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異女子  作者: 変わり身
45/101

【私】の話(中⑮)

7




「――おかえりなさい」



どこかの部屋の扉が開く。

そこには(えだなし)と名付けられているらしい『うちの人』の身体の一つが席に着き、こちらに視線を向けている。


以前に見た無表情とは違う、真剣味を帯びた顔だった。



「……あの子、どうだった? 怪我の具合は分かってるつもりだけど、その……」


「起きた直後は取り乱していたけど、今は落ち着いてる。身体も心もタフだね、彼女」



対するインク瓶は少しだけ砕けた口調でそう答え、後ろ手に扉を閉めるとソファか何かに腰掛けた。

『うちの人』はホッとしたように息を吐くと、表情を柔らかく緩ませる。


……これが前に聞いた、身体ごとの人格ってヤツなのだろうか。


それを眺める私は、その可愛らしい微笑みにどうしようもない気味の悪さを感じ、そして十という一人の人間がそこに居るのだと錯覚した。



「よかったぁ……。ありがとう、みていてくれて。私たちが傍に居ると、逆に負担になっちゃうと思うから……」


「残念だけど、あまり安心してもいられないんだ。少し、厄介な事になっている」



インク瓶は安堵する『うちの人』……いや、十にそう水を差し、さっき私から聞き出した話と、それを踏まえた推測を簡潔に伝えた。


元はとっ散らかった言葉の羅列と、まどろっこしい長話だった筈なのに、彼から語られるそれらはもの凄く分かりやすく整理整頓されていて、要点をきっちり纏めた『報告』となっていた。

当然私の時より百倍速く話は終わり、それを聞いた十の微笑みが不安に曇る。



「そんな……あの子と『くも』の縁が、まだ……? ど、どうにかしてあげられないの……?」


「本人が今の状態を受け入れているからね。僕としては、あまり強制はしたくないな。……きっと、今の彼女に必要なものでもあるんだろうからさ」


「でも…………ううん、わかった、何でも無い」



そう肩をすくめるインク瓶に、十は不満そうに口籠ったけど、しかしすぐに受け入れ黙り込む。

その短いやり取りに、彼らの間で積み重ねられた理解と信頼のようなものが垣間見え……友人という関係性をまざまざと突き付けられた気がして、口がへの字にひん曲がる。



「とりあえず、あの噴水はもう使えなくしているんだろう?」


「うん。故障って事でやっと水が抜けたから、あとは撤去するだけ。それは流石に一日二日では難しいけど」


「……まぁ、問題ないと思うよ。あの子に利用出来なくなればそれでいい訳だから」



インク瓶は心なし大きめの声でそう言って、「聞こえたかい?」とでも言いたげに丸眼鏡を揺らす。

また勝手が出来ないよう、今度こそ完全に手を打たれてしまったようだ。


……これで私は、単眼(あかねちゃん)を探しに地下へ行けなくなった。

正直、怒りや憤りが無いと言えば嘘になるけど――それと同じくらい、ホッとしている私も居た。


――今、私を捉えているのがどっちなのか、まだ定めないでいられる。

その時間が、ありがたかった。



「行方不明扱いの査山銅と、その家族の処遇についてはもう決めたの?」


「ええっと……何日か後に今回遣った身体の何割かを集団失踪事件として発表させるから、それに銅ちゃんの件も絡めようかなって。どう収めるかはまだ検討中……」


「そのあたりは僕に口出しする権利はないけど……出来る限りの配慮と気遣いをしてあげて欲しい、とは進言しておく」


「うん。異ちゃんに、沢山良くしてくれた人達だもんね……」



十は寂しそうな表情を浮かべ、肩を落とす。


遺されたあかねちゃんママ達は、悪いようにならない。

何がどうなるかは知らないが、つまりそういう事だろう。


それ自体は私にとっても喜ばしい事だったけど……あの優しい人達がこれから悲しむ事になるのだと思うと落ち込んで、すごく気分が悪くなった。



(…………)



……いや、ちょっと違う。

落ち込んでるのはそうだけど、すごく気分が悪くなってるのはもっと別の理由から。


そう――単純に、十の事が気持ち悪くて堪らない。


なんなんだよ、その喋り方、表情、動き方……!

馴れ馴れしく私やあかねちゃんの名を口にしやがって、私を想ってるみたいに振る舞いやがって。酷いノイズだ。

激しい違和感と、言いようのない苛立ちが、胸の奥から湧き上がって止まらない。


そうしてイライラ歯ぎしり立てていると、向こうでそれを感じ取ったのかそうでないのか、インク瓶が呆れ混じりの溜息を吐いた。



「……あのさ。それだけ彼女を……自分の娘を気にかけられるのに、どうしてあんな態度になるんだ」


「え……な、何が?」


「とぼけるなよ。君があの子と顔を合わせた時の、意味の分からない鉄仮面状態の事に決まってるだろ」



唐突に突っ込んで来た。


思わず一瞬呼吸が止まるが……私もずっと気になっていた事だった。

それを真正面から問いかけられた十は小さく呻き、顔を逸らす。



「いい加減、何の問題があるのか話してくれない? 今回の事だって、君達のその関係の拗れが物事を面倒にしていた部分もある。これからは僕もそれに付き合うんだから、そろそろ聞いておきたいんだけどもねぇ」


「……よ、よその家庭事情に踏み込むの、いかがなものかなーって……」


「この怪我、それでチャラ」


「うっ」



トン、トン、と視界が揺れる。


たぶん、インク瓶が頭の包帯を叩いたんだろう。

……そういや、その怪我についても聞きそびれてたっけ。



「……でも、あの時突き飛ばさなかったら、『くも』の穴に落ちてたもん……」


「それでもねぇ。いやー、あれは痛かったナァ。何メートルくらい飛んだかナァ。あれだけ身体が居たなら、一人くらい受け止めてくれてもよかったよナァ――」


「ハイハイわかりましたごめんなさいでした! もー!」



イヤミったらしい当て擦りを、十は顔を真っ赤にして遮った。


……話しぶりからすると、どうやらインク瓶の頭の怪我は噴水のオカルトを利用した際、足元に開いた穴から逃れるために『うちの人』から受けたものらしい。

そんな理由で怪我したんか……と思わんでもないが、実際に落ちた身からすると、それだけで済んだのなら『うちの人』に感謝しとけとすら思わんでもない。


まぁ、どうせインク瓶も分かって言ってんだろうけど。ヤなヤツ。



「…………、」



そうして少し黙り込んだ後、十はおずおずとインク瓶へ視線を戻す。


その瞳にはいつもの冷たさなんてどこにも無く、ただ不安と躊躇に揺れている。

……本当に、気持ち悪い。無意識の内、私の顔は嫌悪に歪み――それと同時に、ぽつりと声が零された。



「わからない、からだよ」



細く、震えて、消え入るような声だった。

私とインク瓶が見守る中、迷い子のようなそれが続いた。



「……私たち御魂雲の血は、崩れない。自分と交わっても、他人と交わっても、産まれてくるのは私たちだけ」


「……らしいね」


「私たちが私たちとなってから、ずっとそうだった。私たちは私たちしか産まず、私たちしか増やさない。それは絶対で、例外の無い法則の筈だった」



でもね。

十はそう区切り、幼さの残る目元を細め、



「あの子は――異ちゃんは、私たちじゃなかった」



……静かで、すぐに終わった短い呟き。

だけど私は、それに酷く重たいものが籠められているように感じてしまった。



「あの子を取り上げた時、凄くビックリしたの。間違いなく御魂雲の血肉を持っているのに、私たちじゃない。同じ魂を受け継いでいるのに、独立した個の存在となっている……」


「…………」


「……凄い、驚いちゃってさ。私たちから私たち以外のものが産まれるなんて想定、気が遠くなるほどの昔に捨ててたから。私たちの全人格がパニックになって、ちょっと大変な事になったりしちゃった」



笑い話のように零すけど、数万人単位での話だ。たぶん集団ヒステリーとか、そういう洒落にならない事態になったんだろう。

……そんなショックを、コイツらが受けた? 私なんかに?



「私たちの身体それぞれが、全然違う事を思うの。例えば私、『十』は異ちゃんの事を可愛いなって想うけど、『二山』は私たちじゃないあの子を気持ち悪いって思ってる。『安中』は単純に怖がってて、『ハナ』はもっと知りたいって願ってる。そういう感じ」


「……どれが本音?」


「全部、その私たちにとってのほんと。それぞれの身体で思う総てに嘘偽りは無くて……だから、どれかもわからなくて、ぐちゃぐちゃになっちゃう」



そう語る十の顔から少しずつ感情が抜けていき、表情も失っていく。


そして最後にはいつも見慣れた『うちの人』のそれとなり――気付けば、私の口から大きな息が吐き出されていた。

それが無表情に戻った事への安堵から来るものだと自分でも分かって、また酷く苛ついた。



「……あの子の事を意識しながら、少し他の身体と繋ぐだけで、これだ。幾つもの感情が打ち消し合い、或いは混じり合って……身体の人格を維持出来なくなり、そうした末に我々が残る」


「それはやっぱり――御魂雲としての素顔って事でいいのかな」



『うちの人』は何も答えず、インク瓶と視線を合わせもしなかった。

その顔はやはり無表情で、十の時とのギャップが凄まじい事になっている。


ああ、イライラする。握っているそれがくしゃりと歪み、『うちの人』にもシワが寄った。



「まぁその鉄仮面状態については分かったよ。なら、あの子を無視するのはどうして?」


「……言葉が、出なくなるのだ。あの子を前にすると喉が詰まり、唇さえも開かなくなる。そして思考すらも鈍り、止まる。それが、どの身体であっても」


「…………」


「我々にはどうにも出来ない。それ故、あの子との意思疎通に致命的な不都合が生じているが……そのおかげで、懸念点である触れ合いが最低限で済ませられている面もある。現状は一長一短と言った所だろうか」



そう淡々と語る『うちの人』だけど……どう捉えりゃいいんだ、これ。

その声色に誤魔化しは見えず、だからこそ戸惑う。


一方でインク瓶は軽く鼻で笑い、私が思ったそれと同じ言葉を口にした。



「なんだ、やっぱりただ緊張してるだけなんじゃないか」


「…………、」



その指摘に、無表情が僅かに崩れた。



「……緊張という情動ならば、数多の人格で体験してきている。我々の抱くものとも合致する部分があるのは認めるが、心拍数や発汗量の変化などは無く……」


「今は十さんや他の身体の話はしてないよ。その素顔である君の胸の内が、どうあるのかの話」


「……、……」



すぐには返す言葉が出なかったようで、『うちの人』は視線を逸らし黙り込む。

そしてインク瓶は私にあてつけるように、丸眼鏡の縁をトントンと叩き、




「――本当はあの子の事、大切にしたいんだろ」




………………………………………………………………、


……面白い、妄言だと思った。

噛み締める奥歯が擦れ、軋みを上げる。



「……何故」


「この短い間でも、君達の関係性が完全に破綻している事は見て取れた。家庭内コミュニケーションはほぼ皆無で、子の方は君を心底嫌っている。いっそどこかの養子にでも出した方がお互いのためになるような、最悪な家庭環境と言っていい」


「…………」


「なのに、君はあの子を手放さず、今の今まで育てて来ている。まぁ、何かしらそうせざるを得ない理由があるのは察するけど……君自身だって、子供から離れたくないとも思ってるんじゃないのか。少なくとも僕には、そう見えるよ」


「……………………」



『うちの人』は、やっぱり何も言わない。

無表情のまま床を睨み、二度三度、瞬きをして――。



「……気味が、悪い」



ぽつり。

やがて、『うちの人』が呟いた。



「我々の胎に宿された存在でありながら、しかし決して我々ではないあの子の事が、ずっと気味が悪くて仕方がなかった。あの子に何一つ反応が返せないのも、その嫌悪感による拒絶反応だとも思った」


「…………」


「……だが反対に、視線は常にあの子を追ってしまっていた。眼を背けられず、家の中でも、街中でも、見かける度に、延々と……」



気味が悪いと言われた事にショックは無かった。

態度からしてそんな感じだったし、私だってコイツらの事をそう思ってる。お互い様だ。

だけど……その先なんて、私は。



「……今回あの子が倒れたと知った時、言いようのない震えが走った。身体にではなく、おそらくは御魂雲としての魂、そのものに」


「彼女、これまで大きな怪我も病気も無かったそうだね。初めてだった訳だ、色々」


「……友人、養親、養子。似た関係性の者が倒れた事など、他の身体で幾度もあった。だが……」



零す語りはたどたどしく、そんな『うちの人』の姿が信じられなかった。


心が煮立つ。息が詰まって、荒くなる。

それは怒りに似てたけど、きっと違う。自分でも何が何だか分からなくて、ぐしゃぐしゃと頭を掻きむしった。



「……更には血の封まで解けたと知った時、我々は我々すらも見失った。わからなくなったのだ。そして接触を最低限に抑える事も忘れ……度々、余計な干渉を」


「……本当に、余計だったって思ってる?」


「…………、」



私に対するそれと同じ声音での問いかけに、『うちの人』はピクリと指先を動かした。



「……じゃあ、そうだね。考えなしに動いたっていうのなら、動いた後は?」


「後……?」


「例えば、御魂雲の説明をするため僕を呼びつけた後。小さなおせっかいを焼いた後や、命の危険から庇った後……行動を終え、我に返った後なら、何かしら思った事もあったんじゃないか?」


「…………」



……何なんだよ。



「あの子が部屋から消えて、急いで追いかけて……既に『くも』の穴に落ちてしまったと分かった後、膝を突いていた君はどう思っていた?」


「……わからない。気付けば、その身体は立ち上がれなくなっていた」



何なんだよ、コイツ。

今更そんなの聞かされたって、何がどうなるってんだ。



「なら、その更に後。僕の頭にたんこぶ作らせてまで飛び込んだ地下で、あの子を見つけたその時は?」


「……息を、ついた。軽く吐き、吸い込むような、息を」



何も変わんないよ。

十三年だぞ。生まれてからずっと無視されてきて、それと同じ間だけずっと大っ嫌いなんだ。

どうにもなんないだろ、そんなの。



「――君自身に抱かれ、地面に横たわる子供を見た時。君の心にあったのは、何?」


「…………、」



もういいって。

意味無いんだよソイツの言葉。何言ってても何思ってても全部無駄。


……だから、やめてよ。


ひっくり返すな。そのままでいいんだ。

もう聞きたくないんだ。悔しくて不愉快で気持ち悪くて、だから、だから――。




「――……………………………………無事で、良かった」




――たっぷりと間をおいて放たれたその呟きに、息が止まった。



「……安堵。そうだ……我々は、安堵していた……」



その時の心情を振り返っているのか、薄く目が眇められる。

そんな顔を見たのすら、初めてだった。



「傷だらけではあったが、ちゃんと息をしていたあの子に。失われず、まだそこに在ってくれたあの子に……良かったと、そう思ったのだ……」


「…………」


「そうか――そう、か……」



その様子を静かに見守るインク瓶をよそに、『うちの人』は噛み締めるように繰り返しながら、目を閉じる。

そうして誰もが無言のまま、ただ静かな時間だけが流れ――。



「……異」



……零し始めたその独白は、とても小さな声だった。



「あの子を取り上げた時、御魂雲という姓は存在しなかった」


「…………」


「御魂雲とは我々の名であり、我々を識る者の間でのみ言告がれるもの。幾万の身体に贈るそれと違い、人世に刻まれる類のものではなかったからだ」



インク瓶は口を挟まず、ただ耳を傾ける。遮って、くれない。



「……だが、我々は敢えて御魂雲の籍を作り、その上で名を異とした。御魂雲の異――我々とあの子が異なる存在であると確に示し、そして刻みつけるために」



……………………。



「我々はそれを、あの子への気味の悪さから……拒絶から来るものだと、そう判断していた」



……………………………………、



「だが……だが、逆だったのだろうか。あの子の誕生に、今回と同様己を見失っていて……いや、もしかするとだが、浮かれていたなんて事も、あるのだろうか」


「……さぁね」


「ああ、ああ、そうか。今だから、思う、思える――」



……『うちの人』は、一度そう言葉を切って、そして、




「――我々は、我々ではない存在を生み出せた事が。あの子が我々と異なるものである事が……本当の意味での子供を成せた事が、確かに嬉しかったのだ――」




――――限界だった。




「――~~~~~~~~~ッ!!」



言葉にならない怒声が漏れた。

同時に、手に持っていたメモ帳を思い切り破り捨てる。


真っ二つに引き裂かれたそのページには、真っ黒なインクが広がっており――そこに映し出されていた『うちの人』の忌々しい微笑みも、二つに分かたれ掻き消えた。



『……そうだ。あなたには、伝えておこうと思う。あの子を宿した、つまり母となった身体だが――』


「うるせぇぇぇぇッ!!!」



それでもなお続く音声に怒鳴り散らし、更に細かく紙を千切る。

そうやって跡形もない程粉々にして、ようやく不愉快な声も完全に消え去ったけれど、煮えたぎる腹は収まらない。

「くそっ、くそぉッ!!」私はその衝動のまま何度も何度も吐き棄てて、ベッドから転げ落ちるように飛び出した。





――既に分かっているだろうが、さっきまで繰り広げられていたインク瓶と『うちの人』の会話の場に、私自身は立ち会わせていない。


当たり前だ。もしそうだったら、『うちの人』はこんなに饒舌に語ってない。

実際の私は離れた別室のベッドの上で寝ころびながら、メモ用紙に垂らした黒インクをただ眺めていただけだった。


……しかしその黒色の中には、おそらくインク瓶の視界をそのまま映すような形で、彼らの様子が音声と共に中継されていたのだ。


彼曰く、緊急連絡用インク。

これを貰った際に言われた「ちゃんと機能するか確かめておいた方が良い」という助言に従ってみればこのザマだ。


これも彼のおまじないの一つなんだろうが、酷い嫌がらせにも程がある。

結果として、私は大嫌いなヤツの知りたくも無かった胸の内を見せつけられ――心の中が、これ以上無くぐちゃぐちゃにされていた。





「――んのぉッ!!」



体当たりと変わらない勢いで、部屋の扉をぶち破る。

そしてそのまま立ち止まれずに反対側の壁に激突し、満身創痍の身体が悲鳴を上げる。けれどそれも無視をして、無理矢理に身体を進ませた。


――向かう先は当然、インク瓶と『うちの人』の所だ。


そこに行ってどうしようとか、彼らに何がしたいとか、そんな事は考えてなかった。

言語化できない感情が荒れ狂い、私の背中を押していた。



「……っ」



すると廊下の少し先で、こちらを振り返る『うちの人』の姿が見えた。


鼻の低い、のっぺりとした顔の男性。インク瓶の言っていた、部屋の前で控えてるって身体だろう。

無表情なのに、どこか慌てた様子で私に手を伸ばして来るソイツを、私は舌打ちと共に躱し抜き――。



(――いや、コイツでも同じなんだッ!!)



すぐにそう考え直し、私は強引に姿勢を戻して腕を引く。


相当に無理な体勢となったため足が縺れ、身体に激痛が走るが、やっぱり知った事じゃない。

そうして殆ど『うちの人』に飛び込む形になりながら――そのムカつく無表情を、力の限り殴り飛ばした。



「ご、がッ――」



包帯塗れの腕はボロボロで、いつもと比べたら力も全然入らない。

だがそれでも『うちの人』を倒れ込ませるくらいのダメージは入ったようで、彼諸共無様に床へと転がった。



「ぁ、ぐ、く……!!」



殴った拳と、打ち付けた頭。

酷く痛むそれらに悶えていると、別の方向からこちらに近づく足音があった。


どうやら騒ぎを聞きつけて新しい『うちの人』が駆けて来たらしい。真っ先に私の様子を確認しようと近寄って来たソイツの衣服を引っ張って、下がった頭に頭突きする。


互いの額が鈍い音を立ててぶつかり合い、視界に星が散る。そうして至近距離まで迫った冷たい瞳に、真っ赤な双眸が反射して、



「――勝手ばっかり、言うなよぉ……!!」



――それは自分でも思ってもみなかった、縋りつくような声だった。



「ずっと……ずっとだったじゃんかぁ……! ちっさい頃からずっと、無視で、喋んなくて……何回話しかけてもぉ! なぁっ!!」


「――……っ」


「なのに、何? 大切だの、緊張だの……う、喜しっ、い? っ、ふ、ふざ、ふざけぇ……!」



感情が昂りすぎて、呂律もあまり回らなくなってくる。

その癖声だけ大きくなって、噛んだ舌の傷が開いて飛び散る唾に血が混じった。



「気持ち悪いんだよッ! 今になってそ、そんな、そんなぁッ!!」


「……ッ、……」


「――なんとか言えよぉッ!!!」



無表情のまま、鯉みたいに口をパクパクさせる『うちの人』にまた叫ぶ。


少し前なら反応があるだけでも驚いたんだろうけど、さっきの今だ。

むしろどうあっても声を発さないその姿がより一層神経を逆なで、視界が真っ赤に染まり切る。



「そんなでっ……! そんなんで何が嬉しいってんだよぉ! 何で笑えたぁッ! たくさんの中で、ずっと一人だったのに!! 何が、何が、何がっ――!!」



もう自分が何を口走っているのかも分からない。

剥き出しになった心が勝手に口を使ってる。澱と重なっていたものたちが、止めどなく溢れてしまってる――。



「――なんなんだよぉ!! あんたは私のっ、私はあんたの何なんだッ!!」



それは十三年の間何度も何度も問いかけて、十三年の間ずっと無視されてきたものだった。


絶対今回も返らない。期待なんて毛ほどもない。

だから答えさせる間も置かず、更なる罵倒を重ね吐き、



「――だ」



……なのに。



「我々は、お前は」



なのに、違った。


開閉を続ける『うちの人』の口から小さな小さな音が漏れ、それが声だと分かった途端に思考が止まる。

そうして生まれてしまった空白に――十三年の間待ちぼうけていた答えが、返された。




「――我々はお前の親であり。お前は、我々の……子供、だ――」




……それを聞いた時、私が何を思ったか。


怒りだったか、憤りだったか。後になって何度思い返しても、上手い名前が付けられない。

ただ感じた事のない衝動が胸の奥底で破裂して、旋毛を破って天を衝く。


――冗談抜きで、頭の中心部で何かがブチ切れた音がした。




「――だったらァ!! ()()()()はちゃんと会話しろよぉッ!!! 私が子なら!! あんたが親だってんなら――そうあれよぉ!!! バーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーカ!!!!」




喉が潰れるほどに叫び、再びその無表情をぶん殴ろうと、起き上がって思い切り腕を引き絞る。


だけどそれが振るわれる事は無く――反対にその動きに引っ張られ、背中から倒れ込んだ。

ゴン、と後頭部を床に打ち付けるけど、衝撃も痛みも感じなかった。それから少し経ってようやく、自分が倒れた事を自覚したくらいだ。



「……ぅ、ぁ……?」



心臓が異常なほどの早鐘を打ち、一方鼓膜の裏では血の気の引いてくノイズ音が鳴っている。


たぶん、ボロボロの身体で興奮しすぎたのだろう。

手足どころかもう指先すら動かせず、ゆっくりと白んでいく天井をただ見つめるしか出来なくて。



「――! ――!」



そんな薄れゆく意識の中、『うちの人』が私を覗き込んだのが分かった。


世界は白いし焦点も合わせられないから顔は見えなかったけど、何となく焦っているような雰囲気を感じる。

……コイツが? 私で? 鈍った思考でぼんやり疑うけど、たった今までしていた話はそれを是とする話だったっけ。


だったら……だったら?



(……………………………………)



もう頭が回らない。


白かった視界が黒くなったと思えば意識が飛んで、気付いた時には誰かの腕の中に居た。

その感触も温かさも、朦朧とした今の私には感じられない。ああ、運ばれてるなぁ。それくらい。


……だけど、思い出すものはある。

それはあの地下で抱きしめられた感触と……もっと昔、記憶すら残ってないような時の。それこそ、産まれたばっかりの頃の――。



(――……『親』、ねぇ……)



考えた直後、私の意識は今度こそ完全に闇へと落ちる。


……きっと、悪夢は見ないんだろうな。

本当の本当に癪だったけど、どうしてか、そんな気がした。




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