2、ナクシタ おもひで
あの後、司は何日か意識を戻さず、ようやく体調を取り戻し、学校へ登校すると、クラスはまるで何事もなかったかのようにいつものままだった。
「やっと来たな~。」
クラス、メイトは普通に司に絡んでくる。
ただ、友達の机の上には、花を飾った花瓶が置いてあった。
けれど、誰もそれにふれるものはいなくて、腫れものに触るのを嫌がってるとか、そんなんじゃなくって、本当に何事もなかったかのように、誰ひとり、友達が亡くなったことを一切気にしてはいないようだった。
もともと、存在感のない奴ではあった。
けれど、これってあまりにも酷いんじゃないか?
そう思い、唇を噛みしめる司の心が、ズキリと痛んだ。
それから、司はあの場所へ行くことが出来なくなっていた。
あの光景を思い出すから、怖くて行けない。
それでも、司が寝込んでいるうちに終わってしまった友達の葬儀。
せめて線香を上げたいと、友達の家へ足を運ぶと、そこはもぬけの殻だった。
司が、母親に確認すると、友達の家は、友達の葬儀が終わると、逃げるように引っ越しって行ったのだとか。
結局司は、友達に最後の挨拶さえ、できなかったのだ。
秋風を感じながら、司は目を瞑った。
この河原の、この土手に司が立つのは、本当にあの時以来。
――つかさ。―――
ハッとして、司は目を開いた。
けれどそこには誰もいない。
けれど、呼ばれた気がした。懐かしいあの声に。
ダッダッダッ
司は家に帰るなり、勢いよく母親の元へ駆け寄っていた。
「ねえ、母さんっ! あのさあ、あのっ…… あれ?」
「だうしたのよう? 珍しいわね、司がそんなに慌てるなんて。」
「ああ、いや。」
そう言いながら、司は頭を振った。
あれ? なんでだろう? 顔はあんなに思い出せるのに……。
「ねえ、母さん。 オレが仲良かった友達。 よく遊びに来てたと思う。 ほら……死んでしまった。」
「ああ。」
普通に取り繕うとしているが、司には母親が気まずそうにしたような気がした。
「えっと、名前。 ……思い出せなくって。」
「あっ、えっと名前ね。 あらやだ? 私も思い出せない。お母様ともお父様とも、仲良くさせていただいていたのに。」
司は困った顔をすると、
「オレ、結局線香もあげてないんだ。 ちょっとあいつと、話がしたくって。 引っ越しちゃっただろ? 引っ越し先知らないかなあ?」
大きく成長した司は、母親を見上げるぐらいだった。
が、その司の頭に、母親はポンと手を置いて、困った顔をした。
「あのころは司も小さかったから、言わなかったのだけど、あの子のご両親、あのことが原因で離婚されたのよ。 あの子はね、なかなか子供のできないふたりに、やっとできた子だったそうよ。 なんでもあの子が亡くなった原因はご主人にあるとか、奥様がお葬式の時にそう言っていたわ。 だから私も、2人の連絡先も、あの子のお墓の場所も知らないのよ。」
司は、ギュッと目を瞑ると、一番聞きたくないことを、訊ねた。
「ねえ、母さん。 友達は、なんで死んだの?」
その瞬間、母親の身体がビクリとしたのを、司は見逃さなかった。
「……たしか、事故だったわ。回送列車の、網棚が壊れてて。」
そう言いながら、母親はガクガクと震えだしていた。
「とにかく、私も名前、思い出してみるわね。」
ガクリと、足から力が抜けるようだった。
殺したのはオレだ。
オレがそそのかしたりしなければ、真にばかり、気がいってなければ……。
オレは、友達を殺したでけじゃなく、仲が良かった友達の両親まで壊してた……。
友達の、名前さえ憶えてないのに……。
「司?」
司はふらふらと歩きながら、自室へと、戻っていった。
司は自室へ戻ると、クローゼットの中から、昔のアルバムやら卒業アルバムを引っ張り出してきた。
そうして、片っ端から調べた。
けれど、小学校一年の時に亡くした友達は、小学校の卒業アルバムにも、幼稚園のアルバムにも、どこにも載っていなかった。
司を撮ったアルバムにも、どこにも居なかった。
「どうして……。」
まるで、その存在を否定しているようだと司は思う。
+++++
覚えているだろうか?
司は、そう思い、期待薄だが、部屋を出ると、離れにある弟、真の部屋を訪ねた。
トントンと、戸を叩き、返事を待たずに戸を開けた。
「真。」
部屋では、弟の真が、幼馴染の 時田 高世 と勉強中だった。
高校2年の夏休みを終えた2人は、そろそろ受験に本腰を据えているのだろう。
どちらかっていうと、真が高世に勉強を教えているように、見えないでもない。
「ごめん。 邪魔した?」
「いいよ別に。 何? オレたちもちょっと休憩したかったし、入れば?」
司は、そう言う真に部屋へ通され、黒いソファーにテーブルを挟んで高世と向き合った。
真は、そんな2人に、冷えたカルピスを出してくれた。
そのカルピスを、司の隣にもうひとつ置くと、真も司の隣に座った。
「どうしたの? なんかいつもの司と違うね。」
さすがに弟には見透かされていると、司は思った。
司は、あらたまると、真の方を向き、神妙な顔をして訊ねた。
「ねえ、真。 オレの、オレの友達覚えてない? 小学校の頃の?」
そう言われて、真はきょとんとすると、
「大河?」
今もなお、司とは腐れ縁のような友達の名を口にした。
司は、眉間を寄せると、
「いや、あれはまだ、一応友達だと……思う。 じゃなくって、もう、亡くなってるんだ。」
そう言われて、真も、一緒にいる高世の顔も、神妙な顔つきに変わった。
「……司の友達に、亡くなった人っていたっけ?」
そう言われたから、司が真の後頭部に手を宛て、ある場所を擦ると、真はビクンっと反応した。
「なっ、真剣に訪ねてくるからこっちだって真剣に考えてんのに、何すんだよっ!」
「やっぱり、覚えてないか。」
「えっ?」
喰ってかかった真だったが、変わらない態度の司に、少し拍子抜けしているようだった。
「真が小学校に入る前、その友達に土手で突き飛ばされて、真ここケガしたんだよ。 たしか2針縫った。 友達はその次の日に、死んだ。」
「なっ!? ちょっ、ごめん。 覚えてない。――ケガしたことあるのは、後で聞いたから知ってる。 ……なんで、その友達亡くなったの? オレのせい?」
それに対して、司はすぐに首を横に振った。
「違う、オレのせいだ。 ―――オレが殺した。 オレが、……なのに、名前覚えてないなんて、……最低だよな。」
顔を伏せた司の下。 真のハーフパンツに水玉の染みが次々にできていった。
「司。」
真はそれを見ると、兄の身体を抱きしめた。
背中をぽんぽんと、軽くたたきながら、
「そうやって、今思い出されてる。 10年以上も経ってるのに、家族でもなくて、こうやって思い出してくれる人は貴重だよ。 きっと、その友達も、それだけで司のこと感謝してるよ。」
「ねえ、なんで? 司はなんでその友達のこと思い出せたの? 今頃思い出すなんてさあ、何かきっかけがあったんだろ?」
傍らで、2人を見ていた高世がそうひらめいたように言った。
「きっかけ?」
「記憶に閉じ込めていた友達を蘇らせたきっかけ。 その扉の奥に、答えはあるんじゃないかなあ?」
「―――列車。」
司はそう口走ると、2人を残し、部屋を飛び出していった。
「司あ。」
「大丈夫かなあ? 司。 オレ、余計なこと言った? なんか、列車ってつぶやいて言ったよなあ?」
「ああ。」
2人には、一抹の不安が残った。
+++++
あの回送列車は、まだあるのだろうか?
そう思って、司がネットで調べると、すぐに答えは出た。
あの、午後4:44に鉄橋を渡る回送列車は、今も健在だった。
そもそも、回送列車は、ダイヤで余った列車を車庫や始発駅に送り届けるシステム。
普通より車両数の短い回送列車は、車両数の、途中で短くなったり、長くなったりした残りを、車庫まで送り届けるシステム。
最近ではめっきり減ってしまっているが、この路線では、この回送列車だけが、今も残っていた。
これを確認すると、司の胸の奥で、何かがぞわりと鳥肌を立てた。
が、司はこれを、核心に迫って身の毛がよだったのだと解釈した。
この列車に、乗ってみるべきだ。
司はそう思った。
そうしてまた、目を瞑る。
眼下に広がるのは、車両を飛び散って真っ赤に染める血飛沫。跳ね飛んだ友達の頭部。
これがきっかけだった。
あのころ。司は、友達を思い出すたびにこの映像の残像に悩まされた。
もちろん、あの河原には近づけない。
そうして、友達のことも、思い出さないようにして、そのうち、本当に思い出さなくなった。
本当は、なんで友達が死んだのか? 司は知らなかった。
あの回送列車に乗ったからといって、何かが分かるとは限らない。
けれど、高世が言うように、きっかけではあって、何かのきっかっけにはなるかもしれない。司は、そう思った。
次の日、司は、列車の始発駅のホームに立っていた。
時刻は、午後3:55
ホームに列車が入ってくると、司は前から四両目の車両に乗り込んだ。
まもなくして、司が乗り込んだ車両の後ろの車両が切り離された。
そうして列車は、駅を発車した。
司は、四両目の車両の、後ろの方の座席に座っていた。
列車が発車してしばらくしてから、車内を車掌に気づかれないように見て調べたのだが、特に異常は感じられなかった。
だから司はここに座っていた。
友達の名前を、覚え出す気配も、今のところなかった。
列車は、列車にしては昔懐かしい、新幹線のような座席だった。
普通の列車で、こんな座席、今でもあるんだなあ。
高校生のころから、学校の送り迎えが親の会社の部下の車である司にとって、列車そのものも、馴染みが無いのだが、この座席の形態には、新幹線ぐらいしか思い浮かばないのだ。
司が、ぼんやりそんなことを思っていると、なんだか車内の色が、赤らんできた気がした。
最初は司も、気のせいだろうと思っていたのだが、その色は、だんだんと濃くなってきている気さえした。
司が時刻を確認すると、午後4:40だった。
そろそろだと思った。
しかし、この色はなんなのだろう?
そう思い、司は車窓を確認した。
まだ、9月初めのこの時期では、夕焼けにはまだ早い。
案の定、眺めた車窓の空はまだ明るかった。
では、なんで?
そう思って、司が再び車内に目を向けると、
―――司っ、逃げてっ。―――
また、懐かしい声で、そんな声が聞こえた気がした。
耳をその声に傾けるように、司が車内に集中していると。
ゆらり ゆらり と、幾つもの黒い靄の柱が、車内に、床から生えるように揺らめきだした。
それを確認すると、ゾクゾクっと、司の身体を寒いものが駆け抜けた。
「な、なんだ?」
司がそう呟くと、その靄はだんだんと鮮明になって行き、人型になって行く。
気が付いた時には、真っ黒なローブを身に纏った人型が幾つも車内に立っていた。
司の脚が、ガタガタと震えているのが分かった。
が、その中心のローブの人型が、幼い少年の両手を、吊し上げているのが司の目に留まった。
「ダメっ。 司、逃げて。 僕は、もう大丈夫だから。」
「やっ、嫌だ。」
司は、その少年が、自分の友達であることを確認すると、そう叫び返していた。
ただ、司の脚は、床に縫い止められてしまったように、まったく動かないのだけれど。
「大丈夫なんだっ! 司が来てくれただけで、僕は嬉しいから。」
「良くないっ、ぜんぜん……、オレは、満にっ、松山 満 に、すぐに会いに来なかったんだっ! ここに来れば、満に会えるかもしれなかったのにっ!」
司は、そう叫びながら、鉛のように重い足を、一歩一歩、満と、ローブの人型に向かって歩み始めた。
その間に、ローブの人型が、大きな鎌を手に現わし、大きく振りかざした。
司は、身体を一瞬ビクリとさせたが、怯まなかった。
そのまま、友達に向かって歩き出す。
「やっと会えたんだっ! 名前だって忘れちゃってさ、酷い友達だよな。……ずっと、満をこんなところに置き去りにして。」
「……いいから、司っ、来ちゃだめだ。 こっちに来ちゃ……。」
それでも、あとちょっと、捕らわれた友達の、小さな身体を司が抱きしめたと同時に、大きな鎌が、司めがけて振り下ろされた。
バーンっ!!っという大きな音が響いて、ガタンゴトンと、列車が鉄橋を渡る振動が車内に響き渡る。
へなへなと、尻もちを突いた感覚が、司に伝わってきた。首を落とされた感覚は無い。
そして、腕の中の僅かな感触。
硬く閉じた目を開けば、そこには、満の、あどけない顔が、心配そうに司を見上げていた。
腕の中の満は、小学校1年のまま。
その身体を抱きしめている感覚は、司の両腕にちゃんとあった。
自分もやっぱり、死んだのだろうか?
司がそう思って、車内を見渡すと、先ほどまでの黒い影はどこにも見当たらなかった。
ただ床には、バスケットボールがひとつ、なぜか転がっていった。
「満。 思い出した。 会いたかったんだ、ずっと、満に……」
お別れが言いたかったから。
その言葉は、司からは出なかった。言いたくない。
今、満が腕の中にいるのに。
司は、そう思うと、腕の中の満を、ギュッと抱きしめた。
「司。 ありがとう。 来てくれて、僕を覚えてくれていて。 ……でもね、僕はちゃんとわかってるから、僕は司の中にいるから。」
にっこり笑って、見上げる満と、目が合ったと、司は思った。
「助けてくれて、ありがとう司。」
ゆっくりと、司の腕の中の満は、消えていった。
「満……。」
後には、床に座る、司が残された。
+++++
「司、次の駅で降りよう。」
しばらく司が呆然としていると、声が掛かった。
我に返った司の目の前には、弟の真の顔があった。
「真?」
「よかったよ。司のあとを付けていて。」
そう言う真に、司は抱きしめられた。
その片腕には、バスケットボールが抱かれていた。
真が司を抱きしめる腕に、ギュッと力を入れると、司はその胸に、顔を埋めた。