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狐のマスク  作者: 直井 倖之進
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第一章 『始まりは夢のように』②

 里美が近くまでくると、拝殿を指さし、少し自慢げに子供は言った。

「ここが、わしの住処じゃ。どうじゃ? なかなかよいところであろう?」

「住処? じゃあ、君のお父さんは、この神社の神主さんってこと?」

「いや、違う」

 子供は、狐の顔をした首を横にふった。

「違うの?」

「左様。何を隠そうわしはこの神社に祀られておる稲荷神じゃ。人間の歴史でいうところの平安時代の末からじゃから、かれこれ、九百年近くここに住んでおることになるかのう」

 稲荷神? 九百年? 「この子は、私をからかっているのだろうか?」そう里美は思った。素面の時ならば話に乗ってやるのもよいが、今は酒に酔っていて大変眠いのだ。一刻も早く家に帰って安堵の眠りに就きたいのに、子供にからかわれるなんて冗談じゃない。

 子供の話を無視すると決めた里美は、聞きたいことだけを聞き出すことにした。

「あのね、私、お家に帰りたいの。『フレデール』、……いいえ、大通りに出るための道だけでもいいんだけど、知らないかな?」

「忙しないのう。まぁ、待て。お主を家まで送り届けるのは造作もない。じゃが、本当にそれでよいのか? 相田里美よ」

「え? 本当にいいのかって、どういうこと? ……っていうか、何で私の名前を知ってるの? 教えたっけ?」

 大きな戸惑いを覚えながら里美が尋ねる。

「教えられずとも知っておるわ。このような見た目をしてはおるが、これでもわしは稲荷神じゃぞ」

 稲荷神は大きく胸を張って威張って見せた。

 年齢や血液型ならば指摘されて当たることもあるが、名前はまずないと言ってよいだろう。しかし、それが“神だから当たる”というのは、あまりにも非現実的だ。

 子供の言葉を訝った里美は、あれこれと思考を巡らせ、あるひとつの結論を導き出した。

 それは、「これは、夢なんだ」という結論。つまり、本当の自分はもうとっくに家に帰り、すやすやと眠っているのだ。そう考えると、全てのつじつまが合う。狐のマスクをした子供は、自分で作り出した空想人物なのだから相田里美の名前を知っていて当然だし、場所が稲荷神社なのは、過去にテレビか何かで見ていた記憶が残っていたからだろう。色いろと不可解な現象が起きたのも全ては夢だからだ。「では、どこからが夢なのか?」と聞かれるとはっきりしないが、それは目を覚ませば自ずと分かるはずなので問題ない。訳が分からず恐怖を感じたこともあったが、夢であるならば、もう何も怖くはない。

 自分で創作しているにもかかわらず、何故か先が読めないのが夢だ。こうなったらどんな結末が待っているのか、狐のマスクを被ったこの子の話にとことん乗ってやろうではないか。

 心の中でそう決めると、里美はできるだけ感心した風を装い言った。

「名乗らなくても名前が分かっちゃうなんて、稲荷神様って、凄いのね」

「ほう、早くもわしの偉大さに気づきおったか。お主、なかなか見所があるではないか」

 既に反らしている胸をさらに反らし、今にも後ろに倒れるのではないかという姿勢で、稲荷神はからからと笑った。

「名前以外でも、私のこと分かっちゃうの?」

 煽てたついでに里美が話題を投げかけてみる。

 すると、稲荷神は実にあっさりとこれに首肯した。

「もちろんじゃ。何もかもが分かるからこそ、わしはお主を待っておったのじゃ」

 その答えは里美に正門での会話を思い起こさせた。確か、あの時にも同じことを言っていた気がする。「待っておったぞ」と……。

「ねぇ、何のために私を待っていたの?」

 そう里美が尋ねてみると、それこそ、「その言葉を待っていた」とするかのように、稲荷神は身を乗り出した。

「知りたいか?」

 その声は、これまでより一オクターブほど高くなっている。どうやら、話したくて仕方がないようだ。

「うん、教えて」

 空気を読んで頷いて見せる里美に、稲荷神は告げた。

「お主を待っておった理由、それはな、お主の救いを求める声が、わしの耳に届いたからじゃ」

「救いを求めた? 私が君に、……いいえ、稲荷神様に?」

「そうじゃ。わしは間違いなく聞いたぞ。お主、“亜紀になりたい”と呟いておったじゃろうが」

「え? 私、いつそんなこと言ったっけ?」

 記憶の糸を手繰り始める里美に、稲荷神がヒントを出した。

「駅前の店でやけ酒を飲み、ここに到るまでの間じゃ。ほれ、よく思い返してみい」

「えっと……、はっ!」

 里美は思わず息を呑んだ。

 思い出したのだ。あれは、住宅街の街灯の下で招待状を取り出した時だ。「私、亜紀になりたい」確かに、そう呟いていたのである。

「どうやら、思い出したようじゃのう」

「え、えぇ。でも、私が“亜紀になりたい”って言ったからって、それが、どうして救いを求めたことになるの? いくら神様でも、私を亜紀にすることなんて……」

「できる」

 里美の言葉を遮り、稲荷神はそう断言した。

「嘘?」

「嘘などではない。できるのじゃ。お主を高木亜紀という女に変えることが、な」

「私が、亜紀に変わる?」

「そうじゃ。これを被ることで、それが可能となる」

 絣の着物の懐を探ると、稲荷神は、そこから自身と同じ顔をしたマスクを取り出した。

「それって、狐のマスク?」

 里美が声を上げる。

「そんな野暮な名ではないわ。名づけて、“トランスフォーメーションマスク”じゃ。恰好よく、“Tマスク”と略してもよいぞ」

 稲荷神は、里美にマスクを手渡した。

「ふーん。それで、これを被ると亜紀になれるっていうの?」

 里美が稲荷神とマスクとに交互に視線を向ける。完全なる疑いの眼差しだ。

「おや? 信じておらぬようじゃな」

「当たり前でしょう。こんなマスクで変身なんかできるわけ……」

 そう言いかけ、彼女は口を閉じた。「これは、夢なんだ」そう思い出したのである。

 夢の中ならば、狐のマスクで亜紀に成り変わり、赤坂と結婚することも可能だ。

 だが、「ちょっと待って、それだったら……」里美は、頭に浮かんできた案を稲荷神に話してみることにした。

「ねぇ、私が亜紀に変身するんじゃなくて、赤坂さんが私を好きになってくれるようにならないのかしら?」

 「できることなら、亜紀ではなく、自分の姿で赤坂から愛されたい」そう彼女は考えたのである。

 しかし、

「それは、無理じゃ」

 稲荷神は即答した。

「どうしてよ?」

「専門外だからじゃ。色恋の手助けをするのは“クピードー”、そう昔から決まっておる。お主たちには、“キューピッド”と言ったほうが耳に馴染んでおるかのう。じゃが、奴であっても、愛し合う二人の仲を裂くことはできん。何しろ、くっつけるのが専門じゃからな。どちらにせよ、お主が、今のお主の姿のまま赤坂に愛されることは、絶対にないということじゃ」

 「不自由な夢ね」里美は思った。同時に、「私の夢に登場しているくせに、私が赤坂さんに愛されることは絶対にないとは何事だ」とも感じていた。

 頭にきた里美は、稲荷神に文句を言ってやることにした。

「貴方、いくら神様だからって随分と失礼じゃない? 私に、喧嘩売ってるの?」

「喧嘩? そんなものは売らぬ。わしが売るのは、……それじゃ」

 里美の不満の声を意に介す様子もなく、稲荷神は彼女の手にあるマスクを指さした。

「売る? ひょっとして、このマスク、売りものなの?」

「当然じゃ。人間の信心が深かったころは、無料であっても“献納”という形で元が取れたが、それも今では少のうなってしもうてな。人間界での不景気が、天上界をも圧迫しておるのじゃ。すまんのう」

 稲荷神は、申し訳なさそうにその身を縮めて見せた。

「で、このマスク、いくらなの?」

 そう問う里美に、稲荷神はそっと指を一本立てた。

「千円?」

「い、いや、あの、できれば、その十倍ほど……」

「い、一万円! これが?」

「え、えーと、……そうじゃ」

 頷く稲荷神から視線を外すと、里美は、まじまじとマスクを見つめた。

 伸縮するため素材はゴムのよう。だが、ゴムよりももっと滑らかな手触りだ。そっと鼻を近づけてみると、仄かに柑橘系の匂いがした。

「どうじゃ? よい香りであろう? 柚子の香をつけてみたのじゃ」

 里美が匂いを嗅いだのを目に留めるや否や、稲荷神は、すかさずそうアピールしてきた。まるで営業のサラリーマンのようだ。

 人間に一万円のマスクを売りつける神様の夢。

 貧相な自分の夢に、里美は寂しい気持ちになった。こんな夢は、さっさと終わらせてしまうに限る。

「分かった。買うわよ」

 夢に落ちをつけようと、里美は通勤用のハンドバッグから財布を取り出した。

「ほ、本当か? 買うてくれるのか?」

 稲荷神が嬉々とした声を上げる。

 それを耳にしながら、里美は財布を開いた。

 中に入っていたのは、一万円札が一枚と千円札が三枚の合計一万三千円。今夜、駅前の居酒屋で支払いをしたあとと同じ額である。

「夢なんだから、ここは現実的じゃなくてもいいのに……」そんな悲しさを噛み締めながら、里美はなけなしの一万円札を取り出した。

「はい、どうぞ」

「返品はできぬぞ。クーリングオフとやらのシステムもないからな」

 代金を受け取った稲荷神はそう早口で言うと、瞬きする間も与えぬ速さでそれを拝殿の賽銭箱へと投げ入れた。

 何だか自分の夢に騙されているようで、非常に気分が悪い。だが、一万円を渡したのも夢の世界での話だ。現実には損はないのだから別にいいだろう。

 そんな考えを巡らせている里美に、神妙な声色で稲荷神は告げた。

「その“トランスフォーメーションマスク”を被れば、お主は変身したいと思う人間、誰にでもなることができる。ただし、“一度きり”じゃ。もし、再度の変身を望むならば、もう一度ここへこい」

 それから、稲荷神はそこで一度深く呼吸をし、

「それと、ここからが大事なところじゃが……」

 と、前置きして続けた。

「お主が他者に変身した瞬間、変身された側は消えてしまう。お主がその者になったため、消滅するのじゃ。じゃから、マスクを被る際には、変身対象が単独の時を狙うようにせよ。周りの者たちが、“突然、人が消えた”と大騒ぎするでな。変身後は今のお主の存在も消えてしまうが、こちらは猶予がある。ひと月じゃ。ひと月の間は、お主がいつも接しておる者たちの記憶に残る。つまり、その間は、たとえ出勤していなくとも、“相田里美はきていたような気がする”と思ってくれるのじゃ。無論、仕事についても、他の誰かが無意識のうちに片づけてくれる。便利じゃろう? しかしな、ひと月をすぎると、その者たちの心からも相田里美の存在は消えてしまう。忘れてしまうのじゃ。“相田里美という女がいた”という事実そのものを。じゃから、万一、お主が元の姿に戻りたいと願うならば、ひと月以内にすることじゃ。……さて、長くなったが、質問はあるか?」

 話の大体が理解できた里美は、首を横にふって見せた。

「そうか。まぁ、困ったことがあったらいつでもこい。お主は金払いのよい客じゃからな、わしに会いたいと願うだけでこの神社に導かれるよう手配してやろう」

「そうなの。ありがとう」

 里美は、取り敢えず礼を言っておいた。

「では、また会おうぞ」

 別れの挨拶をすると稲荷神は、里美の前に小さな手をかざして力をこめた。

 直後、手の平が薄紫色の光を放ち始める。

 同時に、里美の視界は暗幕に包まれたように真っ暗になっていった。

 「夢の中なのに、どうして……眠くなるの?」そう思ったのを最後に、彼女の意識は途絶えた。

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