地獄
真赤に加熱した地面は暑く、冷やしを求め蒼黒の炎に触れれば凍てつくような激痛と零度が体を襲う。
何千何万何億の人が地を履い、肉がある者がいれば皮が焼け爛れ無い者もいる。皮も肉もも燃え尽き臓器と骨だけになれど、そこにいる者達は焼かれる痛みと凍てつく痛さに断末魔の叫びを上げ続けていた。
「ここは……地獄みてえだ」
人はそう呼ぶ。
善人は天へ召され、悪人は地獄へ落ちる。
ここにいる者達全員が悪人だとすれば、この地獄で味わう悲痛は罪滅ぼしなのだろうか。
リュウトは真赤な大地に突っ伏してはいるが、熱さも痛みも無く、耳を貫くような叫びにゆっくりと目を開けた。
「ここが地獄だとしたら、俺は死んだのか」
痛みに悶え死に、倒れる骸骨。
すると骨だけの体に肉が再生していき、生前の姿を取り戻す金髪の青年。
体を取り戻した彼が瞼を開くと、絶望の表情を見せ発狂し、目は泳ぎ体を捩り、地に触れる足から煙が上がり始める。
「うわあああ! 終わったんじゃ無いのかあああ! 痛い! いたいいたいいたいいたい! イ゛ダイ゛!」
目を疑った。これは幻か何かだと。
ここにいる者達は死んでも尚痛みに生き返るのだ。
痛みに耐えれど地獄。死んで生き返れど地獄。
今までに無い恐怖に体が震える。
「ハアアァァァ……」
冷たい音が近寄って来る。
地面に反響して右からも左からも、後ろや前からも。
深く冷たい吐息が時折聞こえる度に、体の隅々にまで悪寒が走り、電撃の様な痛みが襲う。
膝を落とし地面に手を突き体の震えを抑えようとするが、すればする程に震えは止まらない。
そして視界の上の方に見えた、黒く尖った爪を生やした赤い足の甲。
「だ、誰だ」
その足からゆっくりと視線を上に向ける。
腰から足首まではハリの様に硬く鋭い棘毛を生やし、筋肉質な体は真紅の体色で、口元には二本の牙を見せ、サメの様に冷酷な黒い眼で睨みつけ、皮膚を突き破る二本の角を持ち、棘の様な髪が腰まで伸びていた。
「お前は……鬼」
その姿はまさにリュウトがライムを助ける時に変化して見せた鬼の姿。
膝を伸ばして体を起こし、鬼の眼を見つめるリュウト。
その目からは何も感じられない。感情どころか生気すら無い。
「ここは、お前の世界か」
「………………イカレ」
「なっ……!」
鬼が言葉を発した瞬間だった。
心臓を突き刺す感覚が全身を支配し、視界が二重にも三重にも不安定に揺らぎ始める。
「ニクメ………………」
「どういう……意味だ!」
体の力が抜けて再び地面に倒れこむ。
地面から熱が伝わり、皮膚が焼ける匂いが鼻を突く。
「オレノ……チカラ……コンナモノジャナイ」
今までは感じられなかった痛みが全身を襲い、声出すことすらままならない程の疲労感が意識を遠ざけていった。
薄っすらと開けた目から見える忍び寄る鬼の手。
その手はリュウトの体を突き抜け体内に入ると、心臓の鼓動に合わせ手を伸縮させ、心臓が膨らみきった時……握り潰した。
--キサマヲコロシテ トリモドス--
もう痛みは感じない。
体の体温が下がる感覚だけが脳を埋める。
目を閉じて、真っ暗な世界へと体を放り投げる。
上がりもしない、落ちもしない、無の世界。
完全に死んだのだと、心の底からそう思った時だった。
「……ひかり?」
上も下も分からない無の世界で、リュウトの体を照らす青黒い光が差込む。
自分では動かすことが出来ない体を、その光の引力に吸い寄せられる。
近づけば近づくほどに伝わる光の温度。
それはとても冷たいが、無の世界には無い温度に温かさを感じる。
--リュウト
誰かの呼ぶ声に耳を澄まし、もう少しで届きそうな距離まで光に近づく。
何度も目を擦った。
光の中から伸びる黒い影の様な手は、リュウトの手を待ってるかの様だった。
恐る恐るだが、自分の腕を必死に伸ばした。
動かなかったはずの体が、差し伸べられた手を掴もうとした時だけは言うことを聞いた。
震えながら、痛みながら、恐れながらもひたすらに手を伸ばす。
もう少しで指先が触れる、そう思った時、伸ばされた手の黒い影は消え、真紅の腕が爪を立てながらリュウトの腕を掴み、光の中へ引きずり込んだ。
※
「リュウト!」
ライムの声がする。
その声に目を覚ませば、目の前は真っ黒に燃え盛る炎の中。
ミラールの放った地獄の業火に体を包まれ、地面に触れていた。
だがその炎は広がる事も爆発する事も無く、地面に触れながらも地を無傷のまま保っている。
リュウトは悟った、
「俺がいればこの炎は広がらねえ」
リュウトを中心に燃え盛る炎は離れようとはしない。それどころか、体内へ入り込もうとしているのが分かる。試しに口を開ければ炎が流れ込み、体の中を凍てつく痛みが襲う。だがその痛みは苦では無く、快楽に似た力がみなぎる幸福感を与えた。
「リュウト!」
「………………ヤマグチリュウト……カ」
普段のリュウトからは想像出来ない、低く嗄れた声はその場にいる誰もの耳に届いた。
そして、炎の中に見えるリュウトの影が姿を変えていく。
まるで蛹の皮を破り蝶が羽を広げる様に……そんな美しいものでは無い。
皮膚を破り、肉を割き、人の形を無理矢理引き裂く内側から現れし者、鬼。
「あれがあいつの力か! 笑えるぜ、ヤマグチリュウト。俺にその力をもっと見せろ!」
リュウトに覚えた高揚感はまさにこれだと言わんばかりに、込み上げる笑いを高らかに響かせながら鬼の力に心躍らせるのはジャバー・ウォッグだ。
その姿をはっきりと目にするのはライム以外の全員。東洋の悪魔と呼ばれるその存在の姿すら想像出来なかったが、目の前にすればどの悪魔よりも一段と異質。
人の形を成さない悪魔が殆どだが、鬼の姿は人に近く、人に近いが人では非ず、それはまるで人の闇の部分だけを投影した姿に見えた。
鬼は空気を揺らす低い声で叫び、顎の骨を外し大きく口を開くと周りを取り囲む炎を飲み込み始めた。その勢いは凄まじい速さで、目に見えて火球は小さくなっていくのが分かる。
その光景を眺める者の中にリュウトを案ずる者などいない。信じられない光景に目を奪われ、理解出来ずにただただ見ているだけ。
脳がついていかない。目から入る情報を脳が処理しきれない。
やがて炎は全て吸い取られ跡形も無くなった。そこに見えるのは恐怖を煽る鬼の背中。炎が消えたことにより登り始めた太陽が顔を出し、差し込める太陽光が鮮明にその姿を写した。
皆が誰かの反応を待つ。しかし誰も声を上げぬゆえ沈黙の時間が流れる。
声を出せる者なんていなかった。敵か味方か、それよりもリュウトなのか悪魔なのか、はたまた理性も知性の欠片もないバケモノか。
「リュウ……ト」
ライムだけはその姿を見た事がある。
自分を助け、身を案じる様に触れられた手は、荒くも優しく暖かかった事を覚えていた。
足音も出ないゆっくりとした足取りで、一歩、また一歩と近づく。
手を伸ばしながら、リュウトの名を呼びながら、ゆっくりと静かに距離を縮める。
「……リュウト」
名前を呼びながら伸ばした手の指先が鬼の背中に触れる。
恐怖は隠せないが信用していた。きっと呼び掛けに答えてくれると……だがそれは都合の良い考えだった。
触れた指を拒絶する極低体温の体。指に痛みを感じ見ると、凍りついた皮膚が崩れ、血が流れる。そして流れる血よりも早く涙を流し、ライムは絶望した。
呼んでも答えず触れる事も許さないそれは、もうリュウトでは無い。
悲しく、儚く、無情な涙は止まらなかった。




