桜華散る
その村は、渇ききっていた。最後に慈雨に恵まれたのは何日ほど前のことだったかも、もはや定かではない。村人たちは既に畑に出ることすらやめ、家の中で静かに時を過ごしていた。
無理もない、既に世話をすべき作物は枯れ果て、滅すべき雑草すら生えては来ないのだから。
そんなある日、意を決した村長が一軒の村人の家を訪れた。雨乞いの儀式のため、生娘を差し出させる為である。続いてもう一軒、訪れようとして、彼はしばし躊躇う。儀式のためには、村で最も美しい生娘が二人、必要だが、その家は既に幾年か前、娘を一人差し出していた。同じ家から二度選んでは何か問題が起きはしないか、そんな不安を押しとどめて、村長は彼の家を訪れた。
娘の名はそれぞれ、「静葉」「桜華」といった。二人の娘は村長の家へと連れて行かれ、そこで村長から儀式のあらましを伝えられる。娘らはそのまま泊まりこみ、村長の妻から舞うべき舞踊を学び始めた。
妻に後事を託し、村長は必要な品を買い揃えるとて町へと降りていった。彼が戻ったあと最初の満月の夜が儀式の日となる。残された日数は後一週間もない、娘たちの修練にも力が入る。
やがて村長が見慣れぬ男を伴って村へと戻ったのは、満月に足りないこと1日の夕刻であった。村外れには既に板張りの祭壇が組み上げられ、次の夜を待っていた。
運命の夜が訪れた。既に日が沈んで久しく、真円の月は高く上っている。村外れの祭壇には明々と松明が掲げられ、辺りを照らしている。炎は赤々と燃え、幾度と無く使い込まれた板張りの祭壇の傷までもが見て取れるほどであった。村人たちは総出で祭壇を囲み、興奮冷めやらぬ様子でがやがやと何事というでもなく語り合っていた。
二人の若者が太鼓を打ち鳴らし始めると、観衆のざわめきは収まり、静まり返った夜の空気に低音が響き渡った。それを合図にして、祭壇の奥、村人たちが祭壇を囲む輪を空けていた森の側から二人の踊り手が影を現した。
娘たちが壇に登ると、明かりに照らされてその姿があらわになる。二人はお揃いの装束を身にまとっている。朱色の袴に真っ白に晒された上衣、日頃色あせた着物ばかりを着ている村人から見れば眩しいほどの彩りであった。二人共、腰にはきらびやかな装飾の施された守り刀を帯びて、手首にも何やら煌めく腕輪を着けている。二人の装いで唯一異なるのはその髪飾りであった。静葉はその名の通り、赤く染まった紅葉をかたどった一品で、桜華は散りゆく桜をかたどった品で、髪を華やかに彩っていた。幾度も使われてきた装束と異なり、この二品だけは彼女たちの私物であった。
踊り手たちが準備を整えたのを見て、太鼓が一層強く打ち鳴らされ、笛の演奏も調べを重ねる。裸足の少女が床板を踏みならす音が音楽と響きあい、眺める村人たちを魅了する。
踊りはどれほど続いたのだろうか、少女たちの息が乱れていないことから見て、さほど長くはなかったのだろう。一拍、強く太鼓が叩かれ、儀式は終わった。二人は動きを止め、観客に一礼すると再び森の奥へと下がっていく。村人たちも半ばゆめうつつの表情ながら三々五々、家へと引き上げていった。
だが、娘たちの役割はここからが本番であった。彼女たちの向かう森の奥には、祭りの第二幕が用意されていた。木々すらも乾き、葉を減らした森の奥には、村の水がめたる池があった。そこで、再び踊りを舞うのである。
池のほとりで彼女たちを待っていたのは、二人の男であった。村長と、彼に従って村を訪れた男である。男の身なりはいかにも裕福そうで、村長など比較にもならないほどの富の持ち主であることが少女たちの目にも見てとれた。
村長に促されるまま、二人は池へと足を踏み入れる。踊りで踏み鳴らして火照った足に冷たい水が心地よい。そして、二人は先ほどと同じ配置につくと、誰に言われるでもなく、再び舞い始めた。袴の裾が水面を撫で、水飛沫を巻き上げる。朱色の裾が濃い色に濡れ、白い着物は肌に張り付いて、娘の体型を露わにする。
そんな様子を見て、村長と男とは何やら指を折りながら、こそこそと話を始める。実のところ、男は二人の娘を買うべく村を訪れていたのである。生贄と称して生娘を売り払い、災害を乗り切る資金とする、そんな雨乞いの儀式の真の姿を知ってか知らずしてか、二人は舞う足を止めない。
やがて、二人の男が完全に会話に没頭した時、桜華が足を止めた。水面を叩く規則正しい音が乱れるが、男たちは商談に気を取られて気づきもしない。静葉は異常を察しつつも、自らの勤めを果たすのに一生懸命である。
そして、彼女はそのまま腰の守り刀を抜くやいなや、自らの胸を突いた。口から血を吐き出し、白い装束を朱に染めながら、水面へと倒れこむ。澄み渡っていた水に雲のように生き血が広がり、汚してく。
あまりの音に男二人も異変を察し、池に目を向けた。先ほどまで月光に照らされていた人影はもはや一つしかない。村長が事態を察して駆け寄ろうとする間もなく、水面に光が走り、一匹の龍が雷鳴と共に天へと舞い上がった。地上に残った三人の人間にはただ口を開けて空を見上げることしかできなかった。
その夜から村には恵みの雨が降り続いた。静葉はそのまま村へと帰り、口をつぐんだが、桜華の両親は、村を追われる事となった。罪状は、娘の参加した儀式の秘密を他の娘に漏らしたことである。
そして今、桜華の散った池は静かな観光地となっている。ほとりに立てられた石碑には、この伝説が刻み込まれている。尤も、読むものはあまりいない。