てきた。
「瑠璃ちゃん、お見送り代わってもらえる?」
じゃあお願いしますと、瑠璃さんは私にお辞儀をすると食器を下げに戻った。
「さぁ、どうぞ」
粳さんはドアを開けると、外まで見送りに出てくれた。
「桃のパイ、今夏から早速作ってみたんです」
メニューに桃のパイを見つけた時も驚いたが、本人がわざわざその話をしに来てくれた事が何より嬉しかった。
「いかがでしたか……?」
背が高く、いつも凛としている彼女らしからぬ不安げな様子で尋ねてきた。答えはもちろん……。
「最高に美味しかったです!」
自分でも信じられないくらい、明るく大きな声が出た。ハッと口許を抑え、チラと粳さんを見た。
「一番、お嬢様……お客様に喜んで頂きたかったんです。ほんま、良かったわぁ」
そう嬉しそうに笑うと、小さくピースをつくった。私も、肩を竦めて同じようにピースをつくって見せた。
秘密の会話をしているかのように、二人でくすくすと笑った。
お店の中からは、桃のパイの良い香りがずっと流れてきていた。