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空と屍

作者: 来栖ハヤト

パックの中は琥珀色の液体で満たされていた。

黄緑色のパッケージは涼しげで、そこに描かれているロゴと写真も、また清涼感に溢れていた。

開け口に刺したストローを口へと運ぶ。

吸い上げると透明なプラスチックの中を琥珀色が競り上がり、そして口腔へと流れ込んだ。

舌に触れると口腔内に広がる僅かな甘みとフルーティーな香り、喉が渇ききっていたということも手伝い、時雨(しぐれ)は一気にそれを飲み干した。


空になったパックを握りつぶし、目の前にあるテーブルへ投げ出す。

その時、右手に見えるドアがトントン、と音をたてるのが聞こえてきた。

木製のそれはかなりの年代物らしく、上塗りのニスは剥がれ、所々ささくれ立っている。

ノブは元々は金だか銀の鍍金が施してあったのだろうが、今はその面影もなく、ただ鈍く光り手にざらついた感触を与えた。


「時雨、入りますよ、」


声がしたと同時にノブがぎしぎしと軋んだ音をたてて回転した。

開かれたドアからは木屑が零れ落ちたが、長身の男はそれを気にも留めず、その身体を室内へと滑り込ませた。

革靴の硬質な音が室内に響く。 


「どうしたの、秋女(あきめ)


秋女、と呼ばれた青年は白い紙を数枚、時雨へと向かって差し出した。

時雨はチョコレートの包みを開き、それを口へ放り込むと秋女の方へ向き直り、そしてその書類を受け取った。

書類に目を通す時雨の眉間がぴくりと動き、細かな溝が見え隠れする。

不機嫌そうに顔をしかめた時雨は、顔を上げると秋女を見上げ口を開いた。


「なにこれ、春名(はるな)地区はこの前掃討したばかりじゃないか、」


その書面には時雨がリーダーを張る武装集団『銀楼(ぎんろう)』の制圧下にある地区が、他の集団によって攻撃を受けている、という旨の内容が書かれていた。

書類を膝の上に乗せた時雨は再びチョコレートの包みへと手を伸ばした。

そして再びチョコレートを口へ放り込むと、立て続けて紅茶を喉へ流し込んだ。

新しく開けられた琥珀色の液体のパッケージは、今度はピンク色で塗られていた。

ストローを刺す間もなく口をつける。

パックを離した時雨は口元を拭いながら、冷め切った声を発した。


「どういうことか、調べはついてるの、」


冷酷な瞳が秋女を捕らえた。

秋女は目の前にいる少年に恐怖すら覚えた。

たかだか17、8歳の少年、何処にでもいそうな、派手にブリーチした後に色を入れたであろう、ミルクティー色の頭髪を除けば、普通の少年にしか見えないのだ。

平均よりは若干高い身長も、黄色人種特有の肌の色も、瞳のこげ茶色まで、何一つ変わったところなどないのだ。

しかし何故なのか、その瞳が酷く冷たく、冷め切った様に見えるのだ。


秋女は背中に冷たい汗が伝うのを感じた。


「ええ。春名地区ののトップ、確か小樽(おたる)、彼が原因かと」


「小樽、あそこは郡上ぐじょうじゃなかったけ、」


「郡上は先日貴方が処分なさったのでしょ、」


時雨は一度首を傾ぎ、そうだったっけ、と興味もなさそうな返答を返した。

そしてまた紅茶を口にすると、今回の件について詳しく話すようにと秋女へ命じた。

秋女は頭の中で今回の件についての情報を並べなおした。

それは一瞬のことではあったが、秋女は時雨の癇に障らないようにと早めに話を切り出そうと口を開く。

しかしそれは叶わなかった。

時雨は掌を時雨へと向けて会話を制していた。

その視線は窓へと向けられていて、秋女は遅れてその視線の先を追った。


「秋女、小樽の前に所属していたグループはどこだったっけ、」


「『ニッカル・グラス』、だったはずです」


「そうか」


その瞬間、ぱん、と乾いた音が鳴り響いた。

窓の上の壁には穴がひとつ。

追って何かが落下して地面に叩きつけられる鈍い音が遠くで響いた。

秋女が視線を時雨へと戻すと、その手にはコンパクトな拳銃が一丁握られていた。

銃口からは細く煙が昇り、特有のにおいが部屋中に広がっている。


「時雨、」


秋女は何が起こったか分からない、という眼を時雨へと向けた。

時雨は拳銃を弄びながら、口唇の両端を持ち上げた。


「恐らく『ラベンドル』のスパイだよ、最近うちの制圧下の地区を狙ってるらしいから。『ラベンドル』と『ニッカル・グラス』と言えば、」


「…同盟を組んでいた。まさか、小樽は…」


「ビンゴ、さすが秋女」


秋女は今回の侵攻の意味を瞬時に理解した。

それに満足した時雨は、紅茶のパックの手に取り、目の前に備え付けてあるもうひとつのソファを指さした。


「ま、座りなよ。今回の衝突の、秋女の見解を聞こう」


その眼は酷く冷たかった。

怒りさえも凍りつかせてしまいそうな、いや、怒りも時雨のような人間が発するとこうなるのかも知れない。

また一筋、背中を汗が伝った。


「では、失礼します」


革製のソファはとても心地よかった。

そして、チョコレートやら紅茶やらを勧めてくる時雨の誘いをやんわりと辞し、今回の武力衝突についての見解を述べる。


「まず、『ニッカル・グラス』の制圧下だった春名地区を制圧したのが3ヶ月前、その時の指揮官は郡上です。そしてそのまま彼が春名地区のトップになった。しかし1ヶ月前に起きた内紛の鎮圧に失敗した彼は、貴方によって処分された。」


時雨は再び、そうだっけ、と笑っていた。

特に郡上、という人間には興味も関心もなかったらしい。

チョコレートの包みを器用に折り曲げながら、話を続けるようにと秋女を促す。


「そして新たに春名地区のトップになったのが、小樽です。確か貴方が承認したはずでしたが、」


ああ、と時雨が相槌をうつ。


「誰でも良かったんだけどね。そいつ、春名に侵攻した時に一番うちの連中をってたから、腕はたつのかなって」


「そして、小樽がトップに就いて1週間後、つまり3週間ほど前から『ラベンドル』が春名地区への侵攻を開始、状況は此方が不利、と連絡がありました。そしてついに1週間前、春名地区の3分の2が『ラベンドル』によって制圧された」


そうだね、と時雨が答える。


「しかしおかしな点があった。まず、武装でも戦力でも『銀楼』が『ラベンドル』に劣る筈が無いんです。今まで春名地区にいた人間に『ニッカル・グラス』の構成員が加わったのですから。そしてもう1点、武力衝突で元『ニッカル・グラス』の構成員はほとんど負傷していない」


つまり、と秋女は言葉を続けた。


「これは初めから、小樽がトップになった時から仕組まれていた、そういうことになる。恐らく今行っている戦闘でも『ニッカル・グラス』の構成員達は戦おうとはしないでしょう。そうすると春名は『ラベンドル』に堕ちたも同然」


「うん、もういいよ、ありがとう」


時雨は話を切ると、手元の拳銃へ弾をつめ始めた。

そしてそれが終わると秋女へと向き直り、にっこりと笑った。


「さ、そろそろ殺しに行こうよ、小樽。これで『ラベンドル』を潰す理由もできたし」


殺しに行こう、その台詞は笑顔で口に出すにはあまりにアンバランスに思えた。

しかし、秋女にはもっと別に気になることがあった。


「『ラベンドル』を潰す理由って…、初めから貴方は全てを見通してたというのですか、」


その問いに時雨は微笑を返しただけだった。

チョコレートをまたひとつ、口へと放り込んだ。


「小樽をトップにしたのも、『ラベンドル』に侵攻されても増援を送らなかったのも…」


「秋女、」


時雨と秋女の視線が絡んだ。

時雨の眼は笑っているようで、しか一切笑みなど含んではいなかった。


「武器は準備した、」


「は…はい」


懐に隠し持っているナイフへと手をやる。

怖い、目の前の少年が。

しかし、何故か彼から離れられなかった。


「じゃあ、行こうか」


そう言って時雨は立ち上がりドアへと向かう。

秋女もその後に続く、その時窓の外がふと眼に入った。

蒼い空、たなびく雲、眩しい太陽、そして地面に転がる屍。

こんなにも世界は生と死に溢れている。


ふと、問いかけたくなった。


「時雨、」


自分がこの少年から離れられない理由。

時雨は振り返り、何、と少年らしい、年相応とも思える答えを返した。


「貴方は、何故人を殺すのですか、」


時雨は一瞬困ったような顔をした。

そして再び笑顔を纏って口を開いた。


「うーん。よくわからないけど、死んでないから、かな」


そう、この少年からは生の匂いも、そして死の匂いも、何もないのだ。

生きたいとも願わず、かといって死ぬことも願わない。

ただ其処に咲く一輪の蒲公英のように、ただ其処に、在る。

それが時雨という少年だった。


「そうですか。すいません、時間を取らせました、行きましょう」


これからも少年は殺し続けるのだろうか。

死なない限り、生も死も求めずに。


「まるで、この世界の歪みのような人だ」


外へ出ると、其処には一輪の蒲公英が咲いていた。

生の匂いも、死の匂いさえさせず、意味も無くそこに、在るだけの存在として。

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