空飛ぶ町
★★★
太陽系を含む天の川銀河の恒星は一千億以上と言われているが、その密度は一様ではなくかなりの偏りがある。恒星の密度が高い所は、銀河を俯瞰する─俯瞰するためには天の川銀河を離れなければならないので、直接行ったわけではなく理論上の話しである─と渦を巻いているように見えることから、天の川銀河は渦状銀河と分類されている。お隣の銀河であるアンドロメダ銀河もまた渦状銀河であり、宇宙では比較的よく見られる銀河の形である。星々が多く存在する所を渦状腕と呼び、人類が生まれた太陽系はオリオン渦状腕に属している。
人類の版図はこの渦状腕に沿って広がっており、オリオン渦状腕を中心に、銀河の内側方向の渦状腕であるいて渦状腕、銀河の外側方向の渦状腕であるペルセウス渦状腕、及びにその周辺領域に人類の足跡が残っている。バルジと呼ばれる銀河の中心領域や、ハローと呼ばれる銀河の外縁にはまだ人類が及んでいない。
人類の生活圏は差し渡し数万光年に及んでいるが、そのほとんどは渦状腕に集中している。周辺領域には渦状腕と渦状腕をつなぐように有人星系が連なり、回廊と呼ばれる所を除いて、有人星系はあまり存在していない。
エフェフノ星系やカルテア星系は周辺領域に属し、回廊とも離れた位置にある。そのため他の有人星系とは少し疎遠になっている。人類社会の辺境領域とも言える場所である。
人類が星系開発をする際多くの場合G型恒星のある星系を選ぶ。それは生産者である植物が光合成をする際に必要な光の波長が、G型恒星の出す波長が一番都合の良い波長だからである。G型の恒星で無い場合でも光の波長が近いF型やK型を選ぶ事が多い。光が弱く、波長の使い勝手も悪いM型を選ぶ事は少ない。実際カルテア星系では、他の人類星系から遠く離れているにもかかわらずF型の星系を選んで開発を行っている。
エフェフノ星系がなぜM型恒星であるにもかかわらず開発されたのかはよくわからない。マティウスの混乱があったとのみ史書に記されている。多くの星系政府が恒星間を渡る手段を有しているが、エフェフノ星系にはそれが無いこととも関係があるのかもしれない。
とにかくエフェフノ星系で暮らすことを始めた人々は、初期にはカシュオーンの衛星であるフィンで暮らしていたという。フィンに届く恒星の光は弱く、恒星の光だけでは十分なエネルギーを得ることが出来なかった。人々は不足するエネルギーを補うため核融合炉を建設した。
核融合の原料は水素である。水素なら目の前にあるガス惑星、カシュオーンに大量に存在した。それを衛星であるフィンまで運びエネルギーとして使用したのだ。
ガス惑星から水素を取得する場合、通常なら衛星軌道から大気上層部に取得装置を垂らす。この衛星は取得装置と衛星本体が紐で繋がれている事からテザー衛星と呼ばれている。このテザー衛星は当然の事ながら衛星軌道をとる。しかしカシュオーンにはリングがあるためテザー衛星を設置できなかった。水素取得のためカシュオーンに降下し、それを衛星まで運ぶのは手間であり危険も伴った。
いちいち水素を取得しにカシュオーンに行き戻ってくるくらいなら、最初からカシュオーンで暮らせばいい。いつの頃かそんな考えが生まれた。カシュオーンの表面重力が標準重力に近かった事もこの考えを後押しした。
ガス惑星であるカシュオーンで暮らすためには、空を浮かぶ都市を作らなければならない。空に浮かぶためには二つの方法がある。一つは気球や飛行船のように気体の浮力を利用した方法。もう一つは飛行機やロケットのように推力を利用した方法である。
カシュオーンの大気の主成分は水素である。一般的な水素分子の質量数はわずか二。これは宇宙にあるすべての分子の中で最も軽い。気体分子は分子数、温度、気圧が一定の場合、種類にかかわらず同一体積を占めるという特性がある。従って気体の密度は分子の質量数に比例する。水素分子は最も密度の低い気体といえる。このことから水素を主成分とする大気では、気体の浮力を利用した方法をとる事は出来ない。残るは推力を利用した方法だけである。
具体的な案を出したのが技術者オーエンであった。オーエン計画と呼ばれるこの計画は、核融合炉を積んだ大型の飛行機内に都市を作るという画期的な案だった。
実験機アルケオプテリクスの成功により飛行都市生活に目処がつくと、人々は宇宙空間で飛行都市を建設し惑星カシュオーンの空に次々と浮かべ、生活の場を衛星から惑星へと移して行った。
今では一部の技術者を除くエフェフノ星系のすべての人々がカシュオーンの空で暮らしている。
そんなエフェフノ星系にSNSが来るのは初めての事だった。そもそも辺境領域であるがためにSNSが訪れることが少ない上に、M型恒星という星系は恒星からのエネルギーが少ないため生活に余裕が無い事が多く、SNSにとって魅力が少ないのだ。
多くの星系を渡り歩いているSNSがもたらすものは非常に有用である。また、カシュオーンでの飛行生活は人類社会においてもかなり特殊だという自覚もある。これはお互いに益の多い取引になる。そう確信した星系政府首脳の決断は迅速だった。SNSを受け入れる決定を下すとすぐに迎え入れる準備を始めたのだ。通常は周囲のガスを使うため充填していない燃料タンクに水素を詰め込みSNSの到来に備えた。
SNSが軌道上に到着すると、星図情報と医療情報の交換が行われる。
星図情報はSNSが行動する際に必要とすると同時に、星系政府が所有する星間船が活動する際にも有用である事から、お互いに無償で交換するのが慣わしだ。最もエフェフノ星系には星間船が無いため、星図情報を受け取っても有効活用する手段が無いのだが、これを行わなければ取引が始まらない。
また、医療情報の交換はより重要である。SNSは多くの有用なものを運んでくるが、中にはありがたくないものも含まれる。その最たるものが病原菌である。星系に存在しない病原菌がやってきた場合、その病原菌に対する抵抗を持つ人が星系にいないのは当然である。
抵抗を持たない病原菌に対して人は無力だ。病は瞬く間に広がり、命を奪う。そして、時として社会そのものが立ち行かなくなるほどの大流行、パンデミックを起こす。
地球時代にはペストや天然痘、スペイン風邪と呼ばれたインフルエンザなどが猛威を振るった。銀河時代に入ってもしばしパンデミックは発生し、惑星封鎖が行われた事もある。
そうならないためにSNSは前に訪れた二つの星系の医療情報を無償で提供し、星系政府は次にSNSが訪れる星系のために医療情報を渡す。
SNSと取引を行うと言うことは、他に何も取引を行わずとも差し引き一星系分の医療情報を無償で手に入れられることになるので、星系政府にとっても非常に益が多い。
とにかく星図情報と医療情報の交換が行われたらSNSとの取引が始まる。お互いに何をもたらすかは始まって見ないとわからないが、多くの取引を行うためには通信ではなく直接情報のやり取りを行うのが望ましい。通信だと星間通貨であるAuを介した取引が出来ないため、どうしても取引が弾まないのだ。
多くの星間船は大気圏内に降下する事は出来ない。また、出来たとしてもカシュオーンのようなガス惑星で飛び続ける事は出来ない。円滑な取引のためにはSNSの待つ衛星軌道まで船を飛ばさなければならない。
カシュオーンのリングが軌道飛行の妨げになるのは、惑星からの離脱の際にも当てはまる。通常の惑星からの離脱の場合、大気の薄い場所まで垂直に上昇し、その後は水平に飛行し軌道速度まで持って行く。
しかし、カシュオーンからの離脱の場合、大気圏を離脱しただけではリングに引っかかってしまうため、その方法はとれない。リングの外側まで重力に逆らう垂直上昇を行う必要がある。大気圏への降下もまた同様である。
水平飛行と違い垂直上昇は非常にエネルギーを必要とする行為である。大気圏内で揚力を使った水平飛行と垂直上昇とでは翼面積などにもよって異なるが、必要とする推力は十倍以上にもなる。それだけの大推力を持つ飛行都市はカシュオーンでも少ない。具体的には三機だけである。
インビンシブル級と名付けられた大気圏離脱能力を持つ飛行都市は、宇宙空間で建設された、大気圏への降下能力を持たない飛行都市を惑星へ降ろしたり、またメンテナンスのために飛行都市を軌道上に持ち上げたりという任についている。
カシュオーンの空に浮かぶのは飛行機とはいえども都市である。それなりの大きさを持つ。それを丸ごと抱えて宇宙へと持ち上げるインビンシブル級飛行都市は巨大で、通常の飛行機という範疇から逸脱した大きさを持ち、空に浮かぶ一つの島のようなものである。
そんな、インビンシブル級飛行都市、ネームシップとなったインビンシブルの艦橋で、エフェフノ星系政府首脳スコットはSNSが軌道上へ到来したとの報告を受けていた。
「SNSが軌道上に到着したようです。」
通信士のビックスの言葉にスコットは軽く頷く。ビックスがSNSとやり取りを行うのを耳にしながら艦橋を見渡すと、きびきびと動くクルーの姿が目に入る。インビンシブル級飛行都市は宇宙往還を行うための特別な都市である。巨体ゆえに鈍重で、広大な翼は風の影響を受けやすい。操縦が極めて難しいのだ。そのクルーは特別優秀な人材を揃えている。
「データリンク完了しました。」
ビックスの声にもう一度頷くと艦長に指示を飛ばす。
「それでは迎えに行きましょう。」
星系政府首脳だがスコットにはインビンシブルの指揮権は無い。カシュオーンのようなガス惑星の強い風の流れはコンピューターデも予測しきる事は出来ない。ある程度の予測は出来るものの最終的には経験を積んだクルーの勘が頼りになってくる。政治家であるスコットには専門外だ。出来る事は全体的な指示だけである。
「聞いたね、お前達。他所からのお客さんをお迎えに行くんだ、粗相すんじゃないよ。」
スコットの言葉を受けると、艦長のレイラが艦橋中に響き渡る声でクルーに発破をかけ、クルーが答える。
「イエス、マム。」
「イエス、マム。」
「イエス、サー。」
「イエス、マム。」
「ビッケ、あたいは男じゃないよ。後で憶えときなよ。あんたの給料の査定はあたいがやるんだからね。」
レイラは一つだけ混じったおかしな返事を耳聡く聞きつけるとビッケを睨みつける。
「姐さん、勘弁。」
インビンシブルの艦橋は、銀河時代でありながら地球時代の海賊船─それも大航海時代の帆船─のように粗野で雑駁な雰囲気だ。今しがたレイラ艦長に睨まれたビッケなど黒髭にバンダナ、樽のような体に着ているのはよれよれの横縞のシャツ、まるで狙っているかのような海賊スタイルである。そんなクルー達だが、その動きには無駄が無い。
「機関はどうだい。」
「第一から第八ユニットまでオールグリーン。」
レイラの声に機関士のウェッジが間を置かずに答える。
「全ユニット垂直エンジン出力七十。」
「イエス、マム。全ユニット垂直エンジン出力七十。」
核融合炉にプラズマ化した水素が送り込まれ、水素同士がぶつかりヘリウムへと姿を変える。水素がヘリウムに姿を変えた時、ほんのわずかに質量を減じる。その質量はエネルギーへと変換される。
核融合炉からのエネルギーを受けて加熱された水素ガスが、青白いプラズマジェットの奔流となりエンジンから噴き出し推力を生み出す。八つのユニットの生み出す推力が、カシュオーンの重力に逆らってインビンシブルの巨体を大気の外側へと押し上げて行く。
スコットは自身の体重が重くなりシートに押し付けられるのを感じながら、視線は外部映像を写したディスプレイに固定する。目に入る外部の映像はどんよりと暗い黄土色したアンモニアの雲だけである。
「ロール、プラス四.五を越えました。」
「ユニット一、二、出力六十五。水平にするよ。」
「アイアイ、マム。ユニット一、二、出力六十五。」
「ロール、プラス一.五、で出力七十に戻しな。」
「イエス、マム。」
クルーの緊張した様子に一度視線を移し、ディスプレイに視線を戻す。ディスプレイの端には基準高度からの高さを示す数値が徐々に大きくなっていき、それに伴って雲も明るさを増してくる。
★★★
「惑星から何か上がってくるよ。」
赤道上の衛星軌道を周回しているミレニアム内にアントニオの緊迫した声が響き渡った。客室前の廊下で無重力空間を楽しんでいたリーネだったが、只事で無い雰囲気にすぐさま操舵室へと移動する。
「なにがあったんだ。」
リーネと前後して緊張した面持ちのヤマトも操舵室に顔を出した。
「惑星から何か上がってきたよ。」
「ランデブーの宇宙船じゃないのか?」
「それにしては大きすぎるんだ。」
「映るか?」
「まだ雲に隠れているよ。」
「かまわない。上がってくる場所を映してくれ。」
「了解。」
ディスプレイに黄土色の雲が映し出される。
「大きさは?」
「まだ雲の中だからはっきりしないよ。」
「概算でかまわない。」
「少なくとも五キロ以上だね。」
「そんなおっきいのが飛んでるんですか。」
「ちょっとしたコロニー並みだな。」
「もうすぐ雲の上に出るよ。」
アントニオの言葉とほぼ同時に雲海から浮かび上がってきたのは、四つの胴体と前後二枚の広い翼を持つ飛行機に見えた。翼端はまだ雲に隠れ、近くに比べる物が無いのも合わさってリーネには大きさがいまいちわからなかった。
「どのくらい大きいんですか?」
「翼長十キロはあるよ。」
「とんでもないサイズだな。」
アントニオの答えにヤマトも驚いているが、リーネの想像も遥かに越えた大きさだった。
★★★
雲が途切れ画面は黄土色の雲から切り替わり、満天の星と赤く輝く恒星エフェフノそしてカシュオーンを特徴付ける白いリングが映し出される。
インビンシブルが久しぶりにやってきた宇宙空間である。大気圏を抜けたため船体のゆれが無くなる。
ディスプレイにはズームで映された白い涙滴型の船体が見える。
「対象は赤道上空を基準高度プラス四万で周回中。」
「高度三万二千を越えたら水平出力増加しな、赤道に乗せるよ。」
「イエス、マム。」
「赤道に乗ったら軌道高度三万五千で後ろから追いかけるんだ。」
「アイアイ。」
カシュオーンのリングは高度三万キロまで広がっている。レイラ艦長はそこを避けるよう上手く飛行指示を出しているのがスコットもわかった。
「ランデブー予定時刻は一○三七ですぜ、姐さん。」
「ビッケ、姐さんと言うのはおよし。」
「イエス、マム。」
「軌道入力はすんだかい。」
「イエス、マム。」
「よし、オートパイロットに切り替えな。当直を残して解散。ランデブー一時間前に再集合。」
「イエス、マム。」
★★★
「三万五千で周回軌道に入ったよ。」
「ランデブーまではどれくらいかかる?」
「あちらの動き次第だけど、最適軌道で三時間二十二分だね。」
「じゃあ追っかけて来るまでしばらくお休みだな。」
三時間後。ミレニアムのすぐ隣まで巨大なインビンシブルは迫っていた。
『こちら、カシュオーン宇宙往還船インビンシブル。ミレニアム応答願います。』
『ミレニアム、艦長のヤマトだ。』
『インビンシブルより、当機前翼中央部にドッキングポートがある。当機はご覧の通りの巨体だ、小回りが利かない。そちらから接続してほしいが可能か?』
『ミレニアムより。可能だ。』
『インビンシブルより。距離三十メートルでこちらからアームを伸ばす。』
『ミレニアムより。了解した。』
「ドッキングポートっていうより飛行場だな。」
映像をみながらヤマトがつぶやく。視線の先には画面いっぱいにインビンシブルの姿が映し出されていた。
「あそこの真ん中に着陸だ。」
「了解。」
スラスターわずかな噴射でミレニアムは軌道を変更すると、インビンシブルのドッキングポートへと向かった。距離三十メートルで相対速度をなくすと、大型のアームがミレニアムの船体を優しく包み込むように掴み、インビンシブルへと引き寄せていった。
アームの動きが止まるとドッキングポートが閉じられ、ミレニアムの周囲に空気が満たされていった。