罠
王塔に入ったヒュウガたちは、ルピナス兵の後を着いていく。が、ルピナス兵が下り階段に向かっていくあたりで、グラジオラス兵がざわつきはじめる。王塔に入って真正面の螺旋大階段でなく、薄暗い奥の下り階段にルピナス兵は進んでいる。
「ヒュウガ様! スオウ様!」
たまらず、グラジオラス兵は声を上げた。
「あっているのですか? ……我々を、陥れようとしているのではないですか?」
とスオウに耳打ちする。スオウも気になってはいたが、ルピナス兵は何の迷いもなく下り階段に進んだため、ヒュウガもスオウもそれに従った。もし、何かしらの策を講じるならば、合図なり、少しの話し合いなりがあるはずだ。しかし、行動を共にしてから、いっさいそれは見受けられない。ヒュウガもスオウもそれには気づいている。だが、グラジオラス兵は……
「ヒュウガ様」
スオウはヒュウガを呼び止めた。
「……仕方ない。お前たちの危惧はわかる。ルピナス兵よ、しばし時をくれぬか?」
ヒュウガはすまなそうに言ってから、命じた。
「大階段を確かめたいのだろう? 左陣隊、行ってこい」
グラジオラス兵はすばやく動いた。しかしルピナス兵は動揺する。
「ヒュウガ様、大階段には罠があります! 決して上がってはいけません!」
と慌てて叫ぶも、すでに左陣隊の背にその声は届いていない。それよりも、他のグラジオラス兵は、
「嘘をつくな! 我々を騙しているのだろう?!」
と詰め寄る。
「イキシア王様が亡くなる二ヶ月前にそのように改築したのです! どんな罠かは知りません。私共は下級兵士ですので知らされていません。
ですが、肝を試しに上った下級兵士は……下ってこなかったのです。そのまま居なくなったのです。ですから」
「スオウ!!」
ルピナス兵が言い終わる前にヒュウガは指示を出した。グラジオラス兵はさらにざわつく。疑心暗鬼に陥っていた。
「スミマセン。ルピナスでは大階段の不使用は周知の事実。説明せずに進んだせいです。スミマセン」
ルピナス兵は縮こまって、ヒュウガやグラジオラス兵に謝る。その姿に、大階段の罠が本当であることはグラジオラス兵にも伝わった。が、反対に説明しなかったこと自体が策であったのであろうと、さらに詰め寄る者もいた。敵城を進むグラジオラス兵の神経のすり減りが、最大限に達していた。ヒュウガはハァと息を吐いた。
「先を進みすぎたようだな。我らとルピナス兵、もう少し距離を縮める時間が必要であった。一旦ここで休憩しよう」
ヒュウガはそう宣言して、神経の高ぶったグラジオラス兵に微笑んだ。そこにバタバタとスオウと左陣隊が戻ってきた。ヒュウガはほっとする。が、スオウは渋い顔をしていた。
「どうした?」
ヒュウガは問いながら、左陣隊の顔ぶれを見渡す。三名ほどいない。
「三名上がったまま、下ってきません」
ざわつくグラジオラス兵の鋭い視線がルピナス兵を射る。
「大階段はどこに繋がっている?!」
罵声が飛ぶ。同志が消えた。それを責める対象はルピナス兵となる。ルピナス兵はさらに身を縮こませた。もう、声も発せず固まっている。ルピナス兵は後悔していた。ブリアにつくことはしなかった。小国にも下らなかった。ネリアとて知らぬ土地。安住は望めない。何よりもアリッサムの生死がわからない。小さな望みを持って城内にいただけなのだ。グラジオラスについたとて、針のむしろであった。アリッサムだけを頼りにここにいる。そんなルピナス兵である。
なぜ、ルピナス兵はアリッサムを望むのか?
……
……
アリッサムは一年前まで、城内を自由に歩き回っていた。すみからすみまでである。城門の下級兵士にも分け隔てなく、明るく声をかけるアリッサム。その愛らしい、そして美しいアリッサムに目を奪われない兵士はいない。城門兵は、見張りと開門の仕事が主である。だが、基本的にはただ立っているだけの、飽きる仕事である。そこにアリッサムが訪れるだけで、兵士の気持ちは軽やかになった。
そのアリッサムの視線が追う先には、ついつい兵士も視線が向く。そうである、アリッサムは皆が目もくれぬ用人たちの働きに興味を持っていた。アリッサムは再会した用人に、的確な指示を出せたのは、全てを見て知っていたからだ。
アリッサムはイキシア王の血を濃く引き継ぐ姫である。秘密の通路を作るイキシア王から刺激を受け、アリッサム自身もそれが開眼する。イキシア王に大階段の罠を提案したのもアリッサムである。大階段は一つの部屋にしか行き先がない。上りきった先にある部屋。そこは……
左陣隊偵察兵三名は、その部屋にたどり着いた。いかにも重厚な扉は、ここが王間であると思わせるほどだ。
「やはり、ここが王間だ。あのルピナス兵め、我々を騙そうとしていたな」
三名はニヤリと笑う。本来なら、ここで引き返し現状を伝えることが偵察兵の務めである。だが、三名の心はすでにそれに反することを決めていたようだ。戦で名を上げること。その誘惑に勝てず、王間だと思われる扉に躊躇なく手をかけた。とは言っても、警戒もせず開けることはしない。静かに静かに扉を開けた。人の気配はしない。あるのはきらびやかな宝の山。三名の瞳に欲が走る。
「宝物庫だ!」
一名が駆け出し入るのと同時に、他の二人も中に入っていく。きらびやかなそれらに目を奪われる。
その内に、
ーーバタンッーー
と大きく音を出して扉は閉まった。
三名はそんなことにも気をとられず、懐に頃合いな大きさの宝を入れていく。
夢中に
夢中に
「よし、そろそろ戻るぞ。……いいな?」
三名は顔を見合わせた。懐のブツは言うなよと示しあわせる。意気揚々と扉に向かった。だが、しかし、
「ん?」
軽く開いた扉はビクともしない。
「こんなに重かったか?」
そう言いながら、三名は扉を押す。だが、少しの隙間も開かず。壁のごとく扉は三名の前に立ちはだかる。焦り出す三名。
「なぜだ?!」
勢いをつけ体当たりするも、当たった音のみが響くだけ。
「隊長ーー!!」
叫ぶも最上階まで上りきった大階段。重厚な扉。その声は左陣隊に届かない。
三名が懸命に叫んでいた頃、左陣隊にスオウが合流し、ルピナス兵の進言を伝えていた。そして、しばし待つも三名は戻って来ず。一旦、本陣に合流とし、スオウたちは大階段を去った。
叫ぶ声は聞こえない。
ヒュウガ、スオウ、荒ぶるグラジオラス兵。口を閉ざしたルピナス兵。地下階段の中腹でそれぞれが思惑を巡らせる。
ヒュウガ、スオウはこの状況を打破する鍵を求めて……
グラジオラス兵は、いかにルピナス兵に刃で責を問うかと……
ルピナス兵はただ一点、一途にアリッサムの生存だけを頼りに……
その張りつめた糸を手繰り寄せたのはルピナス兵であった。
「アリッサム様なら、大階段の仕掛けをお解きになれます」
と。
「うそを言うな! また我らを策に陥れる気だろう?!」
グラジオラス兵が怒る。
「策に陥れるならすでにしています! この地下階段にも罠がある! それを発動しなかったのは! ……ヒュウガ様を信じたからだ」
ルピナス兵は今までになく、激しく言い返した。
「罠? ここに罠があるのか?!」
思わずスオウは問い返した。一瞬にして冷たい緊張が走る。ルピナス兵は肝が座ったのか、先程までとは違って鋭くグラジオラス兵を射抜く。
「大階段は見せかけ。本筋の地下階段は唯一の道。本来なら、ここに侵略者がなだれ込めば水攻めに合う。だから、一旦下る」
ヒュウガとスオウに戦慄が走る。だが、グラジオラス兵は理解していない。大きな落とし穴なのだ、この階段は。一旦下り、また上る。その形は大きなすり鉢。ここで水攻めに合えば、いくら泳げる者でも、防具で重くなった体を浮かせることは出来ない。
一網打尽。
さらに、唯一の本筋ならば、水攻めを回避出来たとしても水で進行を阻まれる。簡単には玉座にたどり着くことは出来ない。ヒュウガは頭上を見上げた。
「暗すぎる」
もし矢で射られたならば、
もし投石されたならば、
と、冷や汗が出るほどの緊張が全身を襲った。
ルピナス兵は瞳をギラつかせている。
「これほどまでの城をなぜブリアは放棄したのだ?」
ヒュウガは自分たちに向けられた敵意を反らすため慎重に言葉を選んだ。あえて、ブリアと言って。ルピナス兵の瞳が揺れる。唇を噛み締めている。
「ブリアは発動の仕掛けを知らない。イキシア王様は、古株の忠臣にしか教えなかったからだ。その忠臣を退け、圧政を行ったブリアに、戦の戦略も籠城の知恵も持つはずはない」
そこでヒュウガに疑問が生じる。
「ではなぜお前は……発動しなかった? いや、発動の仕掛けを知っている?」
ギクリとルピナス兵が動揺する。スオウはずいとルピナス兵に近づき圧をかけた。
「イキシア王様、アリッサム様、忠臣、……用人」
ルピナス兵から溢れた言葉に、ヒュウガもスオウも訝しげに眉を寄せる。
「下級故、見ることが出来た。アリッサム様のように、我々も」
ヒュウガたちにはわからない。だが、ルピナス兵同士はわかっている。さらなる結束がルピナス兵に生まれる。それは、ヒュウガたちを遠ざけることに繋がる。発動出来る者が目の前にいる。罠はまだあるかもしれない。ヒュウガの瞳が鋭くなる。ルピナス兵は気づいている。だから言った。言ってのけた。
「さっさと叩き斬ったらどうです?」
そう言って、スオウと同じようにずいと前に出た。
「ルピナスに最後まで残った兵として死ぬるなら! これほどまでに名誉なことはない!」
また一人ずいと出る。
「アリッサム様! お供いたします!」
その発言と同時にルピナス兵は、ヒュウガの前に進み出た。
死を覚悟した……
死を供にする覚悟と供に。
アリッサムと供に死する覚悟、ルピナスにルピナス兵が戻ってきた。
次話更新明日予定です。