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異女子  作者: 変わり身
49/100

「ガンバレ」の話(下)




「――あれ、もしかしてタマちゃんっておバカキャラで売ってる?」


「イヤリング耳たぶごと引き千切ったろか」



翌日。とあるカフェの一席。

私が必死こいて挑んでいる問題集を覗き込みながら、黒髪女はそんな事をのたまった。



「やー、だってタマちゃんの見た目ってなんかこう、天才っぽいじゃん。中身ヤンキーって言っても、テストとかフツーに一番なんだろうなぁって思ってたんだけど……うわぁお」


「う、うっさいな。見んなよ、あっち向いてろよ……」



ボロボロの回答欄を見て変な声を出す黒髪女に恥ずかしくなり、問題集へと覆い被さり目隠しをする。

すると黒髪女はそんな私に狐のような笑みを向け、形の良い胸を張った。



「ワタシね~、これでも結構な才女ちゃんなんだなぁ。あの子にも教えてたから慣れてるし、ここで一緒になったのも縁って事でお姉さんが勉強教えてあげるよお?」


「あんたが無理矢理引っ張って来たんだろうが……!」



『あの子』と口にした時、手荷物を撫でた事には気付かなかったフリをして、じっとり睨む。


……まぁ、とはいえありがたい申し出である事は間違いは無く。

私はどうにも釈然としない気持ちを抱えつつ、渋々と問題集から身を起こした。





黒髪女と会ったのは、学校帰りの道すがらだった。

昨日買えなかった参考書を改めて見繕いに行く途中、街中でばったりと出くわしたのだ。


以前のように待ち伏せされた訳ではなく、完全な偶然。

咄嗟にくるりと背を向けた私だったが、黒髪女は俊敏な動きで私を背中から抱きすくめると、そのまま抱えて少女誘拐。

当然抵抗したし、彼女を傷つけない程度にじたばた暴れもしたけれど……結果として圧に負け、一緒にお茶する事になってしまった。


なんでも、以前の一件の後に二週間ほど休学していた結果、様々なスケジュールが乱れて苦労しているらしい。

おまけに例のビルのアレコレがお茶の間のニュースで取り上げられた影響で、大学内で多少の噂が立ってしまい居心地も良くはないそうな。

それら諸々のストレスの気晴らしに、しばらく付き合って欲しいとの事だった。


それで何で私なんだ……と思わなくもないけれど、彼女の気持ちも私としてはよく分かってしまった。

仕方なく話くらいは聞き流してやる事として、その傍らで問題集を広げていた訳である。





「……そういやさー、あんたってアニメキャラみたいのとか詳しい?」



そうして黒髪女に勉強をみて貰い(コイツも教え方上手かった。ムカつく)、小休憩を挟んだ際。

注文した飲み物が届くのを待つ最中、私は机に突っ伏しながらそう問いかけた。



「えー? まー流行ってるアニメの映画は結構見てるし、普通くらいだと思うけど……なんで?」


「いや、だったらこんなん知らんかなって」



サラサラと問題集のページの端に落書きをする。

四角い頭、ライトの目、ぜんまいの耳に、頭頂部から突き出たよく分かんない長方形……。


ここ連日立て続けに目撃した、謎の応援ロボットの顔だ。



「あらかわいい、けどなーにこれ」


「昨日おとといからこんな人形よく見かけんだよね。すげーがんばれって言ってくる青いロボットなんだけど、何か分かる?」


「……うーん、見た事ないかなぁ。教育テレビでやってそうな感じはするね」


「ちょっと気になって調べてんだけどさ、全然出て来ないんだよなー……」



その特徴的な姿形ならすぐに分かると思ったのだが、幾ら探せど名前どころか画像一つすら見つからない。

そうなると痒みにも似たもどかしさが募り、別にそれほど熱心になってる訳でも無いのに、手すきになる度ちまちま探し続けてしまっていた。



「保育園にもあったし、子供向けの何かだと思うんだけど……」


「ゲームとかのキャラかもよお? ポップなキャラが出て来るホラーゲーム、今ちっちゃい子中心に人気なんだってさ。知らないけど」


「保育園児がホラーゲーム……?」



お互い疎い者同士、首を傾げ合うけれど、当然これといった答えを出せる筈も無く。

あーでもない、こーでもないと、半ば雑談に移行しつつもそのままダラダラ話を続け、



『――ガンバレ!!!』


「!」



カフェの店内から声が響く。


男か女かも分からない、ざらついた機械音声。

急いでその方向を振り向けば、そこにはたった今話題にしていた青いロボットの姿があった。



『ガンバレ ガンバレ マケルナ ガンバレ イケル ヤレル だから ガンバレ ガンバレ――』


「……、……」



私達の座るテーブル席から離れた、窓際のカウンター席だ。

そこで俯いている若い女性の傍らに件のロボットが転がり、前と同じくガンバレガンバレと大音量を張り上げている。


噂をすれば影とはこの事だろうか。ちょいちょいと黒髪女の裾を引く。



「ねぇほら、あれ、あれ」


「え、どれ?」



いやあんただって聞こえてんだろこの応援。

そう思ったが、しかし彼女は響き渡る大音量をまるで気にした様子もなく、キョトンと首を傾げた。



「えっとお……どこ?」


「はぁ? や、だからあそこだよ、あの俯いてる女の人の横でうるさいヤツ……」


「……んんん~?」



何度も青いロボットを指さすものの、どうしてか黒髪女の視線がそこに行かない。


またからかってんのかとイラついたけど……どうもそんな雰囲気ではないようだった。

片耳で光る薄紅色のイヤリングにそっと指を這わせながら、集中するように眉間にシワを寄せている。


そしてそのまま少し経ち――やがて、諦めたかのように首を振った。



「……ごめんね、やっぱ分かんないや」


「は、いや……なんで? 聞こえるだろ?」


「う~ん……確かになんか、ぼんやり気配っぽいのがある気がするけど……やっぱり何もみえないし、声とかも聞こえないかなー、なんて……」


「…………」



黒髪女は段々と尻すぼみになりながら、気まずげに私を見る。


……ええと、なんだ。

私はみえるし聞こえてるけど……コイツにはみえないし、聞こえてない……?



『ガンバレ ガンバレ イケル イケル だから イケ イケ ヤレ ヤレ――』


「…………」



恐る恐ると周囲を見れば、他の客やウェイターもロボットの声を気にした様子は無かった。

いや、気にしてないというより、そもそも聞こえていない感じ。


……私にしか感知できない、姿と声――それは、つまり、



――ガタン!



「っ」



ロボットの応援を遮るように、騒音が鳴った。

見れば、その応援を受けていた女性が唐突に立ち上がり、中空を睨みながらぶつぶつ何かを呟いていた。



「……そう、そうね……そう……だから……」


「お、お客様? どうかなさいましたか?」



その尋常ではない様子にウェイターが声をかけるも、反応は無い。

店中の視線を集めたまま、女性はのろのろと立ち去って行った。


……彼女の座っていた席に目を戻してみれば、そこに青いロボットの姿は無く。



「…………」


「…………」



ちらり。

どこか微妙な雰囲気になった店内で、私と黒髪女はどちらからともなく目を合わせた。






それから届いた飲み物を一気飲みし、私達はそそくさとカフェを後にした。

店内が変な空気になって居辛くなったというのもあるが――大きな理由は、あの青いロボットの『居た』空間から早く離れたかったからだ。



「――オカルトだよなぁ、アレ……」


「……やっぱり、そういう感じ?」



街中。溜息混じりのその呟きに、流れのままついてきた黒髪女が反応する。


私にだけ認識できて、黒髪女や他の人らが認識出来ていなかったのなら、十中八九そうだろう。

あのチープな見た目に騙されていたようだ。もうちょいハッキリ異常であれや。



「普通にそういうおもちゃだと思ってたのに……」


「まーでも、何もされなかった……んだよね? カラオケの時みたいな、人が死んじゃうようなのにならなくてよかったあ」



黒髪女は慰めるようにそう言うが、どの口でほざいとんじゃい。

過去の行いを全く悪びれた様子の無い彼女を半眼で眺めつつ……とはいえ、その通りだと鼻を鳴らした。


思い返せば、これまであの青いロボットがやった事と言えば、誰かを応援する事だけだ。

さっきの女性や一昨日のサラリーマンはそれで変な感じになっていたけど……昨日の保育園児の様子を見た限りでは、二人もそう悪い事にはなってないんじゃないかとも思う。



(たぶん……人を応援してやる気にさせるみたいな。そんなヤツっぽい?)



猛獣か小鳥かで言えば小鳥タイプ。

今まで出会ってきた軽率に命を脅かしてきやがるオカルトと比べれば、無害どころかある種有益と言っても良い。


おまけに私に直接絡んで来る訳でも無く、ただ単に見かけるだけだ。

多少ゲンナリとはするものの、これまでよりも幾分か気楽ではあった。



「……はぁ。まぁいいや。無視してりゃその内消えるみたいだし、あんま深く考えんのやめよ」


「ふーん? じゃあ別のとこでお勉強の続きする? 今日一日はチートデイだから、幾らでも付き合ったげるよお」


「バカカロリーのスイーツか私は……」



正直もう勉強という気分でもないけど、テスト前に遊びまわる気にもなれず。

私はもう何度目かも分からない溜息を零しつつ、勉強するのにちょうどいい場所が無いか探し始めたのだった。





……そして、その日の夕方。この街でひとつの殺人事件が起きた。


痴情のもつれで、女性が恋人の男性を刺殺したというその事件。

ニュース番組の中、テレビの画面に映った犯人の顔は――カフェで青いロボットに応援されていた、あの若い女性のものだった。







「やあやあタマ吉くん。髭擦から聞いたけど、最近勉強頑張ってるみたいじゃ~ん? えらいね~。でもだったら一番に頼るべき友達が居るんじゃあないかね? 例えばアタシとか、もしかしてアタシとか、なんとびっくりアタシとか! 水臭いじゃん頼んなってば~、ちゃんと教えるからさ~、ふくらはぎで手を打つからさ~。ねねねねいいじゃんいいじゃん放課後勉強か……あれ、居な~い!!」



また翌日の金曜日。

私は放課後になるや否やダル絡みして来た足フェチをすり抜け下校しつつ、スマホに映るとあるネットニュースの記事を眺めていた。



(やっぱ、あの人だよな)



昨日の夕方にこの街で起きたという、殺傷事件。

恋人を刺し殺したその人物の写真は、同じ日に私がカフェで居合わせた、例の青いロボットから応援されていた女の人だった。


最初は気のせいだとも思った。けれど服装や顔つき、そして何よりギラついたその瞳……。

今日一日、様々なサイトの記事を確かめたものの、やっぱり見間違いという事も無さそうで。



(……あのロボットの、応援で……?)



疑ってしまう。


けど、どうなんだ。あの応援で背中を押された後に紆余曲折あり、別のきっかけで殺人へと至った可能性だってあるんじゃないのか。

カフェで聞いた「ガンバレ」が殺人の背中を押したのだとは現状では断定出来ず……あの保育園児の結果を思い出すと、あんまりそう思いたくない自分も居たり。



(……きもちわるいな)



私自身にはちょっかいをかけられていないというのに、だからこそ気味が悪い。


あの青いロボットは何故応援しているのか、応援された人はどう動くのか。

保育園児の子は私と重なるものがあったから色々分かりやすかったけど、残りの二人については裏で何があったのか分かんなくてクソ不気味。


オカルトってのは直で絡んで来なくても、それはそれでイヤなもんだと改めて感じた。



「…………」



スマホをしまい、周囲を見回す。


あの青いロボットはここ数日の間、毎日私の前に現れている。

今日だけ現れないとは考え難く、嫌でも周りの様子を探ってしまう。



(……つっても、また出たところで何すりゃいいんだ)



逃げるのか、それとも何とかするべきなのか。

多くの事がハッキリせず、そして私自身に害が及んでいない現状、動き方にも迷う。


無駄にキョロキョロしつつ帰り道を歩き、しかし青いロボットの姿は見つけられず。ただ時間と気力を浪費し続けて――。



「……ん」



そうして通学路途中にある長い橋を渡っている最中、欄干に佇む人影があった。


ブレザー型の制服を着た、高校生くらいの少年だ。

どんよりと陰鬱な空気を纏った彼は、虚ろな表情で橋の外を眺めているようだった。


手すりに手をつき、微動だにせず。その暗い雰囲気と合わせ、何やら思い悩んでいる事が傍目にも察せられる。


……まぁ、何か、色々あるんだろうな。高校生って勉強も大変そうだし。

私はそれ以上気に留める事も無く、ただ通り過ぎ――。



「…………、」



ぴたり。

ある程度まで近寄った時、それに気付いて足を止めた。


……少年の制服の胸ポケットに、青いロボットが収まっている。



「…………、…………」



視線がぶれ、心臓が跳ねる。


これまでと違い、青いロボットはピクリとも動かず沈黙を保っている。

逆にそれが不気味で仕方なく、不用意に近付く事は躊躇われた。



(……けど)



かと言って、引き返すのも気が咎める。


だってここは人気のない橋の真ん中で、少年は陰鬱な雰囲気で、橋の下に流れる深い川をじっと眺めてる。

……そしてそこに、青いロボットが紛れ込んでるんだ。あの、応援をする、ロボットが。



「――……」



……イヤな、とてもイヤな予感がする。


そんなの杞憂だ。妄想だ。そう自分に言い聞かせようとするけど、上手くいかない。

反対に、昨日のカフェでの女性の様子と彼女が犯した殺人のニュースとが、代わりばんこに脳裏をよぎり――。



「っ」



ぐるん。

突然、青いロボットの首が回り、私の方を向いた。


その目はぴかぴかと光り、その耳はくるくると回る。

まずい。どうしてかそう思い、前後どちらに進むべきかも定まらない足に力が籠もって、



『――ガンバレ!!!!』


「!」



ロボットが叫び、その目と耳がぴかぴかくるくる激しく動く。

それと同じく少年の目に光が灯り――おもむろに欄干によじ登った。



「な、ちょっ――」


『ガンバレ ガンバレ デキル デキル イケ イケ イケ イケ!!』


「っ、だあもう!!」



そして応援に煽られるように、少年は橋の外へと身を乗り出す。

流石に傍観している場合でもなくなり、すぐに駆け寄り少年の腰元へと抱き着き抑え込む。が、



「――っぐ!? は、つよ……ッ!?」


「……っ……」



引き戻せない。

体勢の問題もあるのかもしれないが、少年は私の膂力に拮抗する力で抵抗し、少しずつ身体を橋の外へと出していく。


欄干の鉄柵部分に足を突っ張り何とか引き留めるけど、これが今の限界だった。



(くそ、コイツひょろっこいのに、なんでこんな……ロボットのせいか……!?)


『ガンバレ ヤレル デキル ガンバレ ガンバレ だから ガンバレ!!!』



というか、そうとしか考えられない。

ロボットの応援が響けば響くほどに少年の力が強まっていき、抑え込む腰元からメキメキと骨の軋む音が鳴る。



『ガンバレ ガンバレ イケ ヤレ ススメ イケ だから ガンバレ ガンバレ!!!!』


「く、の……! じ、自殺の応援なんか、してんなってぇ!!」


『ガンバレ ガンバレ だから ガンバレ! ガンバレ! ガンバレ! ガンバレェ!!!!』



苦し紛れにロボットに毒づくけど、当然応援は止まらない。

それどころか更に激しく悪化して、少年の身体が大きく傾ぐ。


橋の下の川は、底が見えない程度には深くて流れも速い。私一人なら何とかなるだろうけど、少年を抱えて泳ぐのはたぶん無理。

だってもし自殺を応援されているのであれば、きっと自分から溺れに行こうとする筈なんだ。地上でさえこうなってんのに、水の中でどうにか出来る自信は無かった。



(このっ、助け……近くに誰かっ、『親』は……!?)



限界まで目を見開いて周囲に視線を走らせるけど、しかし付近に人影は見当たらず、『親』の無表情も無い。


いつも呼ばなくたって来る癖に、何でこういう時だけ居ないんだよ……!

思わず舌打ちが出かけるけど、そんな乱れすら惜しい。つっかえにしている足が少しずつ折り曲がっていくのが感じながら、ただ焦る。



(どんだけだよ……! 流石にそろそろキッツいって……!!)


『ガンバレェ!! ガンバレェ!! ガンバレェェ!! だから ガンバレェェェ!!!!!』


「ぁ……あ……あ――ぐぷ」


「っ!?」



突然聞こえたくぐもった声に視線を上げれば、少年の顔色が真っ青になっており、口からは吐瀉物が漏れていた。

どうやら強く抑えすぎたせいで、圧迫された内臓が悲鳴を上げているらしい。


これ以上力を入れ続ければ、今度は私の方が彼を殺してしまうかもしれない――。

思わず力を緩めかけ、瞬間、少年の身体が一気に前へと飛び出した。



「――っ、ば……!!」



慌てて力を入れ直す。

元の位置に引っ張り戻す事までは叶わなかったが、それでも落下はどうにか防げた。


けれど代償として少年の腹部に私の腕が深くめり込み、更に内臓を圧迫。

また吐瀉物が零れ落ち、衝撃にガクンと揺れた首の動きに合わせてこっちの方にまで飛び散って、



「――っ」



――少年の片手。

欄干を強く握り締めるそれに降りかかった吐瀉物が、その指を僅かに滑らせた。



「――う、ああああああああああっ!!」



叫ぶ。

咄嗟に腰元から腕に飛びつき、握りの甘くなった手を欄干から引っぺがし。そのまま無理矢理後ろへぶん投げた。


その勢いでもう片手も欄干から剥がしたかったところだけど、それでも少年の手は離れなかった。振り子のように身体が振り回され、変な風に肩を捩じらせながら欄干の根元に叩き付けられる。

しかし何一つ痛みを感じていないかのように、すぐに起き上がりまた橋の外へ飛び降りようとして――それよりも早く、私はその背に飛び乗った。



「んのっ――!」


『ガンバレェェェ!! ガンバレェェェ!! ガンバ――』



そしてすぐさま胸ポケットに手を回し、喧しく騒ぎ続けている青いロボットを引っこ抜く。

途端尻の下の抵抗が強まり、慌てて抑える力を強めた。



(コイツのせいでこんな事になってんだ! だったら――!)



悠長に電源やら何やら探している暇はない。

ともすれば弾き飛ばされかける身体をいなし、欄干の外、流れる川に狙いをつける。


そんなに飛び降りたけりゃお前だけでいっちまえ。

心の中でそう叫びながら、私は大きくロボットを振りかぶり、



『――ガンバレェェェェェェェェ!!!!』



――投げる寸前、耳元で響く一層大きな絶叫が、私の脳みそを貫いた。



「がっ――」



脳が、眼球が揺らされる。

全神経が攪拌され、一瞬で身体の自由が奪われる――。


……振りかぶらず、すぐにそのまま放るべきだった。

そう自分の迂闊さを呪った時にはもう、ロボットは私の手から零れ落ちていた。



『ガンバレェ!! ガンバレェ!! だから デキル!! ヤレル!! だから ガンバレェ!! ガンバレェ!!』


「っぁ、ぅ、ぎ――」



ロボットが何かを叫ぶ度、粉が吹き散らされるように意識が薄れていく。

なのに心は高揚し、無尽蔵のやる気に満ちる。


――応援されているのだと、強烈に自覚した



『ガンバレェ!! ガンバレェ!! ガンバレェ!! だから ヤレェ!! イケェ!! だから ガンバレェ!! ガンバレェェェ!! だから――』



でも、だったら、私は何を応援されているんだ?


応援してるなら、何で私の行動を止めた。そのまま投げさせてくれなかった。


分からない。分からなくて、分からず、やがてはその疑問すら薄れて消えた。


頭の中には機械音声の応援だけが跳ねまわり、どんどんと大きく、音割れすらも伴って、



『ガンバレェェェ!! ガンバレェェェ!! だから ガンバレェェェ!! ガンバレェェェ!! ガンバレェェェェ!! だから ガンバレェェェェェ!! だから ガンバレェェェ!! ガンバレェェェェ!! だから ガンバレェェェェェ!! ガンバレェェェェェェ!!!!』



……だから、の一言だけが、やけにハッキリと聞き取れた。


男性の低い声。

感情も抑揚も無く、小さく落ちるただの呟き。


応援がうるさくなりすぎて、もう雑音としか認識出来なくなった中、そうじゃないものがよく響く。


……だから。


だから、だから。


だから。だから。だから――


だから、


だから        だから             だから  



   だから             だから            だから



          だから             だから       だから


   だから              だから        だから    


だから          だから            だから



       だから            だから        だから


だから          だから          だから


        だから        だから          だから   







                              だか






「――ぁ?」



……気付けば、私は立っていた。


さっきと同じ、橋の上。

どうしてか全身汗まみれで、へとへとに疲れ切っていて、どくどくと心臓が脈打っている。



「……え、は?」



……何だ。何が、起きた?


意味が分からなかった。

乱れ切った呼吸を整えながら、迷子のように辺りを見回す。



(あの高校生は――居る。さっきと同じとこで……倒れてて、いや、つーか、ロボット、どこ――)



――ぴちゃり。動かした足元で、何か湿った音がした。



「………………………………………………、」



ゆっくりと、視線を下ろす。


最初に視えたのは、黒ずんだ赤色。水たまりのように広がるそれが、私の足元を汚していた。


血だ。生臭さも何も無いのに、そう確信する。

そして、その無臭の血だまりの中に――それは力なく浮いていた。



『ガン  。ガ  。 ン。 ン』



あの、青いロボットだった。


無残な姿だった。

頭も胴体も、まるで滅茶苦茶に踏み砕かれたみたいに潰されて。そうして歪んだその隙間から赤色の液体を垂れ流し、周囲には部品らしきネジと歯車とが臓腑のように散らばっている。


ぴかぴか光る目も、くるくる回る耳も、全部壊れて動かない。

その機械音声もノイズだらけで、元々聞き苦しかったものが輪をかけて酷い音質となっていた。



(……は、なんで……え、いや……ま、まさか……?)



立ち上がり、疲れ切った身体と、汚れた足元――。

恐る恐ると足の裏を見れば、真っ赤に汚れた靴底に小さなネジと青い欠片がめり込んでいる。


……私がやった、のか?

こんな疲弊するまで、全力で、壊れたガラクタになるまで踏んづけた?


状況的にも物証的にもそうとしか思えないけど、その記憶が全くない。

確か、ロボットに応援されてた筈だから……それでこうなったって?


――ロボットが、自分が壊される行為を応援した?

そんな事あるか? 幾らオカルトが訳分んないものだと言っても、そんな、自殺みたいな――。



『――ヨクゾ ヤッタ』


「っ!?」



突然、ロボットが声を発した。



『ヨクゾ ヤッタ ヨクゾ ヤッタ ヨクゾ ヤッタ ヨクゾ ヤッタ』


「う……」



同時、潰れた頭部がぎこちなく回り、割れたライトの目が私を見る。

その不気味さに後退る私をよそに、ロボットはさっきまでの様子が嘘のような大声を上げ続ける。


やっぱり酷いノイズで聞き取り難かったけど、言葉自体は何故かハッキリと分かる。


それは応援でもなければ、己を壊した者への呪いでもない。

ただ――頑張った者への、労いだった。



『ヨクゾ ヤッタ ヨクゾ ヤッタ ヨクゾ ヤッタ ヨクゾ ヤッタ ヨクゾ ヤッタ ヨクゾ ヤッタ ヨクゾ ヤッタ ヨクゾ――』


「……、……」



機械的に、一定に。ロボットはロボットらしく、同じ文言を繰り返す。


反応なんて出来る筈も無い。

棒立ちのまま、本当に、まるで意味の分からないそれを受け止め続けるしかなくて。



『――よくも、やった』



――そうして、ロボットが単なる残骸となり果てる、その間際。

男性の低い声が、ノイズの隙間に聞こえた気がした。


……私はやっぱり動けずに、荒い呼吸で立ち竦み。

ずっとずっと、もう動かなくなったロボットを見つめ続けていた。







それから暫くして、ようやっと我に返った私はすぐに救急車を呼んだ。

色々と気になる事はあったけど、意識の無い高校生の少年を放っておくのは流石に気が咎めたのだ。


そうして到着した救急車に少年を押し込み見送って――ふと、ロボットの居た場所に目を戻せば、そこには何の痕跡も残ってはいなかった。

ロボットの残骸は勿論、血だまりも何もかも、綺麗さっぱり消えていた。


……結局、今回の一件について私が分かった事は何一つ無かった。


あの青いロボットはどういったものだったのか。何のために人を応援して、何故労るのか。

あの機械音声に混ざって聞こえる男の声は誰のもので、「だから」にはどんな意味があったのか――それら全部、闇の中。


なんというか、いつぞやの張り紙の時のようなモヤモヤ感。

……とはいえ、下手に深く関わらずに済んだと考えれば、これはこれでよかったのだろう。


だって私には、オカルトなんかに脳のリソースを割いてる余裕なんて無いんだ。

中間テストがもうすぐそこまで迫ってる今、一個でも多くの漢字を覚え、一つでも多くの公式を暗記しなくちゃいけない。


テスト範囲外の事なんて、勉強したってしょうがなし。

とりあえずそういう事で茶を濁し、私は怖いもの見たさに蓋をしたのであった――。






(……なんて、綺麗に割り切れりゃよかったんだろうけどなぁ……)



で、迎えたテスト当日、月曜の朝。

玄関の中でしゃがみこみながら、私は陰鬱極まる溜息を吐き出した。



(……週末、ぜんっぜん集中できなかった)



言うまでも無く、あのロボットの一件が尾を引いていたせいである。


たぶん、目を離した隙に残骸が消えてたのがだいぶ良くなかったと思う。

ふとした時に「またどっかに落ちてないよな?」と不安を煽られ、その度に集中力にリセットがかかるのだ。


おかげでここ二日のテスト勉強はものの見事に捗らず、今日という日を不安と共に迎える羽目になってしまった訳である。これだからオカルトはほんともう。



「……どうした。行かないのか、学校」



そうして玄関でグダグダしていると、廊下の奥から『親』がひょっこり顔を出す。

どうやら、いつまでも出発しない私を怪訝に思って来たらしい。さっきとは別の理由でウンザリとする。



「体調が悪いのであれば、我々が送迎……いや、欠席しても良いと思うが」


「ちげーっての。悪いのは体調じゃなくて頭の方だよ」


「……それは頭痛という――ああいや、そうか。今日からテスト週間だったか」



途中で私の言わんとする事を察したのか、『親』はあっさりと心配を引っ込め首肯する。


……言い出したのは私とはいえ、すんなり納得されるのもムカつくんですけどねぇ。

そう若干ピキピキしていると、『親』が私をじっと凝視する。


『うちの人』時代以来、数か月ぶりのその視線。

何となく成績の事で責められているような気がして、目を逸らす。



「……な、なんだよ。そんな風に見たってどうにもなんないんだからな。私だって好きでバカでいる訳じゃ……」


「その点に関して、お前が深刻に捉える必要はない。ただ……どのような成績であっても、我々からは小言や説教の類はないとだけ覚えておきなさい」


「え? あ、あぁ……そう、なの……?」



しかし思っていた事とは真逆の事を言われ、面食らう。


……何だろう。何か、違和感がある。

けれどそれがハッキリとした形を成す前に、「だが……」と続き、



「お前が決して腐らず勉学に励んでいた事は、我々も把握している。何点であろうが構わない……などと気を削ぐ言辞もまた、無い。()()()――」



……少しだけ、言い訳をさせて貰えるのならば。


私はここ二日、例のロボットの事を度々思い出していた訳で。

ビクビクしたり、イライラしたり、割と結構なストレスを受けていた訳で。

多少敏感になっていたとしても、まぁしょうがないんじゃないかなって、そう思う訳で、つまり――。



「――()()()()()()()()()



――そう珍しく素直に「応援」して来た『親』に、ものすんごい形相を返してしまったのだとしても。

なんというかそれはもう、いっそ不可抗力だと思うのだ。



「――――」


「……あっ、あーいや、そのぉ……い、いってきまーす」



ハッと慌てて取り繕うも、もう遅く。

私のガン付けにピシリと固まり、無表情のまま動かなくなった『親』にいたたまれなくなって、私はそそくさと玄関の外へと飛び出した。



「……なぜ……?」



……そうして、完全に扉が閉まり切る寸前、隙間から流れたそんな声。


抑揚が無い一方、平地ですっ転んだ時のような情けなさを感じさせるその声音に、流石の私も玄関の扉越しに手を合わせたのだった。

いやごめんて。


主人公:テストの手ごたえは良くなかったが、先月のよりはマシな気がするようだ。


髭擦くん:テストの手ごたえはまぁまぁだったようだ。まぁまぁ。


犬山くん:テスト中、鼻歌混じりにペンを走らせていたようだ。


足フェチ:テストでは毎回学年20位以内には入っているようだ。


黒髪女:親友が隣に居ない大学生活にまだ慣れていないらしい。


サラリーマン:営業と顧客の狭間で苦しむおっさん。今回大戦果を上げたらしい。


保育園児の女の子:引っ込み思案な子。今回の事で友達が増え、少しずつ明るくなっていった。


殺人犯の女性:恋人の気持ちに気付いていた女性。本当に愛していた。


高校生の少年:普通の男の子。ちょっと嫌な事が起こる度に「しにてー」と言って笑っていた。


『親』:どうして……。



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