*第3話 しらはま
夜半過ぎ、長尾の砦にけたたましく鳴り響く半鐘の音。
厨の辺りで火の手が上がった。
やがて怒号が飛び交い剣戟に月の光が煌めく。
盗賊が侵入したようだ。
程なくして収まったが賊は捕り逃がしてしまった。
明けてようやく火も消し止め、事の仔細が分かって来た。
最初の火事は陽動で本命は倉の中の武器や貨幣であった。
人数は定かで無いが、おそらく二十人前後であろう。
顔を布で覆い隠して面相は知れぬが、身なりは百姓のそれだ。
「哀れよのぅ、稚児が出来たばかりじゃのに」
「太助も今しがた・・・」
「二人もやられたか・・・」
「いったい何者じゃ?ただの百姓とは思えん」
「如何にも手練れじゃったの」
死者二名、重症者三名、負傷者数名。
奪われた金品は僅かであったが、犠牲は大きかった。
「下総辺りからの流れ者じゃろう」
「戦が近いと噂じゃな」
「とにかく本城に知らせねばの」
「また来るやも知れぬ、守りを固めようぞ」
鎌倉公方足利持氏と関東管領上杉憲実の確執は激化し、
あちらこちらで小競り合いが絶えない。
加えて重税に耐えかねた百姓が一揆を起こす事も屡々。
世情は不安定を増している。
砦の要請に応じて調査隊十名、護衛隊十名、計二十名が派遣された。
隊長はあの男、金碗八郎である。
厄介者が戻って来た。
***
「とと様!そ、それは!それは真ですか!?」
「あぁ、間違いない。後ろ手に縛られて引かれて行くのを見た。
あれは藤次郎殿じゃ」
「何故ですっ!何故、藤次郎様が!」
思いも寄らぬ父の言葉に玉梓は狼狽した。
押し込みの下手人として藤次郎が捕縛されたと言うのだ。
「まだ詮議の続いておるところじゃが、漏れ聞くに
どうやら一向衆に加担して一揆の企てをしたと」
「そんなの出鱈目です!」
「うむ、何かの手違いじゃろう」
鎌倉時代に一向俊聖によって浄土宗から枝分かれした宗派である一向宗。
後に本願寺教団と融合し大規模な反乱を起こすようになり、
一向一揆として歴史に名を刻む、踊り念仏の形態を持つ宗派である。
関東地域では大きな勢力に至らなかったが、
小規模な反乱は時折に発生していた。
人々は彼らを一向の衆と呼んだ。
「今日は無理じゃったが、朝一番でお目通りを上申する。
弥平も藤次郎殿も一向の衆とは無縁じゃ。
ちゃんと話せば金碗様もお分かり頂けるじゃろう」
「どうか!どうか藤次郎様をお助け下さい!とと様」
「もちろんじゃ、もちろんじゃとも」
とは言ってみたが、端者の自分にどうにか出来る事では無い。
ただ泣き縋る玉梓が哀れでならなかった。
ましてや藤次郎は玉梓の夫になる筈の男だ。
何もせずに居る事などあってたまるものかや。
重信は肚を括った。
***
「騒がしいぞ!如何致した!」
「これは横山様、山崎なる番所勤めが御当主様に目通りを願っておりまして。
帰れと申しても引かぬので御座ります」
「何?それは山崎重信であるか?」
「はぁ、さように御座りますが、ご存知で?」
「ふむ、ワシが相手をしよう。通せ」
「ははっ」
さすがに直に目通りさせる訳には行かない。
しかし、これは却って好都合だ。
こちらから出向く手間が省けたと言うもの。
控えの間にて面談の運びとなった。
「山崎と申したな、さてさて何用じゃ?」
「昨日召し捕らえましたる木戸藤次郎は知己に御座ります。
一向の衆とは無縁の者にて、何卒お疑いを解いて頂きますよう、
金碗様にお取次ぎ願いとう御座ります」
「知人とな?ふむふむ、さようであったか。しかしのぅ山崎、
言い訳の出来ぬ証があるのじゃ」
賊の隠れていた山小屋を突き止めて突入したそうだ。
激しく抵抗したため全員討ち取ったと言う。
頭目と思しき者の懐から同士の名を記した血判状が出てきたらしい。
そこに藤次郎の名があったのだと。
「そ、そんな・・・まさか・・・」
「信じられぬのも無理はなかろう、じゃが事実じゃ」
「かの者は、どうなるので御座りましょうや?」
「打首に決まっておろうが」
「な!なんと!まだ元服前のワッパでは御座りませぬか!」
「助けたいか?」
「もちろんに御座ります!」
「出来ぬ事でも無いが・・・」
と、言いかけて口を噤む。
じっと重信の目を覗き込む横山左之助。
そう、八郎の懐刀であり主の命であれば荒事も厭わぬ男である。
なにやらキナ臭い話になって来たようだ。
「この先を聞いたならば戻る事は許さぬ」
「お聞かせ下され、横山様!是非!」
掛かった!
「よかろう!では聞くが良いぞ、山崎重信」
***
あぁ・・・なんとした事か・・・
なんと告げれば良いのだ・・・
あまりにも酷な・・・
玉梓よ・・・玉梓よ・・・
哀れな娘よ・・・
愛しい我が娘よ・・・
玉梓を八郎に差し出せと言うのだ。
彼女の頼みなら聞き入れるだろうと。
夫婦になるのは叶わぬが、恋人の命は助かると。
それが出来ぬなら見捨ててしまえと。
弥平も鈴音も一族同罪じゃと。
見捨てられる筈も無かろう!
竹馬の友じゃ!
友じゃけど・・・
「金碗様の元へ・・・」
事の次第を聞いて項垂れる玉梓。
小さな肩が一層縮んで見えた。
「数日の猶予は頂いた、よくよく考えて決めれば良い」
「とと様、お願いがあります」
「なんじゃ?」
「藤次郎様に文を届けては下さりませんか?」
「文とな・・・それは・・・いや、なんとかしようぞ」
ええぃ、儘よ!
忍び込んででも渡してやるぞ!
***
幸い、牢番は顔見知りの者であった。
事情も分かってくれていたので、こそっと通して貰えた。
「かたじけない」
「手短にな」
「うむ」
「奥の右手じゃ」
足早に進むと薄暗がりの中に藤次郎が蹲っていた。
厳しい責めに遭ったようだ、顔が腫れ上がっている。
「藤次郎殿、藤次郎殿」
「おぉ、山崎様、どうしてここへ?」
「玉梓から文を預かっておる」
「玉梓殿から・・・」
「筆と紙も持って来た、返事を書いてやってくれ」
「承知致しました」
おずおずと受取り、文を開く。
わがおもい いとにつむぎて よせしふみ
むすべやいとし きみがすえゆび
<私の心を糸に紡いでこの手紙に託しました。
どうかあなたの小指に結んで下さい>
「おぉ・・・おぉ・・・玉梓・・・」
「あまりゆっくりは出来ぬ」
「はい、しばしお待ちを・・・」
震える手で返事をしたためる。
ひきしおに ながれしこえだ おきのなみ
いとひきかえらむ きみがしらはま
<引き潮に遠く沖に流された小枝も、この糸に導かれ
あなたの待つ白浜に帰ってくるでしょう>
「これを・・・」
「しかと受け取った」
急げ急げ!
夜の明けぬ内に!
この時、重信の心に一つの考えが浮かんだ。
坂道を駆け下りるその背の向こうに、
キラキラと波が月灯りに照らされていた。
いとひきかえらむ きみがしらはま