幕間2 ロケットってなんで大きいの
SSDCから戻ると早速リーネはアントニオに尋ねてみた。
「アントニオさん。」
「なにかな。」
「今日SSDCへ行ってロケットの設計を見たんですけど。」
「うん。」
「なんでロケットって大きいんですか。」
「それは少し誤解があるね。ロケットとは推進装置の名前なんだ。」
「名前ですか?」
「そう。だから大きいのも小さいのも作れるよ。」
「でも打ち上げるロケットって小さいのでも何百トンもあるじゃないですか。」
「宇宙まで打ち上げるとそうなってしまうね。なぜそうなるかまずロケットの推進原理はわかるかな?」
「わからないです。」
「ロケットと言うのは作用反作用の法則を使っているんだ。」
「作用反作用の法則ですか?」
「うん。例えばリーネがスケートボードに乗っていたとするよ。」
「はい。」
「そのときに後ろに向けて飛び降りたらスケートボードはどうなるかな?」
「後ろに飛び降りたら反動で前に転がって行きます。」
「そうだね。この反動が起こる事を作用反作用の法則って言うんだ。」
「そうなんですか。」
「ロケットと言うのは推進剤を後方に噴射してその反動で進んでいるんだ。今の例だと飛び降りたリーネが推進剤に、転がって行ったスケートボードがロケット本体に相当するよ。」
「はい。」
「さてこの作用反作用の法則でというのはMV=mvという単純な式で著せるんだ。Mはロケット本体の質量、Vはロケットが得られる速度、mは推進剤の質量、vは推進剤の噴射速度だよ。」
「へー。」
「今の例で言ってスケートボードが一キロとするとリーネの体重はどのくらいかな?」
「そんなの言えませんよ。」
「そうか。ならば別の例として十キロの台車から一キロの重りを後方に投げたとするよ。」
「はい。」
「このとき重りを投げる早さが時速十キロだとしたら台車の進む早さVはどのくらいになるかな?」
「えっと。mvが十キロ掛ける事の一キロだからそれを十で割って…。Vは時速一キロですね。」
「そうだね。では投げる重りの速度を変えずに重さを十キロにしたらVはどうなるかな?」
「こんどは時速十キロです。」
「そうだね。さて、今度も重りの速度を変えずに重さを一キロずつ十回投げたらどうなるかな?」
「時速十キロじゃないんですか?」
「そう単純には行かないんだ。一回目の重りを投げるときを考えてみよう。」
「はい。」
「一回目の重りを投げるときは台車の上には後で投げる分の重り九個が乗っかっている事になるんだ。」
「あっそうですね。」
「だからMは一回目なら十九キロになるし、二回目なら十八キロというように変化するよ。」
「なるほど。」
「ちなみに今の問題だと一回目のVは約〇.五三、二回目のVは約〇.五六と変わっていき、最終的に得られる速度の合計はおおよそ時速七.一九キロになるんだ。」
「最初と大分違いますね。」
「そうだね。ロケットの場合この変化がもっと連続的に変わっていくんだけれど、瞬間的にはMV=mvという作用反作用の法則が守られているよ。」
「それとロケットが大きくなる事とどう関係があるんですか?」
「それは今から説明するよ。まず重りを一個だけ投げたとき得られる速度を求めるならV=vm/Mというのはすぐ理解できるね。」
「はい。」
「これがロケットの場合のように推進剤の噴出が連続的に変化した場合の得られる速度を求めるとV=vLn((m+M)/M)となるんだ。Lnとはネピア数の対数の事だよ。」
「ネピア数?対数?何ですかそれ。」
「じゃあ説明するよ。」
「おねがいします。」
「まずはネピア数だけど階乗の逆数の無限級数と定義されているんだ。」
「逆数は分子と分母を入れ換えた数ですよね。」
「そうだね。」
「それはわかるんですけど階乗とか無限級数ってなんですか?」
「階乗と言うのは一からその自然数まですべての自然数の相乗積のことだよ。例えば三の階乗といったら一掛ける二掛ける三で六になるよ。これはわかるかな。」
「はい。」
「級数と言うのは数列の各項までの和の事だよ。五までの自然数の級数といえば一から五までを足したものになるんだ。つまり十五だね。無限級数といったらその項が無限にあると言うことだよ。」
「無限に足し算したら無限大になるんじゃないんですか?」
「一定の数や大きくなる数ならそうだね。でも階乗の逆数と言うのはどんどん小さくなっていくんだよ。この場合だと一項は一だけど、二項は二分の一、三項は六分の一、四項は二十四分の一となるよ。」
「そうですね。」
「これを無限に繰り返すと2.7182818…と続く無理数になるんだ。無理数は円周率などに使われているからわかるよね?」
「はい。」
「この数をネピア数と呼ぶんだ。」
「なるほど。」
「次は対数だね。冪数と言うのはわかるかな?」
「同じ数を何回もかけ合わせたものですよね。」
「そうだね。累乗ともいうけど二の三乗と言ったら八だね。」
「はい。」
「逆に八は二の何乗かと言うのが対数でこの場合だと3=Log2(8)と書くんだ。」
「なんとなくわかるんですけどなんの役に立つんですか?普通に二の三乗と書いても良いじゃないですか?」
「自然界には対数で著したほうが都合の良い事が多いんだ。例えば音の大きさの単位デシベルや地震の規模の単位マグニチュードは対数なんだ。星の明るさ一等星二等星なんかも対数だよ。」
「へー。知らなかったです。」
「対数についてはこれで大丈夫かな?」
「はい。」
「さてさっきの式に戻ろう。V=vLn((m+M)/M)と言ったね。ここでVを大きくするにはvを大きくするか(m+M)/Mを大きくするかどちらかだね。」
「そうですね。」
「ところが地上からロケットを打ち上げる場合vはあまり大きく出来ないんだ。」
「なぜですか?」
「さっきの十キロの台車と一キロの重りの例で考えてみよう。」
「はい。」
「台車を速く進めるために重りを速く投げたとするよ。重りを投げる速度が時速一万キロなら台車は時速千キロになるね。」
「そうなりますね。」
「普通に考えて時速一万キロで投げられたら危ないよね。」
「そうですね。」
「これはロケットの推進剤でも同じ事だよ。」
「あっ。」
「あまりに速い速度で推進剤を噴射したら地上に被害が出てしまうんだ。だから地表に近いところ、大気圏がある星なら大気圏内では噴射速度を低くするんだよ。」
「なるほど。」
「そうすると今度は(m+M)/Mの値を大きくしなければいけないね。」
「そうするしかないですね。」
「ロケット本体の質量Mは変わらないから推進剤の質量mを大きくしていく必要があるのはわかるかな。」
「はい。」
「でもこの値はネピア数の対数だ。(m+M)/Mの値が十から百になっても得られる速度は二倍にしかならないんだよ。」
「十倍にしても二倍にしかならないなんてすごい違いです。」
「推進剤を運ぶために推進剤を必要としてしまうのがロケットなんだ。」
「そうだったんですね。」
「もちろんこんな難しい理屈を考えなくても『ロケットは推進装置。宇宙に打ち上げるときは大きくなる。』とだけ憶えてくれてもいいよ。」
「わかりました。ありがとうございます。」