第3章: 氷の牢獄 ―― セシル、慈愛を殲滅の理へと変えて
ベルナールが放った渾身の『魔力弾』が、オークキングの分厚い漆黒の鎧に直撃した。しかし、これまでの魔物を紙細工のように粉砕してきた光の礫は、金属音を立てて弾け飛ぶだけで、その装甲に傷一つ付けることができない。
「……これでも効かないか」
ベルナールは距離を詰め、ゼロ距離で魔力を凝縮した弾丸を連射した。爆風が周囲を包み、視界が白く染まる。だが、爆煙の中から現れたオークキングは、煤一つ付いていない様子で、嘲笑うかのように鼻を鳴らした。その鎧には、魔力を無効化する強力な加護、あるいは物理的な衝撃を全て拡散させる古代の術式が組み込まれているようだった。
「なら、これならどうだ!」
ベルナールは大剣を上段に構え、体内から溢れ出す無尽蔵の魔力を一滴残らず注ぎ込んだ。青白い炎はもはや白銀の輝きへと変じ、刃を倍の大きさにまで膨れ上がらせる。
彼は疾風の如き踏み込みから、オークキングの肩口を狙って真っ向から斬り下ろした。
――ギィィィィィン!!
耳を劈くような金属の絶叫が響き渡る。衝撃でベルナールの足元の地面が陥没し、凄まじい反動が両腕を襲った。しかし、結果は無惨だった。これまでの獲物を例外なく切り裂いてきた魔力剣が、オークキングの鎧の上で完全に止まっている。斬るどころか、刃が食い込むことすら許されない。鋼と魔力の衝突は、絶対的な「拒絶」となってベルナールの手に伝わった。
「馬鹿な……。一撃で斬れないどころか、掠りもしないとはな」
ベルナールはさらに、魔力を爆発的に放出しながら二撃目、三撃目と斬撃を叩き込んだ。鎧の繋ぎ目、首筋、関節――狙いは正確無比だったが、オークキングはその巨体に見合わぬ俊敏さで戦鎚を振り回し、あるいはその鎧の最も厚い部分でベルナールの剣を平然と受け止める。
鎧そのものが魔力の吸収体となっているのか、ベルナールが魔力を込めれば込めるほど、そのエネルギーが鎧の表面を滑り、霧散していくのが分かった。
「グガガッ!」
オークキングが下卑た笑い声を上げ、戦鎚を横薙ぎに払う。ベルナールは大剣を盾にして防いだが、その衝撃だけで十数メートルも吹き飛ばされた。空中で体勢を立て直し、着地した彼の腕は激しく痺れている。
背後では、女性パーティーの三人が絶望の表情を浮かべて固まっていた。彼女たちの目には、これまで無敵に思えたベルナールが、初めて「壁」にぶつかったように見えただろう。
「魔力も、剣も、通らない……」
ベルナールは荒い息を吐きながら、手元の大剣を見つめた。周囲の森からは依然として無尽蔵の魔力が流れ込み、彼の器を満たし続けている。だが、注ぐべき「蛇口」がいくら大きくても、受け止める「器」がそれ以上の硬度を持っていれば意味がない。
目の前の王は、ただの暴力の塊ではなかった。魔力という理そのものを嘲笑う、絶対的な守護。ベルナールは初めて、自分の力が完全に「詰んだ」かもしれないという予感に背筋を凍らせた。
絶望的な硬度を誇るオークキングの鎧に対し、ベルナールは思考を加速させた。魔力をただ「纏わせる」のではなく、極限まで「圧縮」し、刃の厚みを分子レベルまで研ぎ澄ますイメージ。周囲の森から流れ込む膨大なエネルギーを、一点の線へと収束させる。
「……そこだッ!」
ベルナールは戦鎚の猛攻を紙一重でかわし、懐へと潜り込んだ。鎧の継ぎ目、右肩のわずかな隙間に、白銀の閃光と化した大剣を叩き込む。
――断ッ!
嫌な手応えと共に、凄まじい衝撃が腕を伝う。だが次の瞬間、オークキングの漆黒の鎧を食い破り、その太い右腕が宙を舞った。鮮血が噴き出し、巨獣が初めて苦悶の咆哮を上げる。
「やった……!」
後方で見ていた女性たちが歓喜の声を上げた。ベルナール自身も、手応えを感じて一歩踏み込もうとした。しかし。
「……な……?」
ベルナールの動きが止まった。
オークキングは逃げるどころか、不気味な笑みを浮かべてその場に立ち尽くしていたのだ。欠損した右肩の断面から、禍々しい緑色の魔力が溢れ出す。それはベルナールの知る慈愛に満ちた回復魔法などではなく、どろどろとした生命力の暴走だった。
「グォォォォオオオォッ!!」
オークキングが咆哮と共に呪文を唱えると、切断面から肉肉しい繊維が爆発的に増殖し、骨が突き出し、皮が瞬く間に覆っていく。ほんの数秒。瞬きをする間に、地面に落ちた右腕と同じものが、何事もなかったかのように肩から生え揃っていた。
再生した右腕は、以前よりもさらに太く、赤黒い血管を浮き上がらせている。オークキングはその拳を握り、ベルナールをあざ笑うように地面に転がっている自分の「元の腕」を戦鎚で踏み潰した。
「右腕一本切り飛ばすのに、あれだけの魔力を込めたっていうのに……」
ベルナールの額に冷たい汗が伝う。
今の自分には無尽蔵の魔力がある。だが、相手には「無尽蔵の再生」がある。鎧を貫くために込めた渾身の一撃が、一瞬で無に帰した事実は、暴力的な絶望となって彼にのしかかった。
切り落としても、生える。
魔力弾を放っても、弾かれる。
魔力剣で斬っても、届かない。
「ハァ、ハァ……。化け物め。」
ベルナールは再び大剣を構え直したが、その掌は僅かに震えていた。再生した右腕が巨大な戦鎚を軽々と持ち上げ、再びベルナールの頭上へと振り下ろされる。周囲の魔力は依然として自分の中に流れ込んできている。しかし、その力をどう「形」にすれば、この不死身の王を滅ぼせるのか。
24歳のベルナールは、かつてない壁を前にして、己の魔力の「本質」を問われていた。
再生した右腕が、以前よりもさらに太く禍々しい威圧感を持って戦鎚を握り直す。それを見た瞬間、ベルナールの脳内で警鐘が鳴り響いた。
「(……ダメだ。今の俺では、こいつを殺しきる決定打が足りない)」
無尽蔵の魔力があるとはいえ、それを「一撃」に変換する出力の限界がある。対して、オークキングは鎧による絶対的な防御と、部位欠損すら瞬時に癒やす異常な再生能力を併せ持っている。このまま戦い続ければ、自分の集中力が切れるか、あるいは守るべき彼女たちが余波で命を落とすのが先だ。
冒険者としての本能が、冷徹に「撤退」の二文字を突きつけていた。
「おい、あんたたち! 走れ! 今すぐここを離れるぞ!」
ベルナールは後方の三人に向かって、腹の底から声を張り上げた。歓喜から一転して絶望に凍りついていた彼女たちが、その怒声で弾かれたように正気を取り戻す。
「で、でも、あなたは……!」
「いいから行け! 俺もすぐ後を追う! 振り返るな!」
ベルナールは大剣を正眼に構え直し、オークキングの視線を自分に釘付けにする。逃走の時間を稼ぐための殿。それは冒険者にとって最も過酷な役割だが、今の彼にはそれを完遂できる「予備」があった。
三百本のポーションと、尽きることのない魔力。
「グオォォォッ!!」
オークキングが逃がさぬとばかりに地を蹴った。巨大な戦鎚が空気を引き裂き、ベルナールの頭上へと迫る。ベルナールはそれを正面から受け止める愚を犯さず、魔力弾を足元に叩きつけて土煙を爆発させた。
「『魔力弾』、連続射撃!」
視界を遮る土煙の中から、数十、数百という光の礫をオークキングの顔面目掛けて放つ。ダメージは通らなくとも、視界を奪い、足を止めることならできる。爆風と光の奔流の中で、オークキングが苛立たしげに腕を振り回す隙に、ベルナールは脱兎の如く森の深みへと身を躍らせた。
「ハァ、ハァ……!」
木々の間を縫うように走りながら、常に背後の気配を探る。女性たちはすでに先行し、森の出口へと向かっているはずだ。ベルナールは走りながらも、周囲の木々から魔力を吸い上げ、常に体内の魔力溜まりを最大の状態に保ち続けた。
背後から森をなぎ倒す凄まじい音が響く。オークキングが追ってきている。だが、身軽になったベルナールの速度には、流石の巨体も追いつけない。
「(待ってろよ、化け物……。次は、その鎧ごと塵に変える力を手に入れて戻ってきてやる)」
悔しさが奥歯を噛み締めさせるが、その瞳にはすでに次なる勝利への執念が宿っていた。ポーションを一本取り出し、走りながら煽る。喉を焼くような感覚と共に、戦闘の疲労が強制的に洗い流されていく。
一時間後。
ベルナールは森の境界線付近で、肩を寄せ合って待っていた女性三人の姿を捉えた。彼女たちの無事を確認した彼は、ようやく大剣を鞘に納め、荒い息を吐き出した。
二十四歳のベルナールにとって、それは初めて味わう「敗北に近い撤退」だった。しかし、この屈辱こそが、彼をさらなる深淵の力へと導く糧になろうとしていた。
森の境界線まで辿り着き、オークキングの地響きが遠のいたことを確認すると、ベルナールはようやく足を止めた。目の前では、三人の女性冒険者が疲れ果て、草地に崩れ落ちている。
「ハァ、ハァ……。ここまで来れば、あいつは追ってこないはずだ。……アンタたち、怪我はないか?」
ベルナールは『アイテムボックス』から、琥珀色の液体が詰まったポーションの瓶を三本、虚空から取り出した。突然目の前に現れた小瓶に、彼女たちは驚きながらも、差し出された手を震わせて受け取った。
「これ……中級ポーション!? 貴重なものを、すみません……」
重戦士の女性が代表して礼を言い、三人は一気にその液体を煽った。魔法の薬が染み渡るにつれ、彼女たちの顔に赤みが戻り、切り傷や打撲の跡がみるみるうちに塞がっていく。
「一時はどうなることかと思ったが……命拾いしたな。俺はベルナール。しがないソロの冒険者だ。アンタたちの名前を聞かせてもらってもいいか?」
ベルナールが岩に腰掛け、大剣の汚れを拭いながら尋ねると、重戦士の女性が姿勢を正して口を開いた。
「私はエルザ。このパーティーのリーダーで、前衛を務めているわ。……正直、あなたの強さには腰が抜けたわ。オークの群れを一人で片付けるなんて、お伽話の世界の話かと思った」
エルザは二十代半ば、凛とした目鼻立ちをしていたが、今はベルナールへの畏怖と感謝が入り混じった複雑な表情を浮かべている。
「私は、ミーナ。……魔力弾、あんなに連射する人、初めて見た」
次に口を開いたのは、杖を抱えた小柄な魔法使いの少女だ。まだ十代後半だろうか。彼女の瞳には、ベルナールの無尽蔵の魔力が魔法体系を無視した異常なものとして映っているようだった。
「アタシはカレン。スカウトをやってるわ」
最後に、軽装の鎧を纏った短髪の女性が短く答えた。彼女は周囲を警戒しながらも、ベルナールの『アイテムボックス』を不思議そうに眺めている。
「エルザ、ミーナ、カレンか。……オークキングの出現は完全に計算外だったな。あんな化け物が森の外縁近くまで降りてきているなんて、ギルドに報告が必要だ」
ベルナールの言葉に、エルザが神妙な面持ちで頷いた。
「ええ……。私たちの力じゃ、足止めすらできなかったわ。ベルナール、あなたがいなければ、私たちは今頃……」
言葉を詰まらせるエルザを、ベルナールは手で制した。
「礼ならいい。たまたま通りかかっただけだ。それよりも、まずは街に戻って身体を休めることだ。俺もあいつへの『借り返し』を考えなきゃならねえからな」
ベルナールは立ち上がり、空になった瓶を再びアイテムボックスへと収めた。夕闇が迫る中、助けられた三人にとって、ベルナールの背中はもはやただの冒険者のものではなく、計り知れない深淵を秘めた英雄のそれに見えていた。
街への帰路、ベルナールはエルザたち三人と共に歩んだ。重い獲物も怪我の痛みもない道中だったが、一行を包む空気は、オークキングという圧倒的な脅威を前にした緊張感と、生還した安堵感が複雑に混ざり合っていた。
ギルドに到着すると、ベルナールたちは真っ先に支部長室へと通された。オークの群れ三十体に加え、上位種数体、そして何より災害級の「オークキング」が森の中層まで進出しているという報告は、ギルド内に激震を走らせた。
「……信じがたいが、お前たち四人の証言、そしてベルナールが回収してきた素材が事実を物語っているな。周辺には緊急警戒態勢を敷く」
支部長の重苦しい言葉を聞き届けた後、ようやく解放された四人は、そのままギルド併設の酒場へと流れ込んだ。
「まずは……私たちの命の恩人に。乾杯!」
エルザの音頭で、四つのジョッキが打ち鳴らされた。ベルナールは運ばれてきた山盛りの肉料理と冷えたエールを口にし、ようやく人心地ついた。ミーナとカレンも、極限状態から解放された反動か、猛烈な勢いで食事を口に運んでいる。
食事が一段落し、酒の酔いが適度に回り始めた頃、エルザが真剣な眼差しをベルナールに向けた。
「ベルナール、改めて言わせて。あなたは私たちが今まで見てきたどの冒険者よりも特別だわ。無尽蔵の魔力に、あの収納魔法……。正直、私たちじゃ釣り合わないかもしれないけれど」
エルザは一度言葉を切ると、意を決したように続けた。
「もし良ければ、私たちとパーティーを組んでくれないかしら? あなたの力があれば、あのオークキングだっていつか必ず倒せると思うの。私たちも、あなたの背中を守れるくらい強くなってみせるわ」
ミーナが期待に満ちた瞳でベルナールを見つめ、カレンも無言で力強く頷いた。
ベルナールは最後の一口のエールを飲み干し、天井を仰いだ。一人でいる方が気楽なのは間違いない。だが、あのオークキングとの戦いで感じた「壁」を思い出す。一人では届かない領域、誰かのサポートがあればこそ切り開ける道。それに、この三人の真っ直ぐな視線は、二十四歳にして再起した自分の心に強く響いた。
「……いいだろう。あのアホな豚の王に借りを返すには、信頼できる仲間がいた方が都合がいいからな」
ベルナールが不敵に笑って答えると、酒場の一角がワッと沸いた。エルザは感激したように彼の力強い手を握り、ミーナは飛び跳ねて喜び、カレンは照れくさそうに笑った。
「決まりね! 今日から私たちがあなたの、そしてあなたが私たちのパーティーメンバーよ。よろしく、ベルナール!」
こうして、孤独な死神として恐れられ始めていたベルナールに、心強い仲間ができた。無尽蔵の魔力を持つ剣士と、彼を支える三人の女性冒険者。最強への階段を、彼はもう一人ではなく、パーティーとして駆け上がり始めたのだ。
パーティー結成から一夜明け、ベルナールたち四人は朝日と共に街の門をくぐった。目的地はいつもの森だが、今日は素材稼ぎの狩りではなく、お互いの手の内を知るための「訓練」が主目的だ。
「よし、まずはミーナ。お前の得意な魔法を見せてくれ。オークキングのあの鎧を貫くヒントになるかもしれないからな」
ベルナールの言葉に、少し緊張した面持ちでミーナが前に出た。彼女は小柄な体に似合わない、青い宝珠のついた杖をぎゅっと握りしめる。
「……うん。それじゃあ、私の一番威力が高い単体攻撃魔法をいくね。カレン、標的をお願い」
「了解、任せて」
カレンが手際よく、少し離れた場所にある立ち枯れた大木に赤い染料で印をつけた。エルザとベルナールが見守る中、ミーナが静かに目を閉じ、詠唱を開始する。
「清き源泉よ、鋭き刃と化して万物を断て――『ウォーターカッター』!」
ミーナの杖から放たれたのは、一筋の細い水の線だった。しかし、それはただの水ではない。魔力によって極限まで加圧され、高速で回転する水の刃だ。キィィィィィンという、耳を劈くような高周波の音が森の空気を震わせる。
一瞬の後、印をつけられた大木の幹が、音もなく水平に分かたれた。
「……ほう、なかなかの切れ味だな」
ベルナールは倒れた大木の切断面に歩み寄り、指でなぞった。切断面は驚くほど滑らかで、ヤスリをかけたかのような質感だ。
「私のウォーターカッターは、水の質量に高速回転を加えることで切断力を高めてるの。でも……一発撃つだけで、私の魔力だと半分くらい持っていかれちゃうし、硬すぎる装甲には弾かれちゃうこともあって」
ミーナが少し肩を落として説明する。彼女の悩みは、威力に対する燃費の悪さと、貫通力の限界だった。ベルナールは腕を組み、自らの内に流れる「無尽蔵の魔力」を意識しながら考え込んだ。
「水の回転と加圧か。俺の魔力弾は『衝撃』に近いが、お前の魔法は『摩擦と切削』だ。……もし、俺の膨大な魔力をそのままお前の魔法の術式に流し込めたら、どうなると思う?」
「えっ……? 他の人の魔力を直接受け取るなんて、普通は回路が焼き切れちゃうよ」
「普通ならな。だが、俺の魔力吸収の特性を使えば、中継役になれるかもしれない」
ベルナールはミーナの肩にそっと手を置いた。彼の中に周囲から流れ込み続ける無限のエネルギーを、穏やかに、しかし力強くミーナへと伝導させていく。
「さあ、もう一度やってみろ。魔力の残量は気にするな。俺がいくらでも注ぎ込んでやる」
ベルナールの体から溢れ出す濃密な魔力を感じ、ミーナの瞳に驚愕の色が浮かぶ。彼女の魔力溜まりは瞬時に満たされ、あふれんばかりの活力が杖に宿った。
二人が手を取り合うようにして放たれる次の一撃は、先ほどとは比較にならないほどの圧力を帯びようとしていた。
ベルナールから注ぎ込まれる、暴力的なまでに純粋で膨大な魔力。それに触れた瞬間、ミーナの身体に異変が起きた。彼女の魔力回路は、ベルナールの底なしのエネルギーを器に収めようと必死に拡張され、やがて臨界点を突破した。
「あ……あああ……っ!」
ミーナの瞳が青く発光し、彼女の周囲の空気が渦を巻く。ベルナールの時と同じだ。自らの魔力が飽和し、外の世界と境界が繋がった感覚。彼女は図らずも、ベルナールとの魔力共有を介して『魔力吸収』の特性をその身に宿したのだ。
「いい感覚だ、ミーナ。そのまま自分のものにしろ」
ベルナールは満足げに頷くと、彼女が放った『ウォーターカッター』の術式を脳裏で反芻した。魔力をただぶつけるのではなく、極限まで加圧し、超高速の回転を与えるという概念。魔力操作の天才へと変貌しつつあるベルナールにとって、一度見た術式の模倣はもはや難事ではなかった。
ベルナールは大剣を鞘に納めたまま、右手を前方へ突き出した。
「イメージは水の刃……いや、もっと一点に絞るか」
彼の周囲に、森の湿気が集まり始める。無尽蔵の魔力によって強引に凝縮された水球が、指先にいくつも浮かび上がった。彼はそれをただ放つのではなく、ミーナの理論を応用し、内部で猛烈な回転を加えた。
「『ウォーターバレット』!」
放たれたのは、弾丸状に固められた水の塊。だがそれは、着弾と同時に超高速回転する刃となって対象を削り取る死の弾丸だった。ドォォォン! と凄まじい音が響き、数十メートル先の巨岩が、抉られるようにして粉砕された。魔力弾の衝撃に、ウォーターカッターの切削力が加わった、ベルナール流のアレンジ技だ。
「すごい……一瞬で私の魔法を自分のものにするなんて……」
呆然とするミーナに、ベルナールは真剣な表情で向き直った。
「いいか、ミーナ。今のお前には『吸収』の兆しが見えた。これから毎日、魔力が完全に枯渇するまで魔法を使い続けろ。空っぽになればなるほど、世界から取り込む器は大きくなる。倒れるのを恐れるな、俺がそばにいる。三百本のポーションだってあるんだ」
「……うん、やってみる。私、もっと強くなりたい。ベルナールさんの隣で、ちゃんと戦いたいから!」
ミーナの瞳に強い決意の灯が宿る。その横で、エルザとカレンもまた、二人の次元の違う成長に刺激を受けたように武器を握り直していた。
ベルナールは自ら開発した『ウォーターバレット』の感触を確かめながら、遠い森の深部を見据えた。無尽蔵の魔力で放たれる、防禦不能の回転弾。これなら、あのオークキングの鎧を「削り切る」ことができるかもしれない。
「明日からは特訓の強度を上げるぞ。全員、魔力が枯渇して立てなくなるまで帰さないからな」
ベルナールの不敵な宣言に、三人の女性冒険者たちは頼もしさと、それ以上の戦慄を感じながらも、力強く応えた。最強のパーティーへの道は、今、確実に加速し始めていた。
訓練の合間、ベルナールは昨日回収したオークジェネラルの死体を『アイテムボックス』から取り出した。上位種の強靭な肉体と鎧のような皮膚は、通常の刃物では解体に数時間を要する。
「ミーナの術式をさらに応用させてもらうぞ。……『ウォーターカッター・極細』」
ベルナールは指先に凝縮した水を、目に見えないほど細い糸状の刃に加工した。そこに無尽蔵の魔力を流し込み、分子を削り取るような超高速回転を加える。指を軽く振るだけで、オークジェネラルの分厚い胸殻が、まるで熱いナイフでバターを斬るように音もなく両断された。
「……これはいい。肉や素材を傷つけず、魔石だけを正確に摘出できるな」
ベルナールは流れるような手つきで解体を進めていく。本来なら熟練の解体師が数人がかりで行う作業を、彼はわずか数分で完遂した。味を占めたベルナールは、収納してある山のようなレッドウルフやアースベアの素材も、次々と魔法の刃で最適な部位ごとに切り分けていく。解体された最高品質の素材が整然とボックスに再収納されていく光景は、もはや芸術の域だった。
「次は、エルザとカレンだ。お前たちにも『魔力の理』を教える」
ベルナールは驚愕して解体作業を見ていた二人の背中に手を置いた。ミーナの時と同様、自らの中にある「外から魔力を取り込み、循環させる感覚」を、直接彼女たちの神経へと叩き込んでいく。
「拒絶するな、受け入れろ。お前たちの中に眠る回路を、無理やりこじ開けるぞ!」
膨大な魔力が二人の体内を駆け巡り、眠っていた魔力中枢が強制的に覚醒させられた。エルザの剣には青白い闘気が宿り、カレンの全身からは陽炎のような魔力が立ち上る。
「これが……魔力!? 身体が羽のように軽い……!」
「アタシにも、魔力が見える。世界がさっきまでと全然違うわ……」
ベルナールは二人に、自らの基本技である『魔力弾』と『魔力剣』の術式を伝授した。エルザは大剣に魔力を流し込み、一振りで周囲の木々をなぎ倒すほどの衝撃波を放つ。カレンは短剣に魔力を付与し、風を切るような速度で連撃を繰り出した。
「いい。二人とも筋がいいな。これでパーティー全員が魔力による自己強化と遠距離攻撃手段を手に入れたわけだ」
ミーナは魔力枯渇特訓を続け、エルザとカレンは新たな力の制御に励む。ベルナールは解体したばかりの最上級の肉を焼きながら、その様子を満足げに眺めていた。
「魔力弾ではじき、ウォーターカッターの応用で鎧を削り、魔力剣でトドメを刺す。……これならいける」
二十四歳の若きリーダーを中心に、四人はもはや常識外の強さを誇る集団へと変貌を遂げつつあった。オークキングへの雪辱、そしてその先にある未知の脅威。ベルナールの瞳には、完成しつつある「必勝の布陣」がはっきりと映っていた。
焚き火を囲み、解体したばかりのアースベアの肉を焼きながら、ベルナールはふと思い立ったように仲間たちへ視線を向けた。パーティーを組み、互いの魔力回路を繋ぎ合わせるほどの間柄になったが、そういえば基本的なことをまだ知らない。
「そういえば、あんたたちの年齢を聞いていなかったな。俺は二十四だ。一時は才能がないと諦めかけたが、まあ、見ての通り今はこうして足掻いている」
ベルナールが肉をひっくり返しながら尋ねると、リーダーのエルザが少し照れくさそうに笑った。
「私は二十二よ。この二人よりは少しだけ長く冒険者をやっているけれど、ベルナールに比べればまだまだ未熟ね」
「アタシは二十歳。スカウトとしてはこれからが稼ぎ時だと思ってたけど、この一週間でこれまでの常識が全部ひっくり返ったわ」
カレンが短剣を弄びながら続け、最後にミーナが少し控えめに手を挙げた。
「私は、十八です。魔法学校を出てすぐに二人に拾ってもらったから、まだ右も左もわからなくて……」
「二十二、二十、十八か。……いい年齢だな。伸び代しかない」
ベルナールは満足げに頷くと、焼き上がった肉を三人に手渡した。自分より年下の彼女たちが、己の過酷な修行についてこようとしている。その覚悟に応えるためにも、自分自身がさらに圧倒的な「力」を確立しなければならない。
翌朝からの特訓は、さらに苛烈を極めた。
ベルナールは自ら開発した『ウォーターカッター』と『ウォーターバレット』の練度を上げることに集中した。
「ただ放つだけでは、あのキングの鎧は抜けない。必要なのは『収束』と『超高回転』だ」
彼は指先に極小の魔力渦を形成し、そこに周囲の大気から吸い上げた水分を強引に流し込む。昨日の解体で掴んだ「極細の刃」を、今度は戦闘用の射撃に応用するのだ。
シュゥゥゥゥ……ッ!
大気が摩擦で鳴き声を上げる。ベルナールの指先から放たれた『ウォーターバレット』は、もはや水玉というよりは、白銀に輝く「針」のようだった。それが標的の巨岩に触れた瞬間、爆発音はしなかった。代わりに、水が岩を「削り、穿つ」不気味な音が響き、一瞬で岩の裏側まで穴が貫通した。
「射程、速度、貫通力……すべてが魔力弾を上回ったな」
続いて彼は、手首を払う動作で『ウォーターカッター』を空間に走らせる。かつては直線的だった水の刃に、ベルナールは自在な曲線を描かせる制御を加えた。三次元的な軌道を描く水の刃は、死角から魔物の首を刈り取る不可視の処刑人へと進化した。
その傍らでは、ミーナがベルナールの助言通り、魔力が枯渇して意識を失いかけるまで魔法を乱射し、エルザとカレンもまた、魔力による身体強化で森を獣のように駆け回っている。
「いいぞ。その調子だ」
ベルナールは自らの内側に絶え間なく充填される魔力を感じながら、掌で水の弾丸を弄ぶ。
一週間前には想像もできなかった次元の力が、今やパーティー全員の血肉となりつつあった。無尽蔵のエネルギーを背景にした、終わりのない練磨。
二十四歳の若き獅子と、彼を慕う三人の乙女。
彼らの視線の先には、もはやオークキングどころか、この世界の理そのものを塗り替えようとする野心が宿っていた。




