暁の女神
その日の配達を無事に終えて、局舎船で締めの作業をしていたときだった。
船外状況の違和感に、手が止まる。
「ん」
「お、気付いた?」
試すように、嬉しそうに、課長が言う。
気づかせるのが、あんたの仕事でしょうが。
「包囲されてる?」
「正確には、されつつある」
「はいはい。もう、退勤時間だってのに」
「この業務量で超勤か、って怒られちゃうね」
「お客さま対応なら仕方ないでしょ」
「お客さまは小型船が五、まだ増えそう」
解析してみると、民間仕様の船艇に武装した程度のものらしい。
非武装の郵便局には脅威だが、打つ手がないでもない。親分の重巡が相手なら打つ手などなかったろう。そう思いながら、コンソールを打つ手を止めない。
「集配VLS起動、電磁攪乱と通信妨害を半々で。発射時期は任せる」
「了解。ログの緊急バックアップもやってる」
「いい子ね」
「当然。あと六六〇秒」
「時間を稼がなきゃね」
別の端末を立ち上げて、ヘッドセットを装着する。データを解析し、記録を引用する。ダイヤルを回し、コンソールを叩く。
そんな様子を見て、課長が言う。
「脱出しないのが、あなたらしい」
「わたしらしさって、なんだろうね」
「歌みたいなこと言ってないで、急いで」
「はいはい」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
〈HQ、こちらパトロール。ちょっと郵便局へ寄ってくる〉
〈こちらHQ。パトロール、どうした、ママに手紙でも送るのか〉
〈その通りだよ。なんか悪いか?〉
〈悪くはないさ。幸せなママだな〉
〈今度あんたも会ってやってくれ。手を合わせるだけでいい〉
〈……すまない〉
〈いいんだ。みんな、そうだろ〉
〈そうだな〉
〈それじゃ。交信終了〉
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
モニターの中で、小型船の隊形が乱れる。欺瞞通信が効いているらしい。少しは時間が稼げるだろう。
保安庁の通信回線は、先の来局時に解析してある。軍の時代よりも秘匿性の低い回線を使っているから、それに偽装するのは割と容易だ。そんな通信を電磁撹乱と通信妨害の嵐の中で傍受すれば、それなりらしく聞こえるはずだ。
「なあ、ちょっと演技が臭くないか?」
「そんなことないと思うけど」
「なんかAIが出力しましたって感じ」
「AIに言われると腹立つわね」
襲撃のタイミングは、保安庁の巡回を避けたものだった。
宇宙艦隊が栄華を誇ったのは過去のことだ。後継組織たる保安庁は、今や細々と航路の哨戒をするのが精一杯だ。即座に通報していても、駆けつけたころには残骸を数えてもらうくらいしかできないだろう。
「バックアップ、まだなの?」
「まだだよ。電磁攪乱と通信妨害のおかげでね」
「仕方ないでしょ」
「そう、仕方ない。人生は、いつも仕方ない」
「……なにが言いたいの」
なんだか肚を探られたようで不愉快だ。
仕方ないと言い聞かせて、仕方なくない思いを抱いて、人は生きている。――死んでないだけだ。
おいしいものを食べたとき、楽しい気持ちになったとき、なんとも言えない感情が湧く。希死念慮なんて言葉に直せるものじゃない。心的外傷後重圧障害とは診断されなかった。溜息にもなれなかった思いが、ずっと爪を立てている。
「べつに、なにも。そんなことより――急いで脱出準備をしたほうがいい」
「もう急いでるよ。急いでないように見えたかな?」
「じゃあ手を止めないで。お客さまが隊形を組み直してる――気づかれたぞ」
課長の言葉で、自分が手を止めていたことを知る。
自分が思う以上に、心は疲弊しているのかもしれない。そのことに、逆に救われた気持ちになる。妙な話ではあるが、軽口は叩ける。
「人類は宇宙へ進出し、AIに急かされるようになった……」
「地球時代からそうでしょうが」
「ああ、やだやだ」
「――敵弾!」
課長が叫ぶと同時に、船内にアラートが鳴る。ミサイル警報だ。
即座にVLSから欺瞞弾が放たれる。ばら撒かれた熱源に対し、ミサイルは誘爆し、あるいはあらぬ方へと駆け抜けてゆく。
「今のは危なかった」
「どういたしまして」
「そうね」
バックアップデータを、腰に巻いた書留鞄へ放り込む。続いて自らを、集配艇へと放り込む。
そうする間にも敵弾は飛来する。ミサイルこそ回避しているが、小口径の銃弾が浴びせられているのは感じ取れる。局舎船はその大きさゆえに堅牢さを保障しているが、集配艇はそうではない。もとは軍の装備品とは言え、軽装甲の伝令艇だった代物だ。弾雨を跳ね返すような船ではない。
「これはちょっと――良くないやつだ」
「お、っと……」
さて発進というところ、小型船の一隻が正面に滑り込んできた。おそらくフレアやチャフにミサイルを阻まれるので、VLSのない側面に回り込もうとしたのだろう。敵ながら正しい判断だ。
その敵と目が合った、気がした。なにかを喋り、ミサイルの発射炎を見た。
「衝撃に備えろ!!」
課長が叫ぶと同時に、爆炎が咲いた。
衝撃――は、思ったものとは違った。大小の破片が集配艇の正面を叩き、嫌な音がする。通信が入る。
「郵便局、こちらパトロール。無事か?!」
「……パトロール、こちら郵便局。救援、感謝します」
「だから言ったろ、後悔するって」
声の主は、金髪の彼女――「お巡りさん」だった。巡回ルートから言えば、今ここに居られるはずがない。
そんな場合ではないはずなのに、つい疑問が口を出た。
「なんで、ここに?」
「……通報があった」
言いにくそうに、彼女は言った。
通報があったとしても、今ここに居るためには、この襲撃を予測している必要がある。誰が、何のために。わからないことだらけだった。
「話は後だ。やつらをしょっぴいてからな」
「……了解。ご武運を」
「ふん。退がっていろ。――交信終了」
聞きたいことは山ほどあったが、お互いそんな場合ではなかった。
銃火に巻き込まれれば、次に爆散するのは集配艇だ。
「シーケンス省略、緊急発進」
「オールレディ、緊急発進する」
ふわりと集配艇が宇宙へ踊る。
先ほどの破片のせいか、どうも推力が安定しない。それを誤魔化すように、課長がモニターに宙域の略図を出す。
「パトロールが押しているな」
「でも、これ、危ないよ」
「わざと退いてるっぽいな。慣れてやがる」
払い下げの駆逐艦三隻からなるパトロールが、雑魚を追い払っている――ように見える。まるで海を割る聖人だが、小型船のほうは四隻が健在だ。
「ってことは、つまり」
「ああ。来るぞ」
新たな小型船が三、彗星の如く現れる。
暴れる船体を抑えながら、集配艇が闇を駆ける。
「くそったれ」
「おお、お見事。まだまだ腕はいいようだな」
迫りくるミサイルを、すんでのところで回避する――と書くのは容易い。実際は、かなり難しいことをしなければならない。ミサイルの挙動を読んでフレアを撃つとか、あえて制動をかけてやりすごすとか、ぎりぎりまで引きつけてからデブリにぶつけるようなことも、やってのけた。
「ちょっと! 手伝いなさいよ!!」
「いや、手伝ってるって」
あらゆるアラートが鳴っている。おそらく集配艇の状況は、自分が思うよりも深刻なのだろう。本来ならエラーを吐いて飛ばないところを、課長が迂回プログラムを書いて――書き続けて、無理やり飛ばしている。直撃こそないものの、小さな被弾が船体を揺らし続けているし、加えて無茶な機動をしているのだから、課長の負担はすさまじいものになっているはずだ。
しかし、悲しいかな。人は見えない部分を評価しないのだ。
「もっと手伝え!!」
「ええ……」
破滅は唐突に訪れた。
舵が利かない。推力は出ない。速度が上昇し続けている。
外殻が軋む。課長が応答しない。呼びかけている自分の声が聞こえない。
終わるのか。やっと。やっと。
燃えていく棺桶の中に、極光が広がって、満ちる。
やっと。やっと許されるのだ。




