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異女子  作者: 変わり身
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「怪談」の話(中③)

案内された会場は、私が思っていたものとは少し違っていた。


トークショーというくらいだから、テレビでよく見るひな壇と観客席みたいな空間をイメージしていたのだが、凄いちゃんとした立食パーティの会場みたいな広い部屋だった。

というか、実際そんな感じで豪華な食事を楽しみながら進行する時間もあるとパンフレットに書いてある。B級イベント……?


これもインク瓶のコネの結果なんだろうか。そりゃうるせー怪人がくっついて来るのを我慢してでも声かけるわ。


そう一人感心している内にも、他の観客達も続々案内されてくる。

部屋の隅に身を寄せつつ観察すれば、比率としては男の人よりも女の人のが若干多めだろうか。

こういうのって男の人の方が好きそうだと思ってたから、ちょっと意外に思い――また、一瞬電気が消えた。



「…………」



……なんなんだろう。言いようの無い気持ち悪さが、少しずつ重なっていく。

その根本を掴みあぐねている間に、イベントの開始時刻になっていた。


さっきとは違い人為的に照明が絞られ、部屋の中央に設置されたステージがライトアップ。観客の視線が集まった所で、MCの女性タレントが登壇する。



「――異界。それはこの世の裏側、人知の外にある異常な世界。現代社会より薄皮一枚隔てたその場所に、人類はどうしても心惹かれてしまうもので――」



そしてそれっぽい前口上が続き、それが終わった後には出演者達が拍手をもって迎えられる。


霊侭坊巖常、歪いびつ、ひゅどろんチ、地圀幸、その他多数。

パンフレットで見たそのままの人達が紹介と共に次々と現れ、私達観客に手を振った。


その最後にはインク瓶も現れ、部屋の隅の私にちらりと視線を送った後、あからさまな営業スマイルを他の観客へと向ける。きもちわる。



「と、いう訳で。今回は『異界』をテーマにした怖いお話を、ご覧のスペシャルな方々に語って頂きたいと思います。では一番槍と言えばこの方――」


「憤ッッッ!! 剛拳の除霊師・霊侭坊巖常だ! 除霊師たる私にとって異界とはなじみ深いもの。当然、その危険も近くにある! そう、これは私がとある依頼を受けた時の――」



まずは剛拳おじさんの話から始まるようだった。

そして彼の無駄に暑苦しい語りが始まると同時、天井から下がる巨大モニターに何やら映像が流れ始める。


どうやら単に怖い話を語り聞かせるだけでなく、それに合わせた動画も一緒に流れていくらしい。

剛拳おじさんが依頼を受けたシーンや、何でか山中を探索しているシーンなど。語り口だけでは伝わらない雰囲気が分かりやすく伝わり、臨場感たっぷりに話が繰り広げられている。



「――そして直感したのだ! 我々霊侭坊除霊団は、何某かの呪物によりこの異界に迷い込んでしまったのだ……と!!」



……とはいえ、この人のキャラがキャラである。

臨場感があった所で怖い話にはならず、観客からも時折おかしそうな笑い声が漏れていた。


話の内容も、視聴者から除霊の依頼が来たので森を調査していたら(ここ何で森に行ったのか意味分かんなかった)靄のけぶる変な所に迷い込み、何やら化け物のような影に何度も襲われるもどうにか撃退。森の奥に転がっていた呪物を見つけ帰還した……というものだった。

普通に冒険ものというか、映像の迫力もあり手に汗握る全年齢エンターテイメントの趣である。


そしてオチは何故かこの場に持ってきたその呪物(私には不法投棄された型落ちパソコンにしか見えなかった)を拳で叩き割り、除霊完了の宣言。

観客達からの笑いと拍手を浴びながら、満足げな表情でステージから捌けて行った。……怖い話?


ちょっと理解に苦しむ部分はあるが、会場は良い感じにあったまったし、やっぱりそういうポジションの人なんだろう。

私も途中から普通に楽しんでいたし、そう思う事にした。



「……、」



そしてその直後、今度は会場外の廊下の電気が一瞬消えたのが見えた。

……ちらりとインク瓶の方を見れば、彼もまたそちらを見つめていて、



「はい、ありがとうございましたー! いやー、やっぱり霊侭坊さんのお話はハラハラドキドキしますねー。しかし呪物だというパソコンは何なのでしょうね、インク瓶さんの見解としましてはどうなんでしょう?」


「……ええ、そうですね。皆様もご存じかと思われますが、そもそも電化製品と怪異の相性というのはそう悪いものでもありません。特にパソコンなどの複雑な機器となると、それに向き合う人間の意思や感情も相応に複雑化し、結果――」



しかしMCの女の人に話を振られ、視線を切った。

……よくあの内容でそれっぽくペラ回せるよな。ある意味感心。


その後は出演者同士のディスカッションを挟み、剛拳おじさんの話に対するそれぞれの知見を披露。

観客含め盛り上がりつつ良い感じに話が纏まったところで、MCの女性が進行させる。



「――ではお次! 都市伝説収集家こと歪いびつさんです。よろしくお願いします!」


「はい、どうもよろしく」



そうしてステージの中央に立った女顔の青年は、まず深々とお辞儀をひとつ。

剛拳おじさんと違い多くを語らず、静かに天上のモニターへと視線を移した。



「……これは、ぼくがとある廃マンションを探索していた時の出来事です」



その声も顔と同様女の人のように高く、平坦な響きが静かに耳に染み入って行く。

剛拳おじさんの話で緩んでいた空気がピンと張りつめ、冷たさが伝う。



「薄汚れていた訳でも、どこかが壊れてしまった訳でも無い、小綺麗なマンションでした。一見してどこにも問題の無い建物なのに、居住者募集の看板にはペンキで幾つもの斜線が引かれ、塗り潰されている。そこに小さな違和感を覚えたぼくは、好奇心のままにそのマンションへと足を踏み入れてみたのです――」



モニターには本人が撮影したらしきマンションが映り、エントランスの中を見回していた。


何気ない光景の筈なのに、語りと交わり妙に不気味だ。

というか一つ目の話との緩急で余計に不穏に感じる。これも演出なのだろうか。



「内装にも妙な部分は無く、こちらも綺麗なものでした。では、どこが『ダメ』だったのか――それが分かったのは、エレベーターに乗り込んだ後の事でした」



モニターの画面が切り替わり、エレベーターの中が映った。


――曰く、このエレベーターは動作が非常に異常なものであったらしい。


特定の階に止まれなかったり、揺れが激しかったり、そう言った普通の異常ではない。

行き着く先がまるで滅茶苦茶で、意味の分からないものだった。



「一階だけ、上に行ったつもりでした。すると開いた扉の先に見えた字はB2――つまり地下二階。駐車場だった場所ですね。あれ、間違えたかなとエレベーターの画面を確認してみましたが、何も間違えていない。2Fと表示されている――」



首を傾げつつ元の階に戻ろうと一階のボタンを押せば、今度は六階に出る。もう一度同じボタンを押せば、次は十二階。何度やっても違う階に出てしまう。

これだけならばまだエレベーターがとんでもない故障をしているのだと済ませられたが、しかし彼はここでおかしな事に気付いたらしい。


そこでモニターの映像が止まり、それまで映していたエレベーターの外の景色が並べられる。

それは何てこと無いマンション内の景色にも思えたのだが……一度に並べられると、妙な部分がハッキリと分かった。


――扉が開く度、エレベーター前の窓から見える太陽の位置が変わっている。



「移動してたの、上下にじゃなかったんですよ」



歪いびつは淡々と告げ、口を閉じた。


……上下に移動していないなら、一体どこに移動しているのか。

映像の中の彼はパニックになったように声を荒らげ、何度も何度もエレベーターのボタンを押す。


B7階。25階。-9階。LLL6階。8あ8階。未79階。宙央壱階――。

エレベーターの扉が開く度、そこに見える階数の文字もおかしくなっていく。


やがてはボタンを押す事自体が怖くなったのか、小部屋の隅で蹲るだけとなった。

そうして暫くは荒い呼吸音が響き続けていたが、やがてピンポーンとどこかの階に到着した音が鳴る。何も、ボタンなんて押していないのに。


映像の彼はカメラを投げ出し、慌てて扉に走って『閉』のボタンを連打する。しかし何の意味も無く、自動的にエレベーターの扉が開いて――。


……そこで暗転。映像が止まった。

静まり返った会場の中、歪いびつの深々としたお辞儀がその話の終わりを告げ、それを皮切りに観客の息をつく音と拍手が聞こえ始める。



(……ちゃんと怖いヤツだった、けども……)



この最後まで何が起きてたのか分からないモヤモヤ感、馴染み深くて何かヤダな……。

これまで遭遇した似た雰囲気のあれやこれやを思い出し、自然と渋い顔となり――瞬間、今度はステージのライトが明滅した。



「おっとぉ、さっきから照明が怪しいですね。何かが寄って来ているのかしら」


「…………」



MCの女性がフォロー混じりにそう茶化すけど、その隣のインク瓶はじっとステージライトを見つめていた。


そして先程のように軽い解説やディスカッション、観客側とのやり取りなどを挟んだ後、次の出演者がステージに上がる。


『ひゅどろんチ』――イベント前の休憩室で顔を合わせた黒キノコの居るグループだ。


パンフレットに載ってた通り、赤、青、白、黒の四色マスクがそろい踏み。

揃って「ひゅ~どろ~」とポーズをとれば、先に話していた剛拳おじさんら二人よりも大きな歓声が沸き上がる。よく分からんが人気はあるらしい。


……そうしてそれぞれ自己紹介を行う中、黒キノコが部屋の隅の私に気付き、手を振って来る。

気付かないフリして視線を逸らせば、天井の照明のひとつが、ジジ、と不安定に揺らめいた。



「――つー訳でね! 今日という日に合わせてピッタリのスポットに! ……ってな風に行きたかったけど、まぁ、なぁ」


「異界だの奇界だのってテーマがね……行きたいと思って行けるもんでもねぇから、マジでどこ行ったら良いのかって話で――」



グループとしては、赤マスクの金髪男と、青マスクのロン毛男の二人が中心であるようだ。

基本的には彼ら二人による軽快なトークが繰り広げられ、そこに時折白マスクのボーイッシュな女性の合いの手と、黒キノコによる軌道修正が入って話が進む。


その内容は前情報にあった通り、彼らお得意だという廃墟突撃レポートだった。


何でも今回のテーマである『異界』に絡むホラースポットの選定に迷ったとの事で、それっぽい噂のある場所に片っ端から突撃したらしい。

普通の廃屋や廃病院、どこかの廃村や樹海にまで足を運んだらしく、その時の様子が次々とモニターに映し出されてゆく。


しかし特に撮れ高となるようなものは無かったようで、赤青マスクの漫才めいたやり取りのネタとして流されるだけだった。


……あの、私の目には、幾つかヤバそうなのが映っているように視えるんですが。

そっとインク瓶の様子を窺えば、「何でこいつら死んでないの」みたいな顔でマスク連中を眺めていた。ありゃー。



「――そんで全部空振りで、ちょっとまずいかなーって。もう最後の希望って感じである廃病院に行ったんだけど……そこで、ねぇ」



そうして粗方話し終えた後、赤マスクの雰囲気が少し変わり、モニターにとある廃病院の外観が映し出された。

場所が分かるような部分はモザイクで隠されているが、どこもかしこもボロボロで、とても嫌な雰囲気だ



「ここね、一回入ったら二度と出らんないって噂のあるって廃病院。まぁ勿論そんな事なくて、普通に出入りできたんだけど」


「俺らが来たの夕方くらいでまだ明るかったのよ。んで、ガチ凸はいつも通り深夜まで待とうってんで、車ん中で待機してたんよな」


「あっちこっち飛び回って疲れも溜まってたしなぁ、仮眠でもすべっつって。そんで全員ダラダラしてたんだけど……」



そこで映像が切り変わり、病院内部らしき光景が映し出される。


私は病院初心者なのでそこがどういう場所なのかは分からなかったが、廃墟という割にはそんなに荒れてはいないように見えた。

そして時折見える窓からは綺麗な夕陽が差し込んでいたが……さっきは深夜に突撃するとか言ってなかったか。


内心少し疑問に思っていると、赤マスクは本当に何気ない様子でぽつりと呟く。



「これね、誰も撮った記憶ないんだよ」



……しん、と。

これまでの明るい雰囲気から一転、薄気味悪さがじわりと広がる。


赤マスク達はそこで一度言葉を止め、観客達と同じようにモニターを見上げた。


映像は手振れによる揺れを伴い、ゆっくりと建物の中を進んで行く。

一歩踏み出される度に舞い散る埃が夕陽に照らされ、廃れ寂れた空間に橙の彩りを添えていた。


待合室のような部屋を抜け、どこかの廊下をまっすぐに行き……やがて、とある部屋の扉を押し開く。

そこは四人部屋の病室のようで、並んだベッドにはそれぞれ何者かが寝かせられているようだ。


そしてカメラが少しずつ彼らに近寄って――その正体が明確に映し出された時、観客から小さなどよめきが上がった。


ベッドに寝かせられていたのは、ひゅどろんチの四人の姿だった。


廃とはいえ病院という場所に相応しく全員が患者衣姿で、まるで死んだように目を閉じている。

それだけの光景であれば、不思議には思えど驚く部分など無いのだが――その四人とも、全員が身体のどこか一部分を失っていた。


赤マスクは右腕。

青マスクは左脚。

白マスクは左眼。

そして黒キノコは左腕。


手足はどれも根元から断ち切られていて、撒かれた包帯からは真っ赤な染みが滲んでいた。


勿論、今ここに居る彼らは全員五体満足だ。この映像が作り物である事は明白なのだが、その意図が分からず首を捻る。

そうする内に唐突に動画が終わり、次に真っ暗な中での廃病院探索をしているひゅどろんチの姿が映った。



「さっきのムービー、凸撮り終わった後の確認中にデータ見つけたんだよね。だからこん時の俺達はまだ何にも知らねーの」


「のんきなバカ面どもがなんも知らずにハシャいでますわ」



基本的に黒キノコが撮影を行っているらしく、主に映るのは赤青白の三マスクだ。


さっきの退廃的な静けさのある動画と違い、彼らの探索風景はギャーギャーと騒がしくってやかましい。

他の観客、おそらく彼らのファンなんだろう人達は楽しそうにしているが、私の好みにはやっぱり合わない。うんざりとモニターから視線を外し、何気なく頭上を見上げ……また、不安定な照明が目に入る。


ジジ、ジジジ。虫の羽音のような、小さな音。



「で、大体見て回っても特に何も無くてさ。こりゃ今回も外れかなーと思ってたんだけど……ここ、この手術室。ここからちょっと処理入れてます」



視線を戻せば、モニターでは赤マスクが手術室らしき場所をおっかなびっくり歩いていた。


とはいえ物はほとんど残っておらず、天井に固定されている物々しい照明だけが存在感を主張して――その真下に、四枚の紙が綺麗に並べられていた。


赤マスクがライトを向ければ、それはどうも患者のカルテのようだ。

名前の欄にはモザイクがかけられていたが……何故か、画面の赤マスクは激しく動揺しているようで、



「――モザイクで隠してっけど、これ俺の本名だったのよね」



……ジジ、ジジ。

照明が、そうと分かるほど大きく揺らぐ。



「やーもうガチでビビった。その下の欄見える? 何か症状とか書くっぽいとこに『右腕』って書かれてんのよ。で、それが全員分。『左脚』『左眼』『左腕』」


「この時は意味分かんなかったけど、今見ると色々繋がってんだよな。キモいキモい」


「でも分かんなくてもめちゃくちゃ怖くてさァ。見てよこのドタバタ、あぁカルテもみんな破っちゃう」



そう笑う赤マスクの言う通り、モニターの中はどったんばったんの大騒ぎとなっていた。


それぞれが「ヤバイヤバイ」と繰り返し、物や棚を蹴っ飛ばしながら一斉に手術室から逃げ出してゆく。

カメラは無駄にあちこち振り回されて、彼らのパニック加減がよく伝わった。


なんとなくわざとらしさを感じる気がするものの、緊迫感は確かにあり……しかし私はそちらにあまり集中出来ず、ただ天井を見上げていた。



「そんでこの後車に飛び乗って、百キロ超えで逃げ切ってなぁ」


「いやウソウソウソ、ちゃんと法定速度守りましたんでね。盛ってますんでこいつ――」



そろそろ話も〆のようで、纏めに入った雰囲気だ。


でも……なんだろう。なんか、何かが……。


自分自身が何を感じているのか分からず、縋るようにインク瓶を見た。

すると、彼もまた不安定な照明を見上げている。その姿に自分の感じているものが間違ったものでは無いと裏付けられた気がして、じりじりとおなかの底が炙られた。



「――まぁ結局、何が起きてたのかは分かりませんでしたと」


「あのムービーもなぁ、マジで何だったのか……でも案外、あれが入ったら出られないって噂の元とか考えたりしてな」


「少なくとも、あの俺らは出られなかったみたいだしな。あの病院」



ジジジ、ジジジ。

照明の揺れが激しくなる。そしてそれは明らかに、他の照明にも伝播していた。


部屋の薄暗さとステージライトの明暗差で、気付いている人は少ない。

だけど、少しずつ、少しずつ、灯の揺らぎが広がっている。



「俺思うんだけど、たぶんあのムービーは夢だかパラレルワールドだかみたいなので、それがたまたま――」



ジジジジ、ジジジジジジ。



「――る限り、やっぱ夕方に入んないで深夜まで待ってたのがラッキーだったんかもな。そんで――」



ジジジジジジジジジジジジジジジジ。



「――ま、そんな訳で、」



ジ、


赤マスクが一度言葉を切った瞬間、同時に照明の異音が止まり、



「今回の凸リザルトはこんな感じ。直で『異界』には行けなかったけど、ちょっぴり垣間見たって事でね。まぁ、許して!」



……気負いなく、ただただ軽薄にその語りが結ばれた瞬間。

まるで蝋燭の灯が吹かれるかのように、全ての光が掻き消えた。



暗転。








……


…………


…………じゅる、じゅる。


じゅるじゅる。じゅるじゅる。


頭の中。頭蓋の内で、音がする。



(……?)



何かを啜り上げるかのような、汚らしい音だった。


かつてどこかで聞いた気もするけれど……さて、どこだっただろう。ぼんやり思い出そうとするものの、どうにもハッキリとしない。

そうしてモヤモヤとする内、気付けばその音は聞こえなくなっていて――代わりに、右眼に酷い違和感が走り始めた。


上下の瞼の根元がギチギチと引っぱられる、痛くはないが鬱陶しい感覚。

それにより、おぼつかなかった思考の芯が熱を持ち――。



「……あ?」



目が覚めた。


橙の夕陽が差し込む、どこかの部屋。

ボロボロの天井が左眼に映り、見覚えのないそれに疑問が浮かぶ。



「……あれ、え――けほっ」



声を出した途端、埃を吸い込み咳が出た。


……どこだ、ここ。

というか、何で寝てたんだ……?

自分から眠った記憶が全く無い。状況の理解も把握もまるで出来ず、静かに混乱する。


ええと、そう、さっきまで私はオカルトマニアどものトークショーを眺めていた筈……だよな。

そんで直前には、よく分からん名前のグループのつまんない話を聞いていて……いや、ほんと、何がどうなってんだ、これ。


私は上手く働かない頭を振って身を起こし、自分の置かれた状況を確かめようとして――また右眼に引き攣るような感覚が走り、



「――、」



べた、と。

咄嗟に右眼に当てた掌に、湿った布の感触がした。


……恐る恐ると掌を見れば、そこには赤黒い液体がべっとりと付着していた。

指で擦れば薄く伸び、鉄錆の臭いが鼻をつく。



「……、……っ」



……どうしても、どうやっても右眼が開かない事に、やっと気付いた。


痛みは無く、あるのは瞼の引き攣る感覚だけ。

もう一度、震える手で右眼に触れようとしたけど、赤黒く汚れた掌にそれも躊躇う。


おなかの底が酷く冷たい。脈が乱れ、呼吸が浅くなっていく。

どうしたらいいのか分からなくて、助けを求めるように左眼を周囲へ巡らせた。



「……びょう、いん?」



どこか、病室のような場所に寝かせられていたようだった。

全体的に薄汚れていて、家具にはどれも埃が積もっている。窓からは夕陽が差し込んでおり、漂う埃に反射し退廃的な彩りを……。



(……え? ここ、って――)



既視感。

動揺のまま視線をあちらこちらに散らしていると、やがて鏡が目に飛び込んだ。


壁に掛けられたそれは上半分が割れ落ちていたが、下の方はまだ無事だ。

……そこに映る私の身体は、何故か患者衣姿となっている。肩から上は割れた範囲に入っているけど……少し身を倒せば、顔まで映せる事だろう。



「………………………………っ」



ぎ、と歯を食いしばる。

そして震える喉を抑え込み、幾許かの躊躇の後、恐る恐ると、屈むように身体を下げて――。



「――――」



――映ったのは、私の右眼を覆うガーゼの眼帯。


内側から赤黒い大きな染みを滲ませているそれの意味を、私はすぐに現実のものとして受け入れる事が出来なかった。


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