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異女子  作者: 変わり身
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「怪談」の話(中⑤)




夕陽に照らされる廊下には、どうしようもないうら寂しさがあった。


私の他には誰も無く、さっき聞いた何かの呼び声どころか、虫やカラスの鳴き声もしない。

窓枠の作る影線を踏む裸足の音だけがずっと続き、一人っきりの心細さを掻き立てていた。


きっと、感じる寂しさの大半はその不安から来るものだ。

だがそれとは別の痛みが小さく胸を突いている。懐かしいような、悲しいような、そんな温かくて冷たい気持ちが重なって、息が引き攣ってしょうがない。


それなりに長く歩いているのにいつまで経ってもその情動は収まらず、心がどんどんと不安定になっていくのが自分でも分かった。



(……いつまで続くんだ、この廊下)



もう長い事歩いているのに、全然先が見えてこない。

病室やトイレ、何かお湯を沸かす狭いスペースみたいなのが延々と繰り返され、分かれ道も無しの一本道。私が前に入院した病院はもうちょっと入り組んでいたと思ったのだが、だいぶ造りが違うみたいだ。


道中何度かこっそり病室の中を覗いてもみたけど、誰が居るという訳でも無かった。

ネームプレートがあったりなかったり、四人部屋だったりそうでなかったりと細かな違いはあったものの、ベッドが全て空っぽなのは共通だ。


……もしかすると、あの肌色をした何かに連れていかれた後だったりして。

そんなイヤな想像が脳裏をよぎり、思わず周囲にきょろきょろ首を振り――うっかりよろめき、色褪せ罅割れの目立つ壁に手を突いた。



「っ……やりづらいな、いちいち……!」



片目が文字通り塞がれているせいだろう。

遠近感が狂い、ふとした事でバランスを崩しかけるようになっていた。


すっ転ぶ程ではないとはいえ、動きづらいは動きづらい。特に窓の外に例の肌色が居やしないかと警戒しながら歩いていると、ちょくちょく壁とぶつかりそうになってしまう。

そんな中で長く歩けばそれなりにイライラが募り、病室から出て来た事を軽く後悔した。



(つっても、いつ変なのが戻って来るかも知らんしなぁ……)



少なくとも、あの肌色は私の名を呼びながら『みたまぐも』の病室に来た。

ならいずれ戻って来る可能性は十分にあり、あの病室から移動しておく事は間違いではない……筈。


とはいえ、具体的にどこに逃げようと決めていなかったのも確かだ。


そもそもこんな状況で正確な逃げ道なんぞ分かる筈が無いのだ。とりあえず安全そうな場所へ……というふわっとした指針でフラフラ歩いているだけ。

そして廊下もずっとこんな一本道で、この場の空虚な雰囲気も合わせてただただ心身が疲弊してゆく――。



(……一回、立ち止まっとくか……?)



このまま無軌道に逃げ続けるのは絶対によくない。

今の所すぐに襲われるという事も無さそうだし、ならばここらで一度足を止め、改めて今後の動き方を考えておいても良いかもしれない。


そう思った私は、ひとまずの落ち着ける場所を探して手近な病室の様子を窺い、



――ぺた、たたん。



「っひ……」



……ちょうど、今まさに開こうとしたドアの中から、音がした。


それはついさっきも聞いた、肉が床を叩く音。

あの肌色の足音だ。すぐに察し、そろそろとその病室から離れて行く。



(こ……こ、にも居るの……? くそ、足止めるっつったそばから……!)



どうする。

このまま通り過ぎるか、それとも戻るか。


決して音を立てないように動きつつ、前か後か暫し悩み――気付けば、顔が突然左を向いていた。



「――あ?」



私の意思では無かった。

ずっと肌色の音がした病室を見つめていた筈なのに、まるで顔の右側から押されるようにいつのまにか首が回り、左の壁側を向いていたのだ。



(……えっ、あ、ま、まさか……右眼のアレで、脳とか、神経とか、やっぱ何か変な具合に――、?)



病室の肌色とは別の理由で血の気が引いていると、ふと左眼に引っ掛かるものがあった。


今見ている壁、その隅の方に長方形の切り込みのようなものが入っていた。

更によく見れば、その切り込みの内側には壁に埋め込まれるようにしてドアノブのようなものもあり……いや違う、ここ壁じゃなくて閉まった防火扉だ。


あちらこちらの塗装が剥げ、周囲の色褪せ激しい壁と馴染んでいて全然分からんかった。

どうやら鍵もかかっていないようで、そっとノブを押せば切り込み沿いに小さなくぐり戸が開き、その先に横道が出現。夕陽が届かず、消火栓の頼りない赤灯だけが浮かぶ薄暗い通路が続いていた。



(……もしかしてこれ、今までもあったの私見逃してたり――いや今はそんな場合じゃなく……!)



思わずこれまで歩いて来た道程を確かめたくなったが、すぐ我に返ってくぐり戸を抜けた。

そして音が出ないよう、慎重にドアを閉め――直後、防火扉の向こうで病室のドアが開かれる音がした。



「っ……」



ぺた、たたん、ぺた、たたん。ぺた、たたたたた……。


……病室から、肌色の何かが出て来たのだろう。

それは独特なリズムの足音を鳴らしながら、防火扉の前を走るような速さで過ぎ去ってゆく。


そしてやがて廊下の先に消えて行き……完全に足音が聞こえなくなったのを確信した後、恐る恐るくぐり戸を開けた。

そこには当然肌色の姿は無かったが、代わりにさっきは無かった患者衣が一枚、廊下の真ん中に落ちていた。



(引っかけたか、落とし物か……くそ、めんどくせー)



依然として肌色の正体は定かじゃないが、扉を開け閉めしたり名前を読んだり、妙に人間っぽい行動をしているのは間違いない。

もし廊下の患者衣が普通に落とし物だとしたら、そのうち拾いに帰って来そうな気がしなくもなく……。


考え過ぎ、警戒のしすぎと言えばそれまでとはいえ、一度考えてしまうと廊下に戻るのも怖くなる。


私は溜息をひとつ落とし、ひとまずくぐり戸から出していた白い頭を引っ込め、しっかり戸締り。

そのままゆるゆると防火扉に背を預け、目の前に伸びる薄暗い通路の先に目をやった。



(……こっち、病室のエリアじゃなさそうか)



通路の左右には病室のドアは無く、何かの作業室らしきものが幾つか。壁にはチラつく赤灯を抱えた消火栓と電気盤のようなもの、そしてよく分からない絵画が並んでいた。

その奥には擦りガラスの嵌った引き戸が見え、これまでの廊下とは雰囲気が若干違う。


「…………」暫く、その場で待機した。

しかし防火扉の向こうに落とし物を取りに来たような足音はせず、通路の先からも物音はしない。


私は口の中で舌打ちをすると、いつでも廊下側に逃げ出せるよう防火扉の鍵だけ開けて、ゆっくりと通路の先へと進んだ。



(この先ナースステーションだったら最悪だな……)



開けた部屋でたくさんの肌色の肉塊がぺたぺたやってる光景を想像し、足先が鈍る。

そうしてじりじりと進むが、幸いな事にそれっぽい部屋は無し。無事に擦りガラスのドアまで辿り着き、開けた隙間を左眼で覗き込む。



(……よし、変なのは居ない。で、ここ何――、!)



見える範囲に肌色が無くホッとした直後、視界の端にエレベーターを見つけた。


どうやらこの先はエレベーターホールのようで、奥には解放された階段室もある。

これなら変なのに見つからず一階にまで行ける――逸る心を抑えてドアを開け、すぐにエレベーターへと駆け寄った。



「う、動く? ああいや、でもか。えっと、えっと……!」



エレベーターの階数表示には6Fと光が灯っている。電気が通っているなら動きそうではあるが、この状況で下手に動かすのも目立つ気がして不安ではあった。

なら階段の方はどうなっている。とりあえずエレベーターは後に回し、階段室からこっそり下の階の様子を覗き込む、と。



「うわ、閉まってる……」



切れかけの非常灯が照らす、下階に繋がる踊り場。そこから先にシャッターが下り、完全に封鎖されていた。


そこまで降りて見てみたが、周囲に作動させるための装置は無い。

ならばと力尽くで持ち上げてみようとすれば、ガシャガシャと思ったより大きな音が響き慌てて手を離した。



(うーん……じゃあ、やっぱエレベーター――……、ん?)



……そうして、元の場所を見上げたその時。

今私が降りて来た階の壁に、薄汚れた案内板が張り付けられている事に気が付いた。


――『四7ヱ』。



「……よん、なな、え……とは」



意味が分からず、首を傾げる。


こんなところに表示するんだったら、普通はそこの階数とかじゃないのか。それか病院なんだから、その階に入ってる診療科の種類とか。これじゃサッパリ分からない。

まぁ所詮オカルトが絡んでる廃病院だ。真面目に考えたってキリがない――。



――『これは、ぼくがとある廃マンションを探索していた時の出来事です』



(……、……あ?)



ふと、思い出し。

改めて『四7ヱ』をまじまじ眺める。


しかし文字列以外におかしな所は無く、他の場所もまた同様。

一応上階の方も見てみようとしたものの、そこもシャッターが下りていて先の階を確かめる事は出来なかった。


「…………」引っ掛かるものは多々あれど、このまま行き止まりの空間に長居したくもなく。すごすごと『四7ヱ』の階に戻り、またエレベーターホールの様子を窺った。


さっきと変わらず、何の気配も無し。エレベーターにも光が灯ったままで……私は改めてその正面に立ち、チラリと背後に目を向ける。


……『四7ヱ』は、たぶんエレベーターの中からでも見えるところにあって。



「……いや、いやいやいや……」



あー、うーん、えー、などなど。


いやもうなんか正直エレベーターに乗りたくない度が跳ね上がりまくっているのだが、ここまで来て引き返すってのも……。

また新しく生まれてしまった「どうしよう」に、私はほとほと困り果て、


――ごうん。



「!」



正面、上階の方で音がした。


ハッとエレベーターの表示盤を見れば、▽5Fと灯っている。

先程は6Fだった筈だから、別の階の誰かがエレベーターを動かしたのだろう。


一瞬私の他にも人が居ると胸が跳ねたが、すぐにあの肌色のヤツらも出来そうだなと思い直す。ぬか喜び。



(……この階、やっぱ五階よりは下だよな。止まるか、通り過ぎるのか……)



表示盤を睨みつつ、ガラス戸の方へ身体を寄せる。


さて、上階から乗って来ているのか、それとも下階から呼ばれたのか。

後者であれば良いが、前者だったらこの階に止まる可能性もある。もし変なのが乗っていた場合、すぐに廊下の方へ逃げ出すつもりだった。


そうして緊張に身を固くする中、表示は▽5Fから▽4Fへと変わり――ぽーん、とボタン横のランプが灯る。


――この階に、止まった。



「……………………」



腰を下げ、ガラス戸を掴む指に力が籠る。


扉が開くまでのたった数秒が酷く長く感じた。

そして金属の軋むような音が小さく数度鳴った後、やたらとぎこちない動作で扉が滑り、エレベーターの中身を晒し出す。



「っ――」



……肌色の肉塊の姿は、そこに無い。

開かれた空っぽの箱を前にして、私は肺の中身全てを吐き出した。



「はー……ビビらせんなって……」



エレベーターの内部は、他の場所と違ってあまり薄汚れてはいなかった。


勿論それなりに時代を感じる古めかしい作りではあるのだが、これまで歩いて来た所と比べると新品も良いところ。

奥の壁に張られた鏡も曇りは目立てど割れは無く、外に立つ私の全身を綺麗に映し出していて――。



「――え?」



そうして、ほんの少し視角をずらした時。

その鏡の端、外からは見えなかった扉の影の部分に映ったものに、私は思わず声を上げ、


――直後、エレベーターの扉が軋み、ぎしぎしと閉じ込み始めた。



「え、あ、ちょっ――」



咄嗟に駆け出し、扉が閉まり切る直前に片手を差し込んだ。


本来ならば指先がぺったんこになりそうな愚行だが、私はそのまま扉を掴み、膂力任せにこじ開ける。

その際バギンとなんだかマズそうな音が聞こえたものの、そんなの二の次。開いた扉から顔を突っ込み、扉の影になっていた場所を覗き込む。



「――っ! ……!?」



するとそこには、一人の青年が蹲っていた。


一見すると女性にも見える容姿に、線の細い身体つき。

私と同じく患者衣姿の彼は、酷く怯えた様子で小部屋の隅に身を寄せている。


――歪いびつ。

先のイベント会場では都市伝説収集家を自称しステージに立ち、そして私がついさっきに思い出していた人だった。



「ひ、人……いや、っていうかあんた、何で……!」


「~~っ! ~~っ!!」



やっと他の人を見つけられた……と驚き喜んだのも束の間、歪いびつはやはり怯えたまま、更には勢いよく首も振っている。

流石にその様子のおかしさが勝ち、自然と首が傾いでしまう。



「……えっ、あ、あの、何? どうしたんです……?」


「っ! っ! っ……!!」



恐る恐ると声をかけても、歪いびつは声も出さずに怯えるだけ。

いや一言くらい喋れやと思っていると、彼の喉元あたりに血の滲んだ包帯が巻かれている事に気が付いた。


……もしかして、声が、というか声帯を取り出されてたり何かする……?


無意識の内に自分の右眼に手を添えながら、そう思い至り――瞬間、背後でぺたりと音がした。

「っ!?」振り返れば、エレベーターホール出入口の擦りガラスに、肌色の影が映っていた。


――あのナース気取りの変なのが、ガラス戸の前に立っている。



(いつの間に……! ヤバい、逃げ――っ!?)



その時、患者衣の裾を小さく引かれた。

歪いびつだ。


力は弱々しく、普段ならなんてことはなかっただろう。

でも右眼が欠けてバランス感覚のおかしい今じゃそれも難しかったらしい。私の身体は呆気なく小部屋の中へと引っ張り込まれ「いってぇ!」強かに尻を打った。


同時にエレベーターの閉扉が再開され、先程以上の軋んだ音が鳴り響く――。



「あ――」



……ガラス戸が、開く。


しかしホールに入って来る何かを認めるよりも早く、エレベーターの扉が固く閉じ切った。


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