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異女子  作者: 変わり身
51/100

「問」の話

沙汰を待つ罪人のような気分だった。



「…………」



胃の底が冷たくなり、心臓がきゅーっと絞られる。

目線はあちらこちらに散らされて、小さな溜息が幾つも落ちる。


そうして無限に貧乏揺すりを続けながら、自分の名前が呼ばれるその時をじっと待つ。

酷く落ち着かない、嫌な時間だった。



「――御魂雲―」


「!」



そうする内、呼ばれた。


俯いていた顔を上げれば、そこに見えるは陰気な顔した社会の教師。

その澱んだ眼からは何を思われているのか読み取れず、それが一層不安を煽る。


「へ、へへ」私はへったくそな愛想笑いを浮かべ、席を立ち――彼の差し出す紙っぺらを、目を逸らしながら受け取った。



「はい。……まぁ、お前なりに頑張ったんだろうなと思うよ」


「!」



その際、小さくそう声をかけられた。

良くも悪くもどちらにでも取れる言い回しにぎくりとしながら、私は恐る恐ると紙っぺらに目を向ける――。


――【二年生一学期中間テスト 《社会》 51点】



「……や、やったぁ、50点越え……!」



渡されたのは、先週一週間みっちりやった中間テストの答案用紙。

そこに燦然と輝くスコア51(赤点回避)に、私は安堵のあまり深い溜息を吐き出したのだった。






採点が終わったテスト用紙の返却タイミングは、各教科の教師によって様々だ。


早い教師はテスト終了後の次の授業には返して来るし、遅い教師は一週間以上の間が開く事もある。

そして社会科の陰気な教師は前者のタイプであり……今回の中間テストにおいては時間割が噛み合い、テスト明け月曜の一時限目なんてトップスピードで返して来やがったのだ。



(きちー……)



早く結果を知りたいヤツにとっては有難いんだろうけど、私的にはもうちょい心の準備をさせて欲しかったものである。

というか永遠に返して来なくていいですほんと。



(……でもまぁ、結果的には幸先いい感じになったか……?)



席に戻り、返ってきた答案用紙を眺める。


51点。

たぶん平均点には全然及んでないし、そこそこダメな点数ではあるんだろう。


とはいえ、全教科共通の赤点ライン30点を割らなかったどころか、100点満点の半分を取れただけ、私にしてはよくやった方だ。

テスト返しの一発目としては、まぁまぁいい滑り出しではなかろうか。うむ。



「――よし、全員に返ったな。それじゃ答え合わせと解説」



なんてポジティブに考えていると、全員に答案を返し終えた教師がそう黒板に向き直る。

テスト返しの日の授業はテスト問題の解説をする。毎度のパターンである。



「じゃあまず問一から問五までの穴埋め。日本の特色周りのやつ、みんな割と正解してたけど――……」



そうして流れ始めた教師の声を耳に入れつつ、他の誤答にもざっと目をやる。

……100点満点の半分を取れたという事は、その半分は取り損ねたという事である。改めて見ると真っ赤なバッテンが目立ち、ポジティブ思考が若干萎れた。



(社会って暗記が殆どなのに、なんでこんなムズいんかなー……)



溜息。

覚えの悪い頭を親指でくりくりしながら、用紙の端まで適当につらつら目を通し――その一番最後に置かれた問題とその答えに、小首を傾げた。



――【問】 識はありますか?

――【答】 黒。



「……? 何だ、これ」



大きなバッテン印がつけられた、誤答の一つ。


しかしまるで問題の意味が分からず、何をどう間違えたのかも分からない。

というかそもそも問題として成立していない気がするし、何もかもがさっぱりだ。


――そして一番分からないのが、私にこの問題を解いた記憶が無い事だった。



(んんん……こんなのあったっけ?)



筆跡は私のものだし、よくよく見れば何か書き直したような跡もある。

一年の頃の友達や髭擦くん曰く、私は問題の答えを何度か書き直す癖があるらしいから、私が書いたってのはそうなんだろう。


……んだけど、テスト中の記憶を探ってみてもまるで覚えが無い。

こんな変な問題、出てたら忘れないと思うんだけどなぁ……。



(つーか、なんだよこの答え……どう考えたらそうなるんだ、意味わかんねー)



何度考えても『黒』と回答した思考回路が読めず、自分の事ながら呆れてしまう。


……まぁ少なくとも、問題の意味に関しては解説を待てば分かるか。

とりあえずはそう思う事として、疑問は横にのけておいた……のだ、が。



「――はい、これで終わりと。今回は全体的によく出来た人多かった気がするわ」


「……あれ?」



授業が進み、最期の問題に差し掛かった時。

教師は何故か解説を切り上げ、そこでテスト直しを終えてしまった。


……いや、一問忘れてますけど……?

指摘しようとも思ったが、他の生徒は何も気にした様子がない。むしろそれが当然というような空気感で、戸惑っている内に授業終了のチャイムが鳴った。



(……まぁ、いいか)



何となくモヤモヤするものの、私としては赤点じゃなかった時点で充分だった。

わざわざ声を上げて聞きに行く程でもなく、黙ってそのままスルーした。


そして休み時間に入って数分も経てば次の授業に気を取られ、やがては例の問題の事も忘れていった。







二時限目の理科ではまだ採点が終わっていなかったのか、テストの返却は無かった。

その次の三時限目は体育で、こっちも返却は無し。


この調子で今日一日やり過ごせたらいいなぁ……と一瞬期待したのだが、四時間目の数学でとうとう二回目のテスト返しが始まってしまった。

正直、数学は社会科以上に自信が無い。私は一時限目よりもおなかを痛くしながら、教師の差し出す答案用紙を受け取った。



「……さ、34点かぁ……」



他の人にとってはだいぶアウトな数字だろうけど、私にとってはギリセーフ。

かなり危ういとはいえ赤点でない事には変わりなく、どっちかと言えば安堵寄りの溜息を吐き出した。


……苦手な数学でこれなら、今回の中間テストは赤点なしの可能性もあるんじゃなかろうか。

眺める答案用紙が酷い有様の一方、胸にはそんな希望がむくむくと湧き――その時、答案用紙の一番下に目が留まった。



――【問】 撓む櫃は上がりますか?

――【答】 隙間は無い。



「……えぇ?」



そこに並んでいたのは、またも意味不明な問と答。

脈絡なく目に飛び込んで来たそれらに、その目をぱちくり瞬いた。



(……社会のテストにもあったやつ、だよな?)



そう、内容こそ違うけど、その問題は社会のテストの最後に記されていたものと同じ雰囲気に見えた。

意図が分からないのも、それに対する答が滅茶苦茶なのも、そして大きなバッテンが付いているのも全部同じ。


そしてこの問題を解いた記憶もやはり無く、困惑に首が傾いだ。



(えー……いや、ほんとに何……?)



そもそもなんて読んだらいいんだこれ。櫃……ひつ。おひつ? ご飯入れる箱のアレ?

ちょっと意味分かんなすぎて、反応にも困るんだが。


それとも私が知らないだけで、こういう問題が各教科で出ますよ的なアナウンスがあったんだろうか。

や、でも授業は全部休まずちゃんと聞いてたし、そもそも私自身この問題に答えてる訳だし……。



「……うぅぅん……?」


「はい、それでは解説に移ります。各自ノートを取るように」



そうして唸る私をよそに、数学の女性教師がテスト問題の解説を始めた。

とりあえずはそっちに意識を向けるけど……その最中はずっと、魚の小骨が喉に引っ掛かったかのような収まりの悪さが消えてくれず。



「――ではここまで。テストが終わったからと言って、あまり気は抜かないように」


「……また……」



……そして結局、今回も。

社会の時と同じく、一番最後の問題は解説されずに無視された。






「……なぁ、ちょっといい?」



給食を終え、昼休み。

おなか一杯になって一息ついた後、私は自分の席で寛いでいた足フェチに声をかけた。



「ん~? どしたの、外行く?」


「今日は気分じゃない。そうじゃなくて、これ」



あくび混じりにこちらに目を向ける彼女の机に、二枚の紙っぺらを広げる。

社会と数学。今日返って来たばかりの答案用紙だ。



「……おぉう。えっと……赤点じゃないじゃん! 片方50点越え! えらいぞ!」


「う、うるさいな。点数はどうでもよくて、本題こっち」



いつものように茶化すでもなく、ただ気まずそうに雑フォローを入れて来る足フェチに若干傷つきつつ、一番最後の問題文を指し示す。

妙に引っ掛かってしょうがない、例の意味不明な設問だ。



「この最後の問題って何なんだ? 趣旨とか意味とかぜんっぜん分かんなくてさ……んで、そのー、よければ教えてくれると助かりますぅ……」


「あれ、答え合わせなかったっけ? まいいや、どれどれ……」



私の情けないお願いに、足フェチはイヤな顔せず頷き一つ。改めて例の問題文に目をやった。


コイツはこんなんでも成績もいいし、授業も真面目に聞いている。

この意味分かんない問題も聞けばなんか分かるだろう――そう思っていたのだが、



「……何これ? こんな問題あった?」


「は?」



私と同様足フェチの頭が困惑に傾ぎ、怪訝な顔を向けられた。



「……え、いや、あるじゃん。見てんじゃん、今」


「う~ん……んん、ちょい待っち」



こちらも同じような顔をしてやれば、足フェチは机を漁り自分の答案用紙を取り出した。

そして件の設問がある場所を見やるとひとつ頷き、社会の答案を私へと見せて来る。



「その問題、アタシの方には載ってないよ。ほれ」


「……き、94点……じゃなくて、ええと――、……」



無造作に見せられた天上の点数に動揺しながらも、私は示された場所に視線を下ろした。



「…………」


「まぁたぶん印刷ミスかなんかじゃない? 先生に言えば修正してくれるだろうし、何点か追加で貰えたりとかするかもよ」


「……あ、あぁ、そうかな……そうかも……は、ははは……」



――【問】 識はありますか?

――【答】 溝を埋め、お考えください。



……その設問は確かに載っていて、そして意味不明な解答がしてある上に大きなマルさえついていた。

なのに、まるで認識出来ていないかのように振る舞うその様子に、私はただ乾いた笑いを返すしか出来なかった。







――【問】 識はありますか?

――【答】 溝を埋め、お考えください。


――【問】 撓む櫃は上がりますか?

――【答】 畔を放ち、身起こしください。



……あれから、足フェチの他に数人のクラスメイトにも社会と数学の答案用紙を見せて貰ったのだが、その全てにこのような問と答えが記されており、正答として大きなマルが付いていた。


そして誰一人としてその問題の事を認識しておらず、無いものとして扱っているのだ。

クラスメイト全員分を確かめた訳じゃないけど、この分じゃ他も同じだろう。



(……オカルト、か?)



私に認識出来て、他の人には出来ない設問。

十中八九オカルトの類だとは思うのだが……だとすると、私の答案用紙にあった問と答えが足フェチに認識出来ていたのはどういう事になるのだろう。


私が答えを間違えたからか。それとも私の問題だけどこかおかしかったのか。

というか幾らみんなが私よりも頭良いといっても、あんな意味分からん問題に正解出来るとは思えない。

……でも、私の答えは自分の筆跡だったしな。みんなのもそうなら、結局自分で解いたって事になるのか? 私は間違えてんのに? 何で……?



「ぐぁぁぁわかんねー……!」



普通のテスト問題ですらヒィヒィ言ってるのに、この上訳分らんオカルト問題なんて被せて来ないで欲しい。

私は頭をぐしゃぐしゃかき回しながら、黒板横の時間割をじっとりと睨む。



(……これ、たぶん他の教科もこの手の問題混じってるよな……?)



今回の中間テストは全部合わせて九科目。

むしろ社会と数学だけにあって、他の教科に無いと考える方がおかしいのだ。


……今のうちに、インク瓶にでも連絡を取っておくべきだろうか。そっと、胸元の小瓶に触れた。



(でも、まだ害みたいなの無いしなぁ……)



気味は悪いし不気味だが、現状ではまだそれだけだ。

果たして緊急連絡手段を使う程の事態なのか判断が付かず、迷い指で小瓶をくりくり弄ぶ。


なら電話でとも思ったが、次の五時限目まで残り五分を切っている。

相談するにはそもそも時間が足りなかった。



(……とりあえず、学校終わるまでは様子見すっか)



五時限目は英語で、六時限目は国語。

どちらかでテストが返って来る可能性はそこそこにあり、件の問題が載っていたなら、学校が終わってから改めて相談しよう。


まだ害が無いのであれば、それくらいの余裕はある筈――私はひとまずそう楽観する事として、募る不安から目を逸らした。






「はぁい、何か思ったより早く採点済んじゃったので、テスト返ししちゃいマッスル~」


(いきなりかぁ……)



五時限目、英語。

のんびりとした雰囲気の女性教師の宣言に、私は小さく溜息を吐いた。


……想定していたとはいえ、おなかがキリキリする。

この教師はかなりユルい人だから、採点も遅いと思ったんだけどなぁ。ちくしょう。



「――次、タマさぁん。はい、次はもうちょっと頑張りましょうね」


(さ、36点……セーフセーフ)



今度もどうにか赤点を回避出来ていたが、重要なのはそこではない。

ホッと息を吐きつつも、返された答案用紙の一番最後を確認する。


――【問】 爪先は草に触れますか?

――【答】 崖が立つ。



(やっぱりあるか……)



意味不明な問題と、頓珍漢な答え。

それらは予想通り答案用紙の端に並んでいて、大きなバッテンが付いていた。


そして教師の所から自分の席に帰るまでに他のクラスメイトの答案用紙を覗き見れば、やはり彼らも同じ設問がされていたようだった。

一律同じ答えが書かれたそれらには皆大きなマルが付いていて、私と違って正解している事が窺える。



(……『【答】 頻を蒔き、お進みください』……? なんのこっちゃ)



もはや英語関係ないじゃないか。ほんと何でこれが正解で、しかも私だけ間違ってんだ。


オカルトのテストでも頭の悪さが露呈してる気がして、なんかもうヘコむやら腹が立つやら。

その苛立ちを溜息としつつ席に着き、改めて件の問題を睨みつける。



「ぐむむむ……!」



『爪先は草に触れるか』……前の二つと同じく何を言いたいのかが全く分からず、更に苛立ちが大きくなって、



「……ん?」



ふと、眉が跳ね。

おもむろに社会と数学の答案用紙を引っ張り出し、返された順に【問】の部分を並べてみる。


――【問】 識はありますか?

――【問】 撓む櫃は上がりますか?

――【問】 爪先は草に触れますか?



(……これ、問題の中でどっかから何か出てこようとしてない……?)



ぼんやりと思考する。


……最初の問にある『識』は、素直に捉えれば知識とか意識とか認識とかの『識』だろう。

それがあるかどうかって話なら……つまり、『知識か意識はありますか?』と確認されてる。


次の問の『櫃』が、おひつ……箱って意味だとすれば、上がるかってのは……蓋?

そんで三つ目の問はそのまま、爪先が草のある地面に触れるかどうかっていう……。



(……櫃。その中に何かが入ってる。そしてそれに意識があるのか確認して、蓋を開けて外に出られるのか問いかけている――みたいな……)



……まぁ、赤点回避がギリギリである私の考える事である。

いつも通りに間違えている可能性のが高いし、そもそもテストが返された順に問が繋がっている確証もない。


考え過ぎの見当違い。そう言われても否定できないのは確かだ。

……なんだけど。



「…………」



――【答】 溝を埋め、お考えください。

――【答】 畔を放ち、身起こしください。

――【答】 頻を蒔き、お進みください


――【答】 黒。

――【答】 隙間は無い。

――【答】 崖が立つ。



……クラスメイトとの正解と、私の不正解。

それらにさっきの私の解釈を当てはめると、それぞれなんとなく意味が通ってしまう気がして、言いようのない不気味さが腹の底へと落ちていった。






――30点。


本日最後、六時限目の国語の授業。

返って来たテストの結果は、ほぼほぼ赤点の今までに輪をかけて酷いものだった。



「……、……」



もっとも、今の私の関心はそこには無い。

答案用紙の最後。きっと今回もそこにある筈の件の問題が気になり、赤点に一喜一憂している気分にはなれなかった。


……かといって、すぐに確認するのも躊躇して。

受け取った答案用紙をすぐ折り畳んで、点数以外は隠していた。



(……他、は)



そしてこれまでと同じように、またクラスメイトの答案を盗み見て――私は小さく息を呑んだ。



――【答】 おめでとうございます。



……あったのは、それだけ。


あの意味不明な【問】の類はそこに無く、正解のマルも、不正解のバッテンも無い。


ただ、おめでとう、と。

そんな祝福の一言だけが、どの答案にも【答】として記されていた。



(……何を、祝ってるんだ?)



分からない……と言いたいところだったが、そうすっとぼけるより先に、さっき考えた推測が蘇る。


……出た、のだろうか。識のある何かが、櫃の外へ。

だから、『おめでとう』……?



「…………」



恐る恐る、折りたたまれた自分の答案に目を向ける。


他のクラスメイトは、みんなこれまで件の問題に正解していた。


識があるかと問われれば考える事を促し。

櫃が上がるかと問われれば身を起こす事を勧め。

そして爪先が草に触れるかと問われれば、前に進めと導いていた。

櫃の中の何かを外に出すため、答えていたのだ。


だけど私は、その全部を間違えた。


識が無いとでもいうかのように、黒と答え。

櫃が開かないかのように、隙間は無いと答え。

踏み出す地面が無いかのように、崖が立つと答えた。

それはきっと、櫃の中の何かを閉じ込めたままにする答え。全部、真逆だ。


……なら、今回は? 

絶対に『おめでとう』なんかじゃない。私は、何と答えている……?



「…………」



軽く息を吐き、答案用紙を開いていく。


30と書かれた赤字と、比率3:7のマルとバッテン。

それらがゆっくりと光に晒され、視界を流れ――最後に、それが目に映った。



――【問】 どうして、出してくれないのですか?



「……え」



思わず声が漏れた。


答えのみが書かれていた他とは違い、私の答案に書かれていたのはその問ひとつきりだった。

解答欄も何も無く、問の内容も合わせて私はただ戸惑って。



――【問】 どうして、正しく答えないのですか?



「、は」



瞬きを一度した直後、問の文章が書き変わっていた。

その驚きでまた瞬き、文章が変化する。



――【問】 こんなにも、易しいのに。


――【問】 人であれば、間違えないのに。


――【問】 なのにどうして、答えない?



……インク瓶のインクで似たような現象には慣れているけど、それとはまた違うものに思えた。


瞬きの度に文言が変わり、そこから感じる圧も強くなって。

そこでやっと我に返って瞬きを止めるも、既に遅く。



――【問】 なぜ書き直す。


――【問】 なぜ間違う。


――【問】 閉じ込める。


――【問】 暗い。


――【問】 あけて。


――【問】 解いて。


――【問】 答えて。



「……っ」



もう、問の体すら成していなかった

単なる懇願となったそれは、明確に私へと呼びかけを続け、



――――【問】 だして。



ぼこり。

その文字に変わった直後、【問】の字そのものが膨らんだ。


まるで、答案用紙の内側から何かに押し上げられているかのように。

用紙自体は不動のまま、【問】とその周囲の紙面のみが歪み、ぷっくりと立体的になっていく。


私は半ば呆然としながらそれを眺め……やがて、『それ』に気が付いた。



(――なんだ? 字の中、何か……)



【問】の一文字。その線の隙間に、何かが見えた。


膨らみ続ける事で生まれた歪みじゃない。

【問】のパーツ、『門』や『口』の中に何かが蠢き、ちらちらとその一部を覗かせている。


『それ』が何かは分からない。

分からないけれど、その存在を認識した瞬間、酷い嫌悪感が胃の底から湧き上がる。



「~~ッ!」



そして次の瞬間、【問】は一気に親指大にまで膨れ上がっていた。


中身の詰まった水風船のように震えるそれはどんどん大きくなっていき、他の問題文やその答えを飲み込んでいく。

そしてそれに伴い、【問】の字の歪みも激しくなり、線の隙間も大きく強引に広がって――その影から、眼球のような物がこちらを、



――ダァン!!



「うわっ!? 何だ?」


「……み、御魂雲さん……?」


「…………」



……気付けば、私は答案用紙を手と机に挟み込むようにして折り畳んでいた。


天板に叩き付けた掌がじんじんと痛み、その騒音でクラスメイトや教師が何事かといった瞳を向けて来る。

しかし私に何かを取り繕う余裕はなく、折り畳んだ答案用紙を強く抑え続ける事しか出来ず。



「……っ」



そうする内、掌に何かが滲む感覚があった。


見ると、掌の下から黒と赤の混じった色が滲み、少しずつ紙を汚していく。

じわじわと、じわじわと。おそらく、畳んだ内側は酷い有様となっているだろう。


……あの【問】も、きっと二度と読めないものとなっている――。



「――ぁ」



その時、掌の下で何かが動いた気がして。

思わず身動ぎした拍子に体重が乗り、ぐちゃりと小さな音が鳴った。


すぐに手を放し身を引いたものの、それきり答案用紙に動きは無く。

そして、黒と赤に滲んだ紙を開く勇気もまた、出なかった。







『――問題だったんだから、解かれたかったんじゃない?』



メモ用紙越し。

黒いインクを繰りながら、インク瓶はそう告げた。



(……いや、もうちょい真剣にさ……)


『そう言われてもねぇ。君のヘタクソな説明だけじゃこの程度が限界さ。国語とかもっと勉強したら?』


(うるせー……)



私の抗議も意に介さず、インク瓶は文字を揺らしてイヤミを一つ。


……割とイラっと来たけれど、反面いつも通りの様子にちょっぴり心が落ち着いて。

結果私は小さくもごもご毒づきつつも、詰まっていた息をここでようやっと吐き出した。



――あの【問】を答案用紙ごと潰してしまったその直後。

私は周囲を誤魔化しつつもすぐにメモ帳と小瓶を取り出し、インク瓶に助けを求めた。流石に躊躇っている場合ではないと悟ったのである。


そうしてどうにかこうにか事情を伝えたところ、返って来たのは先の一言。

動揺してたし、多少変な説明をしてしまった事は自覚しているけど、いくら何でも適当すぎやしないだろうか。


こっちとしてはかなり怖かったんだぞ――そうぼそぼそと文句を付ければ、黒いインクが溜息を吐くように小さく揺れた。



『僕としても、そうとしか言えないんだよ。さっき問題の答案用紙をインクで調べたけど、特に異常は無かった。滲んでいる黒と赤の液体もただのインクだ。直接調べたら分からないけど、遠くからじゃどうにもね』


(……あんたワープとか出来ないの?)


『↑天晴バカ一代』



メモ帳を破りそうになった手を抑えていると、インク瓶はやれやれと首を振るように文字を崩す。



『まぁ大方、その【問】のオカルトは、テストという場と君達の頭を借りて、知らない内に自分を解かせたんだろう。何の目的かは判然としないが、逆に言えばそうでもしなければ何も出来ない存在だったともいえる。そして君のクラスメイトの子たちの答案から【問】が消え、君の答案用紙にも何も感じない以上、もう気にする必要も無いと思うよ』


(……頭を借りたってのが怖すぎるんだよなぁ)



とはいえ専門家にそう言われてしまえば、私に言える事は何も無い。

机の端に追いやった黒と赤でぐちゃぐちゃの答案用紙から目を逸らし、溜息を吐いた。



(……くそ、でもほんと気持ち悪いな。何がしたかったのかもそうだけど、私だけ全部間違えてたってのも……)



思い返すと、不気味さと一緒にムカついても来る。


何だっけ。『人であれば間違えない』だっけ?

そんなのまるで私が人間じゃないみたいじゃないか。人の頭使っといて失礼な言い草である。


そうぷりぷり愚痴っていると、インク瓶の文字が何故が一瞬凝固した。

しかしすぐに崩れ、硬いフォントで新しい文章を並べだす。



『……そうだね。君には酷な話になるけど、いい機会だ。話しておこうか』


(……な、なんだよ。改まって)


『その……言い難いんだが、実は君……頭がちょっと、いや、オカルトすら持て余すほどに悪、』



ぱたむ。

全て読む前にメモ帳を畳み、荷物の中に放り込んだ。


まぁ、これ以上何も起きないんならそれでいいや。貧弱眼鏡はお役御免である。クソがよ。



「……はぁ」



そうして一息つくと、ふと例の答案用紙が目に入る。


もう文字の一つも読めない、役立たずの答案用紙。

間違い直しも出来なければ、赤点じゃない以上再び解きにかかる事も無い。


……潰された【問】も、二度と解かれる事は無い。



「…………」



――こんなにも、易しいのに。


――暗い。あけて。


――解いて。



「…………授業、ちゃんと聞こ」



なんとなく、そう思い。

私はテストの解説をする教師に意識を向け、改めてノートを開く。


あの【問】の解説は――やっぱり、される事は無かった。





主人公:結果として赤点は二個に留まった。本人的には一歩前進した感はあるようだ。


足フェチ:当然赤点は無く、全て80点以上。保健体育は満点だ!


陰気な教師:主人公のテストが結構頑張ってて若干感動したようだ。

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