「怪談」の話(中⑯)
案の定というべきか、歪いびつは私達をしっかりと認識した瞬間、エレベーター内の『閉』ボタンを連打しやがった。
まぁ人間の右腕丸々一本を抱えているヤツ(私)が居る以上、どう見たってマトモな状態の連中じゃない。
全力で拒絶したくなるのも分かるけど、今は諸々無視してエレベーターの中に押し入った。
また無理矢理にこじ開けられた金属扉が異音を発し、歪いびつがドタバタしながら声の無い悲鳴を張り上げる。デジャヴ。
前はここから普通にやり取りが出来るまで、かなりの時間がかかったが……今は言い包めの達人がついている。
黒キノコがインク瓶の革手帳を強引に手渡すと、何をどう宥めすかされたのか、歪いびつは徐々に落ち着きを取り戻していった。もうカウンセラーになれよあんた。
『――という訳で、いびつ君にはエレベーターの操作をお願いしたいんだ』
そして、それに紛れてこちらの状況説明も多少は行っていたらしい。
手帳の中にズラズラと並んでいた長い文字列が綺麗に消え去った後、ページの中央そんな要望が浮かんだのが見えた。
とはいえ歪いびつもまだ完全には私達を――というか、蠢くインクなんて異常極まりない現象をちゃんと受け入れられてる訳では無いのだろう。
怯えは抜けたものの、代わりに困惑に染まり切った表情で私を見やり……そして抱きかかえているインク瓶の右腕に「コイツもダメだ」みたいな顔をして、残った黒キノコに助けを求めるような目を向けた。んだコラ。
「――……? …………!?」
「…………あ、えっ、と? いやあの、オレ達ただ、手術室に行きたくて……手術室自体は色んな階にあるんすけど、その中の……元は四階の奥の方にあったとこ……」
縋られた黒キノコだったが、無声の訴えを汲み取るのは難しかったようだ。首を傾げて手帳の文字を覗き込むと、無難にそう付け加えた。
さっきインク瓶が言っていた、私達から抜き取れたパーツの内御眼鏡に適ったものだけが集められる部屋。黒キノコの設定では、それがとある手術室との事らしい。
人体パーツを保管するのであれば、まぁらしい場所ではある。
もっとも、建物の階数と階層がぐちゃぐちゃになってる現状では、狙ってそこに行くのは難しく――だからこそインク瓶は、エレベーターの行先を自由自在に指定できるのであろう歪いびつを呼び寄せたのだろう。
(……にしたって、籠ってるカゴごと地下に持って来るってのもすげー力技だけど)
インク瓶は融通がどうのと言っていたけど、冷静に考えると無茶苦茶やってんな。
いや、歪いびつの所在がエレベーター内というのはほとんど分かり切ってたから、ある意味確実に逢える方法ではあるけれども……。
『……いびつ君の目に僕達がどう映っているかは察するに余りあるよ。だけど既に色々と異常な事態になっているのだから、僕のインクもそういうものとして割り切って欲しい』
「……、……? ――……」
『そういう事だね』
どういう事?
声無く繰り広げられるやり取りに胡乱な目になったが、適当に合わせた訳でもなさそうだった。
その後も歪いびつが口をパクパクさせる度にしっかりと返答していて、私の時みたいな聞き返しや言い直しといったグダグダが一切無い。
どういう訳か、彼らの間では確かな意思疎通が図れているらしい。
インク瓶の察し能力が異常なのか、はたまたその曰く付きの手帳の力なのか――疑問に思っている内に二人の会話(?)が終わり、歪いびつがおずおずとエレベーターのボタンへと近付いて行く。上手く話が付いたようだ。
そしてボタンの上で暫く指を迷わせると、黒キノコの方を見てパクパクと口を動かした。
「――……、……?」
「あ、はい、オレがなんすか?」
『「目的の手術室のある階に目立つ特徴とか無いの」だってさ。やはりこのエレベーターは、怪談の裏設定としてボタンの押し順で行先を操作できるようになっているけど、行きたい階をピンポイントに指定できるようなものじゃないとの事だ。「次にどういう感じの階に着くか」をぼんやり決められる程度で、やや確実性に欠けるらしい。だから、出来ればその階自体の雰囲気なり造りなりを詳しく知っておきたいみたいだよ』
「……あ、あの、こんなに、ほんとに言ってます?」
口パクの短さの割にズラズラ並んでいく長文を見た黒キノコが歪いびつを窺うが、うんうんと肯定の頷きが返った。気持ちはわかる。
……そういえば、私がインク瓶達の居る『九224ヰ』の階に案内された時も、『インク瓶の居る階』じゃなくて『人の居る階』というニュアンスだった。アレはつまりそういう事だったらしい。
私は今更ながらに得心がいき――同時に、小さな疑問が胸に芽吹いた。
(――じゃあ、コイツ自身は元々どんな階に行きたがってたんだ?)
エレベーターの中で、一人延々と6Fのボタンを押し続けていた歪いびつ。
おそらく私が乗り込む前からやってたんだろうあの行動も、どこかに行きたがったが故のボタン操作だった筈だ。
なら、どんな階を求めた結果、私の居た『四7ヱ』の階とかち合ったんだろ。
例えば、『安全な階』とか『化物が居ない階』とかそんなような……いや、私が乗り込んだ時は『何か』と出くわす寸前の状態だったから、たぶん違う。となると……。
(……あー、そういやアイツ、エレベーターに乗る前、他の人にボコボコにされてんだっけ。それであんなに怯えてたんなら――)
――ギギ、ギギギ。
答えが像を結ぼうとした時、錆びた金属が擦れる音が響いた。
見ればエレベーターの扉が閉じ始めており、4の階数ボタンが光っている。
黒キノコから手術室の特徴を聞き終え、そこに向けたボタン操作が行われたようだ。エレベーター自体はまだ動く感じじゃなさそうだったが、インク瓶の右腕を抱え直して部屋の隅っこに身を寄せておく。
「……手術室、ちゃんと行けそうなん?」
「……どうなんだろ。一応覚えてる限りのマップ情報は話したけど……でも今マップ自体がめちゃくちゃになってるしなぁ。どこまで役に立つかな……」
近くにしゃがみ込んでおなかを抑えた黒キノコにどんなもんかと聞いてみたが、何とも頼りない言葉が返った。
……これ、下手したらまた何度もエレベーターで行ったり来たりする羽目になるのかな。
うへぇと堪らずウンザリとして、黒キノコに倣ってゆるゆるしゃがみ込み――その時、こつんと踵に何かがぶつかった。
「ん……?」
首を下げれば、そこにはボールペンが一本だけ転がっていた。
この廃病院の名前らしきものが書かれた、安っぽい作りのボールペン。
特に目を引くものでも無かったが、前にこのエレベーターに乗った時には見かけなかったものではあった。
いや、気付かなかっただけで、元から転がってたのかな。
なんとなくボールペンを拾い上げてじろじろ眺めていると、その動きが目についたのか、歪いびつがこっちを向いた。
「――……っ、…………」
『……何だって?』
そして何故か嫌悪感丸出しの顔となって落とされた声なき呟きに、インク瓶が反応した。
歪いびつはいきなりバサッと展開した手帳にビビりつつも、何やらやり取りを始め……そんな意味深な事をされれば流石に私も気になって、そろそろと手帳を覗き込む。
「な、なんだよ……ボールペン拾っただけだぞ、私……」
『……いや、そのボールペン、地圀さんが落としていったものらしい』
「は?」
――地圀幸。もとい、どんよりババァ。
意識の外から突然出て来た名前に困惑し、反射的にヤツにぐりぐりされた右眼に手が行った。
「……え? は? 地く……な、なんで、あのババァ……?」
『いびつ君、君と別れた後に何度か「人の居る階」に様子を見に来ていたようなんだ。その時にタイミングよくかち合って、半ば無理矢理エレベーターに乗り込まれたそうだ』
「えぇ……」
剛拳おじさんのとこで見失い、それっきりだったどんよりババァ。
てっきりどこかで『何か』に捕まり、とっくの昔にリタイアしてるんだろうなとうっすら見限っていたのだが、しぶとく生き延びていたらしい。
とはいえ、やられた事を考えると無事でよかったなんて思える筈も無く、ただただ微妙なモヤモヤ感だけが胸に積もった。
『それでいびつ君にも「取材」を迫って来たから、すぐに別の階に追い出したとの事だ。そのボールペンは、その時に地圀さんがメモで使っていたもののようだね』
「……喉、ぐりぐりされたか?」
「っ……! っ……!!」
されたようだ。
喉元を抑えて顔を青くする歪いびつに仲間意識めいた同情心が湧き、背中をぽんぽん叩いてやる。
『……そして話を聞く限りでは、地圀さん、まだ君への「取材」に執着していたみたいだよ。いびつ君がエレベーターの行先を指定できると察した途端、君の居る所に行けないかと頼み込んで来ていたそうだ』
「うっげ……マジでなんなんだよあのババァ……」
『だがさっきも明記した通り、いびつ君の行先指定はピンポイントなものじゃない。結果的に、適当な階を君の居る階だという事にして誤魔化したみたいなんだが……』
おおナイス。
成り行きとはいえババァを騙くらかしてくれた歪いびつに感謝のぽんぽんを重ねたが、しかしインク瓶の筆跡はどこか浮かないものだった。
「え……何。なんかマズいの」
『……「人が行く階」。地圀さんに詰められたいびつ君は、咄嗟にそんな階へ案内してしまったようなんだ』
……まぁ、『私のとこに行きたい』って無茶振りを咄嗟に誤魔化したんなら、そんなもんじゃねーの。
それの何が問題なんだろうか――そう首を傾げていると、同じく手帳を覗き込んでいた黒キノコが何かに気付いたように声を上げた。
「……あのー、もしかしてそれ、シナリオ進行的なのにかかってる、みたいな……」
『そう。僕としてはその可能性を危惧している』
「……? 何の話?」
何やら分かり合ってる風な黒キノコとインク瓶に対し、私と歪いびつの首が傾いだ。
『……いびつ君にも軽く説明したが、この廃病院の怪談はスミト君のTRPGシナリオが下地となっている。現状、それが大分反映されてしまっている訳だけど……』
「ゲームのシナリオってさ、寄り道してもやっぱ順番に進めるじゃん。プレイヤーにはまずあっち行って貰って、次にそっち行かせてイベント起こさせて、みたいな。……人体パーツ集まってる手術室、シナリオ上では行くべき場所ではあるから……」
「……あー……つまりあのババァの降りたっていう『人の行く階』に、私達が行こうとしてる手術室があったかもしんない……って事?」
察しを口にすれば、インクが頷くように上下に揺れた。
理屈は分からなくも無い。
この廃病院がゲームシナリオの設定を反映しているのなら、私達が向かおうとしている手術室も重要スポットとしての配置をされている筈だ。
『プレイヤーが行くべき場所』――言い換えて、『人が行く階』。意味としては重なるし、それで目的の手術室がある階に繋がる可能性も無いとは言い切れないように思えた。
……うん、まぁ、思えたけれども。
「……や、別に、それがどうしたっつーか……そんな気にするもんでも無くない……? あのババァがどこ行ってたって、何がどうなるって訳でもないし……」
そう、言い方は悪いが、今の状況においてあのババァの行方なんてどうでもよかった。
インク瓶の話では霊能力者という訳では無いそうだし、この異界にババァの作ったらしき怪談が混じっている様子も無い。
たとえ著名なオカルト作家であれど、現状においては私と同じ巻き込まれ組。オカルトに翻弄され逃げ惑う、力無き大勢のうちの一人に過ぎないのだ。どこで何してても、状況は大して変わらない――。
(……?)
……だというのに、どうしてかインク瓶からの同意が無い。
同じく黒キノコもまた目を伏せたまま黙り込んでいて……やがて、気まずそうな顔をチラリと上げた。
「……あの、霊侭坊さんのとこに居た時さ。オレ、一番先に逃げ出したでしょ」
「え? う、うん……」
いきなりなんだよ。
思わず困惑する私をよそに、ぽつりぽつりと言葉が続く。
「あれさ、実はクリーチャー見て逃げたんじゃないんだ。『あっ、これ絶対入って来る』ってなったから、そうなる前に逃げたんだ。こっそり」
「……何か、予兆みたいのあったの?」
「フラグ……っていうか、その、見ちゃって。リアル目星成功、みたいな……」
そこで一度言葉を切り、おなかを抑えて言い淀み――そして、青白い顔でその事実を呟いた。
「――あそこにあった窓。鍵開けてまわったの、地圀先生だよ」