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魔人と狼は幸福を求めない  作者: 澱粉麺
水の廃墟、マル・ナク
15/27

そうして雨は降り終わり




「…雨にうたれるのも飽きたとこだ、オレぁそろそろ戻るぞカリナ」


「……」


「手前がそこに居たいなら勝手にしな」


「……ああ、そうすることに…」



「いいや。戻ってこい、カリナ。

お前まで体調を崩したらどうするんだ」



その声は、シズクの声でもカリナの声でも無い。その場にいないはずの第三者の声。第三者の存在とはつまり、他にはここに連れてこられた意識のない女の子しかなく。

だからその声が意味することは。



「…!」


沈痛な面向きでうなだれていた狼は、その声を聞いて、はっと首を上げた。そうして、始めは歩くような早さで。次第にもうすこし足早に、その声の持ち主の方に行った。



「…ルーチェっ!意識を取り戻したのか!もう、立ち上がって大丈夫なのか?」



どん。

カリナの嬉しさが前面に出た言葉への返答は、ただその無言と共に出された、腕のみだった。その腕は、強く押し、狼を横に退かせた。



「おお、起きたのかい!

良かった。…ああ、心底良かったよ。誰かを助けられるならそれに越したこたねえ」



そうして、ほっとした感情を前面に出した英雄に向かって、つかつかと歩き続ける少女。その背姿をどこか、呆然とカリナは眺めた。



「へえ、そうかい」


様子のおかしさには気づいていたつもりだった。だがきっと、まだ本調子じゃないのだとか、英雄を前に殺気立っているとか、そういうことだと思っていた。だがそこでカリナはようやく、何かがおかしい事に気がついた。



「それが、こんな相手でも?」


そうして眼鏡を外して、その緑色の眼をシズクに見せびらかすように睨んだ。それに睨まれた瞬間。シズクの黒い眼に驚愕が浮かんだ。

否、驚愕というよりも、もっと。

おぞましいものを見た顔の顰め。



「……カリナ……この子……

いや、こいつ…お前、は……!」


「うぷっ」



…この女傑とカリナは、数日程度の付き合いでしかない。しかしだからこそ、この女性の感情と対応が、予想の外側から来たものであったことに、心底驚いた。


シズクは、嘔吐したのだ。

何かに耐えられず。

何もかもに、耐えられず。




「おえ、ええええええっ…!

げええ、げぼっ、げ、ええええっ!」



ただただ困惑して、両者を比べるように代わる代わる見るカリナをか、それともそうしている英雄を見てか。嗜虐心を満たされたように口を歪める少女は、ただただ悪辣で。そして、それでも可憐だった。そのアンバランスさがより一層、英雄に吐き気を助長させた。


暫く、激しい嘔吐は続いた。

その間、誰も何もできなかった。何かしようものなら、何かこの平衡が崩れるような気がして。



「……なんで…

なんでこんなことに、なっていやがる、お前は」


「なんでだと思う?

僕が聞きたいんだよ。だがまあ、お前のその反応からすると、お前もシロみたいだな」


「答えになってねェんだよッ!なんでオレは、こんなものを見なきゃならねぇ、畜生ッ!」


「なんでかなんて、分かりきってるだろう。歪んだ生をお前が享受したからさ、英雄さま」


「………」


二人の間のみで交わされる会話を、しかし眉を顰めて見るしかないのはカリナだ。

会話の内容は、何一つわかりはしない。だが代わりに、そのそれぞれの込められた感情や動きはわかる。だからシズクがその隻腕でルーチェに掴み掛かった時も、カリナは微かにしか動かなかった。微かに、脚を狼に変幻させる以外は。


「歪んだ生!?歪んだ生き方をした自業自得!?ふざけるな!これをしたのは誰だッ!」


「……これはてめぇが!てめぇが勝手にしたことだろうが!オレは、お前のせいで、お前の…!」


「……」


「そうだな。だから僕はお前を殺しに来たんだ。お前の『星』を、粉々に砕いて」


カリナの思考が、止まる。

言葉の意味がわからない、というただ単純なことと、それに伴う思考の鈍化と鋭敏化から。


(……待て、待ってくれ。

ルーチェが、英雄たちを不死にした?)


「さあ、星を差し出せよ。お前の望み通り、お前を殺してやるよシズク。

もう何もする気もないんだろ?雨なんぞにうたれて自己憐憫する以外はさぁ」


「…聴いていやがったのかよ、クソカマ野郎。いつの間にか、盗み聞きが趣味になったんだな?ゲロクソが」


「ああ、聞いていたよ。その汚い言葉遣いも、うちの犬が馴れ馴れしく、馴れ馴れしく!媚を売る様子もな!」


(不死にする、なんて荒唐無稽をどうやってやったんだ。それこそ、神と呼ばれるような存在しか出来ないはずだ。神の与えたような力…

『八つ星』の、ような…)



「……星なんざ、いらねえよ。

もうオレにはいらねえものだ。だから勝手に先に壊しときな。だが、その後。そのまま殺されてやるわけにはいかねェなぁ。ただ殺されるだけなんて、ムカつくからな」



(…馬鹿な。

それならつまり、ルーチェの『中身』は…)



「条件がある。従わねえならそれで構わねえよぅ、オレが今すぐ手前らをどっちも殺して全部水に流して終わりさ」


「内容は単純さぁ、カリナ。

……手前がオレを殺してみせろ」


は。自らの名前を呼ばれてようやく正気に戻った狼は、その発言にしかし、と、言葉を紡ぐのを躊躇った。何故躊躇った?

それは彼自身言語化こそ出来なかったが。



「…ッ!」


その姿を見て、更に、より一層。

苛ついたようにルーチェが睨んだ。

「やれ」。ただ、それ以外は必要ないとばかりに。


そう、されたなら。カリナにはそれを断る理由はない。ただ頷くしか求められてないならかくあるべし。


「………ああ、やろう」


「…フン、決まりだな。

なら、さあさっさと差し出せ」



「お前の星を、砕かせろ」



いつもより乱暴で乱雑な口調で。何かを踏み潰すように脚を踏み躙って、銀髪の少女は吐き捨てた。その眼からは、病的な光が溢れる。




…


……



──楽しい、楽しい。

生きていることの全てが刺激的な瞬間。オレのその魔法の時間は、終わった。最高の、旅の期間。その全てが楽しかった魔法より魔法だった刻。

だから残りはただ、長い残り時間をなんとか過ごすだけ。それまでの思い出すら褪せてしまわないくらいに。それだけでよかった。

良かったのに。



「さあ用意はいいかよぅ、わんころ。動くなよ。オレがてめえを叩きのめすのに、時間がかかるからな」


「……そうするわけには行かない。

既に言ったことだ。俺は…あんたたちを殺すことを目的にしてるんだ。これでも、な」


「はっ、その折れた槍でかよ?もうちょいマトモな武器を持ったらどうだ」



──何故だ。何故、オレを不死などにした。

なんでオレたちにこんなことをした。

星に願いを。この、かけられた願いを消せ。

そう、真っ先に願った。

だけどそれは出来ないらしい。

同じ仲間の星への干渉はできねぇってか。



「へぇ。いいじゃねェか。だがさっきの、考え込んでた時。ありゃよくなかったぜ。前も言ったろう?思考と感覚の両立だ。今はそれが出来てるが、常にそれを意識しな」


「……あんたを殺そうとしてる奴を、指導するやつがあるか。やめてくれ、そんなものは闘いじゃないだろう!」


「…闘い、たたかい。そうだなぁ。

続けとかなきゃ、な」



──食わなくたって飲まなくたって死なない。何もやらない、やる必要がない。たたかいだって、どう戦っても生き残って死なない。こんなにつまらないものも無ぇ。ドグならこれでも楽しむことは出来たかな?



「がはっ!…ははッ!悪くねえ!

いいじゃねえか、その動き!」


「ぐるる、るるっ…!

……シズク、あんた…っ!」


──だからオレは暇つぶしを寄越すように星に願ったんだ。なんでもいいから暇つぶしを。オレに、オレに合った暇つぶしを。ノヴァ、あいつは手遊びを幾つか教えてくれたがそんなの、クソの役にも立ちやしない。


だから、暇つぶしを。それだけの願いから始まった暮らしは、ただの戯れの真似事だ。本当にくだらない、ただの真似事。

英雄さま!これ、あげる!なんて。

…その、真似事の途中で渡された花も。

くだらないだけだった。



「…その弓は飾りなのかッ!?やることは一つだけだろう!その矢を射抜け!俺はそれを凌いで、あんたを倒す!あの時、撃ちそびれたものを今撃つだけだ!なぜ、それをしないッ!」


「……ハハ、自惚れるなよぅ、オレの矢を凌ぐなんてできるわけがねぇだろう」



──顔を見せねえとうるせえから。また会いに来てくれないとやだなんて、ほざくから。いつでも来ていただけたらなんて無責任に言いやがるから。たまーに、顔を見せてやる。それくらいの塩梅にしていた。

「英雄さまに頼り切りになることがよくないと分かっているから、わざと身を引いてくださってるんだよ」と勝手に思いこむやつもいた。

そんなんじゃないさ。


「だが…これを、御所望か?

なら見せてやるよう。見てえんならな。

ただの一本で十分だ」


「……『天をも穿つ矢』…」


「やめろよ、その呼び方。これにゃアルテミスの雫って名前がある」



──全ての村民が消えて失せた。鼻にこびり着く甘ったるい匂いと、散った花びらが、それの理由と原因、下手人を明らかにしていた。

花と幸福の園、ミーグメィルの常駐軍。

それの象徴だったんだから。


血に塗れた、それとは違う花びら。花冠で渡されたものと同じ花。家の裏手に沢山生えていると、自慢げに教えられた…

怒りのまま手にしたアルテミスの雫も、矢も、ただ力無く零れ落ちた。力が、抜けた。

なんで、こんなことをするんだ?

なんで皆が狙われなきゃいけなかった?

なんでこんな酷いことをする必要がある?

なんでオレはこれを未然に止めれなかった?

なんで……



「………」



この裏切りは、二度目だった。

この辛さは二回目のこと。


リーフィ。なんでお前が。

何故お前が、オレにこんなことを。

スノウ。なんで、お前が。

オレを不死身になんてしたんだ?


お前を、お前たちを、ともだちだと思っていたのはオレだけだったのか?

オレから、くだらない暇つぶしすら奪うほど、オレはお前たちに恨まれていたのか?



「……シズク?」



──そうだ。でも、だとしても失ったものはただの暇つぶしだ。だから、そう気にすることもない。だから……


なのに、なんで、こうも雨が降っている?


体温と一緒に全ての力が抜けた。

あの時の、不死になりたての頃と同じ。復讐の怒りよりもこの雨の冷たさが、頬を伝っていく。

この雨はなんで降ってるんだろう。

この雫はいつまで垂れるんだ。


なんだろうなぁ。なんでだろうな。

オレは、なぁ…



「…なァ、カリナ」


「なんだかオレはもう、疲れちまったよ…」



……一本のみの矢。二の矢いらずのそれは、一本も放たれはしなかった。

シズクは、引き絞った鉉を、そのまま緩めて。隻腕から弓を取り落とした。


カリナはその姿を見て、手を止める。


刹那。

巨大な氷の針が、彼女の首を貫いた。

最期の顔は、ただ、笑顔だった。



…


……



「…シズク……」


雨に流れて、血が失われていく。命が急速に失われることがわかる。そしてもう、この女性には、何も出来ないことも。

英雄と呼ばれる者の、呆気ない死。それはただ、狼の胸に風穴を開けるような虚無のみを残していた。



「カリナ」


横から飛んできたその凍針は、つまりこの狼を呼ぶ少女の声と同じ方向からのもの。

仰々しい杖の先から飛んだ、凍結の力。ルーチェは、戦闘を終えたばかりのカリナを鬼気迫るような顔で呼び、そして殴りつけた。


「何故、手を止めた?」


「…星は、砕くことは既にできていたんだ。何も、殺さなくても良かったのでは、と」



哀しげにそう言うカリナを見て、改めて激昂したように少女はもう一度カリナの頬を殴った。ぺちん、という音が似合うような非力なそれは、しかし身体の小ささの産物であり、込めた力は手加減など微塵もなかった。



「僕が、寝ている間に!よっぽどあの女に絆されたんだな、なぁ!!」


「そういうわけでは…」


「そういうわけだろ!」



明らかに冷静ではない様子の相棒を、カリナは改めて呆然と眺めるようだった。彼は、この彼女がいつも落ち着いてくれているからこそ、彼女だと思っていた。であるのに、今の彼女は、どうしたのだろう。



「随分と楽しく暮らしたんだな?随分と、快適な暮らしをしたんだろうな!良かったじゃないか!僕以外の主人ができて!」


「…俺は…あんたが、ドグを殺したことを悔やんでいたから。だから殺さずに済んだら、それが一番いいんじゃないのかと思ったんだ。あんたが、悲しむならと…」


「はっ、僕のためか!そう言えば、誰に尻尾を振っても許されると思ってるのか?馬鹿が!」


一線を越えた罵倒の数々、かちんと来なかったと言えば嘘になる。

だが、それよりもカリナを支配したのは、もっともっと大きな感情。

何故、こうも怒ってる?

とまどいだけが、ずっとあった。



「カリナ!お前は、僕のなんだ!」


「…俺は…俺は、あんたの」



「そうだ!お前は僕の下僕だ!

下僕が勝手に、僕以外に跪くな!

二度と、二度と僕以外に傅くなッ!」


はっ、はっ。息切れして、そこまで一気に吐き捨てて。そうして初めて、ルーチェの、理性的な部分は戻ってきた。


そしてそこで初めて。

カリナの顔を見た。

しまったと、口を抑えた。



「……俺は…」


「…俺は、あんたが前に、相棒と言ってくれたのが嬉しかった。認めてくれたような、そして俺とあんたが同じ認識を持ててることが嬉しかったんだ。……だが…」


「……自惚れだったか。悲しいな」


口元だけを歪める笑い。そしてそれはまるで、二人の間に入り始めた亀裂を、そのまま形にしたようだった。




…


……




雨が、ようやく止み始めていた。それは英雄の、降り続けていた雨がようやく止んだことを、指し示すように。


残る星は、あと五個。




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