第10話 もう、ここには私を縛るものは何ひとつありませんから
「あの街から出たことがなかったんだよね?」
「えぇ、屋敷で揃えられないものは何もないので、殆ど外出らしい外出はしていませんでした。学園の……」
「ベスって、本当にお嬢様として、大事に育てられたんだね」
龍輝は、皮肉で『お嬢様』と言っているわけではなく、ただの確認だ。私がどれほどのことができるのか、確認をしておかなければ、旅は続かない。一人ならまだしも、二人なら費用も増えるし、今後のスケジュールにも影響が出るし、明らかにお荷物な私なのだ。目的地のある翔輝には、先へ進むための準備が必要だろう。逆に私の方は、今後の目標も目的地もない。どこに行けばゴールなのか、何をしていきたいのか、何もないのだ。曖昧に笑いながら、もう一度、私に何ができるか考える。
「その、……旅は不安?」
「私が知る限りでは、数ヶ月でつくような場所ではないと思っていたので」
「そこは、ほら……途中で転移陣も使うからね。そんなにかからないよ。行商人じゃないんだから、全ての街を回る必要はない。移動手段として使えるものは使うから、すっ飛ばすところがあるんだ。ベスの予想より早く着くけど、どこか寄りたい街があった?」
「いいえ。私は屋敷からも必要最低限しかでたことがないので、どこに何があるのかさえ知りません。だから、こうして、翔輝と一緒に出歩いていることが驚きです」
「そう」と嬉しそうにしている様子を見ながら、先を促される。ゆっくり歩いてくれているのは、私のためだ。二度と戻ることのない旅に出るのだからと気を使ってくれている龍輝に心の中で感謝する。
死地へ向かうわけではない。いざというときには、最悪戻ってくることも可能ではある。ただ、私はこの地に、もう戻らないだろう。
「見納めになるかも知れないけど、もういい?」
「はい。もう、ここには私を縛るものは何ひとつありませんから」
口にして、今の何もない私に寂しさを感じた。見送ってくれる家人も友人もいない。少し後ろを振り向くが、そこに私の知る人はいなかった。繋がれた手の温かさだけしかない私は手に力を込めて笑う。
もう、忘れよう。家族に捨てられたのだから。寂しいって思っても……もう、あの屋敷には帰ってこないのだし。少し早い嫁入りと考え……いえ、違うわね。独り立ちと考えれば、世間一般でもあることよ。
「翔輝」
「ん?」
「旅の間、翔輝の生まれ育った街の話を聞かせてください」
「もちろん! ベスも俺に教えてくれ。楽しかったこと辛かったこと、これからのこと」
「……わかりました」
「嫌ならいいよ。無理強いはしない。ベスの心の傷が癒えることがあるのかはわからないけど、そのときでいい。それまでは俺の話を聞いていて! 柿という果物を取ろうと木に登って落ちて叱られた話とか、川に遊びに行って大物を釣り上げた話とか。話したいことはいっぱいあるし、知ってほしいこともいっぱいあるから。三ヶ月なんてあっという間だ」
翔輝は笑いながら、指折り話を考えているようだ。そんな気遣いが嬉しい。今までは、そんなふうにしてもらったことがなかったから。令嬢なら父に従え、婚約者がいれば婚約者に従えと『私』を見てくれていた人は一体どれだけいたのだろうと思わされる。
「そうだ! 文字も教えてください。私、翔輝の国の言葉は多少話せますが、文字はまだ、勉強していなくて……」
「それなら、次の街で本を買おう。幼い子が読むような絵本を見ながら覚えていくのはどうだろ?」
「いいですけど……」
「決まり!」
それからは山に向かって歩く。本当に獣道を行くらしく、どんどん道端の木々が鬱蒼としていく。それでも、怖いとも不安だとも感じない。
一緒にいてこんなに心強いなんて。クライ様には感じたことすらなかったわ。いつも私の背で怯えて震えているだけの人でしたもの。
……もう、私ったら。クライ様のことは忘れるのよ。
思い返せば、ため息をつきたくなる。それほど情けない人をこれまでずっと支えてきたのかと、頼りになる翔輝が隣にいれば感じる。
このまま、翔輝を頼り続けてもいいのかしら?
チラッと隣をみながら、私たちは険しい山道を一歩、また一歩と歩く。その歩みは過去との決別をするように未来へ向かってしっかりした足取りで進んで行った。




