村長
リンデル王国の北西の端、小さな男爵領の小さな村。
畑を作り、畑を荒らす獣を狩り、暮らす。
税率は、まあ程々だろう。
ワーレンが父親の跡を継ぎ、村長になってから30年ほどの間、少しずつ村を広げて、畑を増やし、豊かではないかも知れないが、困窮することもなく、生きてきた。
リンデル王国の王都リンダースから、半年に一度、商人が来る。
村で賄えない物は、商人から買う。
調味料の類、塩、胡椒、砂糖、油など。
衣服や靴は、村でも作る者がいるが、すぐに傷む。
商人からは、そういった物や、修理に使うものを買うことが多い。
村の近くには、小さな川もあり、魚が少し取れるし、草原では兎が狩れる。
畑を荒らす猪や鹿なども、時々狩る。
麦や野菜、果実など、作物は、納税した後で村人が困らない程度には収穫できる。
ほそぼそとだが、贅沢を望まなければ、自然の恵みを受けて、暮らしてゆける。
この世界には魔力がある。人々も魔力を持ち生まれてくるが、大抵はただ、魔法はほんの少し使えるくらいだ。
それでも、水を出せる者、火をともせる者、土を動かせる者など、生活には便利なものが多く、無駄ではない。
古い書物によれば、神殿に行き、祝福を受けて訓練すれば、魔法使いと言えるような者になれるそうだ。
昔は冒険者を志し、神殿を目指して村を出る者もいた。
だが、何事もそう容易くは無い。
日々の暮らしを見つめれば、分かることだ。
畑を耕し、作物を無事に育てる。
毎日欠かさず世話をする。
怪我人や病人がいれば、看病する。
毎日水を汲み、洗濯や繕い物、食事を作り、薪を作り仕事は沢山ある。
農機具の修理をする者、その他の何もかも、できることをできる者がする。
子供を産むのも大変なことだ。
生まれた子供を、健やかに育てる。
それも簡単なことではない。
小さな村でも、人がいれば諍いは起きる。
解決して、協力しなければ、生きていくのも難しい。
冒険者を志した者は戻らなかった。
無事に過ごしているのか、倒れたのか、分からなかった。
ワーレンが村長になって間もない頃、商人ではない者が、村に訪れた。
旅の途中の宿を求めたのだ。
王都リンダースから来たという、男は、黒い髪に黒い瞳で、シンジと名乗った。
聖樹の情報を求めていた。
貴族ではないが、丁寧な言葉や物腰。
悪意のある者ではないと思った。
ワーレンの父親が生きていれば、何か分かったかも知れない。
前村長である父親は、病で亡くなっていた。
父親が幼い頃、ワーレンの祖父に、聖樹の話を聞いたそうだが、記録にはなかった。
聖樹については、伝説のようなものだ。
シンジは、三日間村に留まり、古い書物を調べていた。
旅人を泊める家は、村長の家しか無い。
村長の家では、村の男たちが週に一度会合を開く。丁度会合があった。
シンジはリンダースの話を、快く話してくれた。
聖樹については、役に立てなかったが、村を去る前、シンジはワーレンにだけ話してくれたことがある。
転移者と言うらしい。
他の世界から、何かの力で世界を渡る者。
シンジは、この世界で生きるために、聖樹の力がほしいと思っているそうだ。
魔法は少し使えるようだった。
あまり大きな力を持たずとも、生きていけるのではと、ワーレンは話した。
シンジは少し考え込んでいたようだった。
三日間の後、別れの挨拶をして、シンジは旅立った。
その後、どうしたかは、分からない。
聖樹があるとしても、辿り着いた者の話は、もしあれば、噂になるだろう。
元気に生きていてほしいとだけ思った。
村のささやかな営みは続き、ワーレンも歳を取っていく。
色々なことがあった。
近くの村から嫁を迎えて、子供が生まれた。
子供は四人生まれたが、無事に育ったのは二人だけだ。
小さな村では、葬式もろくにできない。
村の子供たちも、全員が無事に育つわけではない。
大人も、ふとした病で命を落とす。
別れは沢山あった。
色んな思いを飲み込み、受け入れて、生きてきた。
苦楽を共にした妻も、少し前に亡くなった。
孫はまだ一人で幼い。
息子に村長を継がせるまで、まだ何年もかかるだろう。
そんな日々のなか、ある夏の終わり頃、畑を荒らす獣を狩りに出かけた男たちが、旅の者を連れて来た。
手短に語る男たちの話では、強力な魔法を使い、空さえ飛べる者だと言う。
男たちに案内され、出迎えた旅の者は、若い、まだ成人して間もないように見える、女性だった。
信じ難いほどの短時間で、獲物が村の広場に積み上げられていた。
旅人というには、身奇麗に見えた。
強い力を持つ者。
悪しき心を持てば、恐ろしい。
彼女は、ユキノと名乗った。
黒い髪に黒い瞳。
シンジを思い出した。
丁寧な言葉と物腰。
悪意があるようには思えなかったが、牽制のつもりで、転移者という言葉を出した。
ユキノは、警戒したようだった。
少し迷った後、転移者だと認めた。
その後は、決心したように、話し始めた。
転移者だというだけでも、内心驚いたが、話の内容は、驚くという言葉では足りないくらいの話だった。
聖樹が存在する。
100年ほど前の出来事。
アンデッド。
信じ難い言葉が語られる。
ユキノは、話の合間に狩りをして、獲物を提供してくれた。
燻製肉まで作り、村のみんなに分けていた。
宿泊代だと言う。
シンジは、自分のための力を求めていた。
ユキノは、誰かのために力を使いたいようだった。
ワーレンも一緒に、調べ物をした。
リンダースから軍が出たなら、この辺りを通ったはずだ。
祖父の話が記録されていないのが悔やまれた。
ユキノは、軍が全滅した事実が、隠されたのではと言う。
確かに、ありえる話だ。
貴族のプライドは高い。
王国ともなれば、軍の全滅など認めたくはないだろう。
結局、役には立てなかった。
シンジの話も、生きていれば、もうワーレンと変わらない歳だろうから、しなかった。
強い力を持ち、真っ直ぐに見つめるユキノ。
変わらずに生きてほしい。
息子よりも若い、女性だ。
困難は誰にでもある。
しかし、力を持てば持つほど、困難も大きくなるだろう。
五日間滞在して、ユキノは旅立った。
無事に生きて、幸せになってほしい。
ワーレンは、誰にともなく祈った。