女王とリサ
一夜明けた大陸は、前日までの戦が嘘のような静けさだ。
ーーホロホローー
リラは今日もグラジオラスからルピナスに翔んでいる。用人は回廊でリラを受ける。腕に乗せたまま、王間に進んだ。
「女王様……」
玉座で目を閉じるアリッサム。用人は、声を小さく呼んだ。そのまま眠らせてあげたい気持ちからだろう。
「おはよう」
アリッサムは瞳をゆっくりと開けた。用人は眉を下げた。
「すみません」
起こしてしまって……という気持ちから。
「いいえ、いいのよ」
アリッサムはフッと笑って答えた。
「はい、おはようございます。それと、創始様からです」
用人の腕のリラは、
ーーホロホローー
一鳴きした。アリッサムに朝の挨拶をしたようだ。
「リラ、おはよう」
用人はリラの足元から文を取り出した。そして、その止め蝋に首を傾げる。
「あの、『秘』と押されております」
その文に押された『密』印にアリッサムも首を傾げる。開いたその文には、
『一夜を共にしたような気だるさと、新しい覚醒の朝ですね』
アリッサムは文を持ったまま固まった。何となく感じていた……創始からの好意。だが、アリッサムはまだ十八であり、その文の返しをすぐには思い付かずと言うか、手におえず。
「女王様?」
用人は窺う。
「え、ええ。困りましたわ。これなのだけど」
そう言って、アリッサムは用人に文を出すものの、用人はいえいえと後退した。
「密印のものを私ごときが見るわけには」
アリッサムはちょっと口を尖らせる。
「もおっ、創始にリラを託したのは間違いだったかしら」
アリッサムと用人は笑う。用人は笑いながら言った。
「見ませんが教えてください」
「まあ! うふふ、そうね。ええ言うわね……」
アリッサムはくるりと用人に背を向けた。あの内容を真正面で伝えるのは、十八のアリッサムには恥ずかしい。
「……」
「……」
さすがの用人も、その内容にあんぐりと口を開ける。
「……ね、困りましたわ」
「そうですね。うーん、あの女王様は、そのですね」
用人は言い淀む。アリッサムは
『ん?』と用人を促した。
「創始様を、お慕いしておりますか?」
アリッサムは先程の用人のようにあんぐりした。
「ま、まあ。お慕いと言うか……グラジオラスを建国した尊敬できる方ですわ。統治……きっと私よりも経験を積んでおられます」
「女王様、そうではなく、男としてですよ。創始様はアリッサム様にとって、この世の一番の男ですか?」
アリッサムの答えはいいえだ。この世の一番の男はガロなのだから。
「いいえ」
はっきりと。
「ならば、そうですね。ここはガツンといきましょう!」
用人はニヤーリと笑った。
『リラは暫く預かりますわ』
用人は声色を使って発する。アリッサムはクスクスと笑う。
「そうね、シキで送りましょう。リラはちょっとお休みしてて」
アリッサムはリラを撫でる。用人は頷き、リラを玉座の横の止まり木に預けた。
「では、シキを送ります」
用人が下がる。
王間にまたアリッサムは一人で佇んだ。まだ、終わっていない。まだ、城は動いていない。アリッサムがすべきことは山積みである。
「……まずは、ギラね」
アリッサムは呟いた。
ーーコンコンーー
「入りなさい」
「失礼します」
ガロである。アリッサムは、すぐに視線を手と足に向けた。血は止まっているものの、手当てを受けていないその様にアリッサムは眉を寄せる。
「ガロ、すぐに手当てを」
「いえ、かすり傷です。お気になさらずに」
ガロの平坦な声に、アリッサムの体が熱くなる。自分だけがこんなにも……平静でいられないことに。ガロは自分と壁を作っていることに。ガロは……
『もう、私を……』
あの温もりを感じた日から、一年も過ぎた。ガロは、もう……いえ、今この時だけの温もりだったもの。ガロも私も、あの時の今ではいられないから。そんな想いにアリッサムは捕らわれた。アリッサムの瞳が変わる。ガロと同じく、平坦であろうと。私は女王であると。その変化にガロが気づかないわけがない。
「アリッサム様?」
「瑠璃を近衛に昇格します。ガロ、近衛隊長に任命します」
ガロは突然のアリッサムの変わりように驚く。
「外回廊へ行きます」
アリッサムは歩む。ガロは、その背を追う。アリッサムから感じるもの、それはガロが最もアリッサムに感じてほしくないもの。
『独りにしない』
そう誓っている。ガロはアリッサムから孤独を感じた。昨晩、ベールを巻いてくれたアリッサムと違う何かを。
「アリッサム様」
ガロは強めに呼び止める。アリッサムはピタリと歩を止めた。
「何かしら?」
振り向いたアリッサムは、ガロを見つめる。その瞳に色がない。感情がない。力を感じなかった。
「お疲れなのではないですか? 少しお休みになられては?」
このガロの発言もアリッサムの心を追い詰める。欲しいのは、そんな言葉ではない。ずっとこの日を待ち望んだのに……なぜ私は女王なのだろうと。アリッサムは泣いた。もちろん、心の中で。
『ガロにとって私は女王でしかない。これからずっと、ずっと……』
「女王様!」
と、そこに先程の用人が来る。腕にシキを連れて。アリッサムは笑んだ。逃げるようにアリッサムはガロから離れる。ガロに衝撃が走る。アリッサムの笑みである。自分に向けられない笑みが。
「文をお願い致します」
用人はアリッサムに紙と筆を渡した。アリッサムはクスクス笑いながら、用人と決めた文章を書き上げた。
「では」
用人はガロにも頭を下げる。アリッサムは用人を見送る。その背を見つめるガロの瞳には、激しい熱情が宿っていた。自分だけが知っていた瑠璃は、今や誰もが知り、目に出来る。
「……寒くはないですか?」
ガロは発した。本当はそうではない。それを誰にも見せたくない。そんな想いだ。
「……」
アリッサムは黙ったまま振り返る。
「行きましょう」
なんとか立っているのだ、アリッサムは。支えてほしくても、それを望めない。アリッサムはアリッサムを捨てたのだ。
女王であるために。
ルピナスであるために。
「大丈夫です」
独りで大丈夫。私は女王なのだから。そう、アリッサムは何度も自身を閉じ込めた。
ガロは身を切られる。アリッサムがガロを頼らない。独りにしないと誓ったはずであるのに。目の前のアリッサムは……
「アリッサム様」
ガロは思わず手を伸ばした。アリッサムはその手が触れる前に、ぽつりと溢す。
「アリッサムはいません」
ガロの手が止まる。
「私は女王です。アリッサムは……もうこの世にいないのです」
アリッサムは続ける。
「誰も、私がアリッサムであることを望まないもの!!」
アリッサムは吐き出した。そして、素早く歩む。ガロは呆然とその背を見ていた。アリッサムが離れていく。
『誰もアリッサムであることを望まない?』
ガロはガツンと頭を殴られたような感覚だ。
「リサ!!」
『情けないわ』
アリッサムは思う、情けないと。押し込めたものが簡単に溢れたことだ。ガロが自分を呼び止める声に、さらに恥ずかしさを感じた。あんなことを言われたら、ガロならそうするしかないだろう。『リサ』……自分がそう呼ばせたのだ。情けないと。アリッサムは、中途半端な自分を責めた。
「リサ!!」
再度ガロが発した。その手がアリッサムを掴む。アリッサムはまたも思ってしまう。望まないと思っていても、触れてほしい。触れてほしいと思っていても、それはこんな風に掴まれることじゃない。
『情けないわ、情けない……』
アリッサムは、自分の中にしか本心を話せなくなっていた。
「離しなさい」
振り返ったアリッサムは、ガロに強く発した。
「嫌です」
ガロも強く発する。
「……わかりました。ではこのまま行きましょう、外回廊へ。皆の前へ」
ガロの手がビクンと揺れた。アリッサムの腕がスッと抜ける。
『ほらね、無理でしょ』
アリッサムは笑んだ。哀しげなその笑顔にガロは息が止まった。
『そんな顔をさせたいんじゃないんだ、リサ』
ガロの手が再度アリッサムに向かうも、それをすり抜けアリッサムは外回廊に出た。
「女王様!」
瑠璃隊がアリッサムを囲んだ。アリッサムは笑顔を向ける。ガロはそれを眺める。
「瑠璃を近衛に昇格します。ガロが近衛隊長よ」
アリッサムは命じた。そして、振り返ってガロを促した。その顔は、女王である。ガロはグッと手を握りしめた。
「はっ、お受けいたします」
臣下である。ガロはさらに拳を強くする。
「よって、守りを解任します」
ガロはバッと顔を上げた。
「守りは……」
「守り人は必要ありません。私はこのルピナス城から一歩も城外に出ることはありません。一歩たりともです」
「ですが、城内であっても守りは必要です。近衛隊長は辞退いたします。このまま守りの任を、どうか」
ガロはアリッサムを見つめて言った。
「近衛も守りの役目も一緒です。だから、もう私の守りは私が女王である以上必要ないのです」
アリッサムは穏やかな顔で皆に向けて発する。ガロは納得しない。アリッサムが自分から離れようとしていると感じて。
「アリッサム様……」
「女王様、ネリア王が城門を出ました」
ガロの声と、用人の声が重なる。ガロは思い知るのだ、皆がアリッサムを女王と呼んでいることを。それが、アリッサムを追い込んでいる。ガロは唇を噛んだ。
「そう……。ネリアは新しく始まるわ」
アリッサムはネリア塔城壁門を見る。カズサの隊がネリアの廃王とネリアの廃王子を連れて、城門を出ていく。カズサらは、ネリアに行った後スオウらと共にグラジオラスに帰還する。そして、ブリアの宰相は……
「女王様、我々も帰還いたします」
「まあ、もう少しリアンナお母様とお過ごしになられては?」
「いいえ、昨晩の月夜で充分です。女王様、ありがとうございました」
宰相は深く頭を下げた。アリッサムはその想いを受け止める。
「後日、創始にシオンの後見をお願い致しますわ。ですから、ブリア王にもそのように」
「はい、お伝え致します。全てを……」
アリッサムと宰相は頷き合った。
「女王様、シオン様リアンナ様の準備が整いました」
また、用人が報告に来た。
「宰相、シオンとリアンナお母様がお見送りしますわ」
アリッサムは微笑んで宰相を見送った。外回廊は段々と人が減っていく。今、ガロは十人程の瑠璃隊……否近衛隊と共にアリッサムに控えている。用人も数人同じく。
「ネロはまだかしら」
アリッサムは呟いた。
「グラジオラスの遊軍と入れかえに、戻ってきましょう」
遠くネリアを望むガロの横顔を、アリッサムは優しく見つめる。
「ネロが帰還したら、しばらくゆっくり兄弟の時間を過ごしなさい」
アリッサムはそう命じて歩み出した。近衛が連なる。アリッサムは王間に進んだ。近衛の配備をガロは命じていく。まずは近衛から。それから、
「女王様、ラジール帰還しました」
王間にラジールが入ってくる。
「下流のネリア残兵は片付けましたか?」
「はい、一人も残さずダリア王に引き渡しましたぞ」
アリッサムはクスクスと笑った。この老将は、歳をとらないらしい。
「帰還してすぐですが、ラジール……ルピナスの全軍の編成を任せます。この戦で充分わかったはずよ、ルピナスを真に守った者たちが」
ラジールは精悍な顔付きで頷いた。
「ルピナス城に最後まで残ったは、城門兵と聞きました。まずは、彼らを引き上げます」
アリッサムはまず軍の掌握を進める。これなしには進まない。ラジールとガロと軍の編成を論じた。
そして、もうひとつ進めねばならないこと……ギラのことである。
「ガロ、ギラの所に行きます。近衛はいらないわ」
アリッサムはやっとギラの所に向かった。ガロも後を着いていく。しかし、アリッサムは、
「ガロ、もういいわ。ここからは狸らが来ますから」
妃塔、外通路。風が吹いた。アリッサムの髪が揺れる。その背には一凛。ガロは瑠璃を見ながら発した。
「……リサ、俺は君を独りにしないと誓った」
アリッサムは首を横に振る。
「リサはいません。アリッサムもいません。ガロ、その目に見えるでしょう、瑠璃が」
ガロの手が伸びる。指先が瑠璃に向かう。
「女王様」
狸である。井戸から頭を出した狸が、ひょっこと現れた。ガロはまたもその手を引く。ガロの越えられぬ一線。アリッサムもまた認識している一線は、何度も二人を隔てるのだ。
「ギラが起きましたぞ。……女王様? 泣いておられるのですか?」
狸はアリッサムの潤んだ瞳にそう発した。
ガロは引いた手に力を込めて再度伸ばした。狸の存在など気にしてはいられない。
「リサ、少し休もう。すまないが、ギラを妃塔に連れてきてくれ」
ガロはアリッサムを包み込むように抱き上げた。狸にそう言い放ち妃塔へ素早く入っていった。
「おぉ、やるのぉ」
狸はニタニタと笑ってまた井戸に入っていった。
アリッサムは声を殺して泣いた。
「リサ、無理をし過ぎだ。まだ時間はあるんだ、そんなに……女王を背負わないで」
ガロの声は優しく囁く。それでもアリッサムは首を横に振る。声を押し殺す。ガロから退こうと力を入れる。しかし、ガロはがっちりアリッサムを包み込んで動じない。
「リサ、もう独りの時間は終わったんだ。俺が居るよ、ずっとずっとリサの傍を離れない」
ガロはアリッサムを覗き込む。しかし、アリッサムは瞳を合わせようとしない。
「リサ、無理だから。リサがどんなに俺から逃げても、俺は変わらない。
俺が求めるのは、女王じゃない。
俺はリサしか求めていない。もし、リサがリサはもういないと言うなら、俺は生きてる意味がない」
ガロはギュッとアリッサムを抱きしめた。
「俺の腕にある温もりはリサじゃないのか?」
アリッサムの強ばった体と心が解かされていく。
「……ガロ」
アリッサムはそれしか発せられなかった。言葉は詰まる。発したくても、アリッサムはまだ十八の生娘であり、こんな時に何と言えばいいのかわからない。
「いいんだ、リサは何も言わなくても。頼ってくれ、リサでいてくれ、俺が望むのはただそれだけ」
アリッサムはゆっくりと顔を上げる。覗き込んでいるガロと視線が重なる。二人は赤面した。互いに慣れていないのだ。視線を合わせたものの、すぐに反らしたアリッサムは、ガロの左手にそれは向かった。
「て、手当てをさせて」
アリッサムはガロの左手を取る。
「あっ、ベールを汚してしまって」
ガロは懐からベールを取り出した。
「い、いいのよ。あっ……」
視線が少し重なる。アリッサムは俯く。ガロはむず痒くなり、視線をさ迷わせた。アリッサムは必死にガロの手当てをする。それに集中して。手持ちのハンカチがガロの左手に綺麗に巻かれた。それから、左足だ。
「ガロ、ちょっと待ってて」
アリッサムは包帯を取りに行こうと立ち上がる。
「駄目」
ガロはアリッサムの腰を引き寄せた。
「離れないと言った。リサ、一緒に行けばいいから」
アリッサムの頬は桃色に変わった。
「ぅん」
十八のアリッサムらしい返事を聞いて、ガロは晴れやかに笑んだ。
次話更新明日予定です。




