第67話 違う色
「高そうな部屋だな」
案内された豪勢な部屋で、豪奢な椅子に座って、タオルで頭を拭く。
「女の子の家に入ったのですから、もう少しかわいい反応をしてほしいものですね」
トレイにカップを2つ乗せて、この家の家主――ユリアは歩いてくる。
湯気の立ったカップが俺の前に置かれる。色からしてコーヒーだろう。それも俺の故郷がある〈ジバ地方〉で採れるジバコーヒーだな。色でわかる。酸味と甘味が控え目で、苦味全開のコーヒーだ。
「ジバコーヒーか」
「さすがですね。色でわかりますか」
コイツ……俺の色彩能力のことも知っているのか。
俺がアゲハ=シロガネの養子だってことは広まってる。だけど俺の色彩能力についてはそこまで知っている人間もいないはずだがな。
「錬金術師も〈アルケー〉産じゃないコーヒーを飲むんだな」
「一応、この豆は〈アルケー〉産ですけどね。ジバのコーヒー農園の環境情報をそっくりそのまま再現して、作った豆です」
「そういうことね」
俺はジバコーヒーを飲む。
うん、苦い。味に関しては本物のジバコーヒーと差異はない。
「コーヒーはよくお飲みになるんですか?」
「ああ。俺も爺さんもコーヒーは好きだった」
コーヒーを飲んで落ち着いたところで、ようやく現状の異常さを知る。
なぜ俺は見知らぬ女子の家に、それも夜中に訪問しているのだろう。しかも相手はヴィヴィやフラムに匹敵するほどの美形だ。
「ここまで来ておいてなんだが、帰っていいか?」
「それは駄目ですよ。コーヒー一杯分ぐらいは話に付き合ってもらいます」
語尾にハートマークがついてそうな猫なで声でユリアは言う。
「さっきも言いましたけど、他人だからこそ言える悩みというものもあるでしょう。告解室に似たようなものです」
「懺悔とは、ちょっと違うんだがな」
「ここで聞いた話は他言しないと約束しましょう」
「……」
別に罪を告白するわけでもない。
秘密……なのかな。いいや、秘密とも違う。
別に話したところでなにか俺が困るわけでもない。
「爺さん……アゲハ=シロガネに死に際に言われたんだよ。お前の心は無機質で何色も受け付けない。白銀のような心だと」
「白銀の心、ですか」
「実際、子供の頃の俺は無機質な人間だった。今でこそ普通の人間のように色々な感情が芽生えてきたと思っていた。でも、コノハ先生曰く、俺のあらゆる感情は演技でしかないらしい。怖いんだよ。たまに自分が人間かわからなくなる。この怖いという感情すら、俺の本心ではないかもしれない……そう思うと余計に嫌になる」
「わたくしとしては白銀の心は羨ましいとも思いますけどね」
思わぬ返答だ。
「……人の感情はプラスのものだけじゃありませんから」
どこか、説得力のある言葉だった。
「そういう考え方もあるのか」
「どちらにせよ、あなたの結論は早すぎると思います」
ユリアはまっすぐと俺の目を見据えてくる。
「人の心とは生まれた時に決定するものでもありません。人生の中で、あらゆる経験の中で変化していくものです。心は遺伝子で決まらない」
「だといいがな」
「それに金属というものは打てば熱くなるもの。たとえ白銀の心でも、あなたがそうやってもがき己の心と向き合い続ければ、いずれ熱も帯びてきますよ」
「……」
ユリアの言葉は、凄く身に染みた気がした。
多分俺がいま、一番欲しかった言葉をくれたのだと思う。
「――ありがとうユリア。おかげで、自分の短絡さに気付いたよ」
「いえ。これぐらい大したことじゃありません」
「コーヒーも飲んだし、雨も止んだみたいだし、今度こそ帰る」
「ええ、さようなら。またいつでも悩みがあれば聞きますよ」
「……」
俺はジッと、ユリアの赤い瞳を見る。
「? どうされました?」
「改めて見ると……お前の眼の色、いいな」
「え?」
「どうして気づかなかったんだろう。それだけ動揺してたってことか……俺の理想とする眼の色だ」
俺が言うと、ユリアは初めてその余裕な表情に亀裂を走らせた。
仄かに頬にピンク色を帯びる。
「どうした?」
「いえ……眼の色を褒められたのは初めてだったので驚きました。そっか、あなたは外部生。ニーズヘッグを知らないのですね……」
「ニーズヘッグ? なんだ、それは?」
「破壊竜と呼ばれる1200年前に実在した竜です。キメラの王とも呼ばれています。この〈アルケー〉に住む錬金術師の数を半数まで減らした巨悪ですよ」
「そいつがお前の眼と何か関係があるのか?」
「ニーズヘッグは炭のような黒い鱗に炎のような赤い瞳を持っていたと言われてます。ニーズヘッグが打ち滅ぼされてから、彼の竜と同じ瞳の色……赤の瞳を持つ者は忌み子と呼ばれ、迫害されてきました。今の時代ではそれほどの差別はないものの、赤い瞳は歓迎されません。私の瞳を褒める人間なんていませんでしたよ」
「くだらない風習だな。こういうのは錬金術師限らず、人の世ならよくあることだけどさ」
ユリアの顔に自分の顔を寄せて、よく眼の色を見る。
俺がジッと見ると、ユリアは軽くのけぞりながらも見返してきた。
「あ、あの……その、あまりジッと見られるのは……! こ、コンプレックスなのでっ!」
「――さっきお前さ、ニーズヘッグは炎のような赤い瞳って言ってたよな?」
「え? そうですけど……」
俺はユリアから離れ、口元を笑わせる。
「それはつまりファイアーレッドってことだろ? でもお前の眼はカーマインだ。違う色だよ」
「……同じ、赤ではないのですか?」
「系統が赤なだけだ。ファイアーレッドとカーマインなんて、常人でも余裕で見分けられるぐらい違うぞ? お前とニーズヘッグの眼の色は違うよ。誰がなんと言おうともな」
俺はそのまま玄関へ向かう。
「じゃあな。ホント、助かったよ」
ユリアは俺を玄関まで見送ることもなく、言葉を返すこともなかった。
帰る直前にチラッとリビングを覗いたが……ユリアは微動だにしていなかった。
◇◆◇
家の前まで到着した俺であったが、中には入れそうになかった。
玄関扉を背に、座っている少女がいたからだ。少女は湯気が立つカップを持って、座り込んでいた。銀の髪で、鋭い目つきの女だ。ついでに言うと、その女は不機嫌そうな顔をしている。
「……なにしてんだ? ヴィヴィ」
「別に」
「いや、『別に』って……」
人の家の扉塞いでおいて『別に』はないだろう。
しかし、こんな子供っぽくいじけているヴィヴィを見るのは初めてだな。なぜいじけているのかさっぱりわからないが。
とりあえず、ヴィヴィの隣に座ってみる。
「……どこ行ってたの?」
「ん? あ~……」
初めて会った美少女の家に行ってました……なんて言ったら怒りそうだしな。
「外で飯食ってたんだ。千面道化を捕まえるのに体力使って、腹が減ってたからな」
「そう」
なぜか、ヴィヴィがさらにムスッとしだした。あれ? ひょっとして嘘バレてる?
もういい話を変えよう。
ストレージポーチから血の入った注射器を出して、ヴィヴィに見せる。
「ほらよ。千面道化の血液だ」
「と、採れたのね! よくやったわ……!」
ヴィヴィは嬉々として注射器を受け取る。機嫌を直してくれたようだ。
「これで、また一歩賢者の石に近づける……!」
「……なぁ、ヴィヴィ」
夜空を見上げつつ、俺は話を切り出す。
「お前はさ、感情がいらないって思ったことあるか?」
「なによ、哲学的な話?」
「ああ。哲学的な話だ。お前は自分の過去をずっと悔やんで、苦しんでいるだろう。その『悔しさ』や『苦しさ』を全部消せればと思ったことはないか?」
「ないわ」
「即答かよ……」
「私が一番可哀そうだと思う人間は、罪悪感を抱けない人間よ」
俺はその一言で、真っ先に千面道化の顔が浮かんだ。
「私の父や千面道化がそうよ。普通、人は人を殺せば一生その人の顔が離れないものよ。眠る度に思い出して、苦しい思いをする。でもそれでいいのよ。人を殺して、平然と笑っていられる人間はきっと誰からも理解されない。呼吸をしていても、心臓が動いていても、一人ぼっち。真に怖いのは、自分が一人だと気づかないまま、死にゆくことよ」
「同類となら、理解しあえるかもしれないぞ」
「クズ同士わかりあっても虚しいだけよ。相手を通して自分が人の世を生きていないと思い知らされるだけなんだから。
私は『悲しみ』も『怒り』も『後悔』も絶対に捨てない。マイナスの感情を抱けない人間に『喜び』を享受することは許されないと思うから」
人によって、意見が違うものだな。
「くくっ」
「……なに笑ってるの?」
「いや、お前らしいと思ってな」
そうだよなヴィヴィ。
マイナスな感情も、プラスな感情も、人には必要だ。
――それらを追い求める俺は、決して間違っていない。そうだろ……。




