One Day
★★★
リーネの朝は早い。
「おはようございます。クロシェットさん。」
眼が覚めるとまず枕もとのパネルで灯をつけ、相部屋のクロシェットへ挨拶する。
クロシェットから挨拶がかえって来る事は無い。そもそもクロシェットには声帯やそれに相当する器官が無いらしい。
それでもリーネは毎日の挨拶を欠かしていないし時々話しかけている。植木やぬいぐるみに話しかけるのと同じで返事は期待していないが、いつか話せたら良いなとも思う。
クロシェットに挨拶をしたら、その日の気分でクローゼットの中から服を選ぶとパジャマから着替える。
船に生活の場を移してすぐの頃、リーネはアントニオから見られている事が気になって毛布の中で着替えていた。しかし、操舵室以外ではこちらから声をかけない限りアントニオから話しかけてくることは無く─緊急時など用件がある場合を除く─、それに気付いて以来あまり気にならなくなってきた。存在を感じなければいないのと同じだ。
今日はミニの半袖ワンピースに淡いグリーンのラインが入った飾りカフスにした。
着替えが済んだら共用スペースで顔を洗い、髪を梳かしてから操舵室に向かう。
この時間帯にヤマトが起きている事は稀で共用スペースにも操舵室にも人影は無い。
「アントニオさんおはようございます。」
「うん。おはよう。」
「今日の洗い物はどこにありますか?」
アントニオと朝の挨拶をしたら洗い物の場所を聞く。ヤマトは片付けるということをしないらしく、─出来ないのではなくしないだけとは本人の談である─脱いだ服をあちこちにおいたままにする癖がある。なぜか靴下が片方だけ倉庫区画に置かれていたりすることもあるのでそれを一々探すのは骨が折れる。そんな事に時間をかけるよりアントニオに聞いたほうが早いのだ。
「今日は操舵室とシャワールームだね。」
今日の洗い物は比較的まとまっておかれていたようだ。
操舵室の椅子にかけられたシャツとシャワールームの洗い物籠に入れられた洗い物を回収してそれを洗濯機へ放り込む。洗濯機に洗い物をさせている間に朝食を買いに空港のフードコートに出かける。
外は暗い。晴れて空気が澄んでいるようで頭上には星々のまたたく様子がよく見える。
ローリスでは一回の自転がおよそ三十六時間半である。この始祖星地球と比べて約一.五倍という長い自転に人の体内時計を合わせるのは少し無理がある。
それを解消するためにローリスでは二回の自転およそ七十三時間を体内時計に近い約二十四時間二十分ずつの活動日三つに分けている。自転で生まれる一日と活動日が別れているので全星で同じ時間帯を使える。これには時差が無くなるという副次的なメリットもあった。─なので時差ボケという言葉はローリスには存在しない─
そして活動日の始まりを朝と呼び終わりを夜と呼んでいる。これは地球時代からの慣例でそのほうが使いやすいのだ。
しかし一方で、自転に伴う日の出もまた朝と呼び、日の出ていない時間帯もまた夜と呼ぶので少しややこしい。今日の場合だと日の出る時刻を朝と呼んでも活動日でいえば夕方になる。
人と待ち合わせなどをする場合は活動日の時刻で指定するのが一般的だ。
まだ朝の早い時間帯のため飛行機の発着は無く空港に利用客の姿は見当たらない。職員が働いているのがちらほら見えるだけである。空港のフードコートでも開いている店舗は職員の軽食用にサンドイッチを売る店だけである。
「おはようございます。」
「おっ、今日も早いね。」
毎朝通っている為サンドイッチ屋の店員さんともすっかり顔なじみになった。
この店ではサンドイッチの中身は常時二十種類くらいの具材から組み合わせて選ぶことができる。そのため毎日食べていても飽きが来ない。
リーネはいつもどおりクォーターサイズのサンドイッチを四種類選びそれを二人分作ってもらう。
四種類の具材のうち一つをローリスでは高級品の魚介を使ったサンドイッチにするのがリーネの隠れた楽しみだ。今朝のチョイスはカニサラダにした。
サンドイッチと共に飲み物を買ったら一度船に戻り朝食をとる。
ヤマトが起きていれば一緒に食べるが、特に用が無い日の場合ヤマトは昼近くまで部屋から出てこない。
今日は商談も無い予定なので部屋から出てきていない。きっとまだ寝ているのだろう。
リーネは情報端末でニュースを見ながらひとりでゆっくりと食事を摂る。
食事が終わったら情報端末の画面をお気に入りのバラエティ番組に変える。その頃には洗濯も終わっているので洗濯物をたたみながら眺める。カエラとヴィンセントというキャラクターの息の抜けたゆるいトークが売り物の番組だ。
この番組も後何回見られるかと思うと感慨深い。
バラエティ番組が終わる頃には洗濯物もたたみ終わり次は船内の掃除にはいる。
共用スペース、操舵室、廊下、エアロックと公共の場所を掃除してから自室の掃除に入る。ベッドを整え、クロシェットの葉っぱのような部分はエアブラシで念入りに埃を落とし、床を清める。
掃除の途中でヤマトが部屋から出てきて朝食のサンドイッチを持って自分の部屋に戻っていった。
ヤマトの私室は入った事が無いのでどうなっているかわからないが掃除をしないヤマトの事だ、おおよその想像はつく。きっと採用試験の時の操舵室以上の─以下か?─ひどい状態になっているのだろう。
掃除が終わるとしばらく時間が空くので勉強の時間だ。自室で星間通商条約を読み進めて行く。意味がわからないところはチェックしておいて後でまとめてアントニオに質問する。
リーネが今まで読み進んだ中では印象的な事はSNSには武装と言うものが無く非常に平和的だと言うことだ。
この船には小質量デブリ対策のレーザーが積まれているだけで、宇宙船に有効な攻撃を行える兵器と呼ばれるものは積まれていない。
子供の頃見ていたテレビ番組のように宇宙海賊とミサイルやレーザーを撃ちあうと言うことはなさそうである。
アントニオに襲われることが無いのかと質問してみたが、いつ来るともわからないSNSを襲うために待ち構えるほど無駄な事は無いそうだ。
ローリスでSNSがやってきたのは八十三公転ぶりになる。それを待ち構えるために宇宙海賊を組織するのは確かに無駄である。
もし万が一襲ってきたとしても相手が狙っているのは星間船もしくは積荷である以上鹵獲されることはあっても破壊されるとは考えにくく、また鹵獲された場合は自爆することも出来るので結局利益にはならないのだそうだ。
アントニオによると今この船が自爆した場合スティラ市は壊滅するとのことだが、リーネにはこの小さな船のどこにそれだけのエネルギーがあるのか想像も出来なかった。
勉強が一段落ついたらそろそろ昼食の時間だ。ヤマトは朝が遅かったため昼食は要らないとの事で、仕方ないので一人でフードコートに向かう。
昼時となるとフードコートの全店舗が開いていて活気に満ちている。リーネのお気に入りは滑走路の見えるレストランである。
席も空いている様で滑走路の見える窓際の席に座りテーブルのタッチパネルに表示されたメニューから日替わりのランチを選択し注文を送信する。
注文を待つ間窓の外に視線を移すと外はまだまだ暗く滑走路には等間隔で灯りがともっている。
星空から飛行機が降りてくるのが見えた。
暗い空からフラップを広げ速度をぎりぎりまで落として大地を掴もうとしている様子は、夜の森で鼠を狙う梟のようにも見える。
機械技術の猛禽が大地に降り立ち駐機場でその硬い翼を休めた頃、リーネの注文した料理が卓からせり上がってきた。
内容をよく見ないで注文したが卓に並んだ料理から見ると今日のランチはパン、根菜のスープ、ミニサラダ、鶏の香草焼だったようだ。
根菜のスープからは湯気が上がり、濃い飴色に焼かれた鶏皮がまだチリチリと音を立て、香草の香りが鼻腔をくすぐり食欲をそそる。
賽の目に揃えられた根菜をスープと共にひとひらすくい口へと運ぶ。軟らかく煮られた根菜は舌で押さえるだけで崩れて融けた。もうひとひらふたひらとスープを楽しむ。
スープを楽しんだらパンを程よい大きさに千切り、その白い切り口にバターを塗る。暖かなパンに溶かされたバターがしみこみ切り口が薄黄色に染まっていく。パンを咀嚼するとバターと小麦の香りが口に広がった。
パンの次にサラダを口にしてから鶏肉へとフォークをのばす。食べやすい大きさに切られた鶏肉にフォークを刺すと程よい弾力が手元にかえって来た。色よく焼かれた皮がパリッと口の中で音を立て肉汁が口腔を満たしていく…。
リーネは食後にミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーを飲みながら少しさびしさを感じていた。美味しい食事でお腹は膨れたが今日は朝も昼も一人の食事だ。
ぬけるような星空に向かって飛び立つ飛行機の翼灯を眺めながら夕飯はヤマトを誘って一緒に食べようと思った。
午後の時間はヤマトから過去の商談を例に星間取引の内容を講義してもらうこともある。今日はヤマトが何か作業をするとの事で講義はお休みである。
今までの講義でSNSの仕組みなども教えてもらった。
SNSの取引では金本位制がとられている。星系通貨は他の星系では当然の事ながら使うことは出来ない。そのため単一元素である金を共通の基準として採用しているのだ。星間通貨単位のAuは金の元素記号から来ている。
通貨基準に金が選ばれたのは金が化学的に安定である事や、工業的にも貴金属的にも利用価値が高い事、宇宙に存在する量は多くは無いがかといって少なすぎず適当な量である事、歴史的に見て金本位制が採用されていた時期が長い事などが理由だそうだ。
金が変動相場制の星系でSNSが取引を開始する場合には星系政府が金価格の固定を行い一時的に金本位制となるようにする。逆に星系政府が金価格の固定を行わなければSNSは取引を開始しない─ただし最低限必要な生活物資などは小口の取引を行う場合もある─。
取引の際は星間通貨であるAuで直接取引きする場合とAuを星系通貨に換金して星系通貨で取引する場合とがある。
大口の取引ではAuを使い、SNSが補充する消耗品や食料品などの小口の取引は星系通過を使って取引するのが一般的である。
星間通貨に金が採用されているため、多くの星系では金の価値はその資源量以上に高くなっている。ローリスのように金の埋蔵量が少ない場合ならなおさらである。
一度訪問したら次にいつ来るかわからないので、為替などの手段は当然とられることはない。
また、SNSでは物品そのものを取引する事は少なく主な商品は情報になる。
物品は輸送するとかさばるし星系間を輸送するコストを考えるとほとんどの場合は星系で生産した方が安くつく。
SNSが持ち運ぶのはAuの他にはあまりかさばらないが価値が高い物だけである。例えば彫刻や絵画といった美術品、植物の種子や凍結卵といった生物資源などが上げられる。
ヤマトの場合農産物の種子や遺伝子プールの売買を主にしていて、そのほかには学術論文や特許の類を少しだけ取り扱っているとのことだ。
少し変わったところではSNSは一度提示した価格は絶対に変更せず、提示された価格に対しても値引き交渉する事は無い。
交渉に無駄な時間をとられないようにする以外にもSNSは星系政府より立場が弱いため脅しなどの手段をとられないようにするためだ。
販売の場合は設定した価格でその星系で売れるか、購入の場合は他の星系で販売した際に利益が見込めるかを見極めるのにはかなりの経験が必要になってくる。
今日は講義がないので午後の時間が丸々空いた。
空いた時間、最近のリーネの楽しみは情報端末で通信販売のカタログを眺める事だった。他の星で使うことの出来ないローリスの通貨は旅立つ前に使い切るようにとヤマトから指示されたのだ。
欲しかった服やアクセサリーなど見たり、他の星で売れそうな物をあれこれ考えたりしながら選ぶ。
リーネの貯蓄だと特許や遺伝子プールといった大きな買い物はできない。ヤマトのアドバイスによると星系の自然を撮影した映像や映画、音楽などの文化的なものは売れる事もあるそうなのでそれらを中心に見ている。
今日購入する事にしたのは『ローリス絶景』という番組だ。『ローリス絶景』はローリスの色々な自然を紹介して回る番組で、長い年月が削りだした雄大な渓谷、空高く噴煙を上げる火山、析出した塩類が独特の光景を見せる塩海、不思議な模様の砂紋が浮かび上がった砂漠地帯、多くの動物達が息づく緑の樹海、見渡す限りに金色に実った麦穂が続く麦畑など様々な景色が取り上げられている。
この番組を選んだ理由はローリスの自然が美しいというヤマトの言葉もあったが、何よりリーネの育ったローリスという星を他の星系に住む人たちにも知ってもらいたいと思ったからだ。
通信販売のカタログから選んでいる合間にも知人や友達とメッセージの遣り取りを挿んでいく。リーネがローリスにいる期間はもう限られているので時間は無駄に出来ない。
そうしているうちに時間は瞬く間に過ぎていき、そろそろ夕飯をとるのに良い時間帯になっていた。
「アントニオさん。」
「なにかな。」
「ヤマトさんに一緒に夕飯食べに行きませんかと伝えてもらえますか?」
「了解。」
夕飯をヤマトと二人で食べ終えヤマトはアルコールをリーネはハーブティーを注文し人心地つく。
外に目をやると朝日が滑走路をオレンジ色に照らし始めたところだ。管制塔の影が滑走路に長く伸びている。
「ヤマトさん。」
「ん。」
「宇宙人っているんですか?」
「さぁ。会ったという話しは聞いたこと無いな。」
「じゃあいないんですかね?」
「会っていないだけでどっかにいるかもしれないな。」
「クロシェットさんとかどうなんですか?」
「学者によると植物みたいなものらしい。」
「残念です。」
クロシェットとお話しする事はどうやら無理そうだ。
「あっ、でも今いなくても昔住んでいたところとか無いんですか?」
「人のすんでいない惑星には遺跡のようなものがあるという噂もある。」
「噂ですか。」
「そういう噂には事欠かないぞ。」
「どんなのあるんですか?」
「謎の電波の発信源があるとか、ある星には石像が並んでいるとか、異星人の住居跡を発見したとかいうのもある。」
「へー。でも噂ってことは全部本当じゃないんですよね。」
「そうだな。電波の発信源は調べに行ったら特殊なパルサーだったと言う話しだ。石像は光の加減でそう見えただけで単なる岩だったらしい。住居跡はガセネタだったという話しだ。」
「なかなか見つからないんですね。」
「なんだ、宇宙人に会いたいのか?」
「はい。他の星で生まれた文明とか見たいじゃないですか。」
「確かに異星文明というのは興味があるな。」
「それに、宇宙に私達だけじゃ寂しすぎます。」
「なるほど。」
リーネはヤマトと宇宙人についてしばらく語り合った。
夕飯を終えると自由な時間となる。
今夜は叔母からコールがかかってきて長い話しに付き合わされた─結局叔父が帰宅するまで話し続けていた─。しかし叔母の長い話しに付き合う事ももう後わずかだと思うと大切にしたい時間である。
叔母とのコールを終えるとシャワーを浴びる。船内の限られたスペースでは湯船は作れない。シャワールームも広くは無く一メートル四方を少し超えるくらいである。小柄なリーネでも両肘をはるだけで壁にぶつかってしまうほどだ。リーネより大きなヤマトだともっと狭いだろう。想像するとちょっと大変そうである。
シャワーの構造も少し変わっていて排水溝があるのではなく床は格子状になっていて全面で排水される。またパネルを操作すると上から温風が流れ全身ドライヤーとして使えるようになっているのも便利だ。もっとも初日はお湯を浴びながら温風を浴びるという失敗をしてしまった。また、全身ドライヤーの風速がやたらと強く出来るのも注意点だ。
シャワーを浴び全身を乾かしたらパジャマに着替えベッドに入る。
寝る前に軽くストレッチをするのがリーネの日課だ。
「クロシェットさん。おやすみなさい。」
相部屋のクロシェットに挨拶をしたら枕もとのパネルを操作して灯りを消す。
こうしてリーネの一日は終わる。