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瑠璃の女神一凛  作者: 桃巴


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アリッサムとガロ

「ガロ様、伝鳥は到着出来たでしょうか?」


 新任三名のうち、リーダー格の者ソラが不安そうに声に出す。ガロはニヤリと笑った。


「お前たちの伝鳥も、我らの伝鳥も全てイキシア王様が選りすぐった。全てが迷わず妃塔に赴くようにな」


 ソラはそう聞いても不安そうに空を眺めている。


「アリッサム様は、大丈夫でしょうか?」


 ソラの不安は、伝鳥ではない。アリッサムの生死だ。伝鳥がアリッサムの元に到着出来たならば、必ず戻ってくる。戻って来なければ、伝鳥はゴールのない旅を空で過ごすのだ。ガロはソラの不安を理解できる。ガロ自身も同じ不安がある。だが、


「信じている。ただそれだけだ。私は……瑠璃を知っている」


 噂だけがルピナスに蔓延していた。イキシア王の言葉だけが、その噂の元である。だが、それを裏付ける者はいない。アリッサムの背を知る者である。……見た者である。ソラは息が止まった。姫の背を知る……つまり、姫の背を見たということだ。


「あ、え?」


 ガロは首を横に振った。情けなく笑う。


「イキシア王様からな。この瑠璃隊を任された時に知らされたよ」


 ソラはどぎまぎと視線をさ迷わせ、微妙な笑みをガロに向ける。ソラは勘違いしたことを、上手く取り繕えない。ガロはポカッとソラの頭を叩き、


「見るわけないだろ?! バカめ」


 と言った。だが、ガロは……


『本当は見たんだがな』


 と心の中で呟く。


 ……


 ……




***




 一年前、あの外通路で命を受けた後、


「ガロ、一時のお別れね。お茶でも飲みましょう」


 と誘われた。ガロは久しぶりに妃塔のアリッサムの部屋に入った。幼い頃は、よくアリッサムと遊んだ妃塔である。ガロはアリッサムより十ほど歳が上である。幼い頃から城内にいた。ガロはアリッサムの守り人として、城に上がっていたのだ。アリッサムにとっては兄であり、ガロにとってはアリッサムは妹のような感覚であった。守護隊として、妃塔を護ってはいるが、アリッサムの部屋に入るのは稀である。


「ガロ、座って」


 だがガロは、アリッサムが座さなければ腰を落とさない。そんなガロをアリッサムは困ったように見つめる。


「ガロ、じゃあ窓を開けて」


 ガロは窓を開けた。


「ルル」


 アリッサムは空を気持ちよさげに翔ぶルルを呼ぶ。水平に手を動かし合図を送った。ルルは開けられた窓からすーっと部屋に入ってきた。姿見の横の止まり木にとまる。


 ーーホロホロォォーー


 喉を気持ちよさげに鳴らすホロ鳥はルルだけだ。


「父上のリラは何処に行ったのかしらね?」


 アリッサムはルルに餌を上げながら声にした。


「ホロ鳥は主が没すれば空に還ります。ずっとそうなのだと、イキシア王様も仰ってました」


「そうね、ホロ鳥は一人の主にしかつかないのよね」


 アリッサムは、窓の外を見る。


「リラは父上の急逝から姿を見ないわ。きっと空に還ったのね」


 今、部屋にはアリッサムとガロしかいない。アリッサムは気が緩んでいた。王の急逝、変わりゆく政局、自身の立場……瑠璃の存在、アリッサム自身が気をはっていなければ足元から崩れてしまいそうであった。


 だが、今は二人だけだ。気心のしれたガロだけである。アリッサムはヨロヨロと椅子に向かった。その様子に慌ててガロはアリッサムに手を伸ばす。ガロに支えられ、アリッサムは椅子に座った。


「アリッサム様、やはりお一人残してはいけません」


 ガロは椅子に座ったアリッサムの横で跪く。


「いいえ、私を守れば守るほど、犠牲が増えるのよ。守れば守るほど、私の存在は邪魔になる」


「ですが」


 ガロはもどかしかった。身が二つあればとも思う。


「ガロ、ルルをお願いね。後、侍女を連れて行ってほしいの」


「お待ちください! それでは本当にお一人になってしまいます!」


 ガロは反論した。守護隊だけでなく、侍女までもアリッサムは離そうとしている。


「ガロ、四人だけお願い。他の者は大丈夫だけど、私の身の回りの世話をしていた侍女二人と、湯殿の世話をしていた侍女二人はどうしてもよ」


 アリッサムはそう言って立ち上がった。


「すでに昨日命じたわ。妃塔の城下町に待機させているの」


 それだけで、ガロは何処であるかわかる。イキシア王から聞いていた『井戸小屋』であろうと。ガロの思慮が当たりであることは、アリッサムの次の言葉で確定する。


「今、安全な場所はそこだけだわ」


 ガロも気づいてはいるが、それでもアリッサムを一人にすることが不安でならない。


「ガロ、四人は唯一瑠璃を知っているのよ。命をすぐに奪われるわ」


 ガロはグッと手を握る。思っていた通りの答えだからだ。


「本当に、本当にお一人になってしまいます」


「ええ、そうよ。皆を逃がして一人になるのと、……犠牲を目の当たりにして一人になるのとでは……ガロ、お願い言わせないで」


 ガロはハッとする。小刻みに震えるアリッサムを思わず抱きしめた。


「ガロ……」


 ぽつりとか弱き声が、ガロをさらに熱くさせた。アリッサムの全てを包もうと、強く抱きしめる。


 ーーホロホロォォーー


 ルルは喉を鳴らす。ガロはバッと体を離した。ルルの鳴き声に、自分がしていることを認識させられた。


「も、申し訳ありません!」


 ガロは火照った体を、火照った顔を見られないように俯く。


「……」

「……」


 重くもなく、軽くもない空気が流れる。だが、無言の時は甘美な揺めきと胸を抉られるような、それでいて苦痛ではないそれであった。最初に声を出したのはアリッサムだ。


「湯殿の準備ってどうするのかしら?」


「へっ?」


 ガロは思ってもいないアリッサムの発言に、すっとんきょうな声を上げた。


「侍女がいないから、わからないのよね。フフッ」


「わ、私が準備しましょう!」


 ガロは直ぐ様立ち上がり、湯殿の部屋に向かう。今すぐこの部屋から逃げたかったのだ。バタバタと湯殿の部屋に入ったガロは、


「ハァー」


 と息を吐き出す。ため息ではない。息が止まっていたようだ。そして、自身の失態を思い出す。


「ハァー」


 今度は特大のため息だ。


「何をした? 俺は」


 真っ赤な顔を片手で覆い、へなりと体が下がった。


「……湯を用意しよう」




 アリッサムは部屋を出ていくガロの背を見つめる。その姿が見えなくなって、やっとアリッサムは息を吸い込んだ。


「ガロ」


 抱きしめられた体を、自身の手で触れる。まだガロの温もりが残っているようで、アリッサムの頬は上気した。


「馬鹿ね、期待しちゃった」


 言葉ではそんなことを言う。ガロが抱く想いはきっと自分が望むものではないと、アリッサムは考えている。


「私の伴侶はルピナスよ」


 瑠璃である宿命だから。


「瑠璃の肌など、愛でる方はいないものね」


 自虐的に言いながら、アリッサムは悲しげに笑んだ。


「……そうよ。瑠璃の肌だもの」


 アリッサムは思い立つ。


「アリッサム様、湯殿の準備が出来ました」


 ガロが戻ってきた。


「早いわね」


 侍女が湯の準備をするより、ガロがした方が早いのは男の力故である。


「はい、では私はこれで」


 ガロは下がろうとしたが、アリッサムが止める。


「ガロ、待って。湯殿はガロのためよ。入っていって」


「なっ! アリッサム様の湯殿に入るなど出来ません!」


 姫の湯殿に入るは伴侶のみである。ガロの胸は早鐘となった。


「……そう。じゃあ、湯殿の世話をお願いね」


 ガロにはアリッサムの言葉の意味がわからない。アリッサムは着ていたドレスをパサリと落とす。


「なっ、なっ、ア、アリッサム様!」


 ガロの動揺は無理もない。薄手の下衣を纏ったアリッサムの姿を見るわけにもいかず、ガロは跪く。視線を床に固定して。


「湯殿の世話をする侍女がいないから。……今は誰もいないから」


 そうである。アリッサムの侍女はいない。この妃塔には今、ぐるりと守護隊が囲んでいる。それも今日まで。侍女は、アリッサムの命ですでに城外に逃げている。それでもガロは、その甘美な誘惑に溺れはしない。ガロとはそういう男である。アリッサムは、ガロがそれに応じないことはわかってはいた。ただ、一目でもガロに瑠璃を見せたかった。否、ガロに揺らいでほしかったのだ。


『初めて見せる男は、ガロがいい』


 アリッサムの小さな願いである。


「上がるまで待っていて。皆にお別れを言いたいわ。まだ行かないでね」


 アリッサムは平静に言った。悲しみをガロに見破られたくない。本当に、侍女がいないから頼んだことだと、ガロに思ってもらいたい。アリッサムは気丈に振るまい、部屋の扉に向かう。ガロは跪き、俯いている。頬に流れる涙は見えないだろう。


「お茶飲んでね」


 一言言い残し、部屋を出た。隣室の湯殿に入ったアリッサムは、静かに頬を拭った。


 下衣のまま湯船に浸かる。


「今日の私はおかしいわ。きっと、私が私である最後の日よね。皆を見送ったら、私は瑠璃にならなきゃ」


 アリッサムは湯船の中で自分を抱きしめた。


「平気よ」




 ガロはアリッサムが湯殿に向かい、部屋を出た後でも、固まったまま跪いていた。頭がついていっていない。そんな状況である。隣室から、ちゃぷんと音が聞こえて、やっとガロは我にかえった。


「何故だ?」


 ガロはぽつりと言う。アリッサムがわからない。今日のアリッサムはガロにとって初めて見るアリッサムであった。フラフラと立ち上がり、椅子に向かった。テーブルにはアリッサムが淹れたお茶が置かれている。ガロは一口飲むと、先程の鮮明な映像が脳裏に溢れた。薄手の下衣を纏ったアリッサムを。一瞬だけだったが、ガロはアリッサムの姿を目に焼き付けていた。それほどに美しく、それほどに……


「女神だ」


 瑠璃を見たからではない。崇める女神の意味ではない。ガロの心底のアリッサムに対する想いである。無意識に出たその言葉に、ガロは自身の口を手で覆った。


「俺は……」


 ガロは両手で頭を覆い、項垂れた。時折水の揺れる音が微かに聞こえる。


「何故だ?」


 何に対しての問いか? 今日のアリッサムに感じた何か。ガロは大きく深呼吸した。ゆっくりと鮮明になる頭、意識。アリッサムの震えと、か弱き声。


「震えていた」


 だから、思わず抱きしめたのだ。胸をしめつける何か。いつものガロならば、押し込めたであろう。


 だが、


「お一人になる。震えていたではないか!」


 ガロは立ち上がり、衝動のままに隣室に駆けていった。


 ーーバタンッーー


「アリッサム様!」


「え? ィャッ」


 アリッサムは、突如現れたガロに動揺し背を向けた。


「……」

「……」


 ガロは止まってしまった。

 アリッサムもまた。


「女神」


 ガロは再度その言葉を口にする。それに反応するように、アリッサムはビクンと体が跳ねる。そして、その体は再度震え出す。


「醜いでしょ? 瑠璃の痣は」


 その声も震えていた。ガロの瞳にアリッサムの瑠璃が映っている。張りついた薄手の下衣に透けて。ガロはアリッサムの震えの意味をやっと理解した。


「今この時だけは、俺は俺です。守り人ではなく、守護隊の長ではありません」


 ガロは目を反らさない。アリッサムを瞳に焼き付けている。アリッサムはドクンと胸が波打った。ガロの口調が違うから。私ではなく、俺と言っている。


「一人の男です」


 ガロの声が真っ直ぐにアリッサムに向かう。


「アリッサム様は、俺の女神です」


 瑠璃があるからでない。一人の男が告げた一人の女に対するもの。だが、アリッサムは戸惑っている。瑠璃を背負って生きてきたから。ガロの言葉をどう捉えていいか、だから思いもしない言葉がでてしまうのだ。期待しない言葉を発してしまう。


「ガ、ロ……。女神としてルピナスを、……私は瑠璃だから?」


 と。しかし、アリッサムの心は求めている。


『ガロ、期待してもいいの?』


 と。ガロは、アリッサムから出た拒絶のような言葉も意に介さない。アリッサムの戸惑いもわかる。目を反らさずに見ているから。先程は気づかなかったことが見えるのだ。アリッサムの感じていることが。背を見て、女神と言っている。ルピナスを守る守護隊として、誰もが言うだろう、ルピナスの瑠璃の女神と。そう思うことで、この状況を納得しようとしていると、ガロは理解している。


 ガロはアリッサムの背負ってきた瑠璃が、いかにアリッサムをずっと一人にさせてきていたかを痛感した。ずっと、側にいながらわかっていなかったのだ。


 だから、


「俺の女神、一人の男として言ってるんだ!」


 湯殿にガロの声が響く。


 アリッサムの胸にその声は届く。ずっと望んでいた言葉だ。だが、それに上手く応えられない。簡単に触れてはいけないことだから。


「今この時だけです」


 ガロの声が優しく変化する。アリッサムの緊張で強ばっていた体が、ガロの優しい声色で少しだけ解かれた。小さく吐き出した息が湯船を揺らす。


「意味をわかっていますか?」


 ーーカツンーー


 ガロが一歩アリッサムに近づく。その音が再びアリッサムの体に緊張をもたらせた。


 ーーカツンーー


「求めているんです」


 ーーカツンーー


 ーーバシャーー


「ぁっ」


 ガロの逞しい左腕が、アリッサムを包んだ。


「一人の女として、答えてください」


 ガロの声は、アリッサムの耳元にある。


「私、だって瑠璃……だから、だって」

「何度でも言います。今この時だけです。そして、一人の男として俺は貴方を求めている」


 瑠璃はアリッサムの鎧である。決して剥がせぬ鎧であった。それは、ずっと背にあるものだから。その鎧をガロは剥がそうとしている。ガロはアリッサムを包んでいる左腕に力を込めた。


「ガ、ロ、服が濡れちゃってるわ」


 アリッサムはまた的をずらす。ガロはフッと息をもらした。その息がアリッサムの耳元を熱くする。


「ぁっ」


 もれた甘い声。


「リサ」


 ガロは幼い頃のアリッサムの愛称を口にした。


「……ガロ、ズルいわ」


 アリッサムの頬にまた一筋涙が伝う。体の強張りも、心の鎧も、幼い頃の呼び名が全てを包んだ。


「リサ、答えて」


 ーーチャプンーー


 ガロの濡れた服にアリッサムの指が絡む。……触れる。逞しいその左腕を。


「ガロ」


 続く言葉はない。その続きを、ガロの左腕に落とす。アリッサムは唇を落とした。ガロもそれに応じるように、アリッサムの首筋に唇を落とす。


 ……


 ……


 同時にそれから離れ、


 アリッサムはガロの左腕を離す。

 ガロはアリッサムから離れる。


 互いに無言のまま。


 ガロは隣室に戻った。

 アリッサムもまた、湯殿で時を過ごす。


 交わすことはしない。アリッサムもガロも、それを望んでいない。


『今この時だけ』


 それが答えだからだ。夢見る不確かな未来を、互いに求めなかった。


 隣室でガロはルルに語りかける。


「ルル、アリッサム様の蕾はとても綺麗だ。咲く姿を私は見れないだろうな」


 ーーホロォォーー


「私と辺境の地に行くぞ、ルル」


 ーーロォォーー


 ルルは何度も喉を鳴らしていた。


 それは一年前のこと。ガロが瑠璃を見た日。


 ……


 ……




***




「ガロ様! ガロ様! ……ガロ様?」


 ソラがガロを呼ぶ。ガロは瑠璃を見た日から、今(現実)に引き戻された。


「ホロ鳥です! ホロ鳥が戻ってきました!」


 ガロは空を見上げた。ルルが居る。アリッサムが生きている証拠であった。

次話更新明日予定です。

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