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賢者の石  作者: 謳里 箏
5/12

#5 幸運と帰路

 意識のみが覚醒する。

 だが、目は開けられない。

 今の状況を直視するのが怖いからだ。

 体が重い。

 記憶は曖昧で、なぜ自分が眠っていたのかもわからない。

 確か大蛇に食われそうになっていた。

 それで食われた……? はずだが今は体が動く感覚がある。

 足を動かせば何かに当たり『コン』と音が響く。

 恐る恐る目を開けると明るい夕日が目に入る。

「眩しっ!」

 思わずクルスは手で光を遮る。

 暫くして目が利くようになってから周囲を見渡す。

「は……」

 状況を理解できないクルスは声を漏らす。

 周りには木、上には随分と近い小枝や葉、下を向けばやけに遠い地面が目に入る。

 今腰を付けているのは木の枝で背を預けているのは幹。

 そして、意識を失う直前を思い出した。

 あの赤髪の男の笑みが脳裏に焼き付いていた。

 名前も知らない上に面識もない。

 だが、助けてもらった命の恩人であることは確かな記憶だ。

 自分の体に視線を降ろすが幸い傷らしいものはない。

 剣も腰に戻してあった。

 しかし、記憶が確かなら左足に何かしら怪我を負った。

 すぐさまクルスその個所に触れる。

「……なんだこれ」

 その個所に触れても痛みはない。

 だが、触れるとそこが抉られたようにへこんでいた。

 見れば周囲の皮膚も灰色へと変わっている。

 クルスの胸中を恐怖に似た怒りが満たす。

「昨日と……同じじゃねえか」

 フォルが突き立てたナイフとその結果。

 そして、今回の傷跡。

 未だに大蛇の毒と言う可能性を捨てきれないがクルスはそれを考えすらしない。

 この傷跡がその考えを奥へ追いやる。

 クルスはナイフを取り出しそれを灰色に当てる。

 力を込めるとガリガリと何かが削られる感覚、だが痛みはない。

 ナイフを見て、そこに残る削れた僅かな粉を見る。

 白っぽいそれはざらざらとした手触り、感触は皮膚の物とは程遠く石や岩と言った物がしっくりくる。

「なんなんだよ、これ」

 クルスはそれを切り取ろうと傷口から少し離れた皮膚とそれに変わる箇所にナイフを入れる。

 純粋な痛みに歯を食いしばる。

 ナイフの半分ほどが埋まった時、切っ先を支点にしてそれを剥がす。

「――!!」

 耳を支配する心臓の鼓動につられるように呼吸も早まる。

 何故なら、剥がした後の新たな傷は先ほどと同様に石化していたからだ。

 恐る恐るナイフの上の皮を引っ張ったが痛みはない。

 徐々に力を込めると案外すんなりと欠けた。

 まるで岩のような固さに人肌に似た温かさをクルスの手に伝える。

 自分の体ではないような不気味さに嫌な感覚が全身を駆け巡る。

 ナイフを抜くと血は付いていたがそれは切っ先を濡らす程度でとても少なかった。

「お、起きたか!」

 クルスがナイフを眺めている時、下から件の男が手を振っていた。

 彼は赤い髪に背中には槍を背負っている。

 胴部を守る皮鎧はここからでも何か不思議な力を感じる。

 首元から見えるギルドカードは銅色でCランク以上の実力があることを示している。

 彼はただ起きたことを喜んでいたのかその表情は笑みを浮かべていた。

 クルスはナイフを仕舞うとすぐに木から飛び降りる。

 怪我をしていたにも拘らず飛び降りたことに一瞬肝を冷やしたが、案外問題は無かった。

「あ、ああ、おかげで助かった」

 ぎこちないながらも笑みを浮かべて礼を言う。

 クルスは彼に妙な警戒心を抱いていた。

 長い時間クルスの為に彼がここに留まってくれていたということは想像に難くない。

 それ故に借りを作らせては何を要求されるかは未知数だ。

 金や装備ならまだいい。

 だが、依頼の報酬を要求されたり、奴隷に等しい待遇でこき使われるという可能性すらある。

 もし、彼が何らかの悪だくみを考えていたとしてもクルスはそれを断るという選択肢は取れない。

 大蛇すら屠る実力を持つ彼とクルスではその実力差は少し考えればわかる。

 クルスは覚悟を決めて男の方を向く。

「それで礼だが」

 クルスは金の入った布を取り出そうとするが男は手を突き出しそれを制止する。

 出来ればこれで手打ちにしてもらいたいクルスにとっては最も恐れていた一手だ。

 とりあえずクルスは鞄から手を離す。

 そして、男の次の一言を祈るように待った。

「出来れば明日一緒に狩りに行かない?」












 意識のみが覚醒する。

 だが、目は開けられない。

 今の状況を直視するのが怖いからだ。

 体が重い。

 記憶は曖昧で、なぜ自分が眠っていたのかもわからない。

 確か大蛇に食われそうになっていた。

 それで食われた……? はずだが今は体が動く感覚がある。

 足を動かせば何かに当たり『コン』と音が響く。

 恐る恐る目を開けると明るい夕日が目に入る。


「眩しっ!」


 思わずクルスは手で光を遮る。

 暫くして目が利くようになってから周囲を見渡す。


「は……」


 状況を理解できないクルスは声を漏らす。

 周りには木、上には随分と近い小枝や葉、下を向けばやけに遠い地面が目に入る。

 今腰を付けているのは木の枝で背を預けているのは幹。

 そして、意識を失う直前を思い出した。

 あの赤髪の男の笑みが脳裏に焼き付いていた。

 名前も知らない上に面識もない。

 だが、助けてもらった命の恩人であることは確かな記憶だ。


 自分の体に視線を降ろすが幸い傷らしいものはない。

 剣も腰に戻してあった。

 しかし、記憶が確かなら左足に何かしら怪我を負った。

 すぐさまクルスその個所に触れる。


「……なんだこれ」


 その個所に触れても痛みはない。

 だが、触れるとそこが抉られたようにへこんでいた。

 見れば周囲の皮膚も灰色へと変わっている。

 クルスの胸中を恐怖に似た怒りが満たす。


「昨日と……同じじゃねえか」


 フォルが突き立てたナイフとその結果。

 そして、今回の傷跡。

 未だに大蛇の毒と言う可能性を捨てきれないがクルスはそれを考えすらしない。

 この傷跡がその考えを奥へ追いやる。

 クルスはナイフを取り出しそれを灰色に当てる。

 力を込めるとガリガリと何かが削られる感覚、だが痛みはない。

 ナイフを見て、そこに残る削れた僅かな粉を見る。

 白っぽいそれはざらざらとした手触り、感触は皮膚の物とは程遠く石や岩と言った物がしっくりくる。


「なんなんだよ、これ」


 クルスはそれを切り取ろうと傷口から少し離れた皮膚とそれに変わる箇所にナイフを入れる。

 純粋な痛みに歯を食いしばる。

 ナイフの半分ほどが埋まった時、切っ先を支点にしてそれを剥がす。


「――!!」


 耳を支配する心臓の鼓動につられるように呼吸も早まる。

 何故なら、剥がした後の新たな傷は先ほどと同様に石化していたからだ。

 恐る恐るナイフの上の皮を引っ張ったが痛みはない。

 徐々に力を込めると案外すんなりと欠けた。

 まるで岩のような固さに人肌に似た温かさをクルスの手に伝える。

 自分の体ではないような不気味さに嫌な感覚が全身を駆け巡る。

 ナイフを抜くと血は付いていたがそれは切っ先を濡らす程度でとても少なかった。


「お、起きたか!」


 クルスがナイフを眺めている時、下から件の男が手を振っていた。

 彼は赤い髪に背中には槍を背負っている。

 胴部を守る皮鎧はここからでも何か不思議な力を感じる。

 首元から見えるギルドカードは銅色でCランク以上の実力があることを示している。

 彼はただ起きたことを喜んでいたのかその表情は笑みを浮かべていた。

 クルスはナイフを仕舞うとすぐに木から飛び降りる。

 怪我をしていたにも拘らず飛び降りたことに一瞬肝を冷やしたが、案外問題は無かった。


「あ、ああ、おかげで助かった」


 ぎこちないながらも笑みを浮かべて礼を言う。

 クルスは彼に妙な警戒心を抱いていた。

 長い時間クルスの為に彼がここに留まってくれていたということは想像に難くない。

 それ故に借りを作らせては何を要求されるかは未知数だ。

 金や装備ならまだいい。

 だが、依頼の報酬を要求されたり、奴隷に等しい待遇でこき使われるという可能性すらある。

 もし、彼が何らかの悪だくみを考えていたとしてもクルスはそれを断るという選択肢は取れない。

 大蛇すら屠る実力を持つ彼とクルスではその実力差は少し考えればわかる。

 クルスは覚悟を決めて男の方を向く。


「それで礼だが」


 クルスは金の入った布を取り出そうとするが男は手を突き出しそれを制止する。

 出来ればこれで手打ちにしてもらいたいクルスにとっては最も恐れていた一手だ。

 とりあえずクルスは鞄から手を離す。

 そして、男の次の一言を祈るように待った。


「出来れば明日一緒に狩りに行かない?」


 彼が笑顔で提示した条件はまるで子供が遊びに誘うような無邪気さの籠ったものだった。

 その目的が見えない誘いはクルスの背筋を凍らす。

 だが、それを察せられないようにクルスは不思議そうな表情を浮かべる。


「俺はFランクだ、とても力になれるとは思わないが」

「僕は王都から来ていまいちこの街についてわからないだよね、それに君なら大丈夫だって、身体強化を使えるみたいだし」


 身体強化は文字通り魔法で身体の運動性、耐久性、腕力の強化を行う魔法だ。

 込められる魔力の量が多ければ多い程その効果は高く発揮される。

 これが出来るか出来ないかで冒険者の実力は大きく変わると言われる。

 それ程までに冒険者にとって重要な魔法なのだ。

 だが、クルスはそれが出来ない。

 身体強化は他の魔法とは勝手が大きく違う。

 出来る冒険者の話によれば攻撃魔法は魔力を撃ち出すイメージだが身体強化はその魔力を体内で回すイメージなのだとか。

 魔力を体内で回す程度なら誰でもできるがそれを身体強化へと昇華するには多くの努力と労力、そして才能がいる。

 クルスはそれを昇華出来なかったのだ。

 首を振り男の言葉を否定する。


「俺は出来ない」

「さっき身体変化までさせていたでしょ」

「身体変化?」


 今度は本心で首を傾げる。

 身体強化に似た名前だが、身体変化は聞いたことがない。

 だが、どういうものかというのは見当はつく。


「体の構造を魔力で変化させる魔法だ、扱える人は少ないけど」

「……それはどうやるんだ?」

「さあ」


 男は首を振り、わからないそぶりを見せる。

 クルスは自身の手に魔力を集中させるが、特に変化はない。

 先ほどのあれを見るに怪我をすれば男の言う身体変化が起こるのだろう。

 だが、それがどうして起こるのか、それを再現できるのかは不明だ。

 しかし、さっきまでは忌々しく思えた能力が扱える人の少ない、しかもその一端を扱えていると思うと妙な興奮を覚えた。


「一つ聞きたい」

「何かな」

「明日行く場所、俺が行っても生きて帰れるか」

「もちろん」


 クルスの質問に男は自信をもって答える。

 まるで、何か確信があるかのように。

 クルスは彼のその確信に乗ることにした。


「明日はよろしく頼む」

「そう言えば自己紹介がまだだったね、俺はマーシ、よろしく」

「クルスだ、よろしく」


 マーシが差し出した手をクルスは取り握手する。

 無邪気さすら感じるマーシの笑みに対してクルスのはぎこちないものだった。

 無意識に警戒してしまう雰囲気は彼の実力によるものなのか、それとも他の原因があるのだろうか。

 それはクルスにもわからなかった。


 この日は解散することになった。

 細かいことは翌日、移動しながら決めるそうだ。

 この日決めたことは得られた報酬は山分け、素材も半分ずつと言うことだ。

 あまりにクルス側に有利だ。

 だが、今回のパーティでクルスはもしかしたら危険な役回りかもしれない。

 出て来る魔物によってはクルスは手も足も出ない。

 必然的にマーシが止めを刺すのだ。

 そうなるとクルスの役割は魔物の引き付け、時間稼ぎだろうか。

 だが、マーシが生きて帰れると言ってくれた。

 多分大丈夫だろう、自身の内から湧き上がる不安を言語化して治める。


 クルスは日が傾いていく空を見上げる。

 本当は今日中に隣町に行きたかったがとても行けそうにない。

 このままではラケル町に着く頃には日が落ちるかどうか。

 夕暮れまでには着きたいものだ。

 夜になれば視界は効かない上に夜行性の魔物も徘徊し出す。

 とても移動が出来る環境ではないのだ。

 マーシは森の奥へと向かい、姿は見えなくなった。

 多分野宿をするのだろう。

 クルスも野宿をしたことがあるが少なくとも一人ではやりたくない。

 夜、魔物が来ないか番をして固い地面で雑魚寝、一人なら寝ても疲れが取れないだろう。


 そんな目にあいたいわけがないクルスは駆け足でラケル町へ向かう。

 大蛇みたいに魔物に襲われるなど同じ轍を踏まないために周囲の確認も怠らないようにしているが、それは病み上がりならぬ気絶上がりのクルスにはなかなか厳しいものだった。

 そんな時、何者かが地面に着地した音が聞こえた。

 すぐ近くに着地したようだが直前までその存在にクルスは気付かなかった。

 すぐさま距離を取り剣を抜き構える。


「酷いなぁ、俺だよ、俺」


 そこにいたのはヘルムを被りプレートアーマーを身に着けた男、リイスだ。

 気配を押さえて木の裏に隠れていたのだろう。

 全く持って趣味が悪い。

 クルスは剣を仕舞い胡乱な視線を向ける。


「なんでここにいるんだ」

「朗報をと思って、あと君の迎え」

「……ここまで来ると気持ち悪い」

「ははは、そうか」


 クルスの容赦のない一言ですらリイスは笑い声を上げる。

 まるでそれを楽しんでいるような、顔を見たことすらないのに恐らくヘルムの奥で笑っているであろう表情はありありと想像できる。

 しかし、一つ聞き逃せないことがあった。


「朗報ってのは」

「こっちも大変だったんだよ、労いの一つくらいあってもいいんじゃない」

「内容がわからない以上それは出来ないし今はしたくない」


 クルスのあまりのいいようにマーシはヘルムの奥で不服そうな表情を浮かべた気がする。

 いや、嘲るような笑い声が聞こえて来た。

 気のせいだった。

 そう判断するとクルスは歩き出した。

 それを追うリイスの足取りは軽い気がする。


「御託は言いからその朗報を教えろ」

「君のストル名義のギルドカードの問題は解決したよ」

「は?」


 その一言にクルスは理解できないと言わんばかりに素っ頓狂な声を出した。

 その隙に先導するリイスは良いことをしたと言わんばかりの歩調を軽く、それはクルスに驚きと共存する程の呆れの感情を生み出した。

 どういうことかという問い詰めようとクルスの歩調は早まり、逃げるためにリイスも同様だ。

 いつの間にかどんどんと早まる二人の歩調に気付くことはなかった。











 ラケル町に着いた時は空は暗くなっていた。

 幸い夕暮れからそれほど時間が経たずに着くことが出来た。

 というのもリイスが索敵を引き受けてくれたおかげだ。

 それもクルスと比べて精度も範囲も優れていた。

 経験の差と一言で片づけるには勿体ないほどの実力差があるということを痛感したが相手がリイスである以上敬いたいという気持ちが生まれるはずがない。

 ただ、内心彼の実力は素直に認めていた。

 当然、口にはしないが。


 夜が始まったギルドでは窓から蓄光石の明かりが漏れる。

 壁から漏れ聞こえる喧騒から冒険者たちは今日もご機嫌な様子だ。

 リイスが扉を開けるとその喧騒はより大きなものへと変わる。

 先導する彼に続きクルスもギルドへと足を踏み入れる。

 ギルド内の酒場へと向かうリイスを横目にクルスは受付へ。

 しかし、移動していると次第に周囲の視線が気になり始める。

 それも視線を向けるのはクルスも顔は知っている冒険者達だ。

 挨拶を数度交わした程度の仲で名前こそ知っているが彼らがどのような人かはとんと知らない。

 恐らく向こうもそうだろう。

 フォルとストルがいなくなり一晩でランサ一人へと変わった『幸運の狼』。

 自分で言うのもなんだがこのパーティはここらではそこそこ有名だった。

 五年近く同じ場所で依頼をこなしていればそうなる。

 それがこうなっては冒険者でも話の種だ。

 酒場と言う口が軽くなる場所で話そうものなら一気に広がる。

 酒盛りは始まってまだ時間は経っていないが、集団単位で向けられる視線からその話題は既に出されたに違いない。

 正直、話しかけられたらそれはそれで面倒だ。

 前提としてクルスが新たな冒険者になったというのは信用されないだろう。

 その話を出さないなら素面でも構わないが酒が入ると抜けるタイミングが掴めない。

 だが、延々と続く切れやまない一方的な話から上手く逃れるのは困難。

 話の区切りを見つけて抜けようにも無理やり差し込まれ、それで無理やり抜けようものなら機嫌を損ねる。

 なら先に対策を打った方が何倍も楽だ。


 クルスはギルドカードを指で弾く。

 すると他の冒険者はクルスがストルでないと言うことを確認したようで興味を無くしたようにその視線を外した。

 彼らはCランクを乗り越えた猛者だ。

 この程度ならギルドカードの色はもちろん、書いてある名前すらも容易に読み取れる。

 一応、近寄り難いように厳しい雰囲気を醸し出していたクルスは安心したように細く息を吐く。

 そして、クルスは空いている受付に向かう。

 だが、着くや否やその受付の女性からすすり泣くような声が聞こえた。

 何事かと視線を向けると涙目ながらこちらを向く今朝の受付の女性がいた。


「ずみませんでした! クルスさんにそんな事情があったなんて」


 鼻声で謝罪の言葉を口にする女性にクルスはその原因を察した。

 リイスだ。

 彼と共に街へ向かう直前にギルドカードの問題は解決したと言っていた。

 それは確かにクルスにとっては有難かったがその方法までは聞かなかった。

 しかし、それが今の彼女が泣いている原因なのだろうか。

 クルスは状況が理解できていないが、今呼ぶべき人物の名前が頭を過る。

 それに従いクルスは振り向き叫ぶ。


「リイス!!」


 ギルドの喧騒でも良く通るこの声は今酒場にいるはずのリイスの耳に届いただろう。

 そう確信したクルスはすぐさま正面に向き直り誰にでも向けるような笑みを浮かべ、情報を得るべくどのような言葉を掛けるべきか思考を巡らす。

 その間でも目をうるませ続ける女性は、クルスが突然叫んだことで驚いたようだ。

 だが、その行動をしてなお向けられる慈愛に満ちた視線はクルスの思考を狂わす。


「ずっと、大変な思いをされていたんですね。師匠のそれを持って……うぅ……」


 予想すら困難だ。

 彼女が知っている前提のそれがどういう内容なのか、何が彼女をここまでするのか。

 しかし、情報を得るのならこちらから聞き出せばいい。

 クルスは演技が得意とは言えない。

 だが、今回はいけるという確信に似た物を感じる。

 クルスは頭を空っぽにして、何も考えないように、だがさっきの彼女の言葉を心で復唱する。

 そして、


「どういうことだ?」


 心の底から困惑したように問いかけた。

 状況を理解できない上に一方的に情報を伝えられる。

 その状況での困惑は正しく今のクルスの状況と一緒だ。

 尤も、クルスの困惑は彼女ではなくこの場にいないリイスに向いているが。

 だが、その作戦が功を奏したようで彼女は「あっ」と声を漏らすと浮かぶ涙を拭き取る。

 そして、先ほどの言動を恥じらうように頬を染める。


「す、すみません……実はリイスさんからお話を伺いまして」


 うん、知っている、当然口には出さないが。

 その先の言葉をクルスは無言で待つ。

 今欲しいのはその先の情報なのだが……

 しかし、彼女はそれ以降は話し終えたように何も言わない。


「そ、それで……」


 痺れを切らしたクルスが声をかけると彼女は顔を背ける。

 まるでその詳細を言うことを拒むように。

 一体どのような嘘を並べ上げればこのような反応になるのだろうか。

「ここまですればわかるよね」と言わんばかりの視線を向けられる中その一挙手一投足すら気を配らなければ妙な不信感を抱かれかねない。

 とりあえずクルスは顔を背ける。


「……すみません、お辛い事を思い出させてしまって」


 とりあえず上手く誤魔化せたことにほっとする。

 正直このまま立ち去りたいが今、クルスは採った薬草を売りたいのだ。

 このままでは駄目になってしまう上に所持金も無くなってしまう。

 クルスはなるべく落ち込んだ様子で薬草を差し出そうとした時、肩に何者かが手を乗せた。


「すまないな、こいつにはまだその事言って無くてな、ちょっと時間をくれ」

「わかりました」


 そこにいたのはジョッキを片手に持ったリイスだった。

 彼はヘルムを装着しており飲むのに困らないか純粋な疑問が浮かぶ。

『その事』とは今話している内容だ。

 彼女は恐らくそれを自分に話したことだと思っているのか頷いた。

 何となく状況を察したクルスはとりあえずそのまま表情を変えずリイスに連れていかれるがままここを離れる。


「何を言った!」


 クルスは受付の女性から離れなからリイスに小声で怒鳴る。

 しかし、リイスは想定通りと言わんばかりに動揺すらしない。

 むしろ愉快そうな雰囲気すら感じるのは彼の日ごろの行いだろうか、それともクルスの考えが捻くれているからだろうか。

 そんな彼は手に持ったジョッキを煽る。

 ヘルムの僅かな隙間からエールを注ぎ込む。

 その光景に飲みにくさは感じない。

 少しは零れるのではないかと思ったエールは一滴も零れることなく全てヘルムの僅かな隙間を通り抜ける。

 魔力は感じないが恐らく魔法を使っての芸当、しかもそれもかなり手練れていることにクルスは呆れながらリイスの返答を待つ。


「……ふう、ちょっとした作り話をね」

「ちょっとか?」

「加減は人それぞれさ」


 どうやらかなり脚色したようでクルスは更にため息を吐く。

 早急に口裏を合わせなければならない事だが猛烈に嫌な予感がしてならない。

 なるべく少ない脚色でありますようにとクルスは心の中で無駄なお願いをしつつリイス言葉を待った。


「内容だが……」


 リイスの次の言葉の感想はクルスには酷いという言葉しか思い浮かばなかった。

 一から十まで作り話でちょっとと言うには些か、いやかなりという副詞すら不相応。

 多いなどという次元ではなくほぼ全てが嘘だった。

 リイスの言葉が終わった頃には若干の頭痛すらしてきた。

 覚える事すら無駄に思えるそれをクルスは我慢しながら自らに覚えるように言いながらそれを覚える。

 その内容をクルスは反芻するように言葉にする。


「クルスはストルという師匠がいて冒険者について様々なことを教わっていた。

 最近ストルが死んで偶然にも自分は森の中でギルドカードを見つけた。

 クルスは彼の意思を継ぐべくそれで彼を装った。

 だけどそれは上手くいかず結果としてクルスは新たなギルドカードを作った」


 言葉にするだけでもその酷さが窺える。

 ギルドの注意事項を知っていた理由の説明としては十分な説明は可能だという奇跡のような合致をしていたが、それを基準に作ったのだろう。

 クルスと親しい人ならもちろん、このギルドに長く身を置いている者ならすぐに嘘とわかるだろう。

 そもそも弟子も師匠も取った事すらないクルスは馬鹿馬鹿しさすら覚えるが、それが今は頼みの綱だ。

 笑い話としては上出来だろうが、そのあまりにも細い綱に託さねばならないクルスは落胆する。


「そうげんなりするな、実際一人騙せてるだろ」


 そう言えば何故か一人騙せていたのだ。

 一体何が彼女に涙すら浮かばせたのだろうか。

 ……ここはリイスの話術によるものだと納得しておこう。

 そう結論付けたクルスは再び受付へと向かう。

 その様子をリイスはエールを飲みながら見送った。

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