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9/22

さよならローリス


★★★


 リーネがローリスを去る日が近づいてきた。いよいよ打ち上げロケットの組み立てが始まるのだ。

 ロケットを組み立てる間はミレニアムで暮らすことは出来ない。リーネとヤマトはその間空港のホテルへと居を移す事となった。

「リーネ支度は出来たか?」

「はい。」

「忘れ物があってもしばらくはとりに来られないからな。」

「大丈夫です。」

「じゃあ行くぞ。」

「はい。アントニオさんお留守番お願いします。」

「うん。いってらっしゃい。」


 リーネとヤマトがホテルに居を移したその日からロケットの組み立て作業が始まった。ロケットの組み立ては最上段から行われる。そして最も上になるのがミレニアムである。今まで空港の駐機場に横たわっていたミレニアムの涙滴型の船体が組み立て棟に運ばれる。組み立て棟の中で船体が縦に吊り下げられると、それを挟み込むように三段目のロケットが接続される。

 三段目のロケットは四本の円筒で構成されている。各円筒は燃料を補充する前の質量は約十四.二トン、四つ合わせても五六.八トンほどである。これに燃料を充填すると一つあたり約二百八十四トン、合計で千百四十トン弱となる。ロケットの質量のほとんどは燃料なのだ。したがって燃料を充填する前のロケットは非常に軽く、船舶などに比べると組み立てに使うクレーンは見た目の割に大きな力を必要としていない。

 三段目の組み立てが終わると二段目の組み立てが始まる。二段目は三段目に比べて遥かに大きな円筒である。その直径はミレニアムの横幅を軽く超え、長さもロケットの全長の三分の一を占めるほどだ。それでも燃料の充填されていないロケットは軽く二段目の質量は三百八十八トンほどである。しかしミレニアムの質量が二百トンであることを考えると大きさの割に異常に軽いとも言える。

 二段目を取り付けた時点でロケットの高さはすでに百メートルを超えている。高さが百メートルを超える建物はローリスでは高層建築として取り扱われる。ロケットとはいえ法律上は高層建築の仲間入りである。しかしそれでもまだロケットの全高の半分にも満たないのだ。

 二段目の組み立てが終わると一番大きな一段目の組み立てになる。その巨大な円筒は単段でも高さが百メートルを超え、その直径ですらミレニアムの全長よりも大きいのである。質量はおおよそ二千六百五十トン。その一段目と二段目以降とが組み合わさったときロケットの姿は完成した。燃料の充填前ですら質量約三千三百トン燃料を充填すれば六万五千トンになる白い巨塔である。


 ロケットの組み立てが終わったと聞き、リーネとヤマトは組み立て棟に出向いていた。組み立て棟はスティラ市の市街から一番離れた空港の南部にあるロケットの打ち上げ場所、通称南部射場に隣接している。同じ空港内でもホテルからはかなりはなれているが地下鉄で結ばれているため移動は簡単だった。

 南部射場最寄りの駅へ着くと駅まで職員が迎えに来てくれていた。職員の顔はリーネも見た事があった。以前SSDCで担当していた職員だ。

「ようこそいらっしゃいました。」

 職員は笑顔を浮かべながら二人に歩み寄ってくる。

「今日はよろしくお願いします。」

 ヤマトもなれた様子で挨拶を返している。

「よ、よろしくお願いします。」

 リーネも少し遅れて職員に挨拶をしたが少し声が上ずってしまった。

「組み立て棟は近くですので歩きましょう。」

 そういって職員は二人を促すと先立って歩き出した。

「これから向かう組み立て棟は我がSSDC自慢の設備です。南部射場から打ち上げられる船のほとんどはここで組み立てられています。」

 組み立て棟へ向かう道すがら職員は説明をはじめた。

「以前の設備では高さ二百三十メートル、重さにして四万七千トンを超えるロケットの建造は出来ませんでした。しかし、それだと星系外取引を行う際に不都合が生じました。実際前回のSNSとの取引の時は今回打ち上げるミレニアムより大きかったためその建造能力を超えてしまいました。打ち上げの際には三機のロケットを束ねるという苦肉の策をとったようです。それに対し十八公転前に建造された現在の組み立て棟では高さは最大三百二十メートル、重さにすると十二万トンクラスのロケットまで建造可能です。十二万トンクラスのロケットなら低軌道へのペイロードなら約五百トンありますのでほとんどの星間船に対応できます。もっとも現在まで高さ三百メートルを超えるロケットは建造されて居ません。今回のロケットがこの組み立て棟で作られた最大のロケットとなります。」

 説明を続ける職員はどこか誇らしげだ。よほどこの設備が自慢なのだろう。

 リーネも組み立て棟はテレビで見た事があるし、遠くから見た事もある。しかし実際に入るのはやはり初めてだった。

 組み立て棟に近づくとその大きさがよく分かる。三百メートルを超えるロケットを作るその建物は当然の事ながら高さはそれを超える。また横幅もかなりありずんぐりとした形状をしているうえに窓もほとんど無い。そのため高い建物というよりそれ自体が大きな宇宙船のようにも思えて来る。

 セキュリティチェックを済ませて内部へ入るとそこは巨大な吹き抜けとなっていて中央に白く輝くロケットの本体があった。建物よりは小さいとは言えそれは一目で見渡せないほど大きく、横で作業している工員達が小さな虫の─砂糖にたかる蟻がもっとも似ている─ようにすら見える。

「すごい。」

 圧倒的な存在感の前にリーネは思わず声を上げた。

「これはローリス史上最大のロケットです。正式名称はSNSを打ち上げるロケットの三番目と言う意味で、SNS-Ⅲ型となっていますが、工員達は船長の名をとってヤマト型と呼んでいるようです。」

 職員はどこか自慢げで、その様子を隠そうともせずにロケットの名を告げた。

「これほどの大きさの打ち上げ機は初めて見ますね。」

 ヤマトも感心した様子でリーネと同様にその巨体を見上げている。そんな二人を見ながら職員は満足そうに頷いていた。


 二人がロケットの見学を終えてしばらくして打ち上げの日付がやってきた。

 ロケットの燃料は液化水素と液化酸素の古典的な化学燃料である。ローリスでは大気圏内─法律上高度三百キロ以下を指す─で使われる燃料には制限が多い。車を始めとして飛行機やロケットなどの乗り物に二酸化炭素を排出する炭素燃料や放射性廃棄物が出る核燃料、危険度の高い反物質燃料を使うことは法律で禁止されている。

 このような制限はローリスに限らずテラフォーミングされている多くの星で適用される。放射性廃棄物をばら撒く核推進は生体に多大な問題があるため大気圏内の使用は通常行われない。また、反物質を使った対消滅推進もガンマ線やエックス線といった高いエネルギーの電磁波が発生するため生活圏内で使うのは危険である。なお、ミレニアムの主推進機関である電磁気推進は原理的に大気圏内での利用は不可能だ。したがってマスドライバーや軌道エレベーターといった軌道投入施設が無い星で軌道上に宇宙船を送り込むためには化学燃料を使ったロケットが一般的になるのだ。ただし炭素燃料にまで制限が加えられているローリスはやや特殊である。

 その日は朝─活動日で朝であり日が出ていないので夜でもある─から風も無く、空を見渡しても雲ひとつ無く晴れ上がり星がまたたいている。衛星のラオこそ朔となって見えないが絶好の打ち上げ日和と言えた。

 前日の内に組み立て棟から射場へ引き出されたロケットには、日暮れと同時に六万トンを超える燃料が十数時間をかけて注入されている。その表面には燃料の冷気で水蒸気が氷結し白い湯気が照明を受けて渦巻いているのが見える。

「準備は良いか?」

 ヤマトがリーネに確認を取る。

「はい。」

 リーネが返事を返すとヤマトは一度頷きミレニアムのハッチへと続くエレベーターに乗り込んだ。リーネもすぐに続いて乗り込む。

 二人が乗り込んだのを職員が確認すると扉が閉じられエレベーターが動き出した。普段はタラップで自由に出入りできたミレニアムのハッチも今は地面から二百メートル以上の位置にある。

 エレベーターが動き出して約一分その動きが止まりミレニアムのハッチに横付けされた。ハッチへ続く通路は手すりがあるものの吹き抜けだ。地上では無風だったがこの高さになると少し風があるようでリーネの髪が少しゆれる。

 リーネは手摺から顔を出して下を覗いてみた。二百メートルを超える高さであるが下を見てもあまりの高さに現実感が無い。

 射場の北、遠くに見える空港の建物の屋上は見物人たちが詰め掛けてごった返していた。リーネは前日の内に親しい人達との最後の別れを済ませていたが、見物人達の中に混じって叔母─熱狂的仕事原理主義者の叔父は例によって仕事にいっているらしい─や友達も居るはずである。

「見送りの人たちに手でも振ってやれ。」

「ここからで見えますかね?」

 照明に照らされているとは言え今は暗い夜だ。遠くにいる見送りの人たちには見えないだろう。

「目で見えなくてもカメラが捕らえてくれるさ。」

 なるほど、ヤマトの言うことももっともだ。きっと今の様子はテレビで中継されているだろう。それならどこかから望遠レンズで二人の様子を写しているはずである。

 リーネは見物人が居る方向へ手を振ると一拍開いて大きな歓声が響いてきた。見物人達は何らかの方法でテレビの中継も見ているようだ。

 ひとしきり手を振りハッチの前に立つ。

「あれ?」

「どうした?」

「いえ。そう言えば普段空港にあった時は横向きでしたよね。」

「ああ。」

「今縦になってますけど中は大丈夫なんですか?」

「大丈夫だ。まあ見ればわかる。」

 そう言うとヤマトはハッチを開く。

 見慣れたエアロック区画は九十度回転し壁に置かれたメディカルマシンは床に置かれたようになっている。船尾へ続く扉も床にある状態だ。

 少し戸惑っているリーネを置いてヤマトは床にある扉を開くとそのまま降りていってしまった。

 リーネがあわてて扉を覗きこむと天井にあった等間隔のパイプを伝って操舵室に入るヤマトの姿が見えた。どうやら天井のパイプはこういうときのための梯子だったようだ。

 ヤマトが操舵室に入ったのを見届けてリーネも梯子を降り操舵室へ向かう。

「リーネもお帰りなさい。」

 リーネが操舵室に入るとアントニオが声をかけてくる。

「ただいまです。ってあれ?」

「どうしたのかな?」

「いえ。船が縦向きになったのになんでこの部屋はいつもの向きなのかなと思いまして。」

 今はミレニアムがロケットに接続され地面に対して縦になった状態だ。現にエアロック区画や廊下は縦になっていた。しかし操舵室はいつもと変わらず床が下にある。

「うん。それはね、操舵室と居室、共用区画は乗員が主に居る場所だね。だから加速度がX軸とZ軸、つまり前後と上下の方向ならどの向きに変わっても対応出来るように部屋全体が回転するドラム式になっているんだ。」

「へー。」

 リーネとアントニオが話している間にヤマトは主操縦士席及び副操縦士席の背もたれを倒しフットレストを持ち上げて寝台のような状態に変えていた。

「何をしてるんですか?」

「ああ。これか?」

「はい。」

「今回の打ち上げは加速度が高くなるから耐G姿勢をとるようにしているんだ。」

 リーネの質問にヤマトではなくアントニオが答える。

「耐G姿勢?」

「加速度が大きくなると立ったままや座った状態だと足元に血液が集まってしまうんだ。そうすると脳に血液がいかなくなってしまいリーネが気絶してしまうよ。だからそうならないように最初から横になった姿勢をとるんだ。」

「そうなんですか。」

 そんな事があるとはリーネは知らなかった。

「まあ、そう言うわけだ。リーネはこっちを使ってくれ。」

 ヤマトはリーネに副操縦士席に乗るように促す。

 リーネが副操縦士席に横たわると背面からシートベルトを引っ張り出しリーネの体を席の上に固定した。

「そう言えばわたし訓練とか何もしてないですけどよかたんですか?」

「何を今更言ってるんだ?」

 ヤマトは自身の体を席に固定しながら呆れた顔でリーネの顔を見る。

「宇宙飛行士ってすごい訓練してるじゃないですか、でもわたし今日まで何もしてなかったんでどうなのかなと…」

「あんなもんは事故が起こった時に生き残るためのもんだ。事故が起きなきゃ問題ない。それとも事故が起きて欲しいのか?」

「そんなことないですけど。」

「じゃあ気にするな。上にいったら習うより慣れろ。」

「はい。」

 少し腑に落ちない気もするが、やってみればわかるのだろう。

「アントニオ。乗員所定に着いた。カウントダウンを管制に伝えてくれ。」

「了解。カウントダウン三十分前だよ。」

「わかった。ディスプレイにカウントを表示。五分前になったら伝えてくれ。カウントダウンは三十秒前から読み上げだ。」

「了解。」

 ヤマトは手短にアントニオへ指示を出す。

「これでしばらくはやる事が無い。何なら時間まで寝ていてもいいぞ。」

 そう言いながらヤマトはリーネに笑いかけてくる。

「寝られるわけないじゃないですか。」

 冗談だとは分かるが前夜も緊張でよく眠れていないし、今も期待と緊張で脈拍上がりっぱなしで胸が痛いくらいだ。

 しばらく沈黙の時が操舵室に流れディスプレイに表示された数値が少しずつ小さくなっていく。

 沈黙が重く感じてきたリーネは以前から思っていた事をヤマトに聞いて見る事にした。

「ヤマトさん。」

「なんだ?」

 ヤマトは操縦士席から顔だけリーネの方へ向ける。

「前からちょっと不思議に思ってたんですけど、なんでわたしSNSの試験に合格したんですか?」

「不合格の方が良かったか?」

「そんなことないです。こうしてロケットに乗って宇宙にいけるのは嬉しいです。ただわたしより優秀な人もいたと思うんです。書類選考で落ちても不思議じゃ無かったですし。」

「ああ。あの書類選考か。」

「はい。」

「あれは希望年収が高い人間を弾いただけだ。その他の項目は何も見て無い。」

「希望年収ですか?」

「希望額が高いやつ雇ったら金がかかるだろ?」

「まあそうですけど。それだけなんですか?」

「希望額高いやつ弾いても人数が多いようならもうちょっと真面目に選考しようと思ったんだが、あんまり人数残らなかったからな。」

「はぁ。最終試験はまあもう一人の人があんまり真面目にやっていなかったのはわかるんですけど、面接でもわたしちゃんと出来て居なかったとおもったんで。」

「ああ、リーネの面接はよく憶えている。やたら緊張していたけどとにかく一生懸命だったからな。面接で一番一生懸命だったから合格にしたんだ。」

 たしかに面接の時はとにかく一生懸命やった事しか憶えて居ない。それが評価されたのはリーネにも嬉しかった。

「そうだったんですか。」

「五分前だよ。」

 アントニオが時間を告げてきた。

「わかった。リーネこれからは打ち上げが終わるまでしゃべるな。舌を噛む。」

「はい。」

「アントニオのカウントが始まったら呼吸は深くゆっくりと。苦しくなっても歯を食いしばれ。」

「わかりました。」

「わかったらもうしゃべるな。」

 リーネは口を閉じヤマトに向かって頷いた。

 ディスプレイのカウントがどんどん小さくなり残り時間が四分、三分、二分と減っていき、ついに一分を切った

「三十、二十九、二十八…」

 三十秒を切りアントニオのカウントが始まる。リーネはヤマトの言葉に従いゆっくりと深く呼吸をするよう心がける。

「…十九、十八、十七、十六…」

 カウントは刻々と刻まれていく。リーネはいつの間にか掌に汗をかいているのに気付き、スカートにこすり付けてふき取った。

「…十、九、八…」

 ついに十秒を切った。視線をずらして横を見るとヤマトは落ち着いた様子でディスプレイを眺めている。もう一度視線をディスプレイに戻す。

「…五、四」

 いよいよ打ち上げだ。五秒前でロケットの一部に点火され、リーネの背中に遠くから振動が伝わってくる。

「三、二、一、〇」

 〇秒ですべてのロケットに点火される。リーネの後背二百数十メートルの位置では膨大な量の水素が酸素と化合し、猛烈な勢いの炎となる事で生まれた十五万ローリストンという桁違いの出力が巨大なロケットを天へと推し進めていく。

 ロケットが進みはじめるとその加速はリーネの体を普段の二倍を超える力でシートに押し付け、そのとたんに呼吸が苦しくなる。

「第一段点火完了、順調に推移しているよ。」

 アントニオの声が現在の状況を伝える。

 ロケットは燃料を消費して軽くなればなるほど同じ推力でも加速が大きくなる。打ち上げを開始したときの加速度が一番小さいのだ。したがってロケットが上昇するにつれてリーネの体をシートに押し付ける力が大きくなって来るのだ。

 ヤマトのアドバイスに従いゆっくりとした呼吸を心がけていたリーネだが、胸を押しつぶされやがて空気を吸い込むことができなくなってきた。嫌な汗が額に浮かんでくるがすぐに下へと流れていく。頬が背もたれの側に引っ張られ口元が突っ張るのがわかる。

 息が苦しくて目の前が暗くなりかけた時、リーネは重圧から開放された。

「第一段燃焼終了。」

 アントニオの実況を耳にしながら、リーネは新鮮な空気が胸郭を満たしていくのを感じていた。

 今まで振動していたロケットが嘘のように静かになった。

「第一段切り離し完了。」

 背後から一度だけ振動が来る。

「第二段点火完了。」

 エンジンに点火された瞬間に重圧が戻ってくる。

 二段目の燃焼が進むにつれてリーネはまたもシートに押し付けられた。燃焼が進むにつれて加速が大きくなってくる。

 リーネはまた目の前が暗くなるのではないかと不安になった。

「第二段燃焼終了。」

 徐々に大きくなる加速度に耐えるため下腹に力をいれて深く呼吸をしていたが、先程の気絶しそうなほどの状況にならないうちに加速が終了する。

「第二段切り離し完了。」

 再び背後から振動が来る。

「第三段点火完了」

 淡々としたアントニオの声が操舵室に響き、シーケンスが順調に進んでいる事を告げている。

 第三段の加速はこれまでで一番緩やかなものだった。

 そしてほんのわずかな時間でそれは終わりを告げた。

「第三段燃焼終了。」

 アントニオの声が燃焼の終了を告げるとリーネにかかっていた重圧は去っていった。

 シートに押し付けられていた体が反動で浮かび上がろうとし、シートベルトがそれを押し留める。

「打ち上げ完了。」

「よし。」

 ヤマトはアントニオの声で一度頷くとシートベルトを外し、ふわりと浮かび上がった。そのままディスプレイに映る数値を確認するとリーネの席へやってきた。

「もうしゃべってもいいぞ。」

 ヤマトは会話の許可を出しながらリーネのシートベルトを外す。

「はい。」

 シートベルトが外れるとリーネの体も椅子の上から宙へと移動する。

「すごい。わたし、浮いてます。」

 リーネが初めて体験する無重力状態だ。

「もう、宇宙なんですね。」

「現在ローリス上空三百キロの衛星軌道を飛行中だよ。」

「外、見れたりしますか?」

「アントニオ、外部映像を投射出力してやれ。」

「了解。」

 ヤマトがアントニオに指示をするとディスプレイでは無く壁一面に外部の映像が映し出された。

「わぁっ。」

 リーネは思わず声を上げる。

 床や壁には星々が瞬きもせずに光っていた。天井に目を向けると真っ暗なローリスの所々に光り輝く都市が見える。視線を前に向けると昼と夜の境目がゆっくりと近づいてくるのがみえた。さらにその先には緩やかな弧を描くローリスの地平線がある。

 リーネは一面に映し出された映像と無重力状態から、自分がそのまま宇宙に浮いているかのように感じていた。

 しばらくたつとミレニアムはローリスの昼半球の上を飛んでいた。青い海、白い雲、赤茶けた大地に広がる緑、そしてその中心に位置する都市がリーネの目に映る。

「体長は悪くないか?」

「えっ。あっ。はい。」

 しばらく目の前の光景に心を奪われていたリーネはヤマトの言葉で我に返った。

「無重力状態では慣れていない人間は調子が悪くなることがある。もし少しでも具合が悪くなったら我慢せず、すぐに言うように。」

「はい。」

 ヤマトの真剣な面持ちにリーネは頷く。

「しばらくはローリス上空を周回している。」

「しばらくってどのくらいですか?」

「ローリスを四周する間だ。」

「一周で二時間弱。四周で三時間三十八分五十三秒だよ。」

 リーネの問いにヤマトとアントニオが続けて答える。

「わかりました。」

「その間は自由時間だ。」

 ヤマトはそう言い残すと流れるような動作で操舵室を後にした。

「景色を眺めていたいのなら出力はこのままにしておくけどそれでいいかな?」

「はい。ありがとうございますアントニオさん。」

 リーネは飽きもせずローリスを見つめていた。


 やがて昼半球を通り過ぎ、また夜の上にやってきた。夜のローリスに一際明るい都市が見えてくる。スティラ市だ。

「第三段α切り離し。」

 アントニオの声が響くと最後までミレニアムに接続されていた三段目のロケットの一つが切り離された。リーネの目にもロケットがミレニアムからゆっくりと離れていくのが見える。

 切り離されたロケットが手で握れるくらいの大きさに見えるようになった頃、眠っていたエンジンが再度点火された。

「第三段α再点火完了。」

「あれ?今打ち上げが終わったのにまたロケットに点火するんですか?」

「宇宙空間においたままにしておくとデブリ、つまり宇宙のゴミになってしまうんだ。そうすると他の宇宙船が来た時にぶつかる可能性も出てくるよ。ローリスの場合だとこの高度では毎秒約十一.七キロの軌道速度を持つんだ。これは時速にしたら四万二千キロ以上だよ。それだけの速度でぶつかると非常に危険だよね。」

「はい。」

「だからSNSでは質量一グラム以上デブリは宇宙空間に留まるように放出してはならないし、また許可無く有人の惑星に落下させてはならないんだ。」

「へー。」

「今回は星系政府の許可を受けて危険が無いようにロケットを制御落下させるよ。」

「じゃああのロケットは流れ星になるんですね。」

「そうはならないんだ。十分に速度を落とせるだけの燃料を残してあるから燃え尽きないよ。上空でパラシュートを開いて着陸させる予定だね。」

「人も乗っていないのに着陸させるんですか?」

「ロケットに使われている素材を回収するためだよ。ロケットには色々な金属が使われているけどローリスでは貴重なものが多いからね。燃え尽きてしまったらそれらは回収できないよね。回収出来るようにする義務がSNSにあるわけじゃないけど、人類圏の資源はなるべく循環させると言うのがヤマトの方針なんだ。」

「なるほど。」

 重元素の少ないローリスでは重金属資源の回収を徹底している。金を始めとした貴金属はもちろんのこと、鉄や鉛などの卑金属の資源量もけして多くは無い。アルミニウムやマグネシウムなどの軽金属は比較的資源量が多いものの、ほとんどの金属は鉱山から採掘し精製するよりも資源回収をするコストの方が低いのだ。ローリスで生まれ育ったリーネもそれはよく知っている事であるし、資源を循環させるというヤマトの方針も共感できるものだった。

「第三段α大気圏突入軌道投入完了。」

 話しをしているうちに切り離されたロケットは高度を下げていき、やがて見えなくなった。


 ローリスを一周しスティラ市の上空を通過する度にロケットは一つずつ切り離され大気圏へと降りていった。

「第三段δ大気圏突入軌道投入完了。」

 アントニオの声が響くとそれに合わせたようにヤマトが操舵室に戻ってきた。

「そろそろ終わったか?」

「今最後のロケットを突入軌道へ投入したところだよ。」

「よし。リーネ。」

「はい。」

「これから少し加速がかかる。浮いていると危険だから椅子に座れ。」

「はい。」

「椅子は元に戻していいぞ。」

 リーネに指示しながらヤマトは背もたれとフットレストを戻し椅子に座るとシートベルトを着けた。リーネもそれに倣い椅子を戻して座りシートベルトを着ける。

 リーネが座ったのを見届けるとヤマトはアントニオに指示を出した。

「アントニオ、共通チャンネルを開いてくれ。」

「了解。」

 チャンネルが開かれるとヤマトはマイクに向かう。


『ハローローリス。こちらはスペースネットワークサービス・スターシップ・ミレニアム、キャプテンのヤマトだ。長きに渡り世話になり大変感謝している。これより貴星より旅立つ姫君より最後の挨拶がある。』


 ヤマトは一旦マイクからリーネの方を向くとリーネに話すよう促した。

「わたしですか?」

「他に誰がいるんだ?」

「そうですけど、何話したら良いんですか?」

「最後のお別れだ、好きにしゃべれ。」

「わかりました。」

 いきなりの事で少し戸惑ったが話したい事はいくらでも浮かんでくる。


『ローリスの皆さん。どんなに遠くへ行ってもこの星はわたしの故郷です。今までわたしを育ててくれてありがとうございました。』


 少しの間何を話すか考えたが、リーネが言葉にしたのは感謝だった。改めて感謝の言葉を口にすると今までの思い出がリーネの胸をよぎる。どんなに遠くへ行っても生まれ育ったローリスの事は忘れないだろう。

 リーネはローリスからの返信を耳にしながら目に涙がじわりと浮かんでくるのを感じていた。浮かんだ涙は無重力状態のため目に張り付いたまったまま流れ落ちて来ない。リーネは最後に涙を流さずにいられたので無重力である事が少しありがたかった。


「標準加速で予備加速開始。」

 リーネの様子が落ち着くのを見計らいヤマトがアントニオに指示を出す。

「了解。」

 アントニオの返事と共に船尾のイオンエンジンに推進剤が送り込まれる。ミレニアムが推進剤として使用しているのは水素だ。エンジンの構造的には常温気体となる単体元素なら何でも利用できるという非常に便利な物である。水素を採用している理由は水素原子が宇宙でもっとも存在比率の多い元素であり補給が容易だ。補給が容易とは即ち安価ということである。

 エンジンの中で水素原子は電子と陽子に分解される。電子と陽子はそれぞれが電磁力によって光速にきわめて近い速度まで加速され推進剤として宇宙空間に放出される。同時に船は推進剤とは反対向きの加速を受けローリスの重力を振り切るため動き出した。船内には上下が生まれリーネも数時間ぶりに重さを感じていた。


 上下がある状態が三時間ほど続きミレニアムはローリスの衛星ラオよりも遠くへ離れていた。軌道上では視界を埋め尽くすほどの大きさに見えたローリスだったが、ここまで離れると小さな球形に見える。リーネは故郷がだんだんと遠く離れて行くのを複雑な思いで見つめていた。

「ワープエンジン始動。目的地エフェフノ星系。速度一.八。」

「了解。」

 ヤマトの指示にアントニオが答えると船内の機器は忙しく動きはじめた。まず、ワープエンジンに燃料が注入される。燃料を注入されたワープエンジンがエネルギー放射を開始し時空転移に備える。次に時空触媒が眠りから覚めるとミレニアムの船体をワープ時空へと誘う。その瞬間ミレニアムの総質量二百トンの船体が時空の狭間を通り抜け、宇宙から存在を消した。

 ミレニアムがワープ時空へ入ると操舵室の壁に今まで見えていた外の光景が一瞬で消えた。今やミレニアムの周囲に何も無く、映し出されているのはただ黒い闇だけだ。そして加速で生まれる重力も同時に無くなった。

「ワープイン完了したよ。航行期間は船内時間で五日と十六時間二十五分三十二秒。それと外部映像出力は終わらせるよ。」

 アントニオが映像出力の終了を告げると操舵室の壁は普段の様子を取り戻した。

「もう、シートベルトは外していいぞ。これから到着までは自由時間だ。」

 リーネに話しながらヤマトは椅子から浮かび上がっている。

「はい。」



 リーネの旅は始まったばかりだった。



★★★



取引記録:


星系: カルテア


 主星:カルテア

  スペクトルタイプ:F型


 第二惑星:ローリス

  標準重力:十一.二

  公転周期:一.七一

  自転速度:三十六時間二十七分十二秒

  平均半径:一万二千五百二十


  備考:

   テラフォーミング済み

   軌道投入設備なし

   平均気温:三百一.二

   惑星比重:三千二百

   大気圧:百八十二



  購入:

   SNS-Ⅲ型ロケット

   小麦:種子、遺伝子プール

  販売:

   遺伝子プール:稲、豆、微生物、C4グラス

   種子:稲


特記:

 従業員雇用一名

 購入、販売の詳細は別記





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