④
いきなり目が覚めた。
天井がいつもと違うのに一瞬焦ったが、ああそうだったと思い直す。
どうやら夜が明けたらしい。
天井近くの小窓から、青白い朝の光が差している。
こんな所でもいつも通り、俺は夜明けに目が覚めるらしい。
己れに根付いた習慣の強さに苦笑いし、半身を起こした。
なんとなく身体が重だるい。
すぐ横に、掛け物を引きかぶって小さく丸まっている身体がある。
『レーニャ』と名乗った娼妓だ。
「まだかなり早いですよ、お客様」
話しかけられ、俺はぎょっとする。
眠っているとばかり思っていたが、完全に起きていた声だ。
もぞもぞと掛け物が動き、女の肩から上がするりと露わになる。彼女はこちらへ顔を向けた。
少し乱れた軽くうねりのある黒髪、張りのあるきめの細かい肌に包まれた細い肩がなまめかしい。
淡く笑んだ目許がハッとするほどあどけない。
朝の光の中で見た彼女は意外なくらい幼い顔立ちで、俺の胸にふっと、罪悪感めいた影が差した。
だが、蠱惑的な弧を描く彼女の薄い唇に意識が向かった途端、昨夜、寝台へもつれ込む直前に口うつしで飲まされた、酒の味と香りがよみがえった。
彼女の汗ばんだ柔らかい肌、その肌の下の細い骨の感触などが不意に、てのひらや身体のあちこちによみがえり、息が乱れた。
軽く目を閉じ、大きく息をついてやり過ごす。
「……ああ。早いけど、俺はいつもこれくらいの時間には起きているんだ。新人はいろいろと雑用も多いんでね」
俺が宮殿務めの新人武官だということは、昨夜、世間話の中で明かしている。
この娼館は、最上級ではないが上級の店だ。
成人前から務めている見習い官吏や小姓などが成人した場合、宮殿から祝い金が出るのが慣わしだが、その祝い金の大半は、こういう、青二才にはもったいないような上級の娼館へ支払われるのも暗黙の慣わしだ。
そうでなければ俺ごときハナタレ、こんな店に出入りするのも難しい。
一見がすぐ迎え入れられ、すぐ遊べるような格の低い店ではないからだ。
王族の護衛官は武官としては高給取りだが、さすがに上級の娼館でしょっちゅう遊べるほどはもらえない。
十五、六のハナタレのくせにこんな店で遊ぶなど、よほど裕福な商家の馬鹿坊ちゃんか貴族の子息か……成人の儀の夜の、宮仕えのガキのお初でもなければ基本あり得ない。
レーニャは軽くうなずき、身をよじって何かを取り上げた。
昨夜脱ぎ散らかしたであろう衣服が、下着まできちんとたたまれて差し出された。
「どうぞお召しを。よろしければ手伝いますが……」
「ああいや。自分で勝手にやるから気遣いなく」
もぞもぞとそう言い、彼女に背中を向けるような感じで素早く服を身に着けてゆく。
「それでは私は朝餉をもらってきましょう」
そう言うと、猫のように優美な身のこなしで彼女は寝台をすべりおりた。
胸から膝くらいまでの長さの、柔らかな白い布をただ巻き付けただけ、とでもいう感じの簡素な寝間着を身に着けている。
ふと、彼女は寝間着の下に何か着ているのだろうかなどと、どうでもいいことをチラッと考えた。
ヘンな風に妄想が流れそうになったので、あわてて考えるのを止める。
こういう店で一晩遊ぶと、翌朝簡単な朝めしが出るという予備知識はあったが、本当にそうなんだなとちょっと感動した。
が、朝めしは必要ないと彼女に言う。
「仕事があるからすぐ帰らなきゃならないんだ。よかったら俺の朝めしは、君が食べてくれていいから」
不要な場合はそう言って、厨の者への心付けを娼妓に渡せと、これはトルーノからの入れ知恵だ。
朝めしをもらう場合は、娼妓の分と厨の者の分との、両方の心付けを渡せとも教わっている。
彼女は素直にうなずき、お心遣いに感謝いたしますと頭を下げた。
店の厩舎から馬を出してもらい、ゆっくりと帰る。
虚しいような満ち足りたような、なんだかおかしな気分だ。
腹いっぱい食べたのに飢えは満たされない、とでもいうような。
馬上から、朝陽に染まる神山ラクレイを見上げる。
(彼女とは……こんな形では出会いたくなかったな)
無意識のうちに心でそうつぶやいていて、自分で自分に驚く。
欲を満たすために金を払って彼女の身体と時間を買う、そんな出会い方ではなく。
侍女か小間使いか……楽士でもいい。
宮殿に務めている彼女と、たまたま出会って親しくなって……一夜を過ごす仲になっていたのなら。
こんな虚しさや飢えは、覚えなかったかもしれない。