5. 去る者は日日に疎し
忸怩たる思いだ。なぜあんな事をしでかしたのか。遊びは不要、と真面目に生きてきた結果があの醜態である。自分があんなに怖がりで、お化け屋敷があれほど怖いなど知りもしなかった。
散々であったが、どうにか多方面に謝りつつ修理をして、なんとか最終日は再開できた。トマト臭いがリアルすぎて怖いお化け屋敷として、その後もクラスの出し物は大変な盛り上がりであった。多分に坂ちゃんの技術提供のおかげである。反面、それを壊した僕はクラスから大変な憎まれようであった。曰く、挨拶代わりにトマトを投げつけてくる変態、だの、文化祭の出し物を破壊するのに生きがいを見出すサイコパス、だの、ひどい言われようである。噂は尾ひれどころか背びれも尾っぽもつくものらしい。しまいにはそれを聞いた先生に、放課後に職員室に来るように、と呼び出しをくらったのである。
「加藤君、どうしてあんなことをしたの? 近隣の文化祭まで壊して回ってるそうじゃない」
「そんな馬鹿な」
先生からの問いかけに、いつもの癖で答えてしまった。噂も大概だが、それを信じる先生も大概ではないだろうか。
「まあ、先生に向かってそんな口。あの真面目だった加藤君がそんな悪い子になるなんて、先生悲しいわ」
「すみません。ですが、あれは決してわざとではないのです。信じてください」
「……そう、加藤君がそう言うなら、なにか事情があったのね」
あの状況を子細に説明するなどとてもじゃない。しかし、いやに甘い先生だ。教師たるもの、腑抜けた生徒に厳しくするのが当たり前と思っていたが、今だけは助かった。
「ところで話は変わるけど、ここに掛けてあった屋上の鍵が見つからないのよね。加藤君は何か知らない?」
これはいったいどうしたことだろう。宮本綾音はまだ鍵を返していなかったのだ。もう屋上に行っていないらしいが、はたしてあれは嘘だったのだろうか。僕はもちろん、精一杯知らない顔を装って、分からないですと答えた。
職員室を後にして、鞄を取りに教室へと向かう。すると教室の扉の前に、宮本さんが立っていた。何をしているのだろうか。入ろうとして二の足を踏んでいる様に見える。
「宮本さん?」
「あ……」
びくりと驚いたように顔をあげ振り返る。その時、教室の中から笑い声が聞こえてきた。どうやらクラスの女子がまだ残っているらしい。話し声が聞こえてくる。
「……てかさ、前から思ってたけど、宮本さんてうざくない? こっちは宮本さんのために色々話しかけてたのに、嫌そうな顔、隠そうともしないしさ」
「わかるー。関わってくんなオーラあるよねー」
「それなのに、他のグループには入ろうとしてるしさ。私たちが嫌いならハッキリ言えば良いじゃんね。そういうとこムカつくわ」
「ね、ムカつくよね」
「てか、文化祭で加藤が神社ぶち壊したとき、宮本さんめっちゃ笑ってたよね」
「あーね」
「もしかして、私たちが無視してたから、加藤に文化祭ぶち壊させたんじゃない?」
「うわぁ、それま? 最悪じゃん」
「カトウくんあたしいじめられてるのー、コワーイ、って泣きついたんでしょ。最初に無視したのはそっちだっつーのにさ」
「あはは、似てるー」
気がつくと教室の扉を勢いよく開けていた。クラスの見知った女子3人が驚いた顔でこちらを見る。
「宮本さんはそんな人じゃない」
「……は? 加藤? ……と宮本さん?」
見られたためか、宮本綾音はさっと扉の裏に隠れた。戸惑いと疑問の眼差しで僕を見つめる。
「なに? 盗み聞きとか、趣味わる」
「盗み聞きじゃない。鞄を取りに来たらお前らが喋ってるのが聞こえただけだ」
「早口うけるんだけど」
「てかさ、やっぱり加藤君と宮本さんって付き合ってるんでしょ」
「え、いや、そん、いやいや」
「めっちゃ挙動不審でうける」
「カトウくーんこいつらがいじめるのー、トマトでやっつけてー」
甲高い声で笑い声が響く。うるさい。むかっ腹が立って、もう怒鳴りつけてやろうかと思ったその時。
「あ、宮本さん」
宮本綾音は走り出してしまった。途端にまた姦しくなるクラスメイトを捨て置き、僕は宮本綾音の背中を追った。
ここで見失ってはまずい。だが思いのほか早い。どこへ行ったのか、すぐに見失ってしまった。階段に差し掛かった時、上の方からぎぎぎと、次いで大きな音が響いた。なるほど。やはり一人になりたいときは屋上なのだろう。階段をのぼり、扉を開ける。
「宮本さん」
宮本綾音はフェンスのそばに立っていた。その背に声をかけて、近づく。
「宮本さん、あんな奴らのこと、気にする必要ないよ」
「……私のこと、知りもしないくせに、よくあんなこと言えるね」
振り返る宮本綾音。はっとした。その眼には、強い怒りが見える。
「宮本さん?」
ねめつけるような眼だ。明らかにその敵意は僕に向けられている。分からない。なぜだろう。
「……人と関わっても、自分が傷つくだけ。そんなの、分かってた。分かってたのに」
ぼそぼそと呟くように言った。自分に言い聞かせているように。そのままお互い黙ってしまう。彼女にどんな言葉をかければ良いというのか。怒りの意味も分からないというのに。
数瞬の沈黙の後、宮本綾音が顔をあげた。
「私、また転校するんだってさ。年末に」
「……え?」
転校。なぜ。どうして。ぐらりと地面が揺れた。
「私が盗んだこと、先生に言ってもいいよ。どうせ転校するし、退学も悪くないかもね」
「……」
「これであの意味不明な約束も無くなるよね」
約束。いや、約束ではない。脅しでもない。あれは宮本綾音との大事な繋がりだ。
「もう私に関わらないで……じゃあね」
ふいと顔をそらして、屋上を後にする宮本綾音。その背を見つめながら、僕はそれがぷつりと、音を立てて切れるような気がした。