12話 冒険者ギルドで判明した、天才錬金術師の以外でも何でもない弱点
「な、なんだ、あいつら!?」
「どうした? 誰かが馬を飛ばしてこっちに来るのか?」
「急病人でも出たんだろう」
テイルヘッドの町の門番は、櫓の上にいる同僚が騒いでいるのに気がついて顔を上げた。
「いや、馬じゃない! 空を走る妙な二人組がこっちに向かって来てる!」
「はぁ? 訳の分からねぇ事を言いやがって。さてはテメェ、暇だからって昼間から酒を――」
「待てっ! 本当に空を走ってくるぞっ! 見ろっ、あそこだ!」
上を見上げたまま同僚に文句を言い終わる前に、門番は別の同僚に肩を叩かれて気がついた。
「な、なんだ、あいつら!?」
舗装されていない土がむき出しの道の3m程上の空間を、二人組が並んで走ってこっちへ向かってくる。門番達はしばらく唖然としていたが、慌てて笛を吹いて仲間を呼び警戒態勢をとる。
しかし、その間に二人組は門の前までやって来てしまった。
「テイルヘッドの町は港町だと聞いていましたが、内陸部側にも立派な門がありますね」
「うむ、群島大陸では山賊よりも海賊の方が圧倒的に多いので、多くの場合海側を厳重に守る事が多い。だが、昔海賊が内陸側から攻めて来た事があったそうだ」
しかし、その二人組は門のやや近くでスピードを緩めると、会話を続けながら地面に緩やかに降り立った。
「海賊が内陸からですか?」
「ああ、港の警備が厳しい事を知っていた海賊達は別の場所から島に上陸し、港町まで島を横断して襲撃したのだ。その教訓から、この国では陸側にも衛兵を配置して守りを固めているのだ。
これも教えてなかったか?」
「ええ、兄さんが私を街へ連れて来る時は、私を外に出すのは街に入ってからでしたから。私がここを見るのは今日が初めてです」
「そうじゃったか、はっはっは」
和やかに会話する二人組。一人は白い仮面を被ったやや背の高い男。もう一人は、成人するかしていないか微妙な年頃に見える赤い髪の少年。どちらも門番達には見覚えのない人物だ。
空を、それも馬並みの速さで走っていた怪しい連中だが、見た限り武装はしていないし剣呑な様子は全くない。むしろ、和やかな様子だ。
「お、お前らは何者だ?」
「何が目的で町まで来た?」
そのため、警戒態勢をとっている門番達も困惑したまま二人組……ラパゼルとアルバートに問いかけた。
「驚かせてすまんな。新しい体で走るのと弟との会話が楽しくてつい、な。
姿形は変わったが、儂はラパゼル・スカー。こっちは儂が創った弟でゴーレムのアルバート。これが領主殿から頂いた通行証だ」
街が見えたら歩いて近づこうと思っていたラパゼルだったが、門番に告げたとおりの理由で立ち止まるのを忘れてそのまま走り寄ってしまった。
老人だった頃と共通する特徴が殆どない顔で苦笑いをしながら、メダリオン型の通行証を差し出す。
「っ! それは領主様がスカー殿に渡した通行証!?」
門番は自分達にとって訳の分からない事を述べる、自称ラパゼル・スカーの少年と彼が差し出した通行証。そして彼が連れている白い仮面の男……に遠目では見えたゴーレムに順番に視線を向け、数秒黙り込んだ。
「分かりました。お通りください、スカー殿」
そしてすぐに道を空けると、同僚達に同じように道を空けるよう指図する。
「良い一日を」
「うむ、君達も良い一日を」
定番の挨拶を交わすと、ラパゼルとアルバートを見送る門番。そんな彼に同僚が声をかけた。
「いいのか? あの小僧、どう見てもラパゼル様本人じゃなかったぞ。それどころか、親類かどうかも怪しい」
「もしかしたら、ラパゼル様からあの通行証を盗んだんじゃ……」
不安そうにする同僚達に、門番は「おいおい、しっかりしてくれよ」とため息を吐いた。
「あのスカー殿が、盗人なんかに物を盗まれると思うのか? もしそんな事が出来る小僧がいるなら、通行証なんて盗むまでも無い。俺達なんて素通りして女王様の寝室にでも入れるだろうよ」
門番はラパゼルの事を知っていた。ただの知人でしかないが、彼の活躍を運良く何度か目にしている。
海賊にやられて虫の息だった衛兵を治し、身籠った子供を出産する前に亡くなった母親を生き返し、呪を受けて血に飢えた狂戦士と化した腕利きの冒険者を片手で鎮圧し呪を解いた。
領主様が長年悩んでいた腰痛を治し、火傷のせいで髭が生えなくなったドワーフの里の職人頭の傷跡を元通り消し、他にも様々な逸話をこの一年で残している。
「それに、死人も生き返す方だ。髪や目の色を変えるのも、老人から少年に若返るのも、朝飯前に違いない。俺達の尺度で測れるような方じゃねぇんだよ、あの方は。
分かったら仕事に戻るぞ!」
「お、おう」
同僚達はまだ納得できない様子だったが、門番に言い返そうとはしなかった。
半神である事をテイルヘッドの人々に明かしていないラパゼルだったが、自身の力を隠さないため地元ではすでに人間離れした存在だと認識されつつあった。
テイルヘッドの町は、ドワーフの里で産出される金属とそれを使った工芸品や武具、そして外海でしか取れない海産物を特産品にした他の島との交易で栄えていた。
テイルヘッド島唯一の街であるため、他の島々と島の内地を繋ぐ出入り口であるため、港から内地側の門まで一本の大通りで繋がっている。
「やはり魂が宿る前と後では、物の感じ方が違います。とても新鮮です」
その大通りをアルバートはラパゼルに連れられて歩きながら、周囲をしきりに見渡し感心していた。
「そうかそうか、具体的にはどう感じるのだ?」
田舎から出て来たばかりのお上りさんのような言動のアルバートを、ラパゼルは微笑ましく感じた。
五十年程前、初めてゼーリア王国の都を訪れた時の自分もこんな様子だったのかもしれないと、過去を顧みているのだろう。
「以前は町並みや通行する人々を障害物としか認識していませんでしたが、今はそれぞれに意味がある存在として認識しています。やはり、人間が興味深いです。
同じ種族でも形状が様々で、見ていて飽きません」
様子は同じでも感じている事は違うようだ。
「なるほど。やはり、早いうちに様々な刺激を経験する事は重要なようだな」
今後新しい家族を創った時も、早くから街や村に連れて行き自分達以外の知的生命体を見せるようにしようとラパゼルは決めた。
きっと情操教育に良い効果が出るはずだ。
そんな二人とすれ違う人々は、彼等を物珍しそうに眺めるが多くの人は立ち止まらずそのまま歩いて行った。若い錬金術師かその弟子の少年が、荷物持ちのゴーレムを連れて歩いているとしか思わなかったようだ。
あらかじめ決められたセリフではなく、流暢に言葉を話し会話できるゴーレムはかなり珍しいのだが、錬金術の知識が無ければその事には気がつけない。
「あのゴーレム、癒し手様が連れていたゴーレムじゃあ……? もしかしてあの子、癒し手様の弟子かなんかかね?」
しかし、目ざとい住人はアルバートに気がついたようだが、二人に直接話しかけて来る事はなかった。そのため、二人も特に気にせず進んでいく。
「町の主だった施設は港側にあるが、冒険者ギルドだけは内陸側にある。あれだ」
「あまり賑わってはいないようですね」
「今は昼過ぎだからな。冒険者の多くは朝早くにギルドで依頼を受け、夕方かその前にギルドに戻る事が多い」
冒険者ギルドテイルヘッド支部に入ると、ラパゼルが言ったように中は閑散としていた。カウンターには男女合わせて数人の職員がいる他には、ロビーや併設されているバーに何人かの冒険者の姿を見かける程度だ。
その職員と冒険者達はゴーレムを連れた見慣れない少年に気がつくと、物珍しそうに視線を向ける。しかし、それ以上のリアクションは無かった。
「ちょっといいかね?」
「冒険者ギルドにようこそ。ですが、ここは依頼者様用の受付になります。冒険者登録の場合は一つ隣、買取りや販売は二つ隣の受付をどうぞ」
所作に気品を感じさせる狐の獣人の受付嬢が、見慣れない少年に対しても他の利用者と同じ丁寧な対応で接客に当たる。
彼女はこの赤毛の少年の事を、師匠である錬金術師から使いを頼まれてギルドに納品された薬草でも買いに来たのだろうと推測していた。
ギルドには個別の依頼人が存在しない、常設依頼と呼ばれる依頼がある。
ゴブリンやファングラット等の弱いが繁殖力が高い魔物の駆除や、ポーションの材料になる薬草の採集の依頼は、いちいち依頼人が依頼しに来るのを待つのは効率が悪い。そのためギルドが依頼書を常設し、駆除依頼の場合は後でその土地を治める国王や領主に払った分の依頼料を請求し、採取以来の場合はギルド内で販売する仕組みになっている。
「ありがとう、マウリ。だがここであっておる。ちょっと依頼を出したくてな」
「あら? 何故私の名前を?」
「君が名前で呼んでくれと言ったのだろう? ほれ、君の婚約者の脚を治した時に――」
「兄さん、自己紹介を忘れていますよ」
「おっと、そうじゃった。すまんな、つい緊張して。儂じゃよ、外見は随分変わったがラパ――」
「おい、そこの坊主! うちの受付嬢がいくら美人だからって馴れ馴れしいにもほどがあるぜ!」
すると、突然男が乱入してきた。ラパゼルの声を怒鳴り声で遮り、怒りと苛立ちに顔を歪めて睨みつける。ロビーで暇そうにしていた冒険者の一人で、皮に無数の金属片を張り付けたスケイルメイルを着て、腰には剣を納めた鞘を下げている。
「いいかっ!? 二つ星になってから一年経つか、三ツ星以上に昇格した奴しか受け付け嬢さん達を呼び捨てにしちゃならねぇってルールがギルドにはあるんだぜ!」
「そんなルールはありません」
そして得意げに語るが、その受付嬢のマウリによって即座に否定されてしまう。
「暗黙の了解って奴さ。もちろん、お前みたいなガキがマウリさんと握手しようなんて百年早いと思え」
「兄さん、どう言う事でしょうか?」
「儂もこの島に移住してから知ったが、受付嬢には働いている支部に所属する冒険者のファンが多くついているようなのだ」
ギルドの受付嬢達は、組合員にとって憧れの存在だ。女性にとってギルドの職員への就職は高給と好待遇、そしてステータスが得られ、結婚でも有利に働く花形職業だ。
そして男性職員にとってはアイドルである。出世していつか受付嬢をしているあの娘と交際し、いずれは結婚したい。一度はそう考える男性組合員は多い。ラパゼル自身も、ゼーリア王国の魔道士ギルドに所属していた時は、受付嬢と結婚した他の組合員を羨ましく思った覚えがある。
だが、冒険者ギルドの受付嬢に対する男性冒険者の憧れや執着は、他のギルドの組合員より強くなる傾向にあるようだ。
それは多くの冒険者が根無し草で、ギルドがある街に定住する者が大多数である職人や研究に取り組む魔道士と違い他の町や国へ比較的簡単に移住できる事が関係している。
冒険者ギルドが優秀な冒険者を引き留めるための策の一つとして、昔から受付嬢の選抜と育成に力を入れて来たという経緯。そして冒険者ギルドの組合員は他の支部の情報も耳に入りやすいので、「うちの支部の受付嬢の方が美人だ」とか「いや、俺が普段拠点にしている街の支部の受付嬢の方が可愛い」と競争心を刺激されやすい。
「だから、今の儂のように見慣れない顔が人気の受付嬢に馴れ馴れしくするとトラブルになる事があるらしい。実際に経験したのは初めてだがな」
「なるほど、これも複雑な人間関係によって起きる問題の一つと言う事ですね。勉強になりました。ありがとうございます」
「おう、分かればいいんだよ。それにしても変わったゴーレムだな、礼を言うなんて」
アルバートに礼を言われ戸惑いが怒りを上回ったのか、冒険者の男は毒気を抜かれた様子で彼の握手に応じた。
「坊主、お前の師匠だか雇い主は誰だ? こんなゴーレムを創るなんて、かなりの変わり者らしいな」
「創ったのは儂じゃよ、ウェスラー。その様子だと、半年前に生やしてやった新しい右手は無事に馴染んだらしいな」
「はっ? 何言ってんだ、坊主? 俺の利き手を治してくれたのは、あの『奇跡の老癒し手』ラパゼルだぜ」
より困惑が深まり胡乱気な顔をする男、ウェスラーにラパゼルは自分の顔を指さして名乗った。
「儂がそのラパゼルだ。つい最近予定より若返ってしまってこの通り坊主の姿になってしまったがな」
「な、何を言って――」
「そうだわ!」
その時、カウンター越しに成り行きを見守っていたマウリが突然口を開いた。
「以前、そのゴーレムをラパゼルさんが連れていたのを見かけました! 間違いありません!」
「何だってっ!? それじゃあ、まさかこの坊主が本当に?」
驚いて、しかしまだ半信半疑と言った様子の二人の声に何かあったのかと、ギルドの一階にいる人々の注目が集まる。
「分かりやすい証拠を見せようか。ほら、分身の術」
その注目を浴びながら、ラパゼルは仙術を披露した。彼と全く同じ姿の少年が音もなく現れる。
「もちろん幻ではないぞ。何なら握手してみるかね?」
現れた少年、ラパゼルの分身がそう言いながら手を差し出すと、目を見開いたウェスラーが手を取ろうとした。
「これは、本当に幻ではありません。では、あなたが本当にラパゼルさんなのですね?」
だが、その前にカウンターから身を乗り出したマウリがその手を握り締めた。
「う、うむ。すまんな、緊張のあまり自己紹介を忘れていた」
「いいえ、気にしないでください。あなたは私の大切な人の命の恩人なのですから。それで、本日のご用は?」
先ほどまでの営業スマイルとは違う、敬意と感謝の眼差しと微笑みを向けられラパゼルの分身が動きを止める。
「では、ギルドマスターに取り次いでくれるか? 緊急を要する事ではないが、話がある」
ラパゼルの本体はその横で、やや硬い口調でそう答えた。
「畏まりました。少々お待ちください」
そして、一礼してカウンターから離れるマウリ。ラパゼルの本体と分身はその後姿をしばらく見つめた後、はっとした様子でアルバートと、所在なさげに佇むウェイリーの方に振り返った。
「そう言う訳だ、ウェスラー。勘違いさせて悪かったな」
「いやいや、俺の方こそ恩人に対してあんな態度を――」
「暗黙の了解を破った儂が悪い。とはいえ、受付嬢に熱を上げるのもほどほどにな」
恐縮して謝ろうとするウェスラーを宥めたラパゼルは、マウリの「ラパゼルさん、二階のギルドマスターの執務室までどうぞ」と言う言葉を聞くと、「それではまた。行くぞ、アルバート!」と逃げるようにしてカウンターの前から立ち去った。
冒険者ギルドテイルヘッド支部のギルドマスターは、エルフの女性が勤めていた。
「マウリからあなたが少年の姿に若返ってやってきたと聞いた時は驚きましたが、本当に少年にしか見えませんね。
魔力の性質が変わっていたら、私も分身の術でも見なければあなたが本物だとは信じなかったでしょう」
黄緑色の髪を後ろで纏めた姿は楚々としており、一見するとただの女性事務員のように見える。しかし、彼女は元冒険者で現役時代は五つ星まで上り詰めた一流の精霊魔道士で、『風姫』の二つ名で呼ばれた人物だ。
「それで、どうしました? 先ほどから様子が変ですが」
「いや、たいしたことではない。君と話すのにやや緊張しているだけじゃよ、リネル殿」
「何度も言っているけれど、ラフィリカと呼び捨てで呼んで構いませんよ」
ラフィリカ・リネルはその前歴によって磨かれた精霊魔法の腕と人物眼から、ラパゼルが自分よりずっと格上の存在だと見抜いていた。
欠損した部位の再生や死者の復活、一流の魔道士でも不可能な分身の術などを何でもない事のように実行して見せる以外のあらゆる意味で……ラパゼルが、人やエルフを越えた生命体であると察している。
「それで、話と言うのは若返った理由? それとも、そちらの彼について? ゴーレムに見えるけど、ただのゴーレムじゃないわね」
「ほう、分かるのかね?」
「ええ、精霊の力が働いているのが分かるわ」
ラフィリカにそう評されたアルバートは、反射的に周囲を見回した。しかし、彼の五感には精霊の存在は感知できなかった。
「私はアルバート、昨日ラパゼル兄さんに魂を込め、弟として創られました。しかし、この通り体は人工物で出来ています。
そんな私にも、精霊が働いているのですか?」
「そう、魂を込められたの。確かに、死者や死産だった赤ちゃんを生き返せるなら、魂を操るのも出来てもおかしくない……のかしら?
それはともかく、あなたにも精霊の力は働いているわ。精霊とは、この世界に存在する魔力の事だから」
この世界には生命体の体内以外にも、風や大地、水や炎、そして光や闇にも魔力が存在している。それを精霊と認識し、呼びかけて協力してもらう事で魔法を発動するのが精霊魔道士だ。
「そうでしたか、私にも精霊が……」
自分が知覚できない存在の力が自分にも働いている。それを知ったアルバートは、不思議そうに自分の手を見下ろした。
「アルバートがただのゴーレムで無い事を見抜くとは、流石だな」
ちなみに、半神に至ったラパゼルだが彼にも精霊は見えない。 世界に宿り、循環する魔力は感じる事ができるが、それを精霊として知覚できないのだ。精霊魔道士が魔法を唱える、もしくは精霊自身が姿を現した場合は別だが。
これは単に、ラパセルに能力が欠けているのではなく、彼とラフィリカ達精霊魔道士とでは世界の見方が異なるからだろう。
「それで話だが――」
ラパゼルは自分が何故急に転生したのか、ラフィリカに打ち明けた。
聖龍教の聖地ラドリッツァ山の神殿で、討神騎士団は聖女ミネルヴァの口から悪い報せを聞かされた。
「邪神ラパゼルの魂は、いまだに地上に……群島大陸のいずれかの島に留まっています。最悪の場合、既に復活しているかもしれません」
ミネルヴァの口から告げられた神託の意味を直ぐには受け止められず、ジェイスを含めた討神騎士達は驚愕に体を震わせた。
「神託を、主のお言葉を疑う訳ではありませんが、それは真でございますか?」
討神騎士団の団長、ニルス・クウェントは顔を伏せたまま尋ねた。
「……群島大陸は邪教の支配する地、主の目も全てを見通す事は出来ません」
ロンカ大陸で北厳真人がラパゼルに語ったように、神は全知全能ではない。それはロンカ大陸の神仙教の天帝だけではなく、聖龍教の天使長アダマスも例外ではない。
「しかし、邪神ラパゼルの魂は神界に登っても、冥界に落ちてもいない。それは確かです。そうである以上、最悪の展開を想定するべきでしょう」
だが、神である天使長アダマスだからこそ、天界や冥界の出来事を知る事が出来る。天帝や女神モルガナ、そして冥王ザウスが治める領域に、神の魂が向かったか否かを見る程度なら容易い。
「なんという事だ」
ミネルヴァが発した答えに、ニルス以下討神騎士達は沈痛な顔つきで押し黙り、悔しさに打ち震えた。
封印に失敗したどころか、肉体を滅ぼしたはずの邪神は既に復活しているかもしれない。それでは犠牲になった者達が浮かばれない。
……聖務で命を落とす事が前提になっている煉獄騎士達はともかく。
「聖女様、主は今後について何と?」
ラパゼルの封印を諦め、討神場を再建、強化し、次の政務に備えるのか。それともラパゼルの封印を再度狙うのか。
「時を待つのです。傷を癒し、力を高めて、聖務に備えなさい」
聖女ミネルヴァを通して伝えられた主の意思は、備える事だった。
ラフィリカに事情を説明し、使い魔にするための魔物の生け捕りを依頼するための手続きを終えたラパゼルとアルバートは、街を後にした。
予定では領主にアポイントメントをとる予定だったが、冒険者ギルドを出た時には既に日が暮れていたので後日にする事にした。
「ところで兄さん、マウリさんやラフィリカさんと話している時に何かありましたか?」
行きと同じように夜道を走って帰る途中で、アルバートはそう問いかけた。
「む? 平静を装ったつもりだったが、ばれたか」
冒険者ギルドで受付嬢のマウリやギルドマスターのラフィリカと会話している時、様子が変だった事に気がつかれていたと知ったラパゼルは、気まずそうに苦笑いをした。
気恥ずかしさから誤魔化そうかとも思ったが、今後も同じ事が起るだろうと予想したため結局正直に打ち明ける事にした。
「実は、転生した事の副作用が出たのだ」
「副作用? 本当ですか? 早急に戻ってその肉体を治療、もしくは改良するべきです。兄さん、止まってください。私が背負って運びます」
「いやいや、そんな深刻な副作用ではない」
予想以上に自分を心配するアルバートに、ラパゼルは慌てて答えた。羞恥心からもったいぶった言い方をしてしまった事を反省して、端的に答える。
「ただな、体が若返った影響か……老人の体だった時より美人に弱くなってしまったのだ。
マウリに手を握られた時は鼓動が喧しいほど高鳴ったし、ラフィリカの正面に座って話している間落ち着かなかった」
「それは……早急に治療する事はできませんね」
マウリに「緊張した」と言ったのは、嘘ではなく本当だったようだ。
前話のナンバリングが間違っていました(汗 誠に申し訳ありません。