2話 最狂錬金術師、故郷を顧みず隣の大陸へ
ある日、ラパゼルが出勤すると、研究所のホールで武装した騎士に取り囲まれ、床が彼を中心に輝き出し魔法陣が出現した。
「ラパゼル・スカーだな? 貴様には国家反逆罪の容疑がかかっている! 大人しく投降しろ!」
「何を馬鹿な事を!? いくら俺が天才だとしても、国家に対する反逆なんて企んではいないっ! 何かの間違いだ!」
突然の事に驚いたラパゼルは思わず叫び返し、騎士達を面食らわせた。
「だ、黙れっ! 貴様の師であるモーガス・トッドが証言した。証拠も提出済みだ、言い逃れは出来ん。申し開きをしたければ、裁きの間でするがいい!」
騎士達のリーダーと思しき男の言葉で、ラパゼルは恩人である師にまで裏切られた事を知った。
「師よ、あなたまで俺を裏切るのか。何故そこまで……!?」
がっくりと肩を落とし俯くラパゼル。
彼は自分が研究所を辞め外国に行く事を、モーガスが止めたがっている事には気がついていた。しかし、まさか反逆罪を犯した大罪人に陥れられるとは夢にも思わなかった。
しかし、だからといって大人しく捕まって大罪人として首を刎ねられる訳にはいかない。
「観念したようだな。おい、縄を!」
騎士達がラパゼルを捕縛するために近づいて来るが、ラパゼルはその間に素早く状況を把握した。
(対魔法防御用にミスリルをコーティングした防具を装備した騎士が、ここから見えるだけで七名。床には、魔力の放出を妨害する魔法陣か)
錬金術師とは、魔法の中でも錬金術を得意とする、もしくは錬金術に特化した魔導士である事を意味する。剣士が槍や斧を全く使えないという事がないように、錬金術師だって攻撃魔法を唱える事が出来る。
騎士達はそれを考慮し、モーガスに協力させ対魔導士用の備えを完璧にしてラパゼルの逮捕に踏み切ったようだ。
「この程度で天才である俺を捕まえらえると思うな!」
しかし、ラパゼルは近づいて来た騎士に掴みかかると、右脚で強烈なローキックを放ち彼の脚を鎧ごとへし折った。
「ぎやぁぁぁぁっ!?」
「貴様っ! 奴隷上りの分際で!」
絶叫しながら倒れる同僚の姿を見て、激高した騎士の一人がラパゼルに切りかかった。おそらく、最初からこの場で殺しても構わないと言われているのだろう。生け捕りにするつもりがあるとは思えない、殺気の込められた一撃だった。
だが、騎士の剣はラパゼルの頭部を切り裂くどころか、逆にあっさりと折れてしまった。
「なっ!? うぉぉっ!? なんだこれは!?」
ラパゼルの髪が別の生き物のように蠢いたかと思うと彼の頭部から分離し、剣を折られた驚愕で動きを止めていた騎士に巻き付き締め上げ始めた。
「こ、これはカツラ!?」
驚く騎士達に、頭部が寂しくなったラパゼルは高笑いを上げた。
「見ての通り、荒んだ人生を生きて来たのでな! 備えは欠かしておらん!」
不自由になった右脚の動きを補助する補助具は、出力を上げれば日常生活だけではなく戦闘にも活用できる。
頭部に装着したカツラは、防具としての性能だけではなく、暴漢を捕まえる拘束具としての機能が付与されていた。
「マジックアイテムか! そんな情報は無かったぞ!」
「待てっ、迂闊に近づくな! 他にも何か持っているかもしれん!」
忌々し気に叫びながら、さらに切りかかろうとする部下をリーダー格の騎士が制止する。
ラパゼルの足元で輝き続ける魔法陣は、魔力を体外に放出する事を妨害するため魔法の発動を防ぐには効果的だ。しかし、既に発動している魔法や魔力が付与された物品の効果を阻害する事は出来ない。
(そりゃあ、モーガス師に渡したデータは量産化を前提にコストと作成時間を調整した、劣化版だからな。お前達に正確な情報が伝わっていなくても当然だ。
これに関してもなっ!)
動揺を鎮めて、倒れた同僚二名をそれぞれ引きずってラパゼルから離し、残りの三名で改めて取り囲む。そんな騎士達に対して、彼は左目の義眼を素早く抜き取ると、瞳の部分を指で押して放り投げた。
「ぐわっ!?」
次の瞬間、義眼から眩い閃光が放たれた。目を開いていた騎士は一時的に視力を失い、とっさに盾で閃光を防ぐ事が出来た騎士も結局ラパゼルの姿を見失った。
(今だ!)
その隙に、ラパゼルは懐に忍ばせた薬を飲んでネズミに変身し、衣服と補助具をその場に残して騎士達の足元を駆け抜け、研究所の外に出ると排水溝に潜って逃げ出した。
下水道を走り続けて王都の外に出たラパゼルは、ネズミからさらに狼に変身し、一昼夜走り続けた。
そして十分に人里から離れたと確信してから、人の姿に戻った。
「さて、文字通り裸一貫からの再出発となった訳だが……これからどうしたものか?」
これまでは逃げる事に夢中で先の事は何も考えていなかったが、一段落ついた途端、師に裏切られた哀しみと未来への不安、本来の予定ならあるはずだった展望への未練が押し寄せて来た。
今頃、ゼーリア王国ではラパゼル・スカーを逃亡中の反逆者として手配されているだろう。それは彼が所属していた魔導士ギルドだけではなく、冒険者ギルドや傭兵ギルドにも回され、一ヵ月と経たないうちに大陸中に広まるはずだ。
そうなると、ゼーリア王国以外の国もラパゼルを受け入れるのは難しくなる。指名手配犯の重罪人を公に受け入れるのは、手配したゼーリア王国との外交問題になりかねない。
……国によっては意外とあっさり受け入れてくれるかもしれないが、ラパゼルはそうした国々の情報を持っていなかった。
それに、本来なら家から持ち出す事が出来たはずの荷物……素材や金が無いのが気に入らない。最も大切な研究に関する知識は全て自分の頭にあるとはいえ無実の、裏切られ貶められた被害者である自分が、何故こんな惨めな思いをしなければならないのかという不満と怒りが納まらない。
かといって、あのまま騎士達に大人しく捕まって真実を訴えても無駄なのは明らかだった。
優性主義に毒されたゼーリア王国で、奴隷出身のラパゼルと公爵家の三男だったモーガスの何方を信用するかは考えるまでもない。それに、モーガスは証拠まで捏造していたようだから勝ち目はないだろう。
「こうなれば他の大陸まで逃げるか? 南の群島大陸……いや、東のロンカ大陸にするか。あの大陸には俺が知る錬金術とは異なる練丹術という術があるらしい。
しかし、俺を愛してくれる者は、俺の愛に応えてくれる者は、何処にいるのか……」
近くに生えていた草や落ちていた小枝を適当に拾い、それを素材にして錬金術で間に合わせの衣服を創りながら、ラパゼルはため息を吐いた。
何故、自分は多くの人々が手に入れているはずの愛を手に入れられないのか。自分は天才である事を除けば、生まれの定かではない奴隷上りの中年男でしかないというのに。
多くの人々が愛を手に入れるのに、苦労をしていないとは思わない。愛情を獲得するにも、維持するにも、競争に打ち勝ち試練を乗り越え、それなりの代償や維持コストを支払っているはずだ。
しかし、それらはラパゼルがこれまでかけた時間と代償を上回るものだろうか?
理屈としては、こうして他人と比べる事は間違っているとラパゼルも理解している。他人と一括りにしても、実際は一人一人が異なる人間だ。運の良し悪しも含めて条件は異なるし、手に入れた愛の形も様々だろう。
また、他人と比べて自分をいくら憐れんでも、「何故自分だけが……」と不幸に浸っても欲しいものは手に入らない事も分かっていた。
だが、感情的にはとても納得できない。
「俺に何か決定的な落ち度でもあったのか それとも、俺を愛してくれる者はこの世に存在しないとでもいうのか?
待て、この世に存在しないだと? そうだっ、無いのなら創ればいい!」
その時、ラパゼルは稲妻に打たれたような衝撃を覚えた。
「そうだ、俺は天才錬金術師! 魔力を持って素材を融合変化させ、新たな存在を創造する魔導士だ! 俺を愛する者が存在しないというのなら、錬金術で俺を愛してくれる存在を作り出し、それを俺が愛すれば全て解決する!」
まさに天啓と呼ぶに相応しい閃きに、ラパゼルは目の前に広がっていた暗雲が晴れたように感じた。
しかし、錬金術で生命体を作る事は可能なのか? 考えるまでもない。可能だ。
「既存の錬金術でも無機物に命を与えてゴーレムを、容器の中に元素を人型に纏めてホムンクルスを、異なる種の生物を合成してキメラを創る事が出来る!
それを進めればいいのだ! だがどうすればそこに、前人未到の境地に、神々の御業に達する事が出来る?」
可能ではあるが簡単ではない。歴史に名を遺すような偉大な錬金術師たちも、ある程度の自己判断能力を持つゴーレムやホムンクルスを創るのが精いっぱいだった。
愛情を理解し、創造主にそれを向けられるような人工生命体を創るには、先人達を越えなければ不可能だ。
「そうだ、賢者の石やエリクサーを開発し、魂の秘密を解き明かせばいい! 机上では存在すると言われてきたが、今まで誰も極めていない錬金術の奥義を極めれば、完全な生命を創る事が出来る!
自我を持つゴーレムを! 生きている人間と何も変わらないアンデッドを! 外界でも自由に活動できるホムンクルスを! 高い知能を持ち限りなく人間に近い姿のキメラを!」
この瞬間、ラパゼルの人生の二つの目標は一つになった。錬金術の奥義を極め、その奥義を使って愛を手に入れ、幸福になる。
「そうと決まれば早く研究を再開するぞ! いや、せっかく身軽になったのだからこのままロンカ大陸の練丹術を学びに行くか。ほとぼりが冷めるまで時間も潰せて一石二鳥だ」
この時代、大陸間の交流は殆どない。言葉も何もかも異なるため、ゼーリア王国がいくら大国であろうが他の大陸までその影響力が及ぶことはまずないだろう。
もちろん、その分ラパゼルが東の大陸に向かう事も難しい挑戦となるのだが、それは彼も分かっている。しかし、錬金術の奥義を極める事に比べれば容易い事だとも考えていた。
ラパゼルは適当に拾った枝を錬金術で融合させ、丈夫な木製の杖を作り出して木々の間を歩き出した。
「練丹術を極めれば、不老不死の仙人になれるという仙薬を創る事が出来るらしい。おそらく賢者の石やエリクサーに近い物だろうが……愛を手に入れるためにも、まずは俺自身の寿命を延ばさなければならんからな」
その右目には情熱と狂気が輝いていた。
ラパゼル・スカーがゼーリア王国から逃走した五年後、かつて王国が侵略し滅ぼしたゾルン王国の王族の末裔を掲げた反乱軍による内戦が起きた。
とはいえ、新生ゾルン王国軍を名乗る軍の数は五千程度。隣国で長年大陸の覇権をかけて争ってきたホルバイン公国が秘密裏に支援しているという噂もあるが、十万もの精強な常備軍を抱え、平民から徴兵すればさらに数倍の兵を動員できるゼーリア王国の敵ではない。
新生ゾルン王国軍や、その旗頭に担ぎ上げられた王位継承権十五位の王子が何を考えているかは不明だが、支援しているホルバイン公国も反乱が成功するとは考えていないだろう。
内戦でゼーリア王国の目が国内に向き、ホルバイン公国に対する警戒が緩めばその際に何らかの工作を行う事が出来ればめっけもの、多少でも国力を削れればそれだけでも十分。そんな程度だろう。
そんな新生ゾルン王国軍に対してゼーリア王国が出した答えは、精鋭による早期決着だった。
出撃した一万五千ものゼーリア王国軍に恐れをなした新生ゾルン王国軍は、占拠したゾルン王国時代の砦に籠城している。
おそらく、ホルバイン公国の援軍が来ると信じているのだろう。
「フン、ゾルン王国のジェントルード王子とやらも哀れなものだ。約十年の雌伏の時に耐えてなったのが、傀儡どころか捨て石なのだからな」
そう天幕で開かれた軍議の席で皮肉気に笑うのは、今回の討伐軍の総指揮官に任命されたゼーリア王国第二王子ワズレイル・ラン・ゼーリアだった。
知性に優れながらも病弱だった第一王子が三年前に亡くなったため、代わり王位継承権一位を継いだ王子で今年三十になる美丈夫である。
今回、討伐軍の総指揮官にワズレイルが任命されたのも、王位を継ぐ前の実績作りと国民に対するアピールの一環だ。
「ワズレイル王子、油断なされぬよう。追い詰められたネズミはこちらの思いもよらぬ行動をとるものです」
そう王子を嗜めるのは、ゼーリア王国軍でも名高きカルカシス・バラン将軍。既に六十を超えた老齢だが、未だに現役を貫いている。
「特に、この戦はただ勝つだけでは負けと変わりませぬ。如何に早く、そして自軍に損失を出さずに勝つかにかかっているのです」
カルカシス将軍も自軍の勝利を疑っている訳ではない。だが、新生ゾルン王国軍の背後に宿敵であるホルバイン公国の影が見える。奴らが何を企んでいるのかは定かではないが、何にしても素早く事態を収拾し旧ゾルン王国の領地を平定する事が肝心だと考えているのだ。
「分かっているとも、将軍。そのためにモーガス・トッドが新たに開発した新兵器を持って来たのだ」
「あの大砲とやらですか」
「魔導大砲だ。兵器の名称は正確に言ってもらわねば困るぞ、将軍」
ワズレイル王子が砦攻めのために王都から取り寄せた奥の手、それはゼーリア王国一の錬金術師であるモーガスが開発した魔導大砲だった。
ミスリルやアダマンタイト、オリハルコン、ドラゴンの魔石等を贅沢に使った新兵器で、複数人の魔導士が魔力を込めた魔力を筒状の本体の先端に収束し打ち出す事が出来る。
その威力はすさまじく、軍の演習場で試射した際は三割ほどに抑えた出力で、城砦の壁に見立てた岩を矢が届かない程の遠距離から一発で粉々に爆砕する事に成功した。
ただ、モーガス・トッドはまだ試作品であるため出力は三割に抑える事や、連射は出来るだけ避ける事と使用に条件を付けていた。
しかし、それでも新生ゾルン王国軍が籠城している砦の門や壁に穴を空けるには十分だ。
「魔導大砲で奴らが籠城する砦に大穴を空け、降伏しなければこのまま砦ごと撃ち滅ぼすと迫り時間を与える。奴らが降伏すれば良し、降伏せず抗戦を選んだとしても魔導大砲の二発目による先制攻撃で蹴散らす。そして逃走を選んだとしても、追撃を行い息の根を止める」
それがワズレイル王子の策だった。新兵器である魔導大砲に対する対抗策が新生ゾルン王国軍にあるはずはなく、カルカシス将軍が述べた勝利条件を難なく満たせるはずだ。
さすがは王子と、ワズレイル王子の取り巻き達が称賛の声を上げる。
「異論はありませぬ。しかし、実績の無い兵器頼みの策は気に入りませんな」
だが、カルカシス将軍の顔は顰められたままだった。
「確かに実績は無いな。しかし、どんな兵器も初投入の時があったはずだ」
「おっしゃる通りです。なので王子、魔導大砲の直接の指揮は私にお任せください。王子は後方にて全体の指揮を執っていただきたい」
カルカシス将軍は慣れない新兵器の運用に失敗し、危機的な状況に陥ったとしてもワズレイル王子の身の安全を確保する事を考えていた。
「むっ……いいだろう。カルカシス・バラン将軍に、魔導大砲の運用を任せる。見事、敵の砦に風穴を空けて見せろ」
自分の功績である事を魔導大砲の指揮を直接取る事で明らかにしたいワズレイル王子だったが、カルカシス将軍が何を考えているのか察したため、彼の意見に従う事にした。
武芸を嗜み、兄である第一王子が健在だった頃は騎士団の一つを率いて王都を守っていたワズレイル王子だが、戦争に出るのは初めてだ。臆した訳ではないが、歴戦の将であるカルカシスと衝突するべきではない事は分かっていた。
そしてしばらく経った後、魔法によって拡声された双方の軍の大将の名乗りと、降伏勧告が交わされる。そしてお互いにそれを拒否する事で、儀礼的な開戦の手続きが終わる。
「ご苦労様です、王子」
カルカシス将軍が付けた長年彼の副官を務めている武官に、ワズレイル王子は「大したことは無い」と答えた。
「上手く行けば、俺の仕事はこれで終わりだからな。座っているだけで手柄が手に入るとは……前線で戦う兵達に悪いな」
「慣れてください。将とは本来そういうものです」
そう言葉を交わしながら戦場を見ていると、本陣から離れた場所に設置された魔導大砲に魔導士達の魔力が充填され始め輝き出した。
それに気がついた新生ゾルン王国軍は慌てたように矢を放ち、投石器で岩を投げつけて来るが、砦から十分な距離を取っているため、矢や岩は両軍の間に空しく落ちるだけで何の意味も無い。
そして魔力の充填が終わり、魔導大砲の輝きが直視できない程強くなった時、カルカシス将軍の「放て!」という号令がかかった。
その瞬間、魔導大砲は閃光と共に爆発した。
「……は?」
カルカシス将軍や魔導士達、他の将兵たちが何かをする間もなく光に飲み込まれるのを見て、ワズレイル王子は呆然とした。
「王子っ!」
そして将軍の副官が咄嗟にワズレイル王子を押し倒して地面に伏せさせるが、その一秒後には彼も王子も閃光に飲まれ、痛みを覚える間もなく意識を失った。
新生ゾルン王国軍から見ると、事態はより衝撃的だった。ゼーリア王国軍が出して来た新兵器が輝き出したと思ったら、激しい閃光を発しながら自爆したのだ。
爆発は恐ろしい勢いで広がり、周辺に居た兵士だけではなくゼーリア王国軍の本陣にまで到達。閃光と衝撃波が納まった時には、一万五千のゼーリア王国軍はほぼ消滅していた。
「な、何が起きたのだ?」
「ジェントルード王子っ! ご無事ですか!?」
爆発によって起きた衝撃は砦を揺らし、転倒した者も少なくない。ジェントルード王子もその一人だったが、すぐに少女が駆け寄って助け起こした。
「ああ、問題ない、マリ姉さん」
「王子、今はマリアーナです」
十七歳のジェントルードと十八歳のマリアーナ……過去、五年程姉弟であると偽っていたため、とっさに昔の呼び方が口に出てしまったようだ。
「そうだったな。将軍っ、何が起きたか分かるか?」
「か、神の御加護か? それともゼーリアに天罰が下ったのでしょうか?」
ジェントルードが声をかけた彼の側近である将軍は自力で立ち上がったが、しばらく呆然としたままだった。
「これが神か悪魔か、誰の仕業かは分からんが……将軍、とりあえず敵軍の生き残りがいたら捉えて捕虜にせよ。何があったのか知りたい」
「御意……あー、皆、捕虜を捕まえに……いや、一応こう言うべきか。打って出るぞ!」
砦から打って出た新生ゾルン王国によって、奇跡的に無事だったゼーリア王国軍の生き残りは次々に捕らえられ、また生きてはいたものの怪我で動けない将兵たちは捕虜として捕らえられて治療を受けた事で、多くの者が生き残る事が出来た。
新生ゾルン王国軍に捕らえられ、もしくは救助された捕虜の数は七十五名。その内、助かったのは六十七名。
戦場から逃げ切り、帰還できた者は六名。
推測されるゼーリア王国軍の死者は一万四千九百二十八名。
ゼーリア王国は反乱軍の討伐に出した将兵をほぼ全てだけでなく、老齢の現王の後継者と軍で最も経験豊富で人望があった将軍を同時に失った。
さらに、長年の宿敵であるホルバイン公国が挙兵しゼーリア王国への侵攻を開始。ゼーリア王国軍が死力を尽くして戦った結果食い止める事は出来たが、国境を接していたいくつかの貴族とトッド公爵家の領地を奪われてしまった。
のちの歴史書にも記されたこの『ワズレイルの悲劇』事件の結果、新生ゾルン王国は領土を回復。ゾルン王国は奇跡の復活を遂げた。
その過程で捕虜から情報を聞き取り、『ワズレイルの悲劇』の原因が魔導大砲にあると知ったジェントルード王子は、「あの錬金術師が勤めていた研究所が発明した兵器に救われたとは皮肉だな」と呟いたという。
そして新生ゾルン王国軍を裏で支援していたホルバイン公国も歴史に残る大勝を遂げ、領土を大幅に増やした。
対してゼーリア王国は滅亡こそ免れたが、領土の四分の一を失い、ホルバイン公国の侵攻を食い止めるために多くの将兵が犠牲になった。
その上、ワズレイル王子の死で後継者問題が勃発。現国王が心労によって倒れた事もあって、公爵家への婿入りが決まっていた第三王子と神殿へ既に出家していた第四王子の何方が次期王位継承者なのか直ぐには決められず、国が割れ大混乱に陥った。
この事態をいち早く収束するためにも軍が行ったのが、悲劇の元凶となった魔導大砲の開発者である錬金術師、モーガス・トッドの拘束と尋問、そして公開処刑である。
「待ってくれっ! 私はっ、私は悪くないっ!」
七十近い老人になっていたモーガスは、泣き叫びながら宮殿前の広場に用意された火刑場に引っ立てられた。
ラパゼルを陥れ、彼が残した研究ノートだと思われる物を手に入れたモーガスは、それを使ってゼーリア王国一の錬金術師としての名声を保とうとした。
しかし、ノートに書かれていた設計図やレシピ通りに開発しても一向に上手く行かない。どういう事かと尋ねたくてもラパゼルは自分で貶め排除した後。仕方なく、モーガスは自身の知識と技術で何とかするしかなかった。しかし、所詮は錆びついた頭と腕ではどうにもならなかった。
新たな成果を出せない日々が続き、名声は次第に落ちていった。人々からの「モーガス・トッドはもう落ち目だ」という囁きが耳に届き、彼の焦燥は増していった。
そんなとき、軍から兵器開発の依頼が舞い込んだ。この依頼を成功させれば、ゼーリア王国での名声は不動のものとなり、歴史に名が刻まれる事になるに違いない。
「これはラパゼルの罠だっ! 私は嵌められただけなんだ!」
モーガスは全力で、ラパゼルのノートに書かれていた唯一の兵器でのアイディアを基に兵器開発に取り組んだ。
そして何とか形になったのが魔導大砲だった。本来は個人で携行可能なサイズだったが、開発段階で小型化は不可能と分かったので、馬で引いて移動する大砲サイズの巨大兵器と化した。
その上、充填する魔力を本来の三十パーセントまで抑えないと安全に運用できないという問題のある兵器だった。
だが、弓矢はもちろん多くの攻撃魔法でも届かない遠距離から放つ砲撃の威力は、依頼した軍の将兵達の期待を遥かに超えていた。
モーガスは、念のために出力が三十パーセントを越えないようにする安全装置を開発し、魔導大砲に固定して外せないようにした。
これで何もかも上手くいった。そう思っていたのに、魔導大砲は一万人以上の将兵とワズレイル王子とカルカシス将軍を吹き飛ばすという大惨事を引き起こしてしまった。
「どうかお慈悲をっ! お慈悲をーっ!」
帰還した僅かな生き残りから話を聞き出したゼーリア王国政府と軍は、魔導大砲が爆発した事が原因である事を知り、モーガス・トッドは拘束され彼の研究所を厳しく捜査した。
そして魔導大砲の開発資料とラパゼルのノートを発見し、モーガス以外の著名な錬金術師達に分析させた。そして彼らは魔導大砲には根本的な欠陥があり、それが爆発の原因だと結論付けた。
それどころか、十年以上前からモーガス・トッドが自身の研究成果だと発表してきたのは、弟子であるラパゼルの成果だった事、そしてモーガスが彼に国家反逆罪の罪を着せて陥れた事も判明した。
「いやだぁぁぁっ! 死にたくないぃぃぃっ! 私は、私はただ自分の名誉を守りたかっただけなんだぁぁぁ!」
既に老齢に達しているモーガスは、見苦しく泣き叫びながら火刑に処された。
集まった群衆達から彼に対する同情の声は一切上がらず、死後も鎮魂の祈りが捧げられるどころか罵声が浴びせられ続けた。
一方、無実である事が明らかになったラパゼル・スカーだが、ゼーリア王国はその事実を握り潰し、闇に葬る事にした。
優性血統主義に凝り固まった王国政府にとって、公爵家出身のモーガスより奴隷上りのラパゼルの方が圧倒的に優秀であった事が明らかになるのは都合が悪い。
それに、各ギルドを通じて周辺国家にも手配書を回しているのに冤罪である事が明らかになったら、国家の威信にかかわると考えたからだ。
それに、幸か不幸かラパゼル・スカーの行方は不明のままだ。賞金稼ぎがザンクレスト大陸中を探し回っても、影も形も無い。噂では海を渡って東のロンカ大陸へ向かったらしいが、十中八九人知れず何処かで死んでいるだろうと、当時のゼーリア王国政府は考えていた。
そのため、モーガス・トッドの公開処刑後もラパゼル・スカーは国家反逆罪の罪で手配され続ける事になった。
時は四年と半年程遡って……。
ラパゼルはゼーリア王国の王都から脱出した後、半年で自作の船を創り、ロンカ大陸へ向かって出発した。
「トビウオから着想を得たこの高速浮遊船なら、交易船で三か月かかる海も一週間で渡り切れるだろう」
海辺に来るまでの間に拾い集めた素材から調合した薬品で、握り拳大の銀を創り、それで小舟を改造するための材料を購入。
そして船の左右に取り付けた翼に描いた魔法陣で浮力を発生させて海面を浮遊し、船尾から収束した魔力を発射して推進力を得る船を開発する事に成功した。
「まさか、昔やけ酒を飲んで酔っ払った時に書き殴った大砲のアイディアが役に立つ日が来るとは思わなかった」
モーゼスがラパゼルの研究ノートだと思い込んでいたのは、実は彼のメモ帳……ふと思いついたアイディアを書き残すための物だった。
何となく思いついたアイディアを書き記しただけなので、実際に組み立てる際の事は考えていないし、メモをした段階では実験も検証も何もしていない。
魔導大砲はメモ帳に書き残したアイディアの中でも、酩酊状態のラパゼルが思いついた欠陥品だった。
人間が持つ魔力の性質は一人一人異なる。それなのに不特定多数の魔導士の魔力を収束して一度に放出するなんて、狂気の沙汰だ。
「しかし、俺専用に調整すれば安全に運用できる。水と油のように性質が異なる魔力が反発を起こして、大爆発を起こす心配もない。……他の者が使おうとして事故を起こさないように、ロンカ大陸に着いたら魔石を外しておくか。
そう言えば、あのメモ帳はどうしたのだったかな?」
ラパゼルにとってはそれなりに価値のある物だったし、メモ帳に書き残したアイディアから研究を進め、実験を繰り返したのちに完成品を開発するに至った物もある。
とはいえ、結局メモ帳に書き残したアイディアの多くはラパゼル自身の頭の中にあるので、持ち歩いてはいなかった。
もしあのメモ帳が誰かの手に渡り、その内容をそのまま使って開発しようとしたら危険だが――。
「まあ、まともな頭の持ち主ならそんな事はしないだろう」
ラパゼルはそう言って頭を切り替えると、高速浮遊船を起動させた。
「ではロンカ大陸を目指して発進!」
高速浮遊船は砂浜から浮き上がると、トビウオのように素早く軽やかに海上を飛んで東へと旅立っていった。