星間郵便局
いつもの仕事だった。
発着場で引受業務をしていると、窓口から呼び出しのコールが鳴った。この局の人間は、自分しかいない。業務全般は高度に自動化されており、接客も基本はAIが行う。それでも呼び出されるということは、つまりそういう案件なのだろう。小さく息を吐く。
廊下を抜け、窓口のカウンターへ滑り込む。客が待っている。肩にかかる金髪が眩しい。白と青を基調にした制服は、保安庁のものだろう。
「お待たせしました」
「やあ」
「いらっしゃいませ」
「馴染みの仲なのに、つれないね」
金髪の奥の小さい顔が、切れ長の両目を湛えている。必要以上に気さくさを主張するのは、彼女なりの誤魔化しかただ。
室内の光量は充分なはずだが、どこか薄暗さがある。窓外に澱む宇宙の闇が、隙間風のように吹き込んでいる。
「業務中ですので」
「まあ、いいや。ところで本題なんだが――郵便のログを見せてくれないか」
形ばかりの挨拶から本題に入るあたり、やはり彼女は不器用なのだ。悪い人ではない。
「令状は?」
「事は急を要する。汎宙群連合体と反社会的勢力の取引を追ってるんだ」
「令状はないということですか」
「人命に係わるんだよ。それも、多くの」
宇宙焼けした顔で、苛立ちを隠さずに彼女は言う。ストレスや加齢の爪痕があるものの、なお人目を惹く貌をしている。どうも野暮ったくて、どこか垢抜けない自分とは、住む世界が違う。
「ならばなおさら、令状が出るはずでしょう」
「だから急いでるんだ」
「令状さえあれば、ログでもなんでもお見せしますよ。――たとえば、わたしの裸でもね」
「……後悔するぞ」
不器用な脅しだ。令状なしに郵便を――信書の秘密を侵すことは許されない。どんな極悪人や社会不適合者にも、あまねく公平に適用される。
彼女の焦る気持ちも、わからなくはない。世が世なら、彼女は艦隊提督の座にあるべき人物だ。それが亡国の憂き目を経て、軍隊くずれの保安庁で、お巡りさんをやっている。人生というものは、わからない。
おかしな気持ちになって、唇から笑みが零れた。
彼女の頬が歪む。わたしの態度を侮蔑と取ったのかもしれない。べつに訂正する義理もない。
「ご忠告に感謝します。やっぱり裸は、やめておきます」
「いいや、おまえの良心の問題だ」
「後悔なら、していますよ。ずっとね」
「だから――だから、おまえは敗け犬なんだ」
躊躇した言葉を、彼女は呑み込めなかったらしい。なんと返されるのかを知っていながら、言ってしまったのだ。
自分の右眉がぴくりと動くのを感じる。お望み通りに、差し上げましょう。
「その通りです。わたしもあなたも、敗けたんですよ」
「……また来る」
「またのお越しを、お待ちしております」
彼女が金髪を翻し、窓口に静寂が圧しかかる。
妙な悪寒が、首から背中へ這い回る。カウンターに「離席中」の札を出し、そのようにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「窓口業務、お疲れさん」
「どうも」
事務室に戻ると、声を掛けられた。口調は軽薄だが、低くて耳に馴染む音だ。
この局の人間は、自分しかいない。多くの業務が機械化されており、AI制御されている。それを統括する対話型のAIがある。それが声の主だ。「課長」と呼んでいる。
「本日の機械処理物数は三〇〇〇てとこ、まあまあの数だな」
「そうね。速達と現物書留の数は?」
「五〇くらい」
「くらいじゃなくて、ちゃんと教えなさいよ。四六と五四では配達ルートが変わるのよ」
端末に表示されるデータを見ながら、決済のサインを済ませていく。
課長はAIなので、自分との会話や性格などを学習して、話しかたを出力している。結果的に、課長との会話は軽口が多くなる。
「まあまあ。そんなことより、読取不能の郵便があったぞ」
「わざわざ報告するってことは」
「そう、差出人も不明」
「めんどうね」
「仕事のうちだろ」
「まあね」
見た目は、なんの変哲もない茶封筒だ。表面に宛先は書いてあるものの、文字化けしており判読できない。
照明に透かしてやると、中の書面が薄く見える。どうやら電子処理されているらしい。
課長から、諦めたような声が出る。
「おそらくだけど、これは」
「うん、本文に掛けられた暗号化が悪さをしてるね」
「郵便に暗号を掛けるなって常識なんだがな」
「郵便局の常識は世間の非常識ってね」
「それはそう」
「これは、ちょっと開けるしかないなあ。記録して」
「了解。宛先および差出人不明の郵便物について、約款に基づき開封します。記録します」
たとえば葉書形状の郵便物であったとしても、局員は通信面を見てはならない。だが、宛先に尋ね当たらず、差出人に返還する際、差出人の情報が通信面に書いてあったとしたら、どうか。――つまり、業務に必要な場合に限り、これは認められることになる。
同じことが、封書でも可能とされている。それでもやはり、封書を開けるのは気が引ける行為だ。ペーパーナイフが鈍く光り、紙を割く。
ぴらりと取り出した書面には、強い電子処理が認められる。よほど知られたくない内容なのだろうが、おかげで開封されることになるとは、皮肉なものだ。読み切り型の暗号なので、機械に通した時点で、解読した痕跡が残ってしまう。
書面に目を通し、必要な情報だけメモを取る。そして書面を封筒に戻し、封緘テープで傷を塞いだ。
「記録終了」
「記録を終了します。どうだった?」
「案の定、本文に強い暗号が掛かってたね」
「そっか。宛先は読めた?」
「反社だね。差出人は汎グレっぽい」
汎宙群連合体は、違法行為を生業とする連中だ。ヤクザやギャングの下部構造に近いが、明確な組織体系を持っていない。広大な宇宙においては、縄張り争いをするよりも、悪党は悪党同士で助け合おうという風潮により、自然発生的に形成されたらしい。
「あー。これが、例の」
「それっぽいね」
「お巡りさん」が知りたかったのは、この情報なのだろう。
汎グレは純粋な営利団体であり、思想はない。それゆえに最近では、和平否定派の下請けなんかもやるらしい。今や破壊行為すら外注する時代なのだ。
「どうするの」
「届けるよ」
「そうじゃなくて、通報とか」
「するわけないでしょ。AIのくせに、違反行為を唆すつもり?」
開封し、書面を見たのは、あくまで「業務に必要な範囲」なのだ。
これを誰かに漏らすことは、やはり信書の秘密を侵すことになる。
「これは失礼しました」
「じゃあ機械処理のほうは順次発射しちゃって。速達と現物書留は並べて、集配船の点検しといて」
「全部AI任せかよ」
「すてきな時代になったものよね」
「昔の局員が見たら怒るだろうな」
昔は昔、今は今でしょ、と思いながら、ふと考える。「課長」が課長なら、自分はなんだろう。局長でもあるし局員でもある。AIを使いながら、AIに従うこともある。いいとか悪いとかでなく、そういう時代なのだ。
「あ、あとで点呼もよろしく」
「ちくしょう」
怨嗟の声を、AIが漏らした。
しばらくすると局舎船の垂直発射機構から、機械処理された郵便物が誘導弾の姿で飛び出していく。一二八セルが二組だから、三〇〇〇通の郵便物を機械処理するのに一二セット、絶え間なくミサイルを撃ち続ける姿は火力投射艦すら思わせる。
だが、この弾は誰も殺さない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
人類は宇宙へ進出した。地球に留まっているころ、郵便というシステムは絶滅の危機を迎えていた。電子の網が張り巡らされ、情報は一瞬で届いてしまう。経費削減と環境保護の大義のもとに、非効率的な郵便システムは駆逐された。
だが、人類は宇宙へ進出した。そして人類は、今も肉体に縛られている。紙の手触り、インクの匂い、へたな似顔絵、そうした「現物」に、新たな付加価値が認められたのだ。宇宙艦隊の提督でさえ、孫の写真に頬を緩める。いわんや兵卒をや。
星間郵便局は、そうした経緯で生まれ、紆余曲折を経て、今に至っている。
「うわ、おっきいな」
「これは重巡かしら」
「旧式だけど、よく手入れされてる。かっこいいな」
集配艇の操縦席で、課長が感嘆の声を出す。
配達原簿によると、登録上は産廃業者ということになっている。艦名は〈暁の女神〉を表す古語だった。趣味が悪い。
重巡洋艦のような主力艦を個人や企業に払い下げることはないはずだから、なにか悪い手を使ったのだろう。
艦体は死んだように動かない。だが、無数の銃座がこちらを睨んでいる。
「見とれてないで。接舷準備、よろしく」
「はいはい」
課長が生返事をして、通信を試みる。重巡側が受け入れて、回線が開く。
「こんにちは、郵便局です」
〈……何の用だ〉
「ご連絡を差し上げた件で、郵便物をお持ちしました」
あちらからは社員証と映像が見えているはずだが、こちらに相手は表示されない。
相手の声は、正直、なんと言ったか聞き取れなかった。それでも言うべきことは変わらないので、そう言った。
〈入ってもらえ〉
その指示は遠い声だが、通りが良かった。回線は無言で切られたものの、同時にビーコンが射出され、集配艇を誘導してくれる。
重巡洋艦のような大型艦は、小型艇の母船としても運用できる設計になっている。接舷自体はスムーズだった。
腰に巻いた書留鞄を確認して、接舷ハッチを抜ける。重巡側の廊下には、作業服の二人の男が待っていた。
銀髪を後ろに撫でつけた、体格のいいほうが口髭を動かす。赤黒い作業着のこちらが、見るからに親分――建前上は「社長」――だ。
「で、郵便屋さんが、どうしたって?」
低くて重たい声だ。
宇宙焼けした肌は、ところどころ変色している。刻まれた皺と豊齢線が、加齢以上の人生を感じさせた。
酸化した皮脂の体臭と、悪い内臓に由来する口臭、それに煙草の強い匂いが混ざっていて、端的に言えば不快である。
「こちらの郵便物ですが、宛先と差出人が読み取れなかったので、開封させていただきました。どうぞご了承ください」
書留鞄から、件の封書を取り出す。両手で渡し、片手が受け取る。お世辞にも、きれいな手ではなかった。よく見れば、作業着の裾も擦れている。
親分は黙って受け取ったが、控えていた若い男が声を荒げた。ひょろりとしていて、街で見かけたら距離を置くような感じのやつだ。
「郵便を勝手に開けたのか?!」
「そうですね。宛先も差出人様もわからない場合は、そうするしかございませんので」
そのやりとりを聞いてか聞かずか、親分は指で封書をこじ開けている。黙って書面に通した目を、こちらへ向けてきた。艦内の灯火と違う、鈍い光に睨まれている。
「郵便屋さんよ」
「はい」
「こいつは暗号化してある。読み切り型だが、機械を通した気配もない。どうして宛先が分かった?」
「……正直に申し上げて、読めてしまった、というところです」
これでも、軍の情報将校をやっていた身だ。並の暗号ならば機械を使わず解読できる。なるほど、この書面の暗号は強度の高いものだった。だが、強度の高い暗号と、暗号の強度が高いのは、似て非なるものなのだ。
「読めないことにしても良かった、ってことか?」
「そういうことです」
親分の言う通りだった。書面を確認してなお、宛先や差出人が不明の場合も、当然ある。そうであれば配達も返還も不能として処理することはできた。
だが、読めてしまった。それに嘘を吐くことは、したくなかった。
「まじめな郵便屋さんだ。――このことは、だれかに伝えたか?」
「いいえ。通信面を確認するのは、業務に必要な最低限ですし、それを漏らすようなことは致しません。……証明する方法は無いですが」
まじめな、と言われるのは、くすぐったい思いがした。褒められているんじゃあないだろうけど。
「よし、分かった」
「社長、いいんですかい? こいつは書面を見て、解読してるんですぜ」
「書面を見て、解読して、わざわざ届けに来たんだ。通報するなら、もっとうまくやるだろうよ」
信じられないという風の手下を、窘めるように親分が言う。
ご理解いただき、ありがとうございます。胸中で呟いて、軽く頭を下げる。
「差出人には、おれから注意しておくよ。郵便に暗号は掛けるなってな」
「ありがとうございます、よろしくお願いします。――では、失礼します」
「ああ。気を付けてな」
こうして重巡を後にして、集配艇へと帰還する。課長と二言三言を交わし、船が宇宙へ滑り出す。
だから、それを見送った親分が、手下に命じたことなど、知る由もなかった。
「おい。始末しとけ」
「はい。承知しました」