第12章: 王都の喧騒 ―― 刷新された四人の帰還と嫉妬の視線
石造りの拠点に、完成した「空間」の揺らぎが静かに定着していた。
クラリスとリンは、数日間に及ぶ試行錯誤の末、ついにベルナールが使っていた術理を自分たちの属性で再現することに成功した。土の理で亜空間の座標を固定し、光と水の理で物質の透過パスを定義する。火魔法のような粗野なエネルギー消費とは無縁の、緻密で静かな「理」の結晶だ。
「……できたわ。思考と同期して、空間に直接アクセスできる。マジックバッグを介する手間さえ、もう過去のものね」
クラリスが虚空を見つめ、土属性の魔力を収束させる。そこには肉眼では捉えられないが、強固に定義された「箱」が存在していた。
リンは手元に残っていた最後のエールの樽をその揺らぎへと差し向けた。樽は抵抗なく空間へ吸い込まれ、リンが意識を向けると同時に、再びその手に寸分違わぬ重みで戻ってきた。
「へっ、最高だぜ。あの方にできて、俺たちにできないはずはねえ。その証明がこれだ」
リンは満足げに笑うと、足元に置いていた、これまでの狩りの成果が詰まった重厚なマジックバッグを見やった。最高級の毛皮や魔石が詰め込まれ、膨れ上がったそのバッグを、彼女は無造作に掴み上げた。
「……さて、中身を移し替える必要もねえな。このバッグごと、放り込んじまおうぜ」
「そうね。それが一番手っ取り早いわ」
クラリスの言葉に応じ、リンは素材がぎっしり詰まったマジックバッグを、そのまま空間の揺らぎへと投げ入れた。巨大な質量を持つバッグは、空間の境界に触れた瞬間、音もなく亜空間へと消え去った。
次にリンが意識を飛ばすと、アイテムボックス内の「マジックバッグ」が即座に反応し、彼女の手元に具現化する。二重の収納構造。しかし、取り出しのラグは皆無だ。これまでの苦労して集めた素材を整理する手間さえ省き、一括で亜空間へと管理下に置いた。
「……完璧。これで私たちは、文字通り『手ぶら』で動けるわ」
クラリスの瞳に、静かな自信が宿る。
自分たちの魔力だけで亜空間を御し、膨大な物資をバッグごと瞬時に手中に収める。この技術の完成は、二人が単なる戦士の枠を超え、ベルナールの領域へと一歩近づいたことを意味していた。
二人は、もはや武器一振りすら表に出さない究極の軽装で、拠点としていた建屋を後にした。
「火魔法なんて、本当にお遊びだったな。……この利便性こそが、戦場を支配する『理』だ」
リンが不敵に笑い、空の掌を握りしめる。
そこには、いつでも必要な「死」を呼び出せる準備が整っていた。
二人は深い森のさらに奥、魔力の密度が肌を刺すような深層へと足を踏み入れていた。かつての彼女たちなら、この重圧だけで呼吸を乱し、無意味な火魔法を放って己の位置を露呈させていただ??。だが今の二人は、ベルナールに「刷新」された肉体と、千倍に膨れ上がった魔力を完全に制御下においていた。
「……前方、五〇〇メートル。ロックゴーレムが三体、さらに上空にキラービーの小規模な群れ」
クラリスが「アクセル」を維持したまま、土の理を介して大地の脈動を読み取り、静かに告げる。かつてニーナ(エルザ)が、一切の無駄なく敵の懐へ潜り込み、最小限の衝撃で核を撃ち抜いたあの合理性。それを今、クラリスは自身の「マッスル」と「魔力纏い」によって再現しようとしていた。
「リン、セシルの戦い方をなぞるわよ。環境を支配して、一歩も動かさずに終わらせる」
「わかってる。……『理』の通らねえ攻撃は、もうしねえよ」
リンが指先を微かに動かす。かつて最強と信じていた火魔法は、今や彼女の選択肢にはない。彼女が見つめているのは、セシルがニードルリザードやリビングアーマーを完封した際に見せた、冷徹なまでの事象改変だった。
二人は加速を緩めることなく、接敵した。
巨大な岩の拳を振り上げるロックゴーレムに対し、クラリスは正面からぶつかるような真似はしない。彼女はニーナがゴーレムを落とし穴に嵌めた時のように、土の理で瞬時に足元の地盤を消失させた。バランスを崩し、底の見えない穴へと吸い込まれていく巨躯。
そこへ、リンが追撃を加える。彼女はセシルがキラービーの群れを窒息させた時と同じ「ウォーターマスク」を、ゴーレムが落ちた穴の空間そのものに展開した。大気中の水分を凝縮させ、穴を瞬時に水で満たす。さらに、そこへ氷の理を叩き込んだ。
「凍れ……『アイスプリズン』」
穴の中の水は一瞬で絶対零度の氷塊へと変じ、内部のゴーレムは逃げる隙さえ与えられず、構造的な弱点を突かれるまでもなく「凍結固定」された。物理的な破壊は一切必要ない。ただ存在を停止させれば、それで勝利なのだ。
上空から襲いかかるキラービーの群れに対しても、二人の動作は最小限だった。リンは視界を遮る火魔法の代わりに、セシルがニードルリザードの毒針を無力化した際の「水鏡」の理を応用し、自身の周囲に極薄の水の膜を張り巡らせる。羽音の振動を逆位相の魔力で打ち消し、群れの感覚を狂わせた瞬間、クラリスがアイテムボックスから「マジックバッグごと」収納していた予備の触媒を思考の速度で取り出し、土の理を放った。
空中に舞い上がる土埃が、リンの水魔法と混ざり合い、重力魔法に似た「泥の拘束」となって蜂の羽を封じる。墜落する群れを、リンは一瞥もせずに「アイス・バーン」で氷の原へと変え、全滅させた。
「……本当に、スマートね。ニーナやセシルがやっていたのは、こういうことだったのね」
クラリスが静かに呟く。かつて大剣を振り回し、泥に塗れていた自分たちが嘘のように、今の装備には返り血一滴すら付いていない。
「ああ。力でねじ伏せるんじゃねえ。理を繋げて、世界を自分の都合のいいように書き換える。……これなら、あの人だって文句は言わねえはずだ」
リンはアイテムボックスへ、仕留めたばかりの素材をバッグごと放り込んだ。
二人の瞳には、かつての「脳筋」と呼ばれた未熟な影はない。ただ静かに、ベルナールの隣に立つに相応しい「理」の体現者としての冷徹な光だけが宿っていた。
二人は森の深層、かつて自分たちが文字通りバラバラにされた因縁の敵、リビングアーマー5体と対峙していた 。
かつての敗北時、甲冑たちは物理法則を無視した超高速移動でクラリスの両腕とリンの両足を一瞬にして切り飛ばした 。
しかし、今の二人に動揺はない。クラリスは「アクセル」を維持しながらも、意識を一点に固定せず、周囲三百六十度の魔力の揺らぎを等しく観る「広い視野」を展開している 。
「……来たわ。五体同時に、死角からの十字砲火」クラリスが呟くと同時に、空間が歪むほどの速度で甲冑たちが肉薄する。だが、彼女はもはや大剣を振り回して力で応戦しようとはしない。セシルがかつて見せた「アイス・バーン」の理をトレースし、敵の不可視の踏み込みに合わせて足元の水分を極限まで硬化・平滑化させた 。
摩擦を失ったリビングアーマーたちの超高速は、制御不能な慣性へと変わり、その鋭い剣先は二人の身体を掠めることすらなく空を斬った。
「リン、逃がさないで。セシルの『アイスプリズン』より、さらに鋭く」 「わかってる。……魔法を放つんじゃねえ。事象を『固定』するんだ」
リンは杖も詠唱も捨て、指先から最小限の魔力回路を空間に走らせた 。
彼女が放ったのは、敵を閉じ込めるだけの檻ではない。ニーナ(エルザ)がかつてロックゴーレムを完封した際の精密さと、セシルがリビングアーマーの駆動系を凍らせた「理」を融合させた術式だ 。
空中に投げ出された五体の甲冑の関節部へ、リンはピンポイントで高圧の水を浸透させ、瞬時に絶対零度へと転じさせた 。
内部から膨張する氷の楔が、強固な魔導外殻を内側から破壊し、その動力源である魔力回路を完全に沈黙させる 。
「仕上げよ」クラリスは、かつてニーナがロックゴーレムを落とし穴に嵌めた際の土の理を応用し、倒れ伏した甲冑たちの周囲を強固な岩盤で一瞬にしてパッキングした 。
もがく隙さえ与えず、五体の脅威はただの「動かない鉄屑」へと成り果てた。
二人は返り血一つ浴びず、呼吸一つ乱していない。かつてニーナやセシルがスマートに戦い、自分たちが「脳筋」と揶揄されたあの日の正解を、今や自分たちの「理」として完全に掌握していた 。
「……完璧ね。火魔法なんて、本当に出番がないわ」 「ああ。力でねじ伏せるより、理で詰み(チェックメイト)にする方が、よっぽど効率がいいぜ」
リンは完成させた独自のアイテムボックスを思考で開き、無力化した甲冑たちをそのまま亜空間へと収納した。
二人はかつての弱さを完全に葬り去り、ベルナールの隣に立つに相応しい、静かなる強者としての歩みを止めなかった。
二人は森を抜け、冒険者ギルドの裏手にある巨大な解体場へと直接足を向けた。通常の受付窓口を介さず、持ち込んだ素材をその場で処理させ、即座に価値を確定させるためだ。今の二人にとって、行列に並ぶ時間は何よりも無駄なコストでしかなかった。
「……随分と身軽なもんだな。冷やかしか?」
血と脂の匂いが染み付いたエプロンを纏う大柄な解体主任が、手ぶらで現れた二人を見て鼻で笑った。だが、クラリスは無言のまま、空中に「理」を走らせた。
「アイテムボックス――展開」
虚空が波打ち、そこから二人が自力で構築したアイテムボックスが口を開く。さらにリンが意識を向けると、空間から取り出されたマジックバッグ、そしてその中に収められていたアース・ジャイアントの無傷の外殻、リビングアーマーの魔導外殻、さらには深層の魔物たちの完品素材が、解体場の石畳の上に整然と並べられた。
「……なっ!?」
主任の目が点になり、手に持っていた解体包丁が音を立てて床に落ちた。そこにあるのは、傷一つない「鏡面のような断面」を持つ素材の山だった。力任せに叩き斬った形跡はなく、細胞の結合を理で断ち切った、至高の素材群だ。かつてニーナ(エルザ)やセシルが見せたような、無駄な破壊を一切伴わない完璧な「理」による成果がそこにあった。
「査定見積書を出して。概算ではなく、一点ずつの魔力含有量と市場価格を反映した詳細なものを」
クラリスの冷徹な要求に、主任は慌てて鑑定士を呼び寄せた。震える手で鑑定を行う鑑定士は、その数値を見るたびに悲鳴に近い声を上げた。
「……ありえない! リビングアーマーの駆動核が完全に生きてる! アース・ジャイアントの皮膚も、魔力が一滴も漏れていない……これなら、一国を支える魔導具の素材になるぞ!」
数時間後、二人の手元には、かつて見たこともないほど長い「素材査定見積書」が差し出された。
【査定見積明細】
アース・ジャイアント 完品外殻一式:40,000,000
リビングアーマー 変異種 魔導核(非損壊):75,000,000 × 5体
深層魔物 素材群(理による精密解体済):120,000,000
その他、魔石及び副産物:35,000,000
――合計:570,000,000
「……五億七千万、ね。端数は切り捨てていいわ。その代わり、全額を即日、指定の金貨で用意して」
クラリスが淡々と告げると、ギルド側は二人の正体、そしてその背後にある圧倒的な「力」を察して、一切の異論を挟まずに頭を下げた。かつての「脳筋」と呼ばれ、報酬を酒代に消していた二人の姿は、そこには微塵もなかった。
「理」を理解し、環境を支配する者は、経済さえもその支配下に置く。二人は膨大な金貨を再びアイテムボックスへと収めると、驚愕に包まれた解体場を後にした。
「火魔法で焦がしてりゃ、一割もいかなかっただろうな。……理ってのは、金にもなるんだな」
リンが不敵に笑い、アイテムボックスからエールの樽を取り出して一口煽る。二人の歩みは、もはや単なる「自立」を超え、ベルナールが予見した「世界の理」そのものを書き換える段階へと突入していた。
迫りくる危難と二つの陣営の呼応
深い森の静寂を切り裂くように、ベルナールの鋭い眼光が北の空を射抜いた。彼が展開する広域索敵網――魔力の微細な振動を捉える「理」の触手が、一〇キロメートル先で発生している異質な魔力の乱れを感知したのである 。
「カレン、気づいたか 」
ベルナールの問いに、傍らで短剣の柄に手をかけていたカレンが即座に頷いた 。彼女の暗殺術に裏打ちされた鋭敏な感覚もまた、風に乗って届くわずかな血の臭いと、絶望の叫びを捉えていたのである 。
「はい、ここから北へ一〇キロメートル。村が魔物に襲われています 」
カレンの報告を聞くや否や、ベルナールは傍らに置いたエールのジョッキを置き、立ち上がった 。
「皆行くぞ 」
その一言で、エルザ、ミーナ、そしてセシルの三人も瞬時に戦闘態勢へと移行した 。セシルはかつてのようなパニックを起こすことなく、冷徹に「理」を練り上げ、自身の魔力回路を最適化させている 。一行は「アクセル」を起動し、土埃さえ立てぬ洗練された速度で、北の村へと向けて弾け飛んだ 。
一方、その五キロメートル後方。自力で築き上げた石造りの拠点で、クラリスもまた、自身の掌から大地へと流し込んだ索敵の網に、激しい拒絶反応を感じ取っていた。
「リン、気づいたか 」
クラリスの声には、もはや「脳筋」と呼ばれた頃の焦りはない 。常時索敵を意識し、周囲三百六十度の事象を網羅し続けてきた彼女の脳内図面には、獲物の配置が克明に描かれている 。
「ああ。ここから北へ五キロメートル。村が魔物に襲われている 」
リンはアイテムボックスから、手入れの行き届いたマジックバッグと、予備の魔力触媒を思考の速度で取り出した 。かつて「火魔法こそ最強」と信じていた彼女の瞳には、今や最小限の干渉で最大の死を届ける「理」の冷徹な光が宿っている 。
「行こう 」
「ああ 」
二人の返答は短く、そして重い。彼女たちはベルナールたちよりも物理的な距離は近いが、それは同時に、より早く戦場へ到達し、より早く「正解」を導き出さねばならないことを意味していた。
クラリスとリンは、互いに視線を交わすこともなく「アクセル」を全開にした。空気抵抗を水の膜で受け流し、土の理で摩擦を殺すその機動力は、かつての自分たちを嘲笑うかのように鋭く、速い。二人は一陣の風となり、悲鳴の上がる北の村へと向けて、漆黒の森を駆け抜けていった。
師と弟子、かつての仲間たちが、一つの戦場を舞台にそれぞれの「理」を証明するための邂逅が始まろうとしていた。
凄絶なる防衛:最速の「理」による介入五キロメートルという至近距離から「アクセル」を全開にしたクラリスとリンは、ベルナール一行に先んじて惨劇の渦中へと降り立った。
村を包囲していたのは、空を覆い尽くさんばかりのキラービーの大群と、地上を埋め尽くすニードルリザードの軍勢である。
正確な数は不明だが、防壁を超えて飛来する無数の毒針と棘の乱射が、逃げ惑う村人を無差別に襲っていた。 「リン、『ウォーターマスク』と『アイスマスク』よ!」クラリスの鋭い号令が響く。
かつてはパニックに陥り、毒針に射抜かれて動けなくなっていた彼女たちの視野は、今や戦場全体を冷徹に俯瞰していた。
リンは即座に、セシルがかつてキラービーを全滅させた際の「理」を自らの魔力で再現した。 大気中の水分を一点に凝縮させて無数の水の球体を作り出し、キラービーたちの頭部を包み込む。
さらに「アイスマスク」によってそれらを一瞬で凍結させ、空飛ぶ魔物たちの呼吸と意識を同時に奪い去った。
同時に、クラリスも動いた。彼女は自身の氷魔法を起動し、村の防壁に蓋を被せるように巨大なシールドを張り巡らせた
。降り注ぐニードルリザードの棘やキラービーの毒針をすべて物理的に遮断し、一針たりとも村人へ通さない鉄壁の防御を瞬時に構築したのである。
かつて「脳筋」と蔑まれ、火魔法という無駄な熱量に頼っていた二人の動きに、もはや迷いはない。
彼女たちは、かつて自分たちを救ったセシルやニーナ(エルザ)が示した「環境を支配する戦い方」を、今や自分たちの確かな技術として体現していた。
そこへ、一〇キロメートルの距離を駆け抜けてきたベルナール一行が到着する。
凄絶なる防衛:最速の「理」による介入
五キロメートルという至近距離から「アクセル」を全開にしたクラリスとリンは、ベルナール一行に先んじて惨劇の渦中へと降り立った。
村を包囲していたのは、空を覆い尽くさんばかりのキラービーの大群と、地上を埋め尽くすニードルリザードの軍勢である。正確な数は不明だが、防壁を超えて飛来する無数の毒針と棘の乱射が、逃げ惑う村人を無差別に襲っていた。
「リン、『ウォーターマスク』と『アイスマスク』よ!」クラリスの鋭い号令が響く。
かつてはパニックに陥り、毒針に射抜かれて動けなくなっていた彼女たちの視野は、今や戦場全体を冷徹に俯瞰していた。
リンは即座に、セシルがかつてキラービーを全滅させた際の「理」を自らの魔力で再現した。
大気中の水分を一点に凝縮させて無数の水の球体を作り出し、キラービーたちの頭部を包み込む。
さらに「アイスマスク」によってそれらを一瞬で凍結させ、空飛ぶ魔物たちの呼吸と意識を同時に奪い去った。
同時に、クラリスも動いた。
彼女は自身の氷魔法を起動し、村の防壁に蓋を被せるように巨大なシールドを張り巡らせた。降り注ぐニードルリザードの棘やキラービーの毒針をすべて物理的に遮断し、一針たりとも村人へ通さない鉄壁の防御を瞬時に構築したのである。
かつて「脳筋」と蔑まれ、火魔法という無駄な熱量に頼っていた二人の動きに、もはや迷いはない。
彼女たちは、かつて自分たちを救ったセシルやニーナ(エルザ)が示した「環境を支配する戦い方」を、今や自分たちの確かな技術として体現していた。
そこへ、一〇キロメートルの距離を駆け抜けてきたベルナール一行が到着する。
絶望を塗り替える「慈愛」と「冷徹」の雨
北の村を包囲していたキラービーとニードルリザードの大群。防壁を超えて降り注いでいた死の棘を、クラリスが展開した巨大な氷のシールドが物理的に遮断した 。
だが、彼女たちの進化は防衛だけに留まらなかった。
「『ピュリフィケーション・レイン』!」クラリスの鋭い声と共に、シールドの下、村の全域に柔らかな光を帯びた雨が降り注いだ。
かつてセシルがリンを縫い止めていた針を魔力の霧へと分解し、体内の毒素を霧散させたあの「理」を、クラリスは広域魔法へと昇華させていた 。
村人の肉体を貫いていたニードルリザードの棘も、キラービーの毒針も、その雨に触れた瞬間に光の粒子となって消滅していく。
毒に侵され、紫色の顔で倒れ伏していた村人たちの呼吸も、瞬時に整い、解毒されていった 。間髪入れず、クラリスは次なる「理」を編み上げる。
「『ヒールバレット・レイン』!」さらなる癒しの雨が村全体を包み込んだ。
それは表面を撫でるような通常の治癒ではない。ベルナールに叩き込まれた、細胞の奥底へ弾けるように浸透する「指向性治癒」の雨だ 。
激痛に呻いていた負傷者たちの傷口が瞬時に塞がり、欠損しかけていた組織さえも、強引なまでの魔力再生によって元の形へと繋ぎ合わされていく 。
その傍らで、リンはかつての「火魔法こそ最強」という執着を完全に捨て去り、独自の「理」を行使していた 。
「『ソイルマスク』」リンが放ったのは、水と土の理を融合させた泥の弾丸だ。
かつてセシルがキラービーを全滅させた「ウォーターマスク」をさらに発展させ、粘性を帯びた泥の玉が空中と地上の魔物たちの頭部へ正確に張り付いていく 。
呼吸を封じられたキラービーたちは、羽ばたく力を失い、クラリスが張ったシールドの天井へと逃げ場を失って次々と積み上がっていく。
地上のニードルリザードたちも、逃れられぬ泥の拘束の中で苦悶し、次々と絶命していった 。
その光景を見たクラリスは、即座に自身の魔力回路をリンの術式へと同期させた。「……合わせるわよ、リン!」ぶっつけ本番でありながら、クラリスもまた「ソイルマスク」を発動した。
千倍に膨れ上がった膨大な魔力が、リンの術理を完璧にトレースし、戦場全域に泥の呪縛を撒き散らしていく 。
泥に塗れたキラービーとニードルリザードの死骸が、シールドの内外で積み上がっていく。
かつて三〇〇体の群れに毒を回され、地面に縫い付けられていた頃の無様な姿は、そこには微塵もなかった 。
一〇キロメートルの距離を越えて到着したベルナール一行の目に飛び込んできたのは、自分たちが教えた、あるいはそれ以上の「理」を完璧に使いこなし、指先一つ汚さずに村を救い上げている二人の姿だった。
村の防壁を越えて押し寄せるキラービーとニードルリザードの大群。
その圧倒的な物量を前に、一〇キロメートルの距離を駆け抜けたエルザ、ミーナ、カレン、セシルの四人がついに戦場へと降り立った 。
四人は即座に、かつて自分たちが得意としていた「ウォーターマスク」と「アイスマスク」を展開し、空中と地上の魔物たちの呼吸を封じにかかる 。
しかし、先行して戦っていたクラリスとリンが放つ「ソイルマスク」の光景を目にし、彼女たちは一瞬動きを止めた。
リンとクラリスが編み出した泥の玉は、粘性を帯びて魔物の頭部に強固に張り付き、水だけの拘束よりも遥かに確実に、そして効率的に生命活動を停止させていた。
かつてベルナールに「脳筋」と切り捨てられ、追放されたはずの二人が、今や自分たちの術理を超え、独自の「理」を構築している。
「……あれ、私たちのマスクよりずっと効率がいいわ!」エルザが叫ぶと同時に、四人は迷うことなく二人の術式を「理」によって解析し、その場でコピーを開始した。
かつてベルナールから教わった「属性は手段に過ぎない」という教えの通り、彼女たちはプライドを捨て、より優れた「正解」であるソイルマスクを自身の魔力回路へと組み込んでいく 。
戦場は、六人の美女による「ソイルマスク」の共演場へと変貌した。
クラリスとリンの二人に、さらに熟練の四人が加わったことで、殲滅の効率は三倍へと跳ね上がった。
空を埋め尽くしていたキラービーは、泥の重みに耐えきれず、クラリスが張ったシールドの天井へ雨のように降り積もり、地上のニードルリザードも逃げ場のない泥の拘束の中で次々と物言わぬ骸へと変わっていく。
かつては三〇〇体のキラービーに毒を回され、全滅しかけていた彼女たちではない 。
今や六人の「理」が複雑に、かつ完璧に噛み合い、数千に及ぶであろう魔物の残数は、見る見るうちに、文字通り一秒ごとに削り取られていった。
ベルナールは、後方でエールのジョッキを傾けながら、その凄絶かつ美しい殲滅の光景を静かに見届けていた。
かつて自分が「守れない」と突き放した弟子たちが、今や先達である四人の女神たちと肩を並べ、あるいはその先を走る「理」を体現している。
「……いい判断だ。他者の優れた理を取り込み、即座に己の力とする。それが真の『刷新』だ」
六人の魔力が交差し、泥に塗れた魔物たちの絶命が重なるたびに、村を覆っていた絶望の気配は消え失せ、代わりに圧倒的な強者たちの静かな闘志が、北の空へと高く立ち昇っていった。
理の到達点:半年間の研鑽と「箱」への回収
数千に及ぶ魔物の群れが泥の拘束によって沈黙し、北の村を包囲していた絶望の羽音は完全に途絶えた。殲滅を終えたクラリスとリンは、勝利に浸ることもなく、即座に次なる行動へと移った。二人は掌を大地へ、あるいは虚空へと向け、さらに広域の索敵を展開する。
「……周囲三キロメートル、残存する魔物の気配なし。村内部、再度の『ピュリフィケーション』と『ヒール』の雨により、致命的な怪我人は確認できないわ」
クラリスが冷徹に状況を断定すると、隣に立つリンも短く応じた。「大丈夫みたいね。……さて、後片付けだ。この量を放置すりゃ、次の魔物を呼ぶ餌になっちまう」
二人は、村を覆っていた巨大な氷のシールドの天井を見上げた。そこには、窒息して墜落した膨大な数のキラービーの骸が、うず高く積み重なっている。かつてなら数日がかりでも終わらないであろう凄絶な死骸の山に対し、二人は自力で構築した「アイテムボックス」を空中へと広く展開した。
次の瞬間、重力を無視するように、シールドの上に積もったキラービーの躯が次々と亜空間へと吸い込まれていった。それは「収納」というよりも、空間そのものが物質を呑み込んでいくような、圧倒的な速度の事象上書きだった。
全ての空中の躯を瞬時に回収し終えた二人は、休む間もなく城壁の外へと意識を向けた。地上を埋め尽くしていたニードルリザードの死骸も、彼女たちが歩を進めるたびに、見えない巨大な口に吸い込まれるように消えていく。相当な数があったため、通常のマジックバッグや人手による回収ならば途方もない時間がかかると思われたが、二人が磨き上げたアイテムボックスの吸収効率は、その常識を遥かに超越していた。
その光景を、後方から到着したエルザ、ミーナ、カレン、セシルの四人は、ただポカンとした表情で見守るしかなかった。ベルナールに突き放されてから約半年。自分たちがかつて教えていたはずの「理」が、これほどの年月の間に独自の進化を遂げ、かつて自分たちが使っていた既存の収納術を児戯に変えてしまった事実に、言葉を失っていたのである。
ベルナールもまた、エールのジョッキを手にしたまま、その「解答」を黙って見届けていた。かつて「死体を引きずって歩くのと同じだ」と突き放した教え子たちが、半年という歳月を経て、今や誰よりも身軽に、かつ完璧に戦場の事後処理を完遂させている。
全ての作業を終え、一滴の返り血も、一片の魔物の残滓も残さぬ完璧な戦場を作り上げた二人は、かつての仲間たちの驚愕を余所目に、一直線にベルナールの元へと走っていった。
師弟の再会と、過去への決別全ての魔物の回収を終えたクラリスとリンは、一秒の躊躇もなくベルナールの元へと駆け寄った。
かつての自分たちなら、これほどの激戦の後は肩で息をし、泥に塗れていただろう 。
しかし、今の二人は返り血一つない完璧な姿で、静かに師の前に立った 。
ベルナールは、手にしていたエールのジョッキを置くと、二人の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「よう、『脳筋』と『死にたがり』は卒業できたみたいだな」 。
かつて自分たちを奈落へと突き落としたその言葉は、今は確かな成長を認める祝福として響いた 。
すると突然、ベルナールは二人の前で深く頭を下げた。
「済まなかった。前衛で剣でしか戦ったことのないクラリスと、後衛で詠唱魔法しか使ったことのないお前たちに、数日で自在な戦闘方法を身に着けさせることなど、俺の過信が過ぎた。申し訳ない」半年もの間、師からの拒絶を糧に死に物狂いで「理」を研ぎ澄ませてきた二人にとって、それは全く予想だにしない謝罪だった 。
あの日、リビングアーマーに四肢を断たれ、絶望の中で突き放されたのは、自分たちが未熟だったからだと信じて疑わなかったからだ 。
「頭を上げてください、ベルナールさん!」驚愕したクラリスが、慌てて師の肩を支えようと手を伸ばした。
リンもまた、信じられないものを見るような表情を浮かべながら、必死に言葉を継いだ。「そうですよ……あの事があったから、私たち、少しはマシになれたんですから」二人の
心に、かつての恨みや悲しみは微塵も残っていなかった。
あの日、ベルナールが非情な独裁者を演じてまで二人を安全な場所へ帰した理由を、今なら理解できる 。
力だけでねじ伏せようとしていた自分たちを、そのまま戦場に連れて行くことこそが真の不誠実であったという彼の苦渋の決断を、今の彼女たちは誇りとして受け止めていた 。
ベルナールがゆっくりと顔を上げると、そこには師としての冷徹な仮面ではなく、教え子の成長を心から喜ぶ、一人の男としての穏やかな微笑みが浮かんでいた 。
エルザ、ミーナ、カレン、そしてセシル。
かつての仲間たちもまた、半年という歳月が生んだ奇跡のような光景に、瞳を潤ませながら立ち尽くしていた 。
二人は力強く頷いた。かつての「弱い死体」はもういない 。
ここにあるのは、師が理想とした「世界の理」を自らの手で書き換えることのできる、真に刷新された強者の姿だった 。




