女占い師と女難の相〜嘘つきなのは誰?
ジャックには最近新しい恋人ができた。
ことのはじまりは街の中央広場を歩いている時に、すれ違った女がハンカチーフを落としたことだ。女は地味を装っているが、艷やかな黒髪を最近流行りはじめたヘッドドレスで飾っており、大学で洒落者で通っているジャックは目ざとく彼女の服装を上から下まで見定めた。
ジャックはいわゆる商家の次男坊。いずれは家を継ぐ兄を手伝うだろうが、兄ほどの責任は求められていない。数字は兄に任せ、目利き、口上、それらを磨きつつ人生を楽しむ。それがジャックの役割だ。
これまでジャックは町の裏通りにある花屋の妹娘と付き合っていた。看板姉妹はそっくりだが、姉には右顎に、妹には左顎にほくろがあった。忙しく働きながらも笑顔で客を迎える姿がかわいらしく、声をかけたのが始まりだ。素直でジャックのいうことは何でも聞く娘だったが、垢抜けず教養もなく、ずっと連れ添うことは考えていなかった。『私たち、これからどうする?』娘の言葉に潮時を感じ、ジャックは別れを決意した。
ジャックの暮らす家と花屋とは、街の中央の広場を挟み、全く反対に位置する。ジャックが向こう側に行くことはあるが、向こう側の人間がこちらに来ることはない。別れの言葉なんてものはいらない。ジャックが行かなくなればそれで終わりだ。
「大学ももうすぐ卒業だしな。そろそろ落ち着かなくては。妻にするならあのくらい趣味がよく品のある女がいいな」
ジャックはさりげなさを装いながら、召使いとおぼしき女と何か話している女に近づいた。
『こちらを落とされたのでは?』
そうしてジャックと女―アメリアの清く正しい交際が始まった。
◆◆
アメリアはいつも身ぎれいにし、召使いを連れて歩く。騎士は堅牢な鎧を着る。道化師は鈴がついた手首足首を縛った衣装を着る。アメリアのドレスもそれらと同じ、いわば仕事着だ。戦闘服と言ってもいいかもしれない。
今日は久しぶりの『デート』である。アメリアは淑女らしく噂になることを恐れ、いつも街で偶然を装いジャックと待ち合わせる。仲介は召使いだ。ジャックはデートのたび、召使いに小銭を握らせた。召使いを味方につける、これは商売の基本である。
もうかれこれ半年ほどアメリアと付き合っていて、ジャックはいよいよ踏み込みたくなっていた。もう関係を隠さずともよいのではないか。今日こそはアメリアと腕を繫ごう。
だがそんなジャックの決意をいつものようにするりと交わし、アメリアは言った。
「まぁ、占いですって」
淑女は簡単に手を握らせない。その手はここぞというときに使うのだ。
果たして、アメリアの目線の先には初老のジプシーの女がいた。日焼けし、しわにまみれた顔。しわに埋もれて表情は分からない。顔と同じくしわにまみれた手をいきなりジャックに突きつけた。
「あんた、災いの相がでてるよ」
失礼な女だな、ジャックはそう思ったが、アメリアはというと不吉な言葉に震えてジャックにすがりついた。
「まぁ、なんてこと」
ジャックに捕まる手に力が込められる。
「悪いことが起きるなんて怖いわ。なんの災いかしら?防げるの?あなた、それがわかるの?」
「ああ、近いうち、不幸が振りかかる。もっとよく見せておくれ。きっと助けてくれる人も見えるはずだ」
アメリアはジャックの腕を離さず、彼を前に押し出すように占い師の方に近寄った。
「ねえジャック、占ってもらいましょうよ」
ジャックは占い師を胡散臭く思いながらも、震えながら自分にすがりつくアメリアの体温に気を取られた。占い師に言われるがままに手を差し出す。
その時――
『動くな!』
鋭い怒号が街に響き渡る。
ジャックは手にアメリアをぶら下げたまま、ビクリと固まった。
◆◆
警備隊は巡回して街の治安を守るのが任務である。警備隊長がよくできた人でしっかり統制が取れていると専らの評判である。ただ、平民であるからか誰も彼もいかつくやや顔つきが恐ろしい。
『動くな!逃げる奴は容赦しない!』
隊長が剣に手をかけ、大声をあげる。街の人々が一斉にこちらを見た。
「結婚詐欺で手配中のマリアンヌだな」
隊長は、兵士に取り押さえられたアメリアに向かいこう言った。
「え…?」怪訝そうにいうジャックに一瞥もくれず『アメリア』は答える。
「何をおっしゃっているの?私はアメリアよ」
隊長は部下に持ってこさせた水を『アメリア』の頭からかけた。
「なにするのよ!」
思わず大声をあげた『アメリア』に、ジャックはあぜんとした。
「どうしたの、ジャック…」
「アメリア、君のその髪…?」
アメリアのドレスに、頭から黒いシミが滴っていた。
そう、アメリア、いやマリアンヌは金髪だったのだ。
染め粉が流れ落ちて、黒髪の隙間から金の髪がのぞいている。ジャックが子どもの頃家で大事に飾られている黒漆の飾りをうっかり傷つけたとき、中から出てきた木の色のように。あのときはしこたま怒られた。得てして中身というのはバレてはならない。
「あらまあ、ばれちゃった」
もうちょっとだったのにね。
滴る雫を拭いもせず、マリアンヌは肩をすくめてみせた。
「残念だわ。とても楽しい時間だったのに。夢の時間はもうおしまい。」
マリアンヌは今までで一番美しい笑顔を浮かべ、そう言った。
「それからお前、手のなかのものを出せ。こいつのポケットから何かをスっただろう」
隊長は次にジャックの右側にいた女に声をかける。
「すった?」
ジャックは全く女に気がついていなかった。あわててポケットに手を入れる。コイン入の巾着が入っているはずのポケット。だが手に触れたのは何か長い形状のものと布切れだった。
あわててポケットから引っ張り出す。
「うわっ」出てきたものをみて、思わず取り落とした。
そばにいた兵士が拾い上げる。
「ナイフのようです。この黒いのは血のあと?あとハンカチーフですね。Jのイニシャルが入っています」
「そんなもの知らない!俺のじゃない!」
隊長は『スリの女』に向き直った。
「お前、もしかしてスッたんじゃなくてこれを『入れた』のか?」
女はふてくされたように言った。
「こいつが悪いんだよ。愛してたのに、こいつが捨てたから!愛してるって言葉を信じてたのに!お前に捨てられて自分を傷つけた。こいつに嫌がらせしたってバチは当たらないだろ!」
ジャックは女の顔を見た。花屋の娘にそう言えば似ているような気がする。「お嬢様方は恋人に刺繍入りのハンカチを贈るんでしょ。素敵ね。真似してみたいな」以前はにかみながら娘がそう言っていたのを、女の向かって右のホクロ―右顎にホクロのある、おそらくは姉の顔―をみながらうっすらと思い出した。
「あとで詳しく聞くよ。それからお前」
ジャックの左隣にいた女に隊長は告げた。
「お前が気をひいている間にスリをするのがやり口か?それとも占い師の仲間か?」隊長の尋問に、いつもジャックが小銭を握らせていた召使いはふてくされたように言った。「あーあ、バレちまったなら、言い訳はしねえよ。とっとと連れてけよ!」
ちょうどそこに警備の応援がやってきた。三人の女は両腕をつかまれて、手早く縄にかけられて連れて行かれた。これからそれぞれが巡回所でじっくりと話を聞かれるのだ。
女占い師はいつの間にか逃げ出していた。取り逃がしたのは失態なのだろうが、単なる占い師だ、さほど大ごとではないのだろう。
ジャックも兵士に促されて歩き出したが、まだ起きたことに混乱していた。一晩牢で過ごしたら、頭も冷えるかもしれない。
◆◆
女たちを別の班に引き渡し、隊長ベルトランと部下たちは巡回に戻る。
「結局みんな嘘つきだったってことですかね」
部下がつぶやく。
女の身元は嘘。
召使いの忠義も嘘。
スリの女の目的も嘘。
花屋の妹のおとなしい性格も嘘。
そして、ジャックが恋人にささやいていた『愛してる』も、嘘。
「……隊長、いったい誰と誰がどうグルだったんでしょう? あの占い師は、詐欺師の仲間だったんですかね。それともスリの仲間なんでしょうか」
ベルトランは踏まれて見る陰もない、石畳の隙間の草を見るともなく見た。
「さあな。みんな自分に都合のいい嘘をついていたのは間違いない。……本当だったのはジプシーのバァさんが言った災いの相とかいう予言だけだ。あのバァさん、なんだかんだ言って本物だったのかもな」
※本作は、17世紀フランスの画家ジョルジュ・ド・ラトゥールの名画『女占い師』に着想を得た短編です。




