HYO! RO! ぜ☆め
毎回のことながら非常に人気がなくスルーされるけれど個人的には大好きなシリーズです。
今回はストーリー仕立てです。
閉局後の薬局に電話の音が響いた。
「はい、お待たせしました。××薬局◯◯店、須加が承ります」
「あ、おれおれ。分かる? オレオレ」
開口一番、詐欺師のセリフでしゃべり出したのは、同期入社の橋本だった。
「橋本、ダメだよ。それ普通すぐ電話切られるよ」
「いーじゃん、おれとお前の仲だろ? 他の職員が出たときはちゃんと名乗るよ、当たり前だろ」
橋本は別店舗の管理薬剤師で、うちの会社ではまあまあ有名人だ。
どうして有名なのかというと、そもそも薬剤師も医療事務も女性が多い職種なのもあり、うちの会社は男女比が1対9となっている。
さらにその1割の男性薬剤師を分類すると約半数が僕のように白くて細い【もやしタイプ】、もう半数がぽっちゃりの【こぶたタイプ】に大別される。
しかし、橋本はそのどちらにも属さず、アイドル顔の見た目良しな青年なのだ。
チャラチャラしているという反感意見もあるが、彼は持ち前の人懐こさを生かし、営業のピンチヒッター、新人採用のサポート、最近はうちの会社のかかりつけ薬剤師指名数ナンバーワンの座も手に入れた。つまり非常に有能なのだ。
同期とは言え、僕とは真逆のタイプの彼がなぜ電話をしてきたのか、さっぱり分からなかった。
「で? どうしたの?」
「いやお前がさ、モンペを退治したって聞いて、どうやって追っ払ったか教えて欲しいなーって思ってさ」
モンペ、つまり迷惑患者のことだ。
僕にはすぐに思い当たる節があった。
「ああ、あの患者さんね。別に退治なんてしてないよ。誠意を尽くして対応したら帰って行かれただけだよ」
「まったまた~、ご謙遜を~。すっごい堂々としててかっこよかった~って評判ですぜ、須加先生」
橋本が言っているのは、うちの会社の店舗を転々と利用しては難癖をつけて恐喝紛いのことをしている夫婦のことだ。
先日うちの薬局に来たときに、責任者である僕に土下座を迫ってきたのだ。理由は結局よく分からなかったがとにかく土下座をしろの一点張りだった。
僕が奥さんに土下座をしているところをご主人が証拠として動画に撮ってやると言い出したので、僕はつい言ってしまったのだ。
「すみません。僕のスマホにも撮ってもらって良いですか?」と。
明らかに動揺したご主人に僕は必死で説得したのだ。
僕が謝罪をしたという証拠を保管しているのですよね、ではお互いに保管した方が、何かあったときにより証明しやすくなりますし、データ紛失の際、お互いで補えますよね。大丈夫です。完全に個人用です。上にデータは開示しません。僕だけしか見ませんから。
バックアップと思っていただければ結構です。全体の構図が分かるように引きでしっかり見切れることなく撮影してもらってもいいでしょうか、と。
なぜか夫婦は今日は勘弁してやるという捨て台詞を残して、僕に土下座をさせてくれないまま帰って行ってしまった。
土下座を強要され、しかもそれを撮影されるなんて、こんなベタベタでおいしいシチュエーションに出会えるチャンスなんかなかったのに!!
僕はそのあとお預けをされたショックでしばらく仕事に手がつかなかった。
心ここにあらずな僕の投薬にも、患者さんはなにかを察したように温かい声をかけていってくれた。
でも僕が欲しいのは温かい声じゃなく、罵声なんだ。
土下座をする僕を、ボロクソに罵ってほしかったんだ。
悲しさが再び僕の胸によみがえってきた。
医療事務の山本さんが、閉店処理を終えて退勤を押す。
電話中の僕に配慮してアイコンタクトで挨拶をして帰っていく。
僕は少し微笑んで、手を上げると丸みのあるふくよかな後ろ姿を見送った。
受話器の向こうでは橋本がまだ何かしゃべっている。
「普通そこでそんな冷静に切り返せないよなー、自分たちが恐喝してる証拠撮らせてくださいなんて。かっけー! 須加さん、超かっけー! 惚れてまうー!」
「やめてよ橋本。そっちは業務中じゃないの? 仮にも管理者なんだから私用電話は良くないよ、切るよ?」
「平気平気。もう一人の薬剤師が腹がいてえってんで帰したんだ。お陰で一人居残りで施設調剤だっての」
「そりゃ大変だね。でも調剤中なら集中してやりなよ。間違ったら大変だろ? 切るよ?」
「しゃべらせてくれよー! こっちはコロナのせいで昼飯中も会話厳禁で、葬式状態で飯食わなきゃだから気まずいのなんのって。もうホチキス止めするだけだし、電話はスピーカーだし、つきあってくれよー! 淋しくて死んじまうよー!」
仕方なく僕も電話をスピーカーモードにして、明日やろうとしていた仕事を引っ張り出す。
薬剤師会に提出する資料でも作ってしまおうかな。
レセプトコンピュータを起動させ、期間を指定して月別処方箋枚数を算出する。
「コロナっていえば、もうおれここ最近ずっと兵糧責めされててさ」
うぃーん。ごごごご。しゅいーん。
いけない。責めの二文字に反応して印刷をクリックしてしまった。
プレビュー画面の確認だけでよかったのに。トナーと用紙を無駄遣いしてしまった。
「須加は? 辛くね? 兵糧責め。ホント兵糧責めだよな。医療従事者に感謝とかいうならさ、そういう業種が仕事終わって帰る時間に上手い飯を食えるように店開けててほしいよな」
ダメだよ橋本。責めなんて魅惑的な言葉で僕を言葉責めしないでくれよ。感じちゃうじゃないか。
「20時なんかに店閉められたら、仕事終わって上手い飯って流れになんねえじゃんなあ。どいつもこいつも家で若妻が待ってて風呂、飯、裸体を用意して待ってるわけじゃねえしさ」
「あれ? 橋本、彼女いなかったっけ?」
「別れた」
「ふーん」
「なあ須加先生、教えてくれよ。
何で女ってのはつきあった最初のころはパスタとかハンバーグとか作ってくれたはずなのに、しばらくすると突然肉じゃがとかを作り出して『わたし、こんなのだって作れちゃうんだゾ☆』とか言い出すんだ? これ見よがしに俺の部屋にゼクスィとか置き忘れていくしよ」
女性経験はどう考えても橋本の方が数が多そうだけど、普通そんな女性ばかりってのは不思議な気がする。偏向しすぎな感がある。
「それ、何人中何人の話なの?」
「五人中五人だな」
「それ、同じ女性なんじゃないの?」
「は? いや、顔違うし」
「どうしても橋本と結婚したくて、別れた後に整形して別人に成りすましてまたつきあってたりして」
受話器の向こうで橋本が黙る。
冗談で言ったのだけれど、なにか思い当たる節があったのだろうか。
「……須加。今日お前んち泊まる。てかマジ泊めて。怖くておれ、家に一人でいたくない。
ついでに夕飯も食わせてくれ。文句言わない。肉じゃがでも食うから」
うぃーん。しゅいーん。
「いや、職場の人間同士の食事会は禁止されてるし、家族以外との不要な接触をするなって会社から指示出てるしさ」
「なら結婚しよう須加。幸いここは条例で同性婚が認められている。結婚しておれを助けてくれ。
モンペを撃退できるお前なら、あの女からおれを救えるはずだ!」
しゅいーん。しゅいーん。
「落ち着こうよ橋本」
そうだ。僕もいったん落ち着こう。さっきからプリンターがどんどん紙を噴き出している。
「僕は一応ノーマルというか相手は女性がいいというか」
アブノーマルなプレイを激しく求める性癖があるといえばノーマルという表現は変かもしれないけれど、少なくとも僕を虐めるのはSなお姉さんで、男性から責められるのは未経験というか、想像できない。
「ならお前を満足させられるよう努力するから! おれ結構女装すればイケる方だぞ! 忘年会じゃ毎回女装命令くるし、酔っ払いにホテルに誘われるくらい完成度高いぞ!」
「そういう問題じゃないと思うよ、橋本」
いや、待てよ。
かの有名なサド侯爵は好んで男色に走り、責めたり責められたりと官能の限りを味わい尽くしたと言うじゃないか。
もしかしてこれは、僕に新しい快楽の道を開けという侯爵の思し召しなのかもしれない。
ごくり。
僕の乾いた喉を唾液が通過していく。
「ま、まあ。どうしても来たいのなら来てもいいけど?」
「ホントか! やべえ! おれちょっと泣きそう。須加まじかっけー。惚れるわー」
「大袈裟だなあ、じゃあ、早く仕事終わらせなよ。もう切るよ」
「まじサンキュー須加。ホント、マジありがと」
通話を切った僕は、何故か倦怠感に襲われ、背もたれに寄りかかった。
ふと、外用薬の棚が目に入る。
そこにあるのは大量のグリセリン浣腸。
僕はそこから目が離せなかった。
これ、使った方がいいのかな。
いやまさかそんないくらなんでも初日からそんなことにはなるわけないよね。
会社から濃厚接触は避けるように厳重に注意されてるわけだし。
まだ、いらないか。
僕はレセプトコンピュータをシャットダウンさせると、プリンターから出た不要な紙の束をシュレッダーボックスに突っ込み、退勤ボタンを押した。
飲食関係のお仕事の方は大変な思いをされているかと思います。
可能な限り、テイクアウトや家族の食事で利用することで援助できればと思っています。
医療従事者ばかりが突出して感謝される風潮も自分としては少し違うのではと感じている部分もあり、エッセンシャルワーカーの方々が等しく感謝され、ねぎらわれるようなそんな社会になって欲しいと思います。