極光の果てに
窮状を訴える部隊があった。敵陣地を奪取したものの、退くも進むもできなくなった突撃隊だった。
艦隊司令部は、彼らを見捨てた。将来有望な参謀長は、彼らを囮とすることを提案し、採用された。敵主力を誘出し、その側背を突くことを企図したのだ。作戦名、〈暁の女神〉。
ある情報将校は、突撃隊に通信を続けた。
増援は送る。希望はある。現状を死守せよ。君たちは英雄だ。英雄なんかなりたかねえや。
かくして、敵の主力部隊は突撃隊を包囲した。情報将校は伝令艇で、その配置を偵察した。報告を元に、攻撃は行われることになった。
だが、開始時刻になっても命令がない。潜宙艦の待ち伏せだった。司令部は混乱し、艦隊の足並みが乱れたところに、反転した敵主力部隊が襲いかかる。何のことはない、お互い裏を搔くつもりでいて、我が方はそれに負けたのだ。
以後、祖国は坂を転がるように撤退と敗戦を重ね、ついに滅びたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
気づいたときには、自分の身体が集配艇から引きずり出されるところだった。
集配艇は破損がひどく、もはや輪郭を保っていなかった。それを眺めながら、ぼんやりとした頭が、まだ許されなかったんだなあ、などと考えている。
だいたい、ここはどこなのだろう。なぜ助けられて――しまったのか。
動かない頭のまま、両脇を抱えられるように運ばれていく。通されたのは、艦橋らしい。体格のいい銀髪の男が、赤い作業着を揺らす。
「よう、郵便屋」
「まさか……ヤクザの親分さん?」
「人聞きが悪い。うちはただの産廃業者だぞ」
親分が、にやりと笑う。
その笑顔に、なぜか少しだけ心が軽くなる。
舌の回りが良くないせいか、砕けた口調で話してしまう。
「なんでもいいけど。助けてくれるの?」
「保安庁に通報はしておいたんだが、どうにも心配でな」
「通報も、親分さんが」
「例の差出人だ。あんな雑な郵便を寄越すやつとは取引できないつったら、えらい怒ってたもんでな」
産廃業者というのは、名前だけのものでもない。実際こういうところは、宇宙に漂う鉱物資源を回収し、現金化している。そこからデブリ回収の公共事業に参入する。信頼を得ると、軍や保安庁から装備品廃棄の仕事がもらえる。それが横流しのルートになり、ヤクザから汎グレやテロリストへと渡っていくのだ。
「そういうことか。わたしは、てっきりおじさんのところかと」
「堅気に手は出さねえし、出させねえよ」
「そっか。ごめんなさい」
「それに……おれは、あんたに〈借り〉があるんだ」
「……郵便のこと?」
「いや、軍でのことだ。この重巡を拾ったときに作戦詳報を読んだのさ。それで、あんたのことを知った」
「ああ……」
暗澹たる気持ちになって、はっきりしてきた頭を恨む。
あの作戦は失敗した。詳報では、偵察の失敗を主因としていた。当然、偵察を行った情報将校にも言及されていた。
ゆえに、従軍中はもちろん、戦後しばらくは、ずいぶん誹謗中傷を浴びた。のちに司令部の慢心や希望的観測が明るみになり、ここ最近は落ち着いていたが、多くの恨みを買っているのは事実だった。
そんな事情を知ってか知らずか、親分が続ける。
「あの作戦で、おれは突撃隊にいた。敵は主力に食いついて、作戦は失敗した。おかげで、おれは生き延びたのさ」
「……この流れで」
「ん?」
「この流れで、〈借り〉が本当に〈借り〉のこと、あります?」
内臓を抜かれるか、変態に売られるかと踏んだのが、どうも拍子抜けがする。
一瞬ぽかんとした親分が、がははと大笑する。
「おもしろいやつだな。まあ、人生は常に複雑だからな」
「わたしは……」
自分の両手に視線を落とす。生白くて、荒れていて、血に濡れている。この手のせいで大勢が死んだ。それは事実だ。だが事実は一つではないらしい。
そんな感傷に浸りかけたとき、子分の大声が艦橋に響いた。
「社長! 大型船の反応、急速に近づく!!」
「大型船だあ?」
「解析、こいつは……」
子分の困惑した声に、親分がディスプレイを覗きこむ。
ああ、と納得した風な声を出す。
「これは、あれだ、うちが売った戦艦だな」
「はあ?!」
思わず素っ頓狂な声が出る。
戦艦というやつは、ただの「たたかうふね」ではない。戦艦を沈めるには戦艦を用意するしかないのだ。ゆえに各国各星系は保有数を互いに制限している。金があるから買えるというものではない。
それゆえ、野生の戦艦というのは存在しない。もし、そんなものがあるとすれば、それは国際秩序に対する重大な挑戦を意味するのだ。
「いや、まあ。残骸と廃材で組んだはいいが、あんな目立つもん置いとくとこもねえし。汎群連どもが欲しいっちゅうから売ってやったのよ」
「これからは、客を選んだほうが良さそうですね」
「耳が痛いな。まあ、落とし前はつけるさ」
「……やるつもりなんですか?」
戦艦を沈めるには戦艦を用意するしかない。重巡洋艦も立派なフネだが、戦艦は「格」が違うのだ。
だが、その格が違う相手を前に、親分が汚い歯を見せる。
「ああ。〈現状を死守せよ〉、ってな」
「……〈君たちは英雄だ〉」
「〈英雄なんかなりたかねえや〉」
二人で、ひとしきり笑った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「敵戦艦、発砲する」
「こんな距離で当たりゃしねえよ。――敵艦向首、最大戦速」
親分の言う通り、敵の砲火は虚空を灼く。ただその残光が艦橋を白く染め上げる。火力の高さを思い知らされる。
ぐっと舵が効きはじめ、推力の高まりを感じる。突撃コースに乗ったのだ。
携帯端末を取り出して、課長を呼び出す。
「課長、局舎船のVLSチェック」
「チャフが四、ジャミングが三、給弾不可」
「じゅうぶん。――直撃させて。発射時期は任意」
「了解、任せろ」
まずは二発のミサイルが敵艦へ飛翔する。
近接防御の火網に捕らわれるが、それが狙いだ。電磁攪乱と通信妨害の嵐が、敵戦艦を覆う。修正されつつあった砲撃は、再び狙いを過った。
「いいね。――打ち方ァ!」
親分の命令で、〈暁の女神〉号が震える。格が違うなどとはいうが、重巡も立派な主力艦である。その砲力の反動は、突撃の制動にすらなっている。
戦艦よりも口径が小さいぶん、多くの弾数を送り込める。ゆえに弾道修正も有利である。――捕まえた。
「弾着より報告、直撃せるも効果なし!」
「さすがに硬い」
「なんの、これからよ」
戦艦の装甲は、戦艦の火力でしか撃ち抜けない。それこそが戦艦の恐ろしさであり、価値なのだ。
だが親分は――本艦は意気軒昂だ。たとえ撃たれていても。
「右舷被弾! 破孔発生!!」
「ダメコン、言われる前に動け!!」
「三番砲塔、電気系統故障! 旋回不能!!」
「甘えんじゃねえ! 手で回せ!!」
これは軍艦じゃない。――殴り込みだ。
生命を燃やして飛翔する、一つの弾丸だった。全てを置き去りにして、前だけ向いて駆けてゆく。
局舎船から、最後の弾着がある。炸裂した破片が、本艦にも降り注ぐ。それほどまでに、潜り込んだのだ。
「今だ! てめえら、よく狙え!!」
ここまで来ると、お互い外しようがない。
電磁気が渦巻く乱気流の中、戦艦の光学機器は然るべき高性能を発揮していた。だが、測距と適針、錨頭それぞれのデータが噛み合わず、矛盾する結論を導いていた。だから必殺の火力を持った砲撃は、重巡の一番砲塔と幾つかの銃座を灼き払い、艦体に醜い火傷を残した。――それだけだった。
同じことは、本艦にも起きていた。だが本艦は旧式ゆえに、人力の介在する部分が大きい。そして乗組の子分たちは、親分に死ぬほど鍛えられている。噛み合わないデータや矛盾する結論を、勘で合わせることができる。
そんな練達の砲術員は、戦艦の装甲厚など承知の上だ。だから艦上構造物を滅多打ちにする。通信塔、センサー群、推進器、砲塔――砲弾が炸裂する度に、戦艦が「たたかうふね」としての機能を喪っていく。
親分が打ち方やめを命じたときには、それは浮いているだけの難破船だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
通信が入る。手下が報告し、繋がる。
金髪美人が、苦虫を嚙み潰したような顔で立っている。
「――これはこれは、お巡りさん。お手柄だなあ」
〈こちらパトロール。……ご協力に感謝します〉
「いやあ、宇宙市民の義務ってやつだろ」
〈……いずれ、また〉
ヤクザの協力で汎グレを摘発したというのは、彼女にとって面白くはないだろう。取引の追跡で、彼女はヤクザも狙っていた。だが、彼女は彼に感謝しなければならない立場になった。
彼女は、またも裏を掻かれたのだ。
「そうだな。今日のところは、あの汎群連どもで満足しときな」
〈ちっ……。交信終了〉
公僕の舌打ちを聞いて、親分は勝ち誇ったように笑う。だが彼は、これが一時の勝利だと理解している。だからこそ今も彼は生きている。
同じように、今や彼女も敗けには慣れている。そう、彼女は少し不器用なのだ。
わたしは、どうか。まずは礼を言おう。口を開こう。
「あの。ありがとう、ございました」
「これは〈借り〉を返しただけだ。あのとき拾った命のな」
そう言う彼の視線の先にはディスプレイがあり、集配艇の応急処置が済んだことが表示されている。帰りの足は何とかなりそうだ。どこへ帰るかは、ともかくとして。
促されて、接舷ハッチへ向かう。艦橋や廊下で、子分たちが挙手の敬礼を向けてくる。困惑して、右手を胸に当てて答礼する。
「あいつらは、おれが面倒を見てる。おまえは、あいつらにとっても恩人なのさ」
「足を洗おうとか、考えたことはないんですか?」
「足を洗おうにも、どうせ手が汚れてるからな」
「地獄に堕ちそう」
ふふ、と笑って言う。
がはは、と親分が笑う。
「なに言ってやがる。おれたちは、じゅうぶん地獄を生きてきただろ」
「それは、まあ、そうね」
応えて、身体を集配艇に捩じこんだ。操縦席のシートは、落ち着きを感じる収まり具合だ。起動してみると、システムは見た目以上に正常だった。
親分がハッチの上に手を掛けて、艇内を覗きこむ。
「仕事に困ったら連絡してきな」
「……〈借り〉は返してもらったけど?」
「これは貸し借りじゃねえ。戦友だからな」
戦友。そう呼べる人も居た。
今は居ない。居なかった。
「ヤクザの仕事なんて、御免ですよ」
「まあ、覚えときな」
「……失礼します」
ハッチを閉じる。デパーチャー・チェックリスト、コンプリート。
発進する。加速は滑らかで、力強い。シートに背中が埋まる。心地いい。やることは山ほどある。少し休みたい。
星々が、漂う鉱物資源が、そして〈暁の女神〉号が、視界の後ろへ流れてゆく。
——あの光は、なんだったのだろう。
破滅に見た極光は。
うつくしくて、やわらかくて、あたたかくて、やさしかった。
——まあ、なんでもいいか。
課長を呼び出し、自動操縦を任せる。応答はあるが、なんだか聞いたことのない声色だ。スピーカーの不調だろうか。
「惚れたのか?」
「そんなわけない。ヤクザなんて、お断りよ」
「なるほど、だから足を洗わないか聞いたんだな」
「なによ! 違うってば!!」
―了―
ご高覧ありがとうございました。
活動記録に、あとがきのようなものがあります。
お時間あるかたはどうぞ。
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