#3 裏切り
ミシ、ミシ、ミシ
皆が寝静まった夜の宿に足音が響く。
その者は一つの部屋へと迷いなく進む。
そして、何のためらいもなく扉を開けた。
夜風が抜ける部屋で寝ているストルはその音にすら気付かずに微かにいびきをかいている。
侵入者は微かに表情を強張らせるがすぐに彼の下へと歩き出した。
「……ん、重い」
腹部にかかる重量に寝ていたストルは目が覚める。
何事かと思い見るとそこには男が馬乗りになっていた。
両手にはストルの机に置いていたナイフを握り締め、振りかぶっている。
「だ、誰だ! それを降ろせ!」
ストルの焦りながらの説得に男は一切の動きを見せない。
ストルは隣の窓を殴るように更に開ける。
そこから更に入ってくる月光の光で男の顔が照らされる。
そこにいたのはフォルだった。
彼の表情は無表情に近い、だがどこか覚悟を感じさせるような真剣さも感じさせる。
しかし、何のために来たのかは読み取ることは出来ない。
だが、これだけはストルにもわかる。
彼は本気であるというが、あのナイフを振り下ろすだけの覚悟を持っている。
微動だにしない腕は彼が聞く耳を持っていないと判断するには十分だった。
まるで悪夢を見ているようだ。
狼に襲われる悪夢の続きなら早く目覚めたい。
だが、これが夢ではないのは窓を殴りつけた腕が痛いことが示している。
ストルはフォルを睨みながら問いかける。
「どういうつもりだ」
フォルの表情は変わらない。
彼の視線は迷いなくストルの胸を見ている。
フォルはため息交じりに口を開いた。
「誰かわかったらその口調か、事情は後だ、怖いなら目を瞑れ」
一方的な物言いにストルは体をできる限り起こす。
フォルは漸く視線を合わせつつもその表情は何も感じないのか変化はない。
「どういうつもりか説明しろっつってんだろ!」
ストルの怒号が響く。
その声で周囲も異変に気付いたのか、ガサゴソと壁越しに音が聞える。
フォルは覚悟を決めたように一呼吸。
次の瞬間ストルを押し倒し、がら空きの胸にナイフを突き刺す。
ストルはどうしようもできないと察して目を閉じ、その衝撃に備えた。
ガンッ!
チクリと刺すような痛みが胸を襲い、金属音が響く。
それは手加減と言うには大きな音と衝撃を感じた。
恐る恐るストルが目を開くと、フォルは確かに両手でナイフを突き刺していた。
だが、そのナイフは先端が少し埋まる程度の深さしか刺さっておらずそれは服を僅かに赤く染めるに留まった。
そして、その光景にストルは驚く。
手入れを欠かさないナイフに反射した光景はストルの皮膚が灰色へと変わっているものだった。
フォルはそれを見て動揺していた。
恐れていたことが起きてしまったかのようなそんな表情だ。
そして、口で何かを呟いていた。
『なければよかったのに』
ストルに向けられた視線は殺意に似たものへと変わる。
「おい……どういうことだ!」
「黙れ、今までの事すべて忘れろ」
あまりに一方的な行動にストルが再度怒鳴り声を上げる。
だが、その乱暴な返答の表情は真剣そのものだった。
意味が解らずにストルはフォルを睨む。
「言葉足らずって言ってんだろ! 詳しく説明しろ!」
ストルがフォルの手を掴もうとするがその前にフォルがストルの頬を叩いた。
フォルの無表情だった。
その気がないフォルにストルは舌打ちする。
「俺はその気だ、もう二人……十分なんだよ……」
その気……
どうやらフォルはストルの関係を解消してもいいというのだろうか。
そして、二人……
ストルは歯を食いしばる。
目から零れる涙が怒りからくるものなのか悲しみからくるものなのかストルにもわからない。
ただ、孤独を感じた。
部屋を後にするフォルをストルはただ眺めることしかできなかった。
そして、入れ違いで部屋に男が顔を出す。
見覚えのない顔だが、男はその表情に怒りを込めていた。
「静かにしろや!!」
男の怒号が宿に響くがストルはただそっぽを向いた。
今はとてもそれに対応する気力も体力もなくなっていた。
男は舌打ちをしつつもこれ以上煩くなることは無いと判断したのか扉を閉めて部屋に戻った。
ストルはただ流れる涙を拭くことすらしなかった。
夜が明けたと気付いた時には涙は止まっていた。
涙の跡を拭いながら夜中の出来事を思い出すがとても信じられない。
だが、胸に空いた穴がそれを刻んでいる。
灰色へと変わった皮膚は何ともない。
もう何が何なのか昨日の夜だけでストルは頭が弾けるのではと思えるほどの情報が駆け巡る。
もう、どうするべきなのかわからない。
ストルはフラフラとしつつもランサの部屋へと向かった。
「おはよう、昨日は何かあった?」
ノックすらせずに入ったストルをランサは心配そうに見る。
だが、彼はもしかしたら繋がっているのかもしれない、そう思うとその心配も疑ってしまう。
フォルの言葉『二人で十分』とは……
ストルは諦めたように息を吐き正面に座る。
ランサは普段とは様子の違う彼に恐る恐る声をかける。
「随分と疲れているようだけど昨日は寝れた?」
「……あんまり、ランサ一つ聞きたい」
ストルはランサを真っすぐに見る。
彼の表情にランサの表情も真剣なものへと変わる。
「お前とフォルは何を企んでる」
「……は?」
それがランサの真剣に考えて出た答えだった。
質問の意味が解らないように。
だが、ストルは疑いの視線を向けている。
「どういうことかさっぱりわからない、説明してくれ」
その一言に我に返ったように深呼吸をした。
そして、昨日の事を話した。
フォルがストルの胸を刺したこと、去り際の言葉
どれもランサ自身の信じがたい出来事だ。
「フォルに話を聞こう!」
怒気を孕んだ声でそう言うとランサはすぐにフォルの部屋へと向かう。
少し遅れてストルはランサの後を追った。
だが、そこの部屋はもぬけの殻だった。
ベットの上に袋が置いてあり中には金貨が数枚入っていた。
それだけでも暫く生活することは容易な金額だ。
「……何なんだよ」
ストルが発した第一声だ。
ランサはそれを困惑した様子で眺めていた。
「フォルとストルは信頼している。けど、僕は二人を疑いたくない」
ストルにとって今最も聞きたくない言葉だった。
今この場にいないフォルを侮蔑しながらランサと向き合う。
「なら、お前はどっちを選ぶ」
「……え?」
「俺と裏切ったフォルのどっちを選ぶんだ!」
「どっちも選びたくないんだって!」
涙ながらのランサの返答も今のストルには裏切りのように聞こえる。
未だにフォルを信用してストルの言葉を信じられない。
ランサには酷な質問だということはわかっていた。
だが、今のストルにはランサとフォルが手を組んでいるようにすら思えた。
何となくそうなる気がしていたという妙な達観と共にランサに諦めのため息をつく。
「なら、俺はもう無理だ」
「ま、待って!」
ランサの声にストルは聞く耳を持たない。
ストルはそのまま立ち上がると部屋を飛び出した。
「なんなんだよ」
ただ一人部屋に残されたランサは歯ぎしりしつつ床を殴った。
だが、その怒りすら静まることすらなく瞳から零れた涙が床を濡らした。
ストルの去る足音が響いていた。
ギルドは周囲の建物とは一線を画すほど巨大な建築物だ。
朝は活気があり石造りの壁でもその中の声が漏れ聞こえる。
ストルは若干の緊張を感じつつ入り口の扉に触れる。
木製の扉は大きいが手触りはよい木材を使っているせいかかなりいい。
本来なら大して力を入れなくてもすぐに開けられるのだが、今日はいつもより重く感じる。
だが、覚悟を決めて一気に扉を開いたギルドはいつもと同じ日常を齎した。
冒険者の関係は狭い上に噂は格好の話の種なのだがストルを見る視線はあれど誰も声を掛けてこない。
どうやら昨日の事はまだ話になっていないことに胸を撫で下ろす。
もし、変な噂が付こうものなら今までの信用が底どころか更に下にまで落ちかねない。
指名依頼などある程度金になる依頼が来ない上に周囲の視線も変わるだろう。
それは冒険者なら避けるべきことだ。
ストルは人が並んでいる受付へと向かう。
「これを」
「はい」
冒険者が依頼を渡しては手早く受付の女性が判子を押す。
依頼の受注は掲示されている依頼板から紙を取って持っていく形式だ。
早い者勝ちで稀に諍いが起こることもあるが大体は多少の言い合いで収まっている。
列が進む。
最近はこういった事はフォルがしていたせいでストルと話した事のあるギルド職員はほとんどいない。
ギルド職員は意外と異動が多い。
そのためいつの間にか顔見知りの職員全員がいなくなっているという話はよくある。
ただ、意外と早くそれを経験したことにストルは密かにショックを受けていた。
先頭の冒険者は判子を押した紙を仕舞って外へ出る。
列は進みストルの番が迫る。
後ろには長蛇の列が出来ているが受付の人たちの作業に迷いがなくどんどんと進む。
ストルは首に掛けたプレートを取り握る。
そして、あっという間にストルの番だ。
「冒険者の死亡届の訂正がしたい」
「はい、名前とギルドカードを」
「ストル、Dランク」
プレートを差し出し、そこに書かれている情報を口にする。
死亡届はパーティからの申告制だ。
それが出されてから一週間は簡単にそれを取り消せる仕組みだ。
彼女はプレートを受け取ると隅に置いてあった透明な水晶にかざす。
すると、その水晶は霧が立ち込めたように黒く濁った。
それを持ち上げるとストルの前に置く。
「手をかざしてください」
これは魔力を識別する魔道具だ。
プレートに込められた魔力と持ち主の魔力を比べる。
その濁りが無くなれば魔力が同一のものという証明になる。
ストルが水晶に手をかざすとどんどんと黒い濁りが薄まっていく。
黒かった濁りは薄まるように消えていき、本来の透明度を取り戻していく。
だが、その速度はどんどんと失速し、僅かな濁りを残してそれは止まった。
「え……」
ストルは掌に魔力を込めたり、再度水晶に触れるが水晶に変化はなかった。
これではそのギルドカードがストルの物ではないということになってしまう。
ストルという冒険者が生存している証明が出来なければ、冒険者として過ごすことが出来なくなってしまうに等しい。
焦ったように魔力を水晶に込め続ける彼に女性は憐みの視線を向ける。
「以上です。あなたの魔力とギルドカードは魔力が一致しませんでしたのでこれは我々が回収します」
そう言うと彼女は未だにストルが魔力を込め続けている水晶を下げる。
茫然としたような表情でそれを見ていたストルの前で隅のギルドカードを受付の隅に移動させた。
彼はふと、一つの可能性を思いつき慌ててそれを止める。
「ま、待て、それが不良品かもしれない」
「……はあ、わかりました」
明らかに不審げな、それでいて気だるげな対応だがストルにも引くわけにはいかない事情がある。
受付の女性は水晶を後ろの予備の一つと変える。
常に自身で持っていたギルドカードが自身の魔力と別なはずがないという確信に似た自信の中に一抹の不安が混じるストルはそれを緊張した面持ちで見ている。
再びギルドカードがかざされ透明な水晶に黒霧が立ち込めた。
「はい、どうぞ」
ストルが触れると先ほどと同じように濁りが消えていく。
だが、先ほどと同じように途中で失速、そして同様に少しの濁りは消えることは無かった。
どうするべきなのかわからなかった。
ギルドカードをストルは一度も肌身離さず身に着けていた。
だから、なぜこうなるのかがわからない。
もしかしたら、これも壊れている可能性もあるがそれを言ったところで、今はただでさえ不機嫌そうな受付の女性には応じてもらえないだろう。
言葉にならないまま口を動かすが今この状況に言うべき言葉が思いつくはずもなくストルは肩を落とす。
突如、何者かが腕をストルの肩に回す。
「うちの知り合いがすまないね」
「は? うぐ……!」
そう言いつつストルの肩に手を回したのは見ず知らずの冒険者だ。
プレートアーマーを身に着け、顔はヘルムで見えない。
声の低さから男だというのは察しが付くが、当然ストルにはこんな知り合いはいない。
ふと見えた彼の首元のギルドカードはBランクを示す銀色だった。
冒険者のランクはF〜Sまであり、Cランクが一つの大きな壁となっている。
現にストルもその壁の高さを痛感しDランクで足踏みしている。
その壁を越えてBランクである彼の実力は少なくともここのDランクより高いことは考えるまでもない。
肩に回された手はストルの首元へと移動し、そのままストルを引きずるように受付から移動させられた。
「は…なせ…!」
抵抗しようにも首に圧力がかかり変な声が漏れる。
呼吸もしにくく、声が出せない。
彼と腕力ではかなり力の差があるようで手をバタつかせたり腕を引き剥がそうとするが、必死の抵抗空しくストルは運ばれた。
依頼板から少し離れた壁の場所は何もない。
そのため人が寄り付かないこの場所は些細な話や世間話などをするには意外な穴場だ。
尤も、人通り自体は多いため長時間いるのはよくない。
向かいの酒場で態々酒を頼まなくてもいいという理由で若い冒険者が時々この場所を利用している。
そして、今目の前にいるBランクの冒険者はそこでストルを解放した。
「ごほっ、ごほっ」
漸く呼吸が自由に出来るようになったストルは不機嫌そのものだ。
何か用があっての行動だろうが、それが皆目見当もつかず、訝し気な視線を向けて警戒心を隠さない。
男はその様子を見て愉快気に壁に寄り掛かった。
「随分な視線だが、そう警戒しないでくれ」
「あんたは誰だ、何が目的だ」
矢継ぎ早に質問を浴びせる。
表情の見えない男は何を考えているのか読めない。
少なくとも話の主導権を渡したくないストルは男を睨むような視線を送る。
「はあ、もう少し聞く耳も持ってほしいんだけど、仕方ないか。俺はリイス、目的は君に助言をするため」
「へえ、Bランクであるリイスさんが態々自分にどのような助言をご教授してくださるんでしょうか?」
ストル嫌みたらしい物言いにリイスは態度の一つも変えない。
初対面にしては歓迎的とはとても言えない態度に彼は何の反応も示さない。
だが、ストルの警戒心はどんどんと高まる。
話に割り込み、ストルを連れて行き、この掴みようのない雰囲気。
ストルにはとても友好的に接する気にはなれない。
リイスは寄り掛かっていた壁から立ち上がりストルを見つめる。
目が合った気がした。
そして、顔を近づけ耳打ちをする。
「君はさっきのギルドカードの持ち主じゃない」
「!!」
リイスの先ほどより幾分か低い声が脳裏に焼き付く。
合った目はこちらを見透かすように見つめていた。
不気味とすら思えるそれらはストルに更なる警戒心を芽生えさせる。
「……俺のだ、あれは俺の……」
「違うよ、あれは正しい」
ストルの自身に暗示をかけるような言葉をリイスは否定する。
その言葉はストルの何かを刺激した。
「あれは俺のだ!」
「でも、現に結果は他人の物で君のではないって」
「あれは……壊れてたんだ……!」
「いいや、壊れてないよ」
声を荒らげてもリイスは無反応だった。
軽率だったと内省しつつ誤魔化すように咳払いする。
どうやらリイスは自身の意見を正しいと信じているようだ。
だが、それならストルも同様だ。
それは決して覆りようのない物だ。
ギルドカードには小さく自身の名前が、ストルとはっきりと記されているのだ。
それでも、リイスはどこか呆れるようにため息を溢した。
「私には魔力が見えるんだけど、君のとそれは別のものだったよ」
ストルは驚いた。
最初は自身の物ではないという宣言、次に彼の開示した情報に。
冒険者にとって情報と言うのは生命線だ。
魔物を相手にしている血気盛んな冒険者が同業者を殺めるというのはよくある話。
そして、その被害者が加害者にある程度情報を知られてしまっていたというのが殆どだ。
冒険者間では自身の情報を闇雲に口にしてはいけないというのは暗黙の了解だ。
それを自身が原因でそれを言わせるまでしてしまったストルは歯切れが悪そうに頷き納得する。
納得するしかないのだ。
水晶二つの他に彼という証言者がいるのだから。
「二つ目の助言だ」
先ほどの事は大して気にしてない様子で言葉を続けた。
その態度にストルはほっとした。
「登録する名前は変えておくんだな」
だが、その一言にストルは疑問を浮かべたように小首を傾げた。
「同じ人は冒険者に登録できないだろ」
「何を言っているかわからないが魔力さえ違えば誰でも登録できる」
さもありなんという様子でリイスは答える。
だが、どういうことか納得したストルはなるほどと言わんばかりに頷く。
あの水晶の魔道具は魔力を識別して同一の人物かどうかを区別しているのだ。
つまり、魔力が違うと判別されているのならギルドとしては別人として登録出来るのだ。
現在のストルの魔力がギルドカードの物と違うということは水晶とリイスの言葉が証明している。
つまり、新たな冒険者として登録できるのだ。
当然、今のギルドカードを使えた方がありがたいが冒険者の仕事を受けられるだけ十分だと思うべきだ。
その時、もう一つの疑問がストルの中に浮かんだ。
「なあ、なんで名前を変えるんだ」
「ストルと言う名前のギルドカードを持っていた奴が同じ名前で登録するってなったら妙な噂が立つかもしれないだろ」
その言葉にストルは納得するしかなかった。
冒険者の噂は様々なことに影響を与える。
もしかしたら仕事がガラッと変わるなんてこともあるかもしれない。
悪い噂は立たないに越したことは無いのだ。
「わかった、助言ありがと」
「ああ」
ストルは感謝の言葉を言いつつここから離れようとしたが寸前の所で動きを止めた。
何か用かと言わんばかりにリイスはこちらに視線を向ける。
「最後に一つ聞きたい」
「なんだ」
「なんで俺に助言を」
その質問にリイスは暫く考え込む。
予想していなかった質問だったのだろうか、たっぷりの間をおいて顔を上げる。
「……必要そうだったから」
「そうか」
リイスの返答を聞いたストルは歩き出す。
彼は純粋と言うには様々なものが入り混じったような人だがそこに悪意は感じなかった。
僅かだが、それでも内心で確かな感謝をしながらストルは受付に並んだ。