*第6話 うつせみ
「ななな、なんと!なんと申したぁ~!
いや言うでない、聞きとうない。
いいや申せ、今一度申せ」
三歩進んで二歩下がる。
堅実な人生を歩む秘訣のような仕草だが、
滑稽なほどに狼狽えた八郎の醜態である。
「お館様の命を受けた山下様の軍勢百騎が、
明日にでもこちらに参ります!」
詮議と言うよりも、もはや討伐の勢いである。
一気に制圧し藤次郎の身柄を確保した後に、
じっくりと検める算段なのだ。
「それでは無いわ!た、た、玉梓が何と申したぁ!」
「は、はい!玉梓殿は、お館様の御妾となりまして御座りまする」
「おぉぉぉ、お館様の、そ、そ、そ、妾に・・・」
金碗家子飼いの郎党が早馬で知らせて来たのは、
本城での顛末と八郎の危機、そして玉梓の成り行きであった。
妾、つまりは愛人だ。
人を殺めてまで手に入れようとした至宝は、
敢え無く横取りされてしまったと言うのだ。
しかも、それを段取りしたのは憎き定包。
城では八郎の罪状が既に定まったかのように扱われているらしい。
らしいも何も、真にそうであるのだ。
「あぁぁぁぁぁぁ~~~~~~」
ドスンっと尻もちをつき虚空を見つめる。
瞳には黒ずんだ砦の天井が映っているが、
八郎の眼に浮かんでいるのは玉梓の面影であった。
数日の内には褥にねじ込み存分に想いを果たせると、
まるきり疑いも無く待ち倦ねていた。
「何故じゃぁ~何故手に入らぬ~玉梓ぁ~」
「八郎様!お気を確かに!八郎様!」
嘆いてなどしている場合では無いと左之助は焦った。
事が露見したからにはお叱り程度では済むまい。
切腹も許されず打ち首にでもなりようものなら、
嫡男の不祥事だ、御家断絶も有り得る。
方策や如何に!
「八郎様!!!」
「左之助!玉梓を連れて参れ!今すぐじゃ!」
「八郎様!山野に隠れましょうぞ!」
「何故ワシが隠れねばならぬ!」
「これは山下が謀に御座ります!」
「定包じゃと?」
金碗家を取り潰し、老臣第一席の座を奪わんとする謀略だと説いた。
今は身を隠して機を伺い、見事定包を討ち果たし再起を図るべしと。
「おのれ定包!度重なる邪魔立てにも堪えておったが、
此度ばかりは堪忍袋の緒が切れたわ!
この恨み晴らさでおくべきか!!!」
堪え性も無ければ堪忍袋もついぞ持たぬ八郎であるが、
神仏をも恐れぬ行動力だけは本物であった。
そして意外な事に直属の部下からは慕われていたのだ。
ならず者同士の絆とも言うべき関係が醸成されていた。
中でも左之助は単なる部下に留まらず情夫でもある。
八郎の色狂いは女人に限るものでは無い。
「急ぎ支度せいっ!山籠もりじゃ!」
「その前に致さねばならぬ事が御座ります」
「何とする?」
「かの者を生かして置いては後顧の憂いとなりましょう」
「なるほど、あ奴めか・・・」
証拠隠滅の口封じ。
どうせ殺すつもりであったのだ。
迷う理由など何処にも有りはしない。
「憂さ晴らしじゃ!ワシが手ずから刎ねてやろう」
***
定包自ら率いる山下隊が砦に到着した時には、
既に八郎とその郎党たちは姿を消し、
惨たらしく変わり果てた藤次郎の亡骸に慟哭する、
弥平と鈴音の嘆きが砦の中庭に響いていた。
「遅かりしか!・・・無念・・・」
後始末と調査の為の人員を残し、
取り急ぎお館様に報告せねばと城に引き返した。
「早かったのぅ、定包。で?どうであった」
近頃はいつ見ても上機嫌な光弘である。
さもありなん、隣に玉梓を侍らせて膝に置かせた手を擦っている。
それでも玉梓は食い入るように定包の言葉を待っている。
あぁ、なんと健気なや・・・
「畏れながら、お人払いを」
「構わぬ、申せ」
「重ねて願いまする、お人払いを」
「構わぬと言うたぞ」
いずれは誰かが告げねばならぬ。
ならば逃げるは卑怯なるかな。
覚悟を決めて定包は口を開いた。
「金碗八郎とその一党は出奔し行く方知れず。
木戸藤次郎は討たれて既に亡き者と成り果てて御座ります」
ひっ!と小さく悲鳴を上げて玉梓は気を失ってしまった。
お付きの奥女中たちが取り乱して騒ぎ出した。
「た!た!玉梓や!これ、早う玉梓を奥へ!早う!
定包っ!玉梓の前で何とした事か!この空者がぁ!!!」
「申し訳御座りませぬ!」
「もうよい!下がれ!」
「ははっ!」
許してたもれ。
許してたもれ、玉梓殿。
きっと助けると言うたこの口で、想い人の死を告げた。
この日より、玉梓の瞳から光が失せた。
魂を持たぬ空蝉の如くに。