③
やがて案内人に呼ばれ、俺とトルーノはそれぞれの部屋へ別れた。
しばらく廊下を進み、とある部屋の扉が開けられた。
胡散臭いほどにこやかな案内人に目でうながされ、俺は、ため息を呑み込んで足を踏み入れた。
薄暗い室内には甘い香が嫌味でない程度に焚かれ、低い楽の音が響いていた。
部屋には低い卓と、二脚のこれも低い椅子があり、入り口に近い方の壁際の椅子に、人影があった。
「いらせられませ」
低い声がそう言う。
俺の知らない異国風の弦楽器を手すさびのように弾いている、頭からすっぽり薄衣を被った小柄な女だった。
女は手を止めると、ほのかに笑んだ。
「まずはゆっくりなさって下さいませ、お客様。夜はまだ始まったばかりでございます」
耳に柔らかい声だ。
ああ、とも、はあ、ともつかない返事をし、俺は向かい側の椅子にぎこちなく座る。
喉がカラカラだ。
部屋の奥に、闇に沈むような感じで天蓋を深くおろした寝台がある。
あえて目をそらせた。
静かに楽器を壁にたてかけ、女は卓の上にある華奢なとっくりから、やはり華奢な、薄手のガラスの盃へ酒を注いだ。
「まずは一献。はじめまして、お客さま。私はこちらで、レーニャと呼ばれております。なにとぞお見知りおきを」
盃を差し出し、女はそう言ってほほ笑んだ。
小柄なせいか薄衣を頭から被っているせいか、年齢のよくわからない女だった。
「レー…ニャ?」
盃を受け取りながら、俺は女の名をくり返す。
雰囲気的に、『レーンの少女』とでもいう感じの通り名だ。
暗がりに慣れ始めた目をすがめ、俺は改めて女を見た。
浅黒い肌の凹凸のなだらかな顔の中で、黒に近い焦げ茶の瞳が静かに輝いていた。なるほど、レーン人の血を感じさせる女だ。
「はい。親がレーンからの流れ者で。これも……」
女は軽く首を傾げ、横目で今まで弾いていた楽器に目をやる。それが妙に色っぽい仕草で、俺はちょっとドキッとした。
「……母から譲られたものなのです。物心ついた頃から私は、母の奏でる調べを聞いて過ごして参りました。ラクレイドで広く知られている曲も奏でておりましたが、思い出したように気まぐれにつま弾いていた、題名のない曲が一番好きでしたね。あの雰囲気を真似ようとするのですけど、なかなか上手くゆきません。おそらく私は、まだまだ修行が足りないのでしょう……」
そんな話をしながら女は、流れるようななめらかさで、もうひとつの盃へ酒を注いだ。
細く長い指が、とろりとした酒のそそがれた華奢な盃を、綺麗な所作で卓の上から取り上げる。
「儚い一夜のめぐり合わせですが、どのような出会いも先の世からの約束だとも申します。どうぞ、互いのレクラがより良く響き合い、極上の調べを奏でますよう」
優しい口調でそう言うと、女はすっと盃を干した。
つられて俺も盃を干す。
酒らしい酒を飲んだのは、実は初めてだ。
口当たりの軽い、飲みやすい酒だったが、酒は酒だ。
喉を淡く焼くような感じで、ゆるゆると腹の底まで降りてゆく独特の感触。
水とはまったく違うものを飲んだと思い知り、俺は、瞬間的に軽くうろたえる。
嚥下した後に大きく息をつくと、花に似た甘い香りがふっ…と、鼻に抜けた。




