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キャラメルティー

 この辺りも、すっかり変わってしまった。

 僕は、引っ越しの片付けで出てきたフィギュア達を売ろうと、数年ぶりにこの街へ来た。

 こんなに乱立していたら、潰し合うんじゃないか?と言いたくなる程、あちこちで見かけるラーメン屋。さっきの店とどう違うんだ?と言うようなカードショップ群。無くなったフィギュアショップ、電球屋。最早重鎮のオーラを放つ、同人誌ショップ、アニメグッズショップ。


 僕がこの電気街に通っていたのはもう十年……いや、十五年ほど前になるだろうか。二十歳になりたてだった当時は、自分の中でもオタク文化の全盛期で、戦利品と称した同人誌がどっさりと入った重たい紙袋を持って、用もないのに電気街を練り歩き、疲れた脚をメイド喫茶で癒していた。


 そう、メイド喫茶。


 当時好きだった漫画に出てきたメイドさん。ロングのスカートに、真っ白で清潔なエプロン。お淑やかで穏やかで、優しく微笑んで美味しい紅茶を入れてくれる、あの、メイドさん。

 電気街にはメイド喫茶がある、と知ってから、あちこちの店を訪問した。

 ミニスカ、違う。

 ステージあり、違う。

 袴、個人的にイイけど違う。

 エプロン、汚い。紅茶、ぬるい……。

 自分でもワガママだと思う。どの店のどのメイドさんも、笑顔で出迎えてくれるし可愛くて優しかった。でも。だが。しかし。


 ロングスカート!

 真っ白なエプロン!!

 美味しい紅茶!!!

 優しいメイドさん!!!!


 この四点は、どうしても譲れなかったのだ。と言いつつ、どの店もポイントカードはしっかり貰い、何度かは通ったし、チェキも撮った。所詮、僕もただの女好きなのか……。


 最終的に、一番初めに訪問した店と、二番目に入った店に根を張ることになった。二店の共通点は、本当にごく普通の喫茶店で、制服がロングのメイド服ということだ。もちろん優しく話し掛けてくれるし、チェキがあり、落書きのオムライスもある。れっきとしたメイド喫茶だ。フリーターだった僕は、なけなしの給料をよくこの二店に注ぎ込んだものだ。


 あの店達はどうなったんだろう?

僕は、フィギュアを売り払い身軽になった姿で、当時幾度も通った道を歩いた。


「あれ? 無い!」

 思わず声に出てしまい、慌てて周りを見渡した。紅茶が売りで、オリジナルのロングメイド服が個性的で可愛い店だった。今の店はと言うと、

「アイドル系……コンカフェ&バー?」

 ド派手なピンクの外壁に、内装はやたらキラキラフリフリしている。訝しむこちらに気付いたメイドさんが、心配になるくらいの超ミニスカを揺らしながら出てきそうになって、慌ててその場を離れた。

 そう言えば、こんな店だらけだ。ラーメン屋と同じくらい乱立している。ビラ配りをしている女の子も、数メートル間隔で立って客引きをしている。昔は、客引きのメイドさんなんていなかった。せいぜい、自店舗前で控えめに呼び込みをする程度だったのに。


 自分でも驚くほどショックだった。

あの、柔らかい雰囲気のメイド喫茶はどこに行った?脛まであるスカートをふわりと翻し、注文を取りに来てくれたあの子達は?何より、あんなに世話になったのに、閉店を知らなかったなんて、己の薄情さにウンザリした。

 気を取り直して、もう一本の根を辿る。幸いながら、いや、その店の努力のお陰で、まだ変わらずそこにあった。安堵しつつ店内に入る。

「お帰りなさいませ!」

 変わらぬ出迎えに胸が熱くなる。店内を見渡すと、内装も殆ど変わっていない。何より驚いたことに、見た事のあるご主人の顔がちらほらあるのだ。ここだけ時が止まっているようだ……。

と思ったが、当然のことだが見知ったメイドさんは一人もいなかった。本当に身勝手だと思うが、初見のご主人と同じように扱われて、少し寂しくなる。

 当時よく頼んでいたブレンドティーを注文する。全く変わらぬ味に安心するも、何となく居場所が無くなったような気がして虚しくなった。昔のように再注文して長居することもなく、飲み終えるとすぐに店を出た。

「少し散策してから帰るか」

 僕は、新しい店達をぼんやりと眺めながら、ゆっくり歩いた。


 あてもなくウロウロしている内に、細い裏通りを見付けた。そういえば、こんな通りもあったなと思いながら通りの入口に立ってみる。と、小さな看板が見えた。こんな通りに店があるのかと、興味をそそられて人影のない道に入って行く。

 小さな木の板でできた看板には、

「ココはツバメの館デス。温かいお茶、アリマス。美味しいお菓子、アリマス。どなたでもドウゾ」

 と、書いてある。泣いた赤鬼みたいだなと、くすりと笑う。外観は、くすんだ白色の壁に、円く抜かれた窓がある。窓には木の格子があって、中が少し見え難い。古い昭和時代の家を使っているようだ。いわゆる古民家カフェというやつだろうか。そう言えば、この辺りにはこういった古い家や商店がいまだに点在している。

 カフェと言うのは分かったが、客が入っているのかどうかはよく見えない。が、中々に良さそうな雰囲気を感じて、思い切って扉に手をかけた。

 黒茶色の扉を開けると、木の軋む音が小さく響いた。


「あ!」

 店の奥から、女の子が駆けてきた。

「ようこそ!」

 笑顔でそう挨拶してくれたのは、ロングスカートにレースの付いた真っ白なエプロンの……。

「え!? メイド喫茶!?」

 「はい、そうです!」

 飾り気のない外観からは想像がつかなかった。個人でやってる小さなカフェだろうと思っていたので、意外な出会いだ。

「さぁさぁ、お好きなお席へどうぞ!」

 桃色の二つに結ったお団子が、小動物の大きな耳のように目立つメイドさんが、驚く僕に促した。

 お好きな席と言われても、と、まだ状況に追い付かないまま中を見渡す。

 カウンターが六席。二人掛けのテーブルが四席。小さな店だ。壁には扉と同じ色の柱が立っており、壁はやはり落ち着いた白色だ。何の飾りもないシンプルな内装だが、昭和のような、それより昔を感じさせるレトロな造りをしている。

 ふと、カウンターを再度見やる。一番奥の壁際の席。豊かな袖の真っ白なブラウスを着た女性が、微笑みながら立ち上がると会釈し、また座りなおした。思わずつられて小さく頭を下げ、咄嗟に彼女と逆側の端に腰掛けた。店内にいる客は彼女と僕だけのようだ。


「すぐにメニューをお持ちしますね!」

 踝まであるスカートをふわりと翻すと、メイドさんはまた奥に駆けて行った。

 カウンターの中は、キッチンになっている。壁に備え付けられたガラス棚に、グラスやカップが丁寧に置かれている。カウンター内の、奥の濃い紫色の暖簾の向こうから、もう一人メイドさんが出てきた。

「ようこそ。本日のお菓子はカトルカール……シンプルなパウンドケーキと、二色のマカロンをご用意してございます」

 スカートを軽く持ち上げ、膝を曲げて挨拶してくれる。先程の桃色ヘアの元気娘とは打って変わって、落ち着いて淑やかな雰囲気のメイドさんだ。黒髪はピシャリと纏められており、カチューシャではなくシニヨンキャップを着けている。


「お客様、お待たせ致しました。お冷とおしぼりとメニューでございます!」

 桃色娘が、少し注意した手付きで切子のグラスを置いてくれた。

「メニューですが、さっきうるちさんが言ったように、本日のお菓子は二種類あります! 他の焼き菓子と紅茶も色々ありますし、軽食もありますよー! お決まりになったらお呼び下さいね!」

 ペラペラとメニューを捲りながら説明してくれる。

「ちょ、待って待って」

 また風のように去ってしまいそうなのを捕まえて、僕はふと疑問に思ったことを尋ねてみた。

「メイド喫茶ですよね。何故“お客様”なんですか?」

 大体のメイド喫茶は、ご主人様、お嬢様、旦那様……などの呼び方だ。それがロマンだと、僕は思う。

 面倒臭い客だと思われたかなと、少し後悔するが、桃色娘は嬉しそうにこう答えた。

「えへん! ここは、マダム・ボウとみんながつくったお店だからです! えっと、奥様はお屋敷に住んでいて、それでメイドさんがいてて、皆仲良く働いてて、それで、えーっと……うるちさん、上手いこと説明できひん……」

 桃色娘は、カウンター内の粳、と呼ばれるメイドさんに助けを求めた。粳さんは微笑み小さく頷くと、奥に座る女性へ向き直った。

「私達は、あちらにいらっしゃる奥様、マダム・ボウに仕えるメイドでございます。私達は、休憩部屋をいくつか与えられておりますが、そのうちのひとつが、ここ、ツバメの間でございます。私達で好きなお菓子などを作っていたのを、奥様がたいへんお気に召して、ここでこっそりお茶の時間をお過ごしになるようになったのです。喜んでおもてなしするうちに、奥様のお客様も遊びにいらっしゃっるようになって、私達が奥様にここをカフェーに改造するようお願いしたのが始まりでした。私達は、好きなお菓子を作ったり、お客様とのハイカラでモダンなお話を楽しみに、このカフェーに勤めているのです」

 紹介されたマダム・ボウが、

「わたくしの趣味ですの。どれも彼女達が作った美味しいものばかりですのよ。良い娘しかおりません。ごゆっくりお過ごしになって」

 と、誇らしげに言った。

 なるほど、そういうコンセプトか、と納得した。面白いじゃないか!

 僕は、この二人のメイドさんとマダムのキャラクターと、店内の雰囲気にいっぺんに心を奪われた。ワクワクと心臓が熱くなり、気に入りのメイド喫茶を求め彷徨い続けたあの頃の気持ちを思い出した。

「そういうことなのです! ちなみに、こころはうるちさんの作ったカトルカールが好きー! ……です!」

「心ちゃん、試作品をほとんど食べてはったもんね」

 粳さんが、くすくすと笑う。

 心ちゃんと粳さんね。僕は、脳内のメモ帳に早速名前を記した。

「じゃあ、そのカトルカール? と、オススメの紅茶……温かいものでお願いします」

 その二人の様子が可愛らしくて、僕はメニューにはあまり目を通さず、注文した。

「では、お菓子と同じく、お紅茶も心ちゃんのお気に入りに致しますね」

「ご用意致しますので、お待ち下さい!」

 心ちゃんは、メニューを受け取ると奥に駆けて行き、粳さんはお辞儀をするとキッチン内で作業を始めた。

 お湯の湧く音がする。皿同士が控えめに音を立てる。マダムを横目でチラリと見ると、穏やかな表情でティーカップを傾けている。わたしくしの趣味、という言葉に、心の中で大きく頷いた。


 ややあって、心ちゃんがトレーを運んできてくれた。

「お待たせ致しました。まず、紅茶をお入れしますね!」

 紺地に金の縁どりが施されている、ソーとティーカップがそっと置かれる。少し大きめのティーポットから、湯気をまといながら紅茶が注がれた。ほんのりと甘い香りがする。ポットを置いた後に、濃紺のキルト地のティーコゼーを被せてくれた。

「紅茶は、こころのお気に入りのキャラメルティーです! 濃くなったところに、ミルクとお砂糖を入れて飲むのが好きなんだぁ」

 説明しながら、カトルカールを置いてくれる。確かに、シンプルなパウンドケーキだ。厚めに切られた二枚の黄金色のケーキに、たっぷりの生クリームと小さなミントが添えられており、粉糖がかけられている。

「ごゆっくりどうぞ!」

「いただきます」

 まずは、見るからに熱々の紅茶から頂く。眼鏡が曇るが、気にせず啜る。砂糖も入れていないのに、香りだけで甘く感じるから不思議だ。かといって、わざとらしく安っぽいキャラメルの風味ではなく、華やかな茶葉の香りもしっかり主張している。

 さて、お次は粳さん作のカトルカールだ。しっとりとした生地を頬張ると、バターの香りが優しく鼻を抜けていった。

 「あ、美味い……!」

 思わず、小さく声を漏らしてしまった。カウンター越しに粳さんをちらりと見ると、

「有難うございます」

 とにこやかに言ってくれた。

 このシンプルな美味さには、キャラメルティーが合うということが確かに良く分かる。心ちゃん、グッジョブ!心の中でサムズアップをした。ひんやりとした生クリームと合わせて食べると、また別の美味さが生まれた。

 少し濃くなった二杯目の紅茶には、言われた通りミルクを入れてみた。少し飲んだだけで、つい笑みが零れてしまう。確かに、これは心ちゃんが好きそうだ。

 そう思った瞬間、ふと自分の烏滸がましさに恥ずかしくなった。まだ、ここに来てからほんの僅かな時間しか経ってないのに。僕は彼女らの何を知った気でいるんだろう、と。

 メイドさんは、キャラを作ってご主人様を楽しませてくれている。それを知っているのに、ついはしゃいでしまった。

 自分ひとり気まずくなって、カップを置いて手を止めた。

「心ちゃんが好きそうな味だな」

 驚いて、声の主を見る。

「……って、思いましたでしょ?」

 マダムは、ティーポットからゆっくり紅茶を注ぎながらそう言った。

「は、はい。よくお分かりで……」

 ずばり言い当てられて、小さくなる。

「この館で働く娘たちは、皆素直ですのよ。お客様の見た通り、聞いた通り、そのままなのです。特に、趣味や食べ物……好きなことで自分を偽ることは決してありません。心ちゃんも、粳ちゃんもそう。お客様がお思いになったことは、その通り、正しくていらっしゃいますわよ。ねぇ?心ちゃん」

 優雅に口元にティーカップを運びながらそう言った。心の中を見透かされているようで、驚きと気恥しさもあったが、その言葉を信じるだけの魅力が、この店の中全てにあった。

「なになに? なんですか? お呼びですか!?」

 布巾を片手に、心ちゃんが奥から飛び出てきた。

「キャラメルティーとかお菓子とか、甘いものが大好きっていう心ちゃんのお話やよ」

 粳さんが、勢いよく出てきた心ちゃんにくすくすと笑いながら教えた。

「こころの話でしたかー! じゃあこころも混ぜてくださいよぅ!」

 それから、三杯目のキャラメルティーには砂糖たっぷり、ミルクたっぷり入れるのが好きだと教えてもらった。ただ、心ちゃん流にすると余りにも甘くなるので、ティースプーン一杯程度に控えておく。お菓子のように変化した紅茶と、早速感想を求める心ちゃん、それを母親のような目で見つめるマダムと粳さんに、心が甘く柔らかくなっていくのを感じた。

 

 「お気をつけて、行ってらっしゃいませ!」

 大きく手を振り見送ってくれる心ちゃんに、小さく手を振り返しながら路地裏を出た。もらったポイントカードには、かつてメイド喫茶に通い詰めていた頃の自分と同じ名前が書いてある。

 ――来週の休みにまた来よう。少し遠いけど、夜もやってるそうだから、仕事終わりに行くのもいいな。でも、とりあえずまずは……――

 「キャラメルティー、買って帰ろう」

 僕の足取りは二十歳の頃と……いや、それ以上に軽かった。

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