伝鳥
「お綺麗です」
侍女用人の瞳に映るアリッサム。白き肌に同化するように纏う白きドレスは、ただ一つの色を際立たせていた。
「フフッ、ドレスがね」
アリッサムは鏡を見ながら答えた。アリッサムにはその色が見えない。
「なにをおっしゃいまする? アリッサム様は、本当に本当にお綺麗です。……私は今まで生きてきて、はじめて綺麗だと思ったのです。今まで生きてきて、綺麗だと感じたことはありませんでした」
侍女は俯いた。
「ずっと、地を見て生きてきました」
忌み者は、顔を上げられない。異なるその瞳を隠すため。
「私もよ。私もずっと背を隠して生きてきました。でも、それも今日で終わりにするわ」
侍女は顔を上げた。アリッサムが微笑んでいる。
「だから、ね?」
アリッサムはあえて言葉のせずに促す。侍女の瞳が揺れる。大粒の涙がポロリと頬を伝った。
「は、い。私も……今日で終わりにします。下を見ず、前を……」
震える声は感極まって止まってしまった。しかしアリッサムはうんうんと頷き、侍女の言葉を待つ。
「前を見ます! アリッサム様の背となります!」
猫背であった侍女は胸をはった。
ーーホロホローー
と、その時窓の外で鳴き声。アリッサムも侍女も同時に窓に駆け寄った。侍女はバルコニーのそれを確認すると、
「ホロ鳥です! 伝鳥です! ルピナスの伝鳥です!」
と興奮し、窓を開けた。
「ルル?」
アリッサムは呼びかけた。
ーーホロホロォォーー
ホロ鳥は、一鳴きし喉を鳴らした。
「ルル!」
アリッサムは右腕を水平に上げた。その合図で、ホロ鳥は開けられた窓からスーッと飛行し、アリッサムの姿見にとまる。
伝鳥はルピナスで多く使われている伝達方法である。早馬を使うのは、命令を伝える時。伝鳥の種類は数十種にも及ぶ。特にホロ鳥は、王族のみが専用の特別な鳥であった。特徴はただ一つ。『ホロホロ』と鳴く。姿は等しくない。ルピナスの固有種で、毛の長さにそれぞれ差異がり、一見ホロ鳥とはわからない。……故に、ホロ鳥は一般にはそれと判断認識できない鳥なのである。伝鳥と、周りは判断できない、つまり使用する者にしかわからない。これが意味すること、それは……秘密利に伝達できるということだ。
さらに、アリッサムの伝鳥『ルル』は、瑠璃隊長ガロとの伝達のみである。そのルルが妃塔にいる。一年前、ガロに託したルルが。アリッサムは一年前、軟禁される前夜を思い出していた。
……
……
***
女は弓なりにした口角で言った。
「アリッサムの守護隊は解散とする!」
イキシア王逝去から一週間経った時である。いや、まだ一週間しか経っていない時である。
ガロの眉間が寄った。女は続けて言う。
「シオン王が新しく隊を編成する!」
女の口角は不気味なほどに上がっていた。王の命であるならば、異議を唱えることは出来ない。王の名の元に、女はイキシア王逝去一週間で、ルピナスの軍隊を手中におさめようとしていた。だが、ガロはあえて発言する。
「守護隊編成は、すでに二週間前に行ったばかりであります。亡きイキシア王様の肝いりの隊です。どうか、そのお心をお汲みいただきたい」
新任八名が守護隊に入ったのは、イキシア王逝去一週間前である。
「ほお? 新王のはじめての命に異議を唱えるとは、……ガロよ、相応の覚悟は出来ているのかえ?」
女は持っている扇子をパチンと鳴らした。そして、それをガロに向ける。
「王に反する者だ! ここから放り出せ!」
「なっ?!」
あまりの横暴に、ガロは女を思わず睨み付けた。女もガロを睨み付ける。そして、
「国境の鉱山」
女はそう言った。
辺境の地である国境の鉱山は、過酷な任務地である。主に、新人の入隊者が体力をつけに、体づくりに短期間任務に着く。
「お前の次の任務地だ」
女は愉しそうに告げる。
「王に反したのだ。新人から始めよ。そうよのお、守護隊は皆鉱山行きだ」
「喜んで行きましょう」
女はガロの悔しそうな顔を期待していたのだろう。だが、ガロは女にも負けないような愉快な声で応じた。
「なんだとぉ!!」
女の地声が響く。
「喜んで行きましょうと言ったのです。シオン王様の命であるならば」
ガロは、玉座にちょこんと座する幼き王に微笑んだ。シオン王もつられて笑う。だが、女はギロリと王を見て言った。
「王様、さあお命じください」
シオン王は、女の……母の形相に体が強ばる。
「あ、えっ……と」
女はそっと屈み、王と視線を合わせる。女は扇子を広げた。口元が消える。王に耳打ちしているであろう。ガロはそれでも怯んでいない。答えがわかっていようとも。女がスッと立ち上がる。
「た、隊をへん、編成する」
覚束ない幼い声が王間に流れた。女は勝ち誇ったように笑む。ガロも負けじと笑んだ。
王間の扉の前でアリッサムは聞いていた。女とガロのやり取りを。アリッサムはフゥと息を吐き出した。扉に手をかける。扉が開く音よりも、扉が開いたことにより間を照らす西陽がその来訪を告げる。
「アリッサム様」
ガロはサッと臣下の礼をとる。女はその様を歯噛みしながら見ていた。女にはしなかった臣下の礼を。
「ガロ、命じます。守護隊は三分隊に解散。十、十、八よ。西方鉱山、北東の谷、南西荒野それぞれ任務に着きなさい。シオン王様、よろしいですか?」
アリッサムは弟である王に微笑む。シオン王は、大好きな姉の発言に大きく頷いた。女がそれを阻む間もなく、
「ガロ、姉上に言う通りに」
と命じたのだった。
「はっ!」
ガロは女の命ではなく、アリッサムの命を受けたのだ。内容は同じでも大きな違いだ。女は歯軋りを隠せない。ギリギリと歪んだ顔は、一点を凝視している。アリッサムを。アリッサムは優雅に頭を下げた。
「シオン王様、では失礼致します。……お母様、では」
アリッサムは反転し、その場を去る。ガロを引き連れて。
無言で妃塔まで進む。アリッサムは外通路で足を止めた。顔を少し上げ、青空を眺める。空を気持ち良さそうに翔ぶ鳥。
「ガロ、ルルを連れていって。あの子はそのために居るんだもの」
アリッサムは振り返りガロを見る。ガロは真っ直ぐな瞳で声なく応える。
「守らざるは」
「守ること。ですよね」
アリッサムの言葉をガロは続けた。アリッサムは頷く。
「わからなかったわ。父上が言ったことがわからなかった。だけど、さっき痛感したの」
アリッサムは扉の向こうで聞いていたときに、イキシア王の言葉を思い出したのだ。
「父上が言った意味がわかったわ。ねえ、ガロ。守らないで、私を。だって、私は瑠璃よ」
ガロは黙して聞いている。
「母上は……」
止めた言葉の先を、アリッサムは噛み締める。もう一度空を見上げた。大きく息を吸い、フゥと力を抜いた。
「瑠璃の女神は私よ。母上ではないわ」
ガロは黙するのみ。アリッサムは『ルル』を呼んだ。井戸のふちにルルがとまる。
「ガロ、きっと動くわ。……だから、この機会を逃したくはないの」
アリッサムは語気を強めた。
「はっ、動くでしょう。ですが、どう動くか、それは」
ガロは王塔に視線を移す。
「ええ、そうね。だからよ、だから、あなたたちはここに居てはいけない。ここでは何も見えないわ」
ガロは顔を伏せる。苦悶が見受けられた。
「お一人で大丈夫ですか?」
ガロは問う。守護隊の解散は、アリッサムをこの城に一人残すことを意味するから。
「ええ、一人だから免れるのよ」
サァーと風が外通路を抜ける。その風にのせてアリッサムは言った。
「権力なき一人だから、死を免れるわ。力を失った私の存在があの方を際立たせる。あの方はそういう方よ」
と。
……
……
***
「アリッサム様?」
侍女はアリッサムに呼びかける。過去を思い出していたアリッサムに。アリッサムはフッと笑う。
「大丈夫よ。フフッ、嬉しくて固まってしまったわ。止まり木は何処にいったかしら?」
侍女にそう言いながら、アリッサムはルルの元へ。侍女は伝鳥専用の止まり木を探す。アリッサムの部屋は一年前と違って荒らされていたから。侍女は隣室へと続く扉を開ける。ガタゴトと探す音を聞きながら、アリッサムはルルの足首を隠す長い毛の中を探った。ルルの特徴は足首の長い毛だ。これのおかげで、ルルが運ぶ伝文は隠れている。
「アリッサム様、こちらですか?」
侍女は子供の背丈ほどの止まり木を担いできた。
ーーホロホロォォーー
代わりにルルが答えた。
「ルル」
アリッサムの横に立てられた止まり木に、ルルは移動した。
「この塔にある止まり木を全部この部屋に運んで」
侍女にそう命じた。部屋を出ていく侍女を確認しアリッサムは小さな文を開く。
『ご無事ですか?』
懐かしいガロの字に、アリッサムは思わず涙ぐむ。
「ええ、元気よ。ガロ、良かった……あなたも無事で」
アリッサムは感傷に浸る間もなく、いそいそと動く。机の引き出しを開けて、紙を取り出した。サラサラと書き、クルクルと文を丸めた。すぐにルルの元へ。
「ルル、時間がないわ。ガロに届けて」
ーーホロホロォォーー
ルルはパタパタと羽を動かした。アリッサムはルルの足首の菅に文を入れる。
「ルル」
ルルは飛び立った。侍女が戻ってきたときには、すでにルルは飛び立った後である。扉が開く。数人の用心が止まり木を担いでいる。
「あれ? ホロ鳥はどちらに?」
侍女は不思議そうに部屋を見渡した。
「もう空よ」
アリッサムの答えに侍女は驚く。
「時間がないの。皆、いいわね」
アリッサムの力強い声に、皆が気を引きしめた。皆の顔は地を見ていない。皆、アリッサムを。アリッサムの姿を見ていた。
「ここに、私の全てが届くのよ。私が知らなければならぬことの全てが」
止まり木が並べられた。それを確定するように、また鳴き声が聞こえた。
ーーキキィーー
シキ鳥の鳴き声だ。
「来たわ。お願いね」
アリッサムは用心に託す。
「はっ」
それに二人の用心が応えた。すでに全ての用心には、アリッサムから命が下されている。皆がアリッサムの身である。
「ネロを呼んできて。隣室に居ます」
侍女は頷き部屋を出た。アリッサムは隣室に移動する。
この時、ヒュウガたちは何処にいたか? 下り階段である。ちょうど用心二人が、アリッサムの命を宣言していた時である。
ガロたちはどうしていたか? 敵の動きを見張っていた。遅れて来た十名が加わり、二十名となっていた。
次話更新明日予定です。