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4. 人生万事殭屍か蕃茄

 気恥ずかしい。だがとても良い雰囲気だ。全てが楽しい。有頂天である。宮本綾音と飲食店を巡り、展示を周り、観劇に笑い、あるいは喫茶でゆったり寛ぐ。これまで話し相手がいなかったためか、彼女は水を得た魚のようによく喋り、よく笑った。

 会心のデートである。もはや何も思い残すことは無い。いや彼女への思いは残す必要がある。告白だ。そうして自分たちのクラスの前へやって来た。「そう言えば、私たち衣装しか作ってないけど、ちゃんとできてるのかな。全然怖くなさそう」と言って宮本綾音が先に入る。坂ちゃんがいたのだ、きっと怖すぎることだろう。僕も後を追うように入った。

 教室の狭い扉を抜けると境内だった。夜の底が黒くなった。社務所に目が止まった。向こう側の御神木から娘が顔を覗かせて、鳥居の奥の本殿を指した。娘は顔いっぱいに笑みを浮かべて、遠くへ誘うように言った。お入りよう、お入りよう。

「ど、どうなってるの」

「すごい、これは」

 まるで本物だ。夜の神社を作るなど並大抵のことじゃない。空には月さえ浮かんでいるではないか。いやに朽ちた社務所や鳥居など、蜘蛛糸が絡まって大いにおどろおどろしい。吹き付ける風が木々をざわつかせ、その生温い風の気味の悪さたるや。ぬるりと首筋を撫でては全身を粟立たせるのだ。

「本物にしか見えない」

「いやこれもう本物でしょ。入り口も無くなってるし」

 振り返るとたしかに扉が無い。それどころか周りの景色は教室の広さを超えているように思える。仮想現実だろうか。

「と、とにかく出口を探さないと。……あ、何か書いてあるみたい」

 宮本綾音が鳥居の横に立ててある古臭い板を指す。曰く、墓場の供物を持ち返る事、神に供物を捧げる事、その時道は開かれる、とある。

「ふうん。供物ってなんだろうね」

「分からない。とりあえず、行こう」

 幽霊やその類など見た事は無い。無いのだから存在しないのだ。存在しないものを怖がってどうする。だから僕は怖くないのだ、と思い込むことにした。なにせ怖がりの哀れな姿を見せてしまったら、吊り橋効果もくそも無い。

 参道から裏手に見える林小道をそろそろ歩いていくと、遠くに墓やら卒塔婆が見えてきた。「え、あれなに」と宮本綾音が言った。口から「ひぃ」と小さい声が漏れたが「——ひぃ、ひ、ひと魂だ」と咄嗟に誤魔化した。彼女は「ホントだ」と言った。どうにか気づかれなかったらしい。それにしても人魂とは。安易なことだ。ただの火球なら怖い道理はない。などと思っていると、ふいに何かが手に触れた。

「ぎゃあ」

「うわびっくりした。……あ、ごめん」

 と彼女が言って手を引っ込める。どうやら指が触れたらしかった。そんなに近くを歩いていたのだろうか。

「……そんなに驚くと思わなくて」

「はあ、いや、ごめん。怖いのは平気なんだけど、驚かされるのは、ちょっと」

 すまし顔で言った。笑みがひきつるのを見せまいと前へ向き直る。

「ここいらに、供物があるはず」と言って、人魂のあかりを頼りに見ると、奥にやたら大きな墓がある。墓の前には木の籠が置かれていて、中にたくさんのトマトが入っていた。はて。供物と言えば違いないが、トマトとは妙だ。彼女も「なんでトマト?」と言って訝しげである。「分からない。農芸部のかもしれない。でも多分これが供物のはず。持っていこう」と答えて手を伸ばす間もなく「ちょっと待って」と宮本綾音が言った。

「これ取ったらさ、何か起きるよね?」

「何か?」

「いやもう絶対。お約束だよこんなの」

 言われてみればそうである。概ね何かが起きるだろう。それは分かる。分かってはいるが、これを取らねば話は進まぬ。怖くても覚悟を決めねばならない。

「取ったら本殿に走ろう。供物を捧げれば、出口に行けるはず」と言って宮本綾音を振り返る。

「わ、わかった」

「よし、じゃあ、取るよ」

 心で三つ数える。

「いまだ」

 トマトを取った。と思うや否や、籠の中から手が伸びてきて腕を掴んだ。

「うわあああああああ」

「え、なになになに?」

 がっちり掴んで離れない。手が、手が、と言って振り返ると、彼女の周りの墓が大きな音を立てて崩れた。

「きゃあ」

「おわあああああ、ぞん、ゾン、いる」

「え、ぞん、なに?」

 倒れた墓。その地面から。手が、足が、頭が這い出してきた。意味が分からない。火葬なのに何故。

「わあああああ」

 声の限り叫んだ。何かを握りつぶした。訳が分からず手当り次第モノを投げまくった。

「ちょ、ま」

 掴まれていた手が外れた。逃げられる。そう思って咄嗟にトマトを手に取った。これがないと出られない。逆の手で宮本綾音の手を掴み、向き直る。

「みやもとさ、ぎゃあああ」

「ああ……」

 うめき声。いつの間にか宮本さんが消えゾンビになっていた。どろどろに果肉のような内臓が飛び出ていた。全身血だらけだ。

「あああああ」

 手を振りほどき、走った。頭は、からっぽだ。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ恐怖に突き動かされて走った。何かを蹴った。肩にぶつかった。割れた音がした。月は、ふらふら輪郭を崩し、鳥居の一片の柱も、倒れようとした時、僕は疾風の如く本殿に突っこんだ。

「供物だ、供物を持って来た」と大声で叫んだつもりであったが、持っていた供物はいつの間にかゾンビの臓物になっている。つぶれたそれが手から滴り落ちるばかりである。

 崩れた壁から外が見えた。無数のゾンビ、お化け、あるいは狐狸妖怪が血だらけになって取り囲んでいる。

「ひ、ひい」

 腰が抜けて尻から倒れた。後ずさる。自分の身体を見た。血でぐちゃぐちゃである。既にゾンビにされていたのか。もう駄目だ。殺される。その時だった。

 ふいに、ぱっと、昼のように明るくなった。後ずさる背に何かがぶつかる。

「——春樹」

 振り返ると果肉まみれの坂ちゃんがゾンビの衣装で立っていた。その姿にまたびくりとする。

「ひ、ひい」

「春樹、こりゃやりすぎだぜ」

「ひい?」

 気付けば無数の狐狸妖怪はクラスメイトになっていた。いや、初めからクラスメイトだったのだ。舞台や衣装はトマトがべったりとこびりついて見るも無残な姿に成り果てていた。そこには呆れと、怒りと、悲しみと、そして笑いが渦巻いていた。宮本綾音はと言うと、あははははと大爆笑している。もちろん彼女もまみれている。

 死んでしまいたい。いっそ殺してくれ。あるいはこのままゾンビとして埋めてくれ。誓って、蘇りなどしない。願い虚しく僕はいつまでも土下座をし続けるのだった。

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