審判せよ勇者
全体重を預けてその胸に突き刺した聖剣を、後ろにたたらを踏みながらずるりと引き抜く。
項垂れ、肩で息をしながら、長年の宿敵の顔を目だけで見上げた。その巨躯は、ゆっくりと後ろに倒れていく。
「はぁ、はぁ、はぁ…っ!」
「我の……、負けか………。」
極めて人間に近い姿をしたその人間の敵は、何故か不敵な笑みを浮かべてそれだけを呟き、そのまま後ろに倒れて事切れた。
俺は満身創痍の身体で膝をつき、ガタガタと震える腕では支えにならず、ついにはその場にうつ伏せで倒れてしまう。
…俺は勇者で、この男は魔王。
今、全ての戦いに決着がつき、お互いに力尽きた瞬間だった。俺の命も、燃え尽きたのだ。
『……勇者。勇者よ。』
もう戦わなくていい。もう、何もしなくていい。
もう、誰も失わなくていい。もう、誰とも別れなくていい。
『勇者よ。聞こえていますね…?』
もういい。もう、全て終わりだ。俺はようやく、女神に選ばれた者としての重圧と、長かった旅から解放されるのだ。
『残念ですがそうではありません…。…あなたには、まだ役目が残っています。 あなたは再び世界を見て回り、どれが人でどれが畜生か、見定めねばなりません。』
…この穏やかな淑女のフリをした悪魔の声は、何を言っているんだ?
かつて無力だった俺の命の危機につけこんで、否応無しに勇者の役目と力を押しつけてきた悪魔は、まだ俺に何かをさせるつもりなのか…?
『申し訳ありませんが…そうなります。 今から聖剣の更なる力、“審判”を解放します。審判の力を以て、あなたが世界に審判を下すのです。』
審判………?
『剣をかざして相手に告げるのです。人として生きるか、畜生として生きるか、生きる価値が無いか。あなたがそれをした生物は種、そのものがその通りの審判を受け、全ての生物間において見方や扱いが変わってきます。 魔王率いる魔族も、かつて先代の勇者に魔族畜生なりと審判を下されたが為に、人々と争わざるを得なくなってしまいました。 ちなみに、あなたが下した審判は、あなたによって覆すことはできません。 よく考えて、審判を下してください。』
…息を思いっきり吸い、鼻で大きなため息をつく。
まだ何かをさせるつもりなのかと思えば、よりにもよってそんな事ときたか。
女神よ、あんたは何故俺にそんなことを強いる?
何故自分じゃなく、俺みたいな人間ごときに、そんな役目を押しつける?
神なんだろう?世界の全てが見えているんだろう?
なら、あんたが自分で、自分の判断で公平にやってみればいい。
俺には無理だ…必ず過ちを犯してしまう。
『…あなたは、今や神なのです。審判の力を覚醒させた聖剣は、その役目を終えた時、“世界”の力を覚醒させ、あなたを世界と一体化させます。 その時剣は再び封印され、次はあなたが剣を司る神となるのです。』
答えになってないし、意味がわからない。
まず俺が神というのが意味不明で、結局何故あんたがやらないのかも伝わってこなかった。
『…魔王は、堕ちた神なのです。魔族をあまりにも不憫に思った彼は、受肉して魔王となり、魔族を守る為に戦う決意をしました。 本来勇者は聖剣が世界の力に覚醒した後に神となりますが、神殺しを成し遂げたあなたはその時点で魔王の力を継承し、神と化しているのです。 そして、魔族畜生なりという審判を下した先代勇者…それこそ、この私。私にはもう、何かに審判を下す資格など無いのです……。』
…愕然とした。心にボディーブロウを打ち込まれた気分になった。
今までどこか他人事みたいに俺に忠告だけをしてきた女神も、今までさながら自分は正しいかの如く人間を虐殺してきた魔王も、どっちも本当なら根本的に間違ってた事になる。
女神はあくまで俺に尻拭いをさせてただけで、魔王も神でありながら神の力で決められた決め事に私心で逆らい、わざわざ人間相手に殺戮を行っていた。
どっちも馬鹿だ。ただの大馬鹿じゃないか。
『本当に、申し訳ありません…。…ですが、私には他に術が無かったのです。 どのみち私の下した審判は、私には覆せないものでした…。』
うるせえ。
俺は15歳で勇者になってから、今までずっと戦い続けてきた。
人を殺す魔族は悪い奴だから殺してもいい、なんていう糞みたいな戦いを、迷いを振り払って何度も繰り返してきたんだ。
でも田舎町で暮らす15歳なんて、本当だったら程々に魔物の脅威に怯えながら、それでも呑気に畑仕事でもやって毎日を過ごすもんなんだ。
友達や好きな幼馴染みと他愛ない話をしたり、暇な日には馬に乗って遠くの景色を眺めに行ったり。
そんな、子供でも大人でもないから過ごせる大切な時間を、勇者という役目は根こそぎ奪っていった。
ずっとずっと、心のどこかであの日に戻りたいと思いながら戦ってきた。
でももう俺は、絶対にあの日には戻れないんだよ。
俺が居なくても世界はまわる。続いていく。
何故なら俺は、もう俺じゃなく、勇者という世界の仕組みの一部だから。
村の幼馴染みは、もう人として、俺の友達と結婚したそうだ。
俺は今日の今日まで、勇者としてただ戦うだけの日々を過ごしてきた。
その旅で出会った仲間は、今もそこでぐったりと横たわったまま、もう二度と動かないのがわかっている。
「…全部あんた達のせいだ。そもそもこの小さくて不安定な世界に、神なんていうどうしようもないものが介入するから悪いんだ。 だから一気に全てのバランスが崩れて、こんな風に世界は死と悲しみで満ちてしまう。 …あんたらがしてるのはな、子供が蟻の巣に悪戯をするようなもんだよ…。本人は大した悪気も無くちょっとしたことをしてるだけのつもりでも、蟻からすればそれは無茶苦茶大きくて、大迷惑を被る大惨事なんだよ…ッ。 …だから。」
俺は傷だらけの身体でゆっくりと、なんとか立ち上がり、小さな空を仰ぐ。とは言え、そこに見えるのは石の天井だけだ。
空も、果てはその向こうにあるという神の国の片鱗さえも、この瞳では見ることがかなわない。
むなしさに顔を歪め、聖剣をこの胸に突き立てる。
「…“神族死すべし”。」
恨みったらしくそう呟いた瞬間、俺の意識は途絶えた。
………
……
…
森も、国も、海も、空も。…遠くで全てが見渡せる、高くて大きな崖がある。
「…はぁ。」
俺はその先であぐらをかき、地面に突き立てた聖剣に頭をゴツンとぶつけ、そのまま項垂れた。
結局神の被造物の能力では神は殺せないということで、俺も、女神も、神は誰一人として死にはしなかった。
ただそれでも俺の願いは大いなる創造神に届いたらしく、俺は今後も、あくまで神ではなく勇者として、この人の世界に居続けられることになった。
ちなみに聖剣には審判の力も残っているが、それを無理強いされることはもう無い。
ただ、今後一切の神から世界への介入を無くす代わりに、その責任を取るようにとは言われてしまった。
その責任の一部が、これなのだ。
「勇者、いつまでそんな古くさい格好をしているのですか? そんなのもう、何千年も昔のぱっしょん、ですよ!」
「ファッションな。」
自慢げに話していたかと思えば、恥ずかしそうに顔を赤くしてうつ向く少女。
これが、幼馴染みが結婚したと不満を漏らした俺に嫌みのようにあてがわれた、生涯の相棒である。
これでも昔は女神として何百年も世界を見守り続けていた崇高な存在なのだが、今やその神々しさの名残は微塵も感じられない。
ただのブレザータイプの制服を着た、あざといアニメキャラだ。
「なぁ、俺もうそろそろ死にたいんだけど?」
「またそれですかー?駄目ですよ勇者、言い出しっぺはあなたなんですから。」
「言い出しっぺって…。」
「神なんかが介入するから世界のバランスは崩れてしまう。そう言ったのはあなたでしょう? 故に神は世界に対する一切の介入をやめ、私達肉を持つ神に神ではなく超人として、世界の監視とバランスの調停を託した。違いますか?」
「違う違う。大間違いだ。俺はそんなことしたいだなんて言ってない。」
「言ってなくても同じです。それに、この役目だって捨てたものじゃないでしょう?」
スカートの裾をつまみ、くるりと一回転する女神。俺は冷ややかな目でその様子を眺めてやった。
「…お前はそうだろうな。このコスプレマニアめ。」
「に、似合いませんか…?」
「ん?いや………まぁ、似合う…かな?」
「もう、かなってなんですか、かなって! …あ!」
頬を赤くしつつ、照れ隠しのように怒る女神。ふと何かに気づいたかのように、ハッとして俺の事を見てくる。
「ゆ、勇者、また争いが起きています!」
「はぁ……なんかもう本当に嫌になってきた…。最近一日に起きる争いの数、昔の倍くらいに増えてねえか…?」
「まあまあ、そんなことは言わずに! ね?」
「…わかってるって。ん。」
伸ばされた女神の手を握ると、一瞬で居場所が変わった。
やって来たのは、スーツ姿の各国の老人が、円卓に腰かける緊張感のある部屋。
どうやら熱い議論をかわしている最中のようだったが、部屋のど真ん中にあぐらをかいた俺と侍女のように立つ女神が現れるなり、皆呆気に取られて言葉に詰まってしまった。
「あー…ハロー皆さん、勇者です。で、今日の争いは何が原因かな? 俺が公平に、審判を下しますよっと。」
これが俺が神によって負わされている責任、その真髄だ。
争いあるところに介入し、公平に審判をくだす。
審判を聞き届けられなければ、武力を以て武力を制す。
今じゃ子育て中の親さえも、“喧嘩するならよそでやれ”じゃなく、“喧嘩してると勇者が来るよ”が決まり文句になりつつある。
今やこの世界は、そんな風になりましたとさ。あぁ、めんどいめんどい。
楽しく書けました。
構想公正無しなので見苦しいかもしれません。
楽しんでいただけたら幸いです。