第一章 壱の弐 少女誘拐
私はビニール傘を広げ、雨を遮り、屋根の下から出る。
いくら天下の新東京自治区、上野領の近くと言えど、早朝六時の人気は疎らだ。
「よっと……」
肩から滑り落ちそうになったビニール袋を、私は揺すって元の位置まで戻す。
袋の中には大きなトマト缶が三つ、それにバジル、イタリアンパセリ、マジョラム、ローズマリーと言った香辛料。
言問通りでの買い物は既に済ませた後なのだ。
あとは、明治通りに出ている無人商店から、三百円と引き換えにオレガノの小瓶を貰えば、買い物は完了する。
そうすれば、戻って店の準備を再開だ。
もしかすると、秋宮さんが既に準備を済ましてくれている可能性もあるが。
と言うか、そうであって欲しい。
私は希望的観測を試みながら、明治通りと書かれた木製の看板の横を通り過ぎた。
肩を並べて両脇に立ち並ぶ色とりどりのテント、未だ放置されたままの大きな瓦礫、鉄骨だけになった巨大なビルの残骸、戦火の跡の数々。
ここだ。ここの近くに目当ての店はある。
確か、青いテントの店だったはずだ。
あと、防犯用に置かれた監視ドローンが黄色い帽子とサングラスを被せられ、変なロゴのTシャツを着せられていた。
見付けた時は、ファンキーな出で立ちのドローンがいるものだな、なんて思ったものだからその印象は強い。
私は立っている場所から周りをぐるりと見渡し、すぐにその店を発見した。
ほっと息を吐いて、傘を畳み、中に入る。
腐り掛けの木製商品棚の向こう、黄色い帽子が覗いている。この店だ。
「少し背が低くなった……?」
なんて、返事が来るはずも無いのに帽子へ、それを被っているドローンへと語り掛ける。
こんな物でもブガーで繰り広げられる髭男爵との会話よりはマシだ。
会話機能を持たない防犯ドローンから、言葉が返されるはずが無かった。
それでも、私は無いはずの返事を待ってみる。
意味の無い遊び。
暇だなんて事も無いのだが、気の迷いか、そうした物に飢えていたのかもしれない。
「今日は寒いね。ね?」
肩に掛けたビニール袋を置き、更に語り掛ける。二つ目の質問だ。
「へ……?」
返事が為されるはずは無い。はずは無かった。
なのに、その二つ目の質問を受けて、黄色い帽子は少し下がり、その後に元の位置に戻ると言う動作を私へ返した。
頷く様な動作だ。
私は素早い動作で、商品棚の後ろに回り込む。
あるのは黄色い帽子と、緑色のパイプ椅子だけ。
「おかしいな……誰かいるかと思ったんだけど」
取り敢えず、私は気配に気付かぬ振りをする。
一つ、小さく息を吐く音。やはり誰かいる。
さっきまでパイプ椅子に座っていた奴だ。
息の音は正面からだ。私が商品棚の裏に回り込むと同時に、商品棚の前に移動したに違いない。
―—盗人か?
懸念が頭を過る。武装した防犯ドローンを無力化し、無人の店に居座る盗人。
それをやってのけたのなら、盗人の方も武装していると見てまず間違いない。
もし、そうならとても私如きが太刀打ち出来る相手では無い。
力の強い義手はあるが、そんな物、レーザーの前に役に立つはずが無い。
『十歳少年、義手のみで盗人に立ち向かい重傷』と言う見出しの新聞記事が頭の中で踊る。
私は無駄な事に関わった自分を心底呪った。
どうしよう。逃げようか。
いや、逃げるしか無いだろう。
しかし、どうやったら逃げられるのか。
走って逃げても、見つかったら蜂の巣だ。
逃げるなら不意を衝いて、その後逃げるしか無い。
私は商品棚に体当たりを食らわす。
「ふうっ! すうっ……!」と言う息の音が聞こえた後、誰かが倒れる音。
しめた!――と思った私は商品棚に乗った商品を両手でさらって、奴に浴びせる。
思いのほか、反撃は無い。これなら捕まえられるかもしれない。
私は瞬時にそう判断し、棚を押し退け、盗人に飛び掛かった。
飛び掛かり、ねじ伏せ、生身より馬力の出る右の義手で首を締め上げる。
「すうっ……! すうっ……!」
抗議の意を伝える息の音。
「観念しろ、盗人!」
「すっ……!」
「何だよ、言葉が喋れないのか!?」
ジタバタ動く盗人を一種の興奮のままに抑え付け、締め上げ、気絶させる。
そうして、盗人の正体に気付いたのは、全てが終わった後だった。
「あれ……?」
盗人は、私よりも小さく華奢な年端もいかない女の子だ。
とても、武装したドローンを無力化して盗みを働くだけの技能がある様には思えない容姿の犯人。
来ている服は白いワンピースだけで、武器を隠す隙間は恐らく無い。
「あ……」
私はやっと理解した。全て私の勘違いだったのだと。
あぶくを吹いて倒れた少女を前に呆然とする。
これではいけない。これでは私が犯罪者だ。
無人商店に立ち寄り、イタズラをしていただけの無邪気な少女を暴力でねじ伏せ、気を失わせた男。
紛れも無く犯罪者だ。
私は左手で顔を覆う。酷い事をしてしまった。
自分の行動を悔いながら、左手の指と指の隙間から少女の容態を確認。
間違いない。間違いなく、気を失っている。
「お……おーい」
屈み込み、彼女の頬に優しく左手で平手を打ち込む。
ダメだ。起きる気配すら無い。
私は冷静に青の小瓶を手に取り、転がった自分のビニール袋へと入れる。
「よ、よし……買い物は済んだよね」
踵を返し、その場を去ろうとする。去ろうとするも、考え直して少女へ向き直る。
「そのままにしておいたら危ない……か」
「気絶させて、誘拐しようとか、そう言うんじゃないから……」とか、誰も聞いていないのに言い訳をしつつ、私は少女を背負う。
彼女をどこか安全な場所に移動させなくては。
病院はこの時間からやってはいない。
そもそも、病院に連れて行ったとして受診料を払ってやれるだけの金が私には無い。
とすると、少女を連れての行き先は決まっていた。
レストランブガー。あそこに持っていくしか無い。




