*第8話最終回 たまずさ
光弘には跡取りが居なかった為、重臣たちの合議により
定包を新たな城主とする事が決まった。
異議を唱える者も居ないでは無かったが、
時世を慮るに城主の空席は避けるべきだとの声が大半を占めた。
老臣第一席の定包が相応しかろうと言う事で決着したのだ。
菊乃は当世の倣いとして神輿家の菩提寺へ出家し比丘尼となった。
本格的に尼僧となったわけでは無く、
寺の近くに庵を設けて隠居した未亡人と言ったところだ。
「山下様、いえ、これからはお館様で御座いました」
「う、うむ、なにやらこそばゆいものよ」
「すぐに慣れましょうほどに」
「玉梓殿は如何なされるおつもりか?」
光弘が鬼籍に入ったからには妾である玉梓に居場所は無い。
今日はお暇のご挨拶にと定包を訪ねたのだ。
「お館様には厚恩感謝の日々に御座います」
「なんのなんの、これしきの事じゃ」
「なれど女人の身にてはご奉公にも能わず、
この上は白浜に戻りて余生を過ごしながら、
お館様のご武運重畳なるを祈りとう御座います」
「余生などと言うが、そなたはまだ二十歳、花の盛りではないか」
「手垢のつきし寡目女に御座います」
「そのような事は断じてない!そなたに手垢などついておらぬ!」
急に大声を出した定包に、玉梓は眼を見開いて驚いてしまった。
その表情がなんとも愛らしく、定包は思わず抱きしめてしまった。
「お、お館様・・・何を・・・」
「た、た、玉梓殿!妻に!ワシの妻になってたもれ!」
「何と仰せられまする」
「妾などでは無い!ワシの女房となり跡目を生んでたもれ!」
定包もまた子宝に恵まれなかった。
最初の妻とは死に別れて、その後は再婚もせずにいた。
そろそろ後添えをと考えていた頃に玉梓と出会い、
叶わぬ恋と知りながらも想い続けて来たのだ。
今なら・・・
今ならば・・・
「それでは世間の誹りを受けましょう」
「構わぬ!何とでも言うが良い!構わぬ!」
「ご家名に傷が付きまする」
百歩譲って妾にするならまだしも先代の愛妾を正妻になど、
当代の城主は色呆けよと笑いの種にされるのがオチだ。
大恩有る定包にそのような汚名を着せるわけにはいかない。
「お考えをお改め下さりませ、お館様」
「嫌じゃ!嫌じゃ!頼む玉梓!これ、この通りじゃ!」
強く抱きしめていた腕を解き、後退り額を床に擦り付ける。
まるで女神に許しを請う罪人の如き有り様である。
「な!何をなされます!お手を、お手を上げて下さりませ!」
こんな所を誰かに見られようものなら大変である。
城主の威厳もあったものでは無い。
直ちに止めさせなければ!
「苦しいのじゃ玉梓。そなたを想うと臓の腑が抉られるようじゃ。
助けてたもれ、どうか助けてたもれ玉梓・・・」
童のように泣きじゃくる定包が哀れであった。
今は大事の時、家臣団をまとめ世の乱れに備えねばならぬ。
第一に覇気である。
我が身を捧げ、お支えするのが恩に報いる道か。
「お館様の御意のままに従いとう存じます」
「おぉ!おぉ!玉梓よ!聞き入れてくれるか!」
「どうぞ宜しきにお計らい下さりませ」
「あぁ玉梓、玉梓、玉梓・・・」
白浜の海を見るのはいつの事になるのやらと、
膝に顔を埋める定包の頭を撫でた。
***
館山の峠をようやく越えて目指すは白浜。
僅かな供回りに囲まれた玉梓と定包。
着いたところでその先知れぬ、追われて逃げる道行きかな。
青天の霹靂であった。
俄に火の手が上がり城内が混乱に陥ると、
わらわらと湧いて出た敵兵が開け放たれた城門から攻め入って来た。
八郎に籠絡された里見義実の私兵と、反山下派の内通者による反逆だ。
他にも結城合戦の落ち武者どもを掻き集めて、その数三百。
決して多くはないが、戰場をくぐり抜けた猛者たちである。
瞬く間に勝負は決した。
「お館様、わたくしを置いてお逃げ下さりませ」
「何を言うのだ、玉梓!そのような事が出来るものか!」
「いいえ、お逃げ下され。おなごの足ではこれまでに御座います」
「ならぬ!ならぬぞ、玉梓!歩けぬならワシが担いでやる!」
有無をも言わさず玉梓を肩に担ぎ歩き出す定包。
なれどそもそも徒と馬、とうとう追いつかれてしまった。
「ええぃ離せっ!その者に触れるな!玉梓!玉梓!」
「お館様!!!」
「うおぉぉぉぉ!!!」
渾身の力を振り絞り刀を振るう定包。
玉梓だけでも逃がしてやりたい。
白浜の海が見たいと言った。
見せてやりたや今一度。
「ええぃ!斬れ!斬り捨ててしまえっ!」
生死を問わずの御下命である。
四方から切り刻まれて、最後の一突きの槍。
ついに定包は地面に崩折れた。
「お館様ぁ~~~!!!」
「た・・・ま・・・ず・・・」
斯くなる上はと懐の短刀にて自害を試みるも容易く叩き落とされ、
敢え無く捕縛され滝田の城へと引き戻された。
定包は首だけになっての帰還となった。
***
六年振りに玉梓と対面する八郎は、積年の恨みも忘れ見惚れていた。
幼き頃の面影を残しつつも、妖しく昇り立つ色香に酔った。
今度こそ、今度こそ手に入るやも知れぬ・・・
さぁ、ここは思案のしどころぞ。
「玉梓よ、我が主神余光弘公を誑かし国政疎かにしたもう事、
第一の罪なり。
主の寵を受けながら逆賊山下定包と密通し謀殺を唆したる事、
第二の罪なり。
定包の妻となりしを恥ずる色も無く憚り無し。
城落つるも自害せず、我が身可愛さに逃げ去りしは、
これまさに造悪の業報なり。
生きて戒めの縄に繋がれ、死しては祀られざる鬼とならん。
天罰国罰思い知るや!」
なんの感情も表さず、虚空を眺める美しき人形は、
罪状を読み終えた八郎を初めてその眼に映して言った。
「言わるるところに憶え無し。
おなごは萬に淡きもの。
三界に家持たず、夫の家を我が家となすものに御座います。
なれば苦楽も与うに非ず、ただ受け取るのみ。
先君亡くなりし後、この身は浮草の如くなるを、
定包様に拾われて、恩義を返し奉らんと欲したまで。
二君に仕えて恥知らずと罵るならば、金碗様とて同じこと。
他国の輩に城を献上して主君の仇を討つなど笑止に御座います」
「だ!だ!黙れ痴れ者めが!こころ悔い改め、
性根を入れ替えると申すなら情を掛ける事もあろうものを!」
ワシのものになるなら助けてやる。
そう言っているのである。
「まぁ待て八郎。さてもか弱き女人なればさもあらん。
その罪、軽からじと言えども女子なれば赦したる事、
賞罰の方から外れるものでもあるまい」
ふいに横槍が入り振り返ると、腰を浮かせて身を乗り出し、
ぐっと玉梓を見つめる新城主里見義実。
なんと義実までもが魅了されたと言うのか!
正に魔性の美貌。
このまま命を助ければ、きっと義実の妾となろう。
またしても指を咥えて眺めると言うのか!
手に入らぬのならいっそ殺してしまおう。
「仰せには候えども定包に次ぐ逆賊こそ、
これなる淫婦玉梓に御座りまする。
甘言を弄し奸計を巡らし、忠臣を貶め国を乱し、
生かさばきっと里見様に害を成す事必定。
決して赦し給う事無きよう申し上げまする」
カチッ
何かが玉梓の中で動いた・・・
「ふぅむ、危うく過てるところであった。
そちの言う通りである。
とくと牽き据えて首を刎ねるがよい!」
カチッ
また動いた・・・
「恨めしきかな金碗八郎。
赦すと言う主君の言葉を拒み我が身を斬らば、
汝もまた遠からず刃の錆となり、その家、長く断絶せん。
義実公も不甲斐なし。
赦すと言いし舌も収まらぬ内に説き破られて、
人の命を弄ぶとは、聞きしに似合わぬ愚将なり。
殺さば殺せ。
児孫まで畜生道に導きて、この世からなる煩悩の犬となさん!」
カチリッ!
玉梓の中で怨念の歯車が噛み合った。
からりからりと回りだす。
「牽き立てよ!」
そう言い捨てて義実は席を立った。
玉梓の黒髪をぐわしと掴み、外に引き摺り出した八郎。
サラリと刀を抜き睨みつける。
「せめてもの情じゃ、若僧の首と同じ刃で、その首を刎ねてやる。
同じ所へ行けるじゃろうて」
見えているのかいないのか。
聞こえているのかいないのか。
もの言わず抗いもせず、玉梓は頭を垂れる。
ついに振り下ろされた刃が身体を二つに分け放つ。
見開いたままの眼は何を見たのであろうか。
微かに震えた唇は何を呟いたのであろうか。
巡る因果の糸車が紡ぐ、乙女玉梓の物語、
これにて一巻の終わり。