瑠璃の女神
玉座に座ったアリッサムがまずした事、それは瞳を閉じることであった。前イキシア王がそうしたように、父がそうしたように瞳を閉じた。
『アリッサム、いや、瑠璃の女神よ』
イキシア王が息を引き取る寸前の光景が甦る。王の口から『瑠璃の女神』と言う言葉が発せられ、周辺の者たちを驚かせた。アリッサムに瑠璃色があることは、秘密にしていたことだからだ。瑠璃色と言っても、蒼き色。姫の体にあるならば、それは醜き肌の色。故にイキシア王は、姫の婚儀のため秘密にしてきた。知る者は、王と亡き正妃、数人の侍女のみ。
『女神よ……守ってくれ、ルピナスを』
王の声にはすでに力は失せている。最後の時が近づいてきている。アリッサムは、父の手を掴もうとベッド脇に膝をつこうとしていた。だが、それを押し退け女がベッド脇を占領した。その腕に幼き我が子を抱きながら。
『あなた! あなた! シオンよ。シオンにもお言葉を』
と狂じた声で叫ぶ。
『健やかにな、シオン。……女神は何処だ?』
女の顔が落胆する。イキシア王は、シオンに優しい眼差しを向けながら手は女神を……アリッサムを捜しているようだった。しかし、女はその場を退こうとしない。強引に王の手を取りシオンの手と繋がせた。
『……』
もう王に残された力はない。だが、最後の一言を残そうと息を弱く吸った。
そして、
『瑠璃よ……守らざるは守ること』
それが最後の言葉となる。
アリッサムは目を開けた。
「守らざるは守ること」
その瞳に宿った決意。アリッサムはスックと立ち上がり王間の扉に向かった。躊躇うことなく進む。アリッサムはある部屋に向かっていた。一年前まで住まいであった部屋に。
ルピナス城には四つの塔がある。一つは中央にそびえ立つ王塔。その左右に二つの塔。ブリア側、ネリア側とに一塔ずつ。そして最後に王塔の背後、小国側に面している塔。妃塔と呼ばれるその塔は、王の正妃が住まっていた。……そう住まっていたのである。アリッサムの母である正妃の住まっていた塔は、一年前までアリッサムの居城であった。
その塔に向かってアリッサムは歩を進めた。王塔を下る。ブリアの残党に時折出くわすも、皆城の財宝をかすめ取るに夢中でアリッサムをチラリと見るだけであった。塔を飾っている光沢のあるカーテン、壺、食器類に至るまで、目の血走った輩が手をつけ、抱え込み、背負い、互いに罵倒しながら奪い合っている。せめてもの救いは、アリッサムに手を出さずにいることだ。戦利品を手に逃げるには、女は足手まといになる。グラジオラスの侵攻がすぐそこまで迫っていたからだ。
アリッサムは悠然として歩いた。王塔から妃塔に抜ける外通路にたどり着く。その荒廃ぶりに、しばしアリッサムは放心した。石畳の通路は雑草が生え、手入れのされていない灯り置きには埃が積もっている。左右の庭園は枯れ果てていた。放心していたアリッサムの瞳に再び光が宿る。雑草の踏み倒しを目に出来たから。誰かが通った跡。
「瑠璃の女神アリッサム。これより妃塔にて陣をはる!!」
誰ひとりとしてアリッサムに配下はいない。だが、アリッサムは声を出して命じた。
通路に一陣の風が舞う。
アリッサムの背を押すように妃塔に吹く風。編んでいた髪をアリッサムは解いた。頬にまとわりつく髪をそのままに、なびくドレスの裾をおさえることもなく、その入り口まで歩いたのだった。
次話更新明日予定です。