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異女子  作者: 変わり身
30/100

【私】の話(上)

私はずっと、普通になりたかった。


平で凡で並。特別なものなんて何一つ無い、みんなと一緒の横並び。

街角の背景に違和感なく溶け込み、誰の視線を奪う事も無く、誰の記憶にも残らない。そんなどこにでも居るような、普通の女の子になりたかった。


……だって、私は何もかもが他の子と違ったから。


髪は真っ白、目は真っ赤。肌も病的に白くて、何か全体的に細っこい。

そんな力を込めたらポッキリ折れそうな見かけの癖に、肉体自体はアホみたいに頑丈で、筋力だってそこらの大人の男の数倍は強かった。


家庭環境だってまともじゃない。

兄妹とか両親とか、家族っていう存在なんて見た事ない。その代わり、家には『うちの人』って呼んでる意思疎通の出来ないヤツらが沢山居る。

……ここら辺はほんと意味不明だし、どう説明したらいいのかすら分かんないけど、異常な家庭だっていうのは確かだろう。


そもそも、付けられた名前の時点で大分おかしいのだ。


私の名前――御魂雲(みたまぐも) (こと)なんて。


苗字はいい。この御魂橋市って場所と所縁か何かあるんだろうなとか、色々納得できるから。

けど名前の方は何なんだよ。こんなの異物だとか異常だとか、そういうものになれと言っているようなもんじゃないか。実際に名が体を表してんのも腹が立つ。


何を考えてこんなバカな名前を付けたんだ。

ノートやプリントの名前欄を埋める時、私は顔も声も知らない実の親を何度も恨んだものだった。


……容姿も身体も、生まれも育ちも、おまけに名前だって全部が変。

そんなどこもかしこも普通から遠い私だったから――小さな頃からずっと爪弾きにされていた。


最初の内は遠巻きにされるだけだった。

まぁ当然だ。こんな赤目の全身真っ白けに話しかけるのなんて、誰だって躊躇する。

勇気を出して、自分から話しかけに行った事もあったけど……まぁ、結果は言うまでもない。


同年代のヤツらも、年の離れた大人も、離れた場所でヒソヒソコソコソするだけ。

この性能の良い耳が聞き取ったそれらはお世辞にも良い内容じゃなかったから、私はそいつらに近づこうとする事を止め、自然と一人で過ごすようになっていた。


……だけど成長するにつれ、段々とヤな絡み方をするヤツが増えて来た。

髪の色が変だの、目がキモいだの、すまし顔がムカつくだの。思春期か何か知らんが、とっくの昔に自覚している理由のいちゃもんをつけてくる輩が湧いて来る。


いわゆる、イジメというヤツだ。

まぁイヤはイヤだし割と陰湿な事もされたのだが、正直『うちの人』だらけの家で感じる得体のしれない不快感よりは遥かにマシだったので、鬱陶しい以上の感情は湧かなかったけども。


とはいえ私も黙ってイジメられてやるほど大人しい性質でもなく、当然のように反撃をした。

髪の毛を引っ張って来るクラスの男子、物を隠してくる他クラスの女子、果ては服を脱いで裸を見せろと命令してきた上級生だろうが関係ない。

そういうクソボケどもとギャースカやり合っている内に色々とあって、私はこんな風になった。ガサツで口汚い、白い山猿の出来上がりである。


そしてそうなった自分を客観視した時――私はもう、普通の女の子になる事を諦めた。


外見がコレで中身もコレなら、もう何やってもダメだろう。

一応、感性だけは普通だと自分では思っているけど……正直自信はあんま無い。まともな感性を育める環境じゃねーしどう考えても。


ともかく、そんな色々があったおかげで、小学校の終わりくらいにはまた遠巻きにされるだけの生活に戻っていた。

……まぁ思う事は多々あったが、平穏になって良かったとだけ割り切った。


たぶん、他の人が爪弾きにするこのあり方こそ、私における普通って事なんだろう。

ごく自然にそう思うようにもなっていて、大きくなったら森に住んで、正真正銘の山猿になってやろうかなんて血迷った事を考えたりもしていた。いや六割くらいは冗談だけど。


……だから、本当に嬉しかったんだ。



『と、とまってぇ! わたしぃ! クラスメイトでぇ! 名前、知んないけどぉぉぉ……!』



中学生になって初日、ぴえぴえと泣きながら私に抱き着いて来た変な女の子。


査山(さやま) (あかね)――あかねちゃん。

私と同じく自分の名前が嫌いらしくて、すぐにお互い気が合った。


私にとって生まれて初めて出来た大切な友達で……きっと、親友ってヤツ。

あの子と出会えた事で、私はやっと少しだけ普通になれた気がしたのだ。


あかねちゃんは私なんかよりずっと可愛くて、優しい子だった。


天使の輪っかが鮮やかに浮かんだ黒髪と、カメラのレンズのようなくりくりとした丸い瞳が凄く綺麗。

勉強も運動も得意で、バカな私(頭の出来も普通じゃないって訳である。うるせぇ)はよく彼女に勉強を教わっていた。


そして何より――あかねちゃんが居なければ、私はきっと小学校の時と同じく周囲に馴染めないままだっただろう。


出会った翌日、彼女が教室で普通に私に話しかけてくれた時。

一緒に楽しくお喋りしたり、くだらない話で笑い合った時。

その度に、また遠巻きになりつつあった周囲の目が少しずつ柔らかくなっていった事を、私はよく覚えている。


そうして気が付けばクラスメイトとも普通に雑談するようになり、普通に友達と呼べるようなヤツらもぽつぽつ増えた。

それは昔からは考えられない環境で、いつかなりたかった普通の女の子に、少しだけ近づく事が出来ていた――全部、あかねちゃんのおかげだ。


……きっと、あかねちゃんは意識なんてしていなかったんだろう。

でもそれは私が頑張っても無理だった事で、むしろ意識しないままあっさりとそれを成した彼女を、私はこっそり尊敬していた。


まぁ……オカルトに傾倒するその趣味だけは正直ちょっとどうかと思うし、理解したくもなかったけれど。

オカルトとか心霊だとか。そういう普通じゃないものを求めるっていうのは、私的にはやっぱりどうにも……。


とはいえオカルトを探すあかねちゃんはとてもイキイキとしていて、私としても一緒に遊ぶ口実のようなものだったから、強い否定まではしなかった。

勉強を教えて貰う代わりの付き合い。ホラースポット探しという名目ではあったけど、この街の色々な場所を二人で周ったあの時間は、私も凄く楽しかったのだ。


オカルト関係なく遊びに行く日も結構あって、夏休みとかの長い休みの日には、あかねちゃんの家族旅行に混ぜて貰う事も何回かあった。

彼女の家族も良い人達で、嬉しい事にすぐに私を受け入れてくれた。

私にとっては家族でのアレコレなんて縁の無いもんでしか無かったけど……なんとなく、その雰囲気くらいは味わえたような気がする。


そんなこんなで、平日も休日も大体一緒。

互いの家に居てもちょこちょこスマホで連絡を取り合ったり、あかねちゃんと離れ離れになった日なんて無いんじゃないかってくらい。



「…………」



……そう、ずっと、ずっと一緒だったんだ。


あかねちゃんと過ごす日々は本当に楽しくて、それが私の普通になって。

明日も明後日も、その先だって、ずっとそんな日が続いて、一緒に笑っていてくれるって思ってて。


根拠もなくそう信じ切っていて、だから、だから――



――だから、あかねちゃんが居なくなったって分かった時、私の頭の中は真っ白になった。




1




この御魂橋という街には、廃墟となった施設が意外と多かったりする。


寂れつつある田舎エリアは当然としても、そこから幾つか橋を渡った郊外エリアや、中心部たる都会エリアまで。

全てのエリアにおいて、一定数以上の朽ちた建物が点在しているのだ。


それだけ御魂橋は街の管理が杜撰である……という訳ではない。


むしろ逆に他の街より管理に力を入れているようで、街の新陳代謝も活発だ。

道や建物の破損や老朽化はあまり間を置かずに対応されるし、最新の建築技術を使ったビルが建つだとか、空き家が殆どとなった団地を一斉解体するだとか、そういったフットワークの軽さを感じるニュースもそこそこに聞く。


……なのに、何故か一切手つかずのまま放置され続けている廃墟や空き家もまた、そこそこにある。

まるで、敢えてその場所に手を加える事を避けているかのように。


まぁ、土地の所有者とか権利がどうたらとか、大人のめんどくさいヤツがあるんだろう。

小綺麗な街の中、ぽっかりと浮かぶ寂れた廃墟の姿は少しばかり目立っていて、街中をうろつく最中に自然と目で追ってしまったものだった。


特に私は少し前まで休みの度に御魂橋中をウロウロしてた放蕩娘だったから、そういった廃墟のある場所には多少詳しい自信があり――


――今現在。私はそれらの施設に片っ端から忍び込んでいた。






「――おーい!! あかねちゃーん!!」



解体途中のアトラクションが幾つも放置された、寂れ切った遊園地。

廃墟となり果て、赤錆の混じった埃が舞うその園内に、私の甲高い声が木霊した。



「居るんなら返事してくれー!! おーい、おいってばー!!」



小さなショッピングモール程度の広さだけど、人っ子一人見当たらない分、思ったよりも広く感じる。

私は焦燥感のままにそのあちこちを駆けずり回り、アトラクションの中やそこらに打ち捨てられたままの重機、伸び放題となっている雑木林などを目に付く端からから覗き込み、ひたすらに声をかけ続けた。


……しかし、そのどれもに人影はなく、耳を澄ませても望んだ返事は聞こえない。

最後に残った建物の中を探してみても空振りに終わり、乱暴な舌打ちをひとつ。



「くそっ……ここもハズレか……?」



これだけ探して反応が無いのであれば、ここには何も無いと見て良いだろう。


……だがもし、もしも、反応すらできない状態なのだとしたら?

そう考えると腹の底が焦げ付き、私は往生際悪くもう一度だけ周囲の様子を確認し、



「――こら君! 何やってるんだ!!」


「!」



突然、入り口の方角から怒声が飛んだ。


振り返れば警備員らしき男性が慌てた様子でこちらに駆け寄って来るのが見えた。

忍び込む時には見当たらなかったので、別の場所から駆け付けて来たのだろう。

まぁあれだけ大声を出していれば、幾らこっそり忍び込んでいても流石にバレるか。



(くそ、時間切れか……!)



当然、私はここに入る許可なんて取ってない。捕まればまず間違いなく面倒な事になるだろう。

私は渋々この場所での捜索を切り上げる事として、大きなフードを深く被り直すと全速力で走り去った。



「あっ、ちょ、待ちなさ――」



背後で警備員の呼び止める声が聞こえたが、無視だ無視。


あっという間に廃墟の敷地端まで辿り着いた私は、侵入防止の高いフェンスを蜘蛛のように這い登り、頂上から飛び降り難なく脱出。

そして着地した勢いのまま、フェンスの向こうで呆気に取られている警備員を置いて離脱し――。



「――そうだ、警備員さん!!」



その間際、彼に向けて大声を張り上げた。



「っ!? な、なん――」


「もしかしたらその中に女の子居るかもしんないから、ちょっと探してくれません!? 私見逃したかもしんないから!!」


「は、はぁ?」


「とにかくお願いだから頼みます! あと勝手に中入ってすいませんでした!!」



最後に形だけの謝罪だけを残し、今度こそその場を後にした。

そして走りながらスマホを確認し――何の通知も入っていない事に、舌打ちを鳴らした。



「ああもう、ホントどこ行っちゃったんだよお、あかねちゃん……!」



ぐす、とフードの奥に湿った音が小さく響く。

しかし私は顔を上げ、脳裏に浮かぶ次の廃墟のある場所へと全速力で駆けて行った。




――私があかねちゃんの行方不明を知ったのは、つい昨日の事だった。


朝方早く。のんきに二度寝を貪っていた私の下に、あかねちゃんママ連絡が入ったのだ。


曰く、朝起きたら家にあかねちゃんの姿が無かった。

靴も無く、スマホも繋がらない。もし朝早くに散歩にでも行ったのであれば、私と一緒だったりしないだろうか――そのような事。


それを聞いた時、私は特に危機感を覚えなかった。

だって一緒の朝の散歩は、夏休み中にラジオ体操のついでとかでちょいちょい普通に行ってたし、あかねちゃんが一人で行っても全然おかしくないって思ったから。


スマホが繋がらないのは少し気になったけど、部屋に置き忘れるか何かしたんだろうって、深く考えなかった。その日の前日も、一日中連絡してくれなかったし……。

ともあれ、結局その時は大した騒ぎにもしなくて、あかねちゃんママも心配性だなって、笑って終わらせてしまったのだ。


……空気が変わったのは、それから少し経っての事だ。


あかねちゃんは朝ごはんの時間になっても、それどころかお昼になっても帰って来なくて、心配した家族がとうとう警察に通報。捜索を頼んだのだ。

その時には私も何かおかしいって焦っていて、堪らずあかねちゃん家に駆け込んでいたから、色々と捜査協力もした。


思い出の場所とか、一緒によく行ってた場所とか、オカルト探しで行った事のある場所とかを片っ端から警察官に吐き出して――その途中、ふと思い出した。


それはつい数日前、一緒に遊園地にオカルト探しに行った時の事。

何気ない会話の中、廃墟探索の許可がどうこうって話になって、それで――。



『一応聞くけど、内緒で危ないとこ行く気とかないよな?』



――その一幕を振り返った時、嫌な想像が組み上がった。


……もしかして、行ったのか?

本当は朝の散歩じゃなくて、もっと早くに……それこそ夜のうちとかに抜け出した?

それで、誰にも内緒でどっかの廃墟とかに……?


ただの邪推だ。だってあかねちゃんはあの時、炎上が怖いとか言って否定してたんだから。

……でもあかねちゃん、変な所で大胆な部分あるし――それに現状を加味すれば妙な説得力があるような気がして、いつの間にかそうとしか考えられなくなっていた。


もし私の想像が本当だったとしたら、あかねちゃんはどこかの廃墟でケガか何かをして動けなくなっているのかもしれない。

今もまだ帰っていないっていうのは、そういう事だろう。


いや、それくらいならまだ良い。

最悪の場合、廃墟を根城にしてるようなヤバい不審者に襲われたって可能性もあるし……ひ、ひょっとしたら、死――。


……ダメだ。早く見つけないと、ダメだ……!


焦りとも恐怖ともつかない感情が渦巻き、訳が分からなくなって。

気付けば私は、頭に浮かぶ最寄りの廃墟へと駆け出していたのだった。




「――だぁクソッ! またハズレか……!」



そうして、私はそれから可能性のありそうな廃墟を駆けずり回った。

昨日は深夜近くまで、今日は日の昇るかなり前から、私に出来る限りずっとだ。


……だけど、何処を探してもあかねちゃんの姿は無く、空振りばかり。

たった今探し終えた住宅エリア北の廃病院もハズレで、私は苛立ち紛れに足元に転がっていた鉄筋を踏み砕いた。



(ええと、あと他に行ってないとこは……ええと、ええと……!!)



必死に考えるけど、この付近にある廃墟は昨日今日とで既にあらかた周っている。

これより他は、バスや電車の使えない夜中に向かうには遠すぎる。それらへ探しに行ったところで、無駄足になる気しかしなかった。


そうしてとうとうスマホの衛星マップまで開いて、まだ行ってない付近の廃墟を探し――



「……っ」



ぽた、ぽたり。

唐突に、スマホの画面に水滴が落ちた。


心配極まり遂に零れた私の涙――ではなく、ただの雨粒だ。

苦々しく空を見上げれば、一面に広がる鉛雲から大きな雨粒達が落ち始めているのが見て取れる。


昨日一昨日の悪天候が尾を引いているのだろう。

天気予報じゃ夕方までは降らないっつってたろーがよぉ――そう気象予報士を恨んでいる間にも雨の勢いは増し続け、ざぁざぁと音が鳴るまでになっていく。



「…………」



フードを更に深く引き下げたけど、あまり意味は無く。

生地を透過した雨粒が鼻先に落ち、鼻の頭にシワが寄った。







その後、私は一度家に帰る事にした。

あかねちゃんの捜索を諦めた訳じゃない。単に家にある雨具を取りに戻るだけだ。


廃病院で雨宿りする事も考えたのだが、いつ止むかも分からないこんな雨じゃ、ただ時間の浪費にしかならないだろう。

かといって濡れ鼠になっての捜索続行も気が進まない。私のこのクソみたいな容姿はびしょ濡れになるとより悪い意味で人の目を惹くようになるらしく、下手すりゃすれ違った心優しき通行人に通報される事も割とある。多くが善意なのは分かるんだけどなぁ……。


本当は、近くのコンビニでビニール傘なりカッパなりを調達するのが一番早いんだけど……どうせ、次にどこを探すかもまだ決まっていないのだ。

なら家に戻るまでの時間で、それを考えておきたいっていうのもあった。



「……ちくしょぉ、何で頭悪いんだよぉ、私はぁ……!」



……だけども、私のこのクソみたいな頭じゃ上手い具合に案が纏まる訳が無いんだ。

家までのバスの中。スマホとにらめっこであかねちゃんの行きそうな廃墟を考えてみたけれど、これだという場所がさっぱり浮かばない。

むしろ『内緒で廃墟に行った』という前提が間違っていたんじゃないかと思い始め、焦りが更に大きくなる。


……やっぱり教えて貰わないとダメだよ、私は。


悪足掻きとして、あかねちゃんのスマホに何度目かも分からない連絡をするけど、やっぱり出ない。

濡れたフードの奥で爪を噛み、意味もなくスマホの衛星マップの拡大縮小を繰り返し――そんな事をしている内に、高級住宅街の一角でバスが停まった。



「…………」



いい考えが出るまで降りませーん、なんてやってる場合でもなく。

私はすごすごとバスを降り、激しい雨に打たれながらバス停のすぐ近くにあるデカい門を押し開く。


成金でイヤミで無駄に広い、これまたクソみたいな大豪邸――私の実家たる御魂雲邸だ。



「……ぺっ」



この雨の中長々と歩かされる庭に唾を吐き、辿り着いた玄関を乱暴に蹴り開く。

ドアの蝶番が大きな軋みを上げるけど、知ったこっちゃない。どうせ壊れても翌日には修理されてるんだから、気にする意味も無いんだ。



「…………」


「…………」



そうして開いた玄関には、二人の人物が立っていた。


片や高校生くらいの少女。片や皺の目立つ壮年男性。

年齢も背格好もまるで違う違和感の強い組み合わせだけど、一方で全く同じ表情を湛えている。


――それは感情というものを全く感じさせない鉄仮面にして、図々しくもある鉄面皮。


彼ら二人の顔には、何の色も浮かんでいない。

揺らぎや乱れの一つすら無く、ただただ無機質な瞳だけが揃って蠢き、冷たい視線をいつまでも私に注ぎ続けていた。



「……いっつもいっつもキモいんだよ……!」



沸き上がる彼らへの嫌悪感を隠さず、私は塗れた上着を無造作に脱ぎ、投げつける。


すると少女の方がそれを受け止めるけれど、やはりそれ以上の反応は無かった。

その昆虫のような視線に寒さとは別の意味での鳥肌が立ち、私は追い立てられるように自分の部屋へと走るけれど――それであいつらから逃げられる訳じゃない。


廊下へのドアを開ければまた無表情の誰かが立っており、階段に向かえばその踊り場にまた別のヤツが立っている。


そう、彼らはこの家の至る所に配置されていて、その全員が等しく無表情で私を観察し続けているのである。



――『うちの人』

私が勝手にそう呼んでいるあいつらは、物心ついた時からずっと私の傍に居た。



老若男女、年齢も性別もバラバラで、とても私の親やきょうだいだとは思えない。

というか数日続けて同じ顔を見る事自体が滅多になくて、ほぼ毎日の頻度で顔ぶれが入れ替わっている、本当に意味不明な集団だ。


ヤツらが一体どういう存在なのか、どうしてこの家に居るのか、そもそも私の実の家族はどこに居るのか――その一切を私は知らない。

彼らはただ、粛々とこの家の管理と私の世話を行い続けている。強いて言えば、家政婦や使用人とかに近いヤツらなのかもしれない。

……実際は御覧の通り、そういったマトモなヤツらじゃないけれど。


誰に話しかけても、何を問いかけても。言葉の尽くが無視をされ、返って来るのは冷たい視線と無表情だけ。

黙って私に衣食住を与えて生かし続け、私がキレて暴れたって無反応を貫き、むしろその様さえも観察してくる始末。


……一応育てられてはいる訳だけど、私的には飼育されているって感覚だ。


存在自体があまりにも不気味で、あまりにも不愉快。

ヤツらを見ているとこっちの頭までおかしくなりそうで――そんなのが蔓延っているこの家自体、私は心底大嫌いだった。




「――くそっ!!」



ばたん。

逃げ込んだ自室の扉を乱暴に閉じ、大きく息を吐く。


流石に私の部屋までには『うちの人』も配置されて居ない。

いや幼少期の頃は居たのだが、全力で抵抗した結果どうにか追い出す事に成功したのだ。


嫌悪感の纏わり付くこの家において、この部屋こそが私の唯一の砦だった。



(はぁ……早くカッパ持って出よ。なんか、いつも以上に気分悪い……)



私はクローゼットから取り出した適当な上着を羽織り、その上からレインコートを纏う。


普通のものよりフードの大きい、工事現場で使うような作業用服だ。

カーキ色の分厚い生地が私の身体をすっぽりと覆い隠し、雨は勿論、周囲の視線からも私を守ってくれるだろう。

それを意識すると、少しだけ肩の力が抜けた気がした。



「……でも、どこ探す?」



小さく呟き、改めてスマホを見る。


結局の所、次に探すべき場所の見当はまだつかないままなのだ。

どこを探せば、あかねちゃんに近づける。開いた周辺地図を前に、私は目を皿にして細長く唸った。



(……廃墟だけじゃなくて、空き家とか空き部屋……いや、ビルのテナント入ってないとことか、それっぽいのも見た方が良いか……?)



それは私のした想像と少しズレる方針だったけど、このままあかねちゃんが行った可能性の低い廃墟を走り回るよりは、まだ可能性はあるように思えた。


つーか、今は考え付いた事は何でもやるしかない。

私は一度気合を入れ直すと、地図を動かしあかねちゃん家近くのビルを探して、


――通知音。



「!」



あかねちゃんママからのメッセージだ。


不測の事態に備え、あかねちゃんの家族とはこまめに連絡を取り合っていた。

私は通知をすぐにタップし、その内容を確認する。



「……っ」



……残念ながら、発見報告じゃなかったけれど。

それを見た私はどたんばたんと家を飛び出し、再び雨の中へと突っ込んで行った。



『今、警察の人からうちに連絡がありました。二人がいつも行ってた自然公園で、銅の使ってた折り畳み傘が見つかったそうです――』







私が自然公園に到着した時、園内にはちらほらと人影があった。


と言っても、この雨である。散歩客なんて一人も居らず、その殆どが警察官や公園の警備員達のようだった。

見た感じ人数は少なかったけど、あかねちゃん捜索のためにちょっとは動いてはくれているらしい。



(……あかねちゃん、まだ見つかってはなさそうだな)



警備員さんがそこらの雑木林を分け入っていたり、警察が職員さんに何か質問していたり、明らかに発見したって雰囲気じゃない。分かっちゃいたけど、肩が下がった。


ともかく、私も捜索を始めなければ……ひとまず手近な警察官をつかまえて捜索に協力したいと声をかければ、意外とあっさり話は通った。

どうやら私の存在は、あかねちゃんの関係者として警察の間で周知されていたようだ。


危険な事はしないように、と釘を刺されもしたものの……まぁ、今更の話。

生返事もそこそこに、私はあかねちゃんの傘が見つかったという場所に急ぎ向かった。



――あかねちゃんママからの情報では、昨日の明け方近くに園内を見回っていた職員さんが、道端に落ちていた傘を拾っていたらしい。


その時は単なる落とし物として保管されていたようだが、やって来た警察の調べによって、それがあかねちゃんの物であると判明したとの事だった。



(傘が落ちてたって事は、ここで何かあったって事……だよな)



そうして訪れた現場近く。

私は深いフードの奥から目を眇め、忙しなく辺りを見回す。


あかねちゃんの折り畳み傘は、噴水広場の近くの道に開かれた状態でぶん投げられていたそうだ。

明らかに普通に落とした訳ではなく、何かのアクシデントで手放さざるを得なくなった感じに思えた。


……それが風に飛ばされたみたいな事故だったらいいけど――もし、逃げるのに邪魔だから手放した、とかだったら。



「――ッ! 無事だってぇ……!!」



不安が溢れ、渦を巻く。

私はそれを振り払うように足を速め、あかねちゃんの痕跡を必死になって探した。



(つーか、あかねちゃんは何だってこんなとこに……!)



そうする傍ら、そもそもの疑問を考える。


職員さんが傘を見つけたのが明け方近くであるならば、私の予想はある程度正しかったんだろう。

やっぱり彼女は、夜の内に家を抜け出していた。間違っていたのは、廃墟に行ったってとこだけだ。


けれど――それでこの自然公園を選んだ理由は?


確かにこの公園は深夜も開放されているし、入りやすくはあるだろう。

だけどあかねちゃんがオカルト探しをしていたのなら、ここは選ばないんじゃなかろうか。

そういう話は何も無いって、前来た時に言っていた筈なのに――。



「…………」



……その時の事を思い出し、脇道の先の噴水広場に目を向ける。


確かあれはあかねちゃんと出会ってまだそんな経ってない頃、去年六月くらいの事だった。

今日の雨より幾らか弱いくらいの雨の日で、私はいつものように勉強を教えて貰う代わりとして付き合わされたのだ。

何だかんだ楽しかった当時の記憶が、まるで昨日の事のように蘇る。



「――っ……」



そうして振り返る内、自然と噴水広場に足を運んでいた。


大きめの噴水池を中心に石畳が並べられ、所々に蔦の巻き付く石柱の並んだ、どこか異国を思わせる広場。


……残念ながら、そこにもあかねちゃんの姿は無い。

植え込みや石柱の裏を覗き込んでも当然彼女は居なくて、苛立ちのままフード奥の髪を掻き毟った。



「くそ……ほんと、どこに……」



レインコートにぶつかる雨粒の音が、やけに大きく響いている。


……あかねちゃんは、雨に打たれていないだろうか。

あの子が今屋外に居るのかどうかは分からないけど、心配で堪らなくなった。


あかねちゃんは私みたいにバカじゃないし、私みたいに頑丈でもない。

身体を冷やせば、まず間違いなく風邪をひいてしまうんだ。


だから、早く、早く見つけてあげないといけないのに――なのに、どうして見つからない。



「……な、ぁ。誰か……、…………」



無自覚に発しかけていたその求めは、最後まで紡がれる事なく雨に消える。


腹の底を掻き毟られている。募り過ぎた焦燥に思考が圧され、鈍くなる。

どうしよう――その一言で頭がいっぱいになった私は、それでもなおあかねちゃんの姿を求め、視線を無作為にふらふら振って、



「……?」



……ふと、違和感を覚えた。


同時、思考に隙間が生まれ、少しだけ頭が冷えた。

彷徨わせていた視線をそこに留め、じっと見つめる。



(なんだ……?)



それは広場中央にある、石造りの噴水池だ。


雨の日であるためか噴水機能こそ停まっているけど、見た限りでは今まで慣れ親しんでいた姿そのままで、改修も何もされた様子は無い。

……なのにどうしてか、物凄くおかしなもののように感じてしまう。


私は抱いたその違和感が手掛かりになる事を勝手に期待し、その元を探し――やがて気付いた。



(……水面が、平ら……)



そうだ。

こんなにも激しい雨だというのに、噴水池に雨の波紋やそれによる波が一つも生まれていなかった。


池の縁に手をつき覗き込んでみても同じ。

その水面は降りしきる雨の一切を表さず、ただぞっとする程の静けさを保っている。


大量の雨粒が音もなく水底へ吸い込まれていく光景は、不思議であると同時にどこか不気味なものだった。



(……いや、だから何だよ)



とはいえ、それが今何の役に立つってんだ。


噴水池の水面がおかしいからって、あかねちゃんが見つかる訳じゃない。

そもそも単にそういう噴水の機能なんだろうし、特段気にするもんでもないだろ。


勝手に抱いた期待が外れ、勝手に落胆。

私は噴水池を覗き込んだ姿勢のまま、細く長く息を吐く。



「……はぁ、次だ」



しかしすぐに気を取り直し、改めてあかねちゃんの捜索に戻ろうとそこから離れ、



「――ん?」



寸前。

今まさに目を離そうとした、噴水池。



――その水面が、いつの間にか真っ黒に染まっていた。



「……………………あぁ?」



思わず変な声が出た。


……何だ、これ。

慌ててちゃんと向き直り、もう一度池に身を乗り出す。


だが、よくよく観察しても何も変わらなかった。

見る角度を変えても、軽くフードから頭を出して見直してみても。

じゃあ上に影になるようなものでもあるのかと空を見ても、広がるのは分厚い雨雲だけで、何も異変は見当たらない。


事実として、現実として。さっきまで底が見えるくらい綺麗な透明だった筈の水が、一瞬目を離しかけた隙に黒く濁り切っている――。



「え、えぇ……?」



意味が、意味が分からない。


手で水を掬い上げれば、水の色は透明に戻る。

泥とか、不純物が混じっている訳じゃなくて、単に水面に黒い色が映し出されているというか、そんな感じのようだった。



(……仕掛け噴水だったのか、ここ。プロジェクションマッピングとかそういう……こんなとこに? いやでも、この自然公園には来て長いけど、ここにそんな仕掛けあるなんて見た事も聞いた事も――)



私は軽く混乱しながら噴水池の周囲をぐるぐる周り、黒い水面を更に詳しく観察する。



「……ん、や、中に何かある……?」



すると、黒の中に何かが沈んでいるのが見て取れた。


私の常人外れの視力でようやく判別がつくような、僅かな色味の違い。

それは噴水池の中に実際にある訳じゃなく、水面に映る黒の中に紛れているようだ。



(……何だ? 黒くてよく……いや違う。これ、どこか凄く暗い場所を映して――、っ!?)



その正体を確かめようと目を眇めていると、水面の黒が大きく揺らめいた。


……いや、横合いから新しい黒い何かが現れて、水面に映っているものを遮ったんだ。


まるで……そう、後ろから誰かが目隠しをしたように。

何故だか、私にはそれが分かった。



『……、……、……』


「……?」



……同時に、何かが聞こえた気がした。



『……み、……、……』



この激しい雨音だ。

聞き間違いと言えばそれまでだけど……ただ、どこか聞き覚えのあるもののような気がして、ゆっくりと周囲を見回した。


……何も、無い。



『……、……、ろ……』



それはきっと、音じゃなく声だった。


誰かがどこかで、何事かをぼそぼそと呟いていて――それに呼応してか、水面の黒が動き始めた。


さっき目隠しをした黒い何かが、小さく震えながら、ゆっくりと上方に移動している。

正しい上下が分からないから本当は下方になのかもしれないけど、その時私が立っていた位置からではそうだった。



『……、え……、……』


「…………」



少しずつ、少しずつ。

目隠しの黒が上がり続け、その向こう側の景色が再び水面に映し出されていく。


もっとも、そうなったところで黒以外の何が見える訳でもない。

水面はずっと、黒のまま。そこに変化はありはしない。


だけど、どうしてか目が離せないでいる。



『み……、え……――』



……変だ。


何か、何かおかしい。

今更になってそう思うけど、その時にはもうどうしようもなかった。


気付けば息が止まっていた。瞬きを忘れ、目が乾いていた。


あれほど煩かった雨音も意識から消え、例の声だけが鼓膜の裏で響いている。


掠れ、ざらついた子供の声。血痰混じりの、叫び続けた果ての声。


……私はそれを知っている。誰の声なのか、分かる筈だった。


だけど、その答えが明確な像を結ぶより先に――それは、成った。






『――視、え、ろ』






――震える手で、そっと瞼を上げるように。

目隠しの黒が払われ切ったその瞬間、私の両目が血を噴いた。





「――ぁ?」



ぱん、と。

少し遅れて、両目の奥で音がした。


目の端から幾筋もの赤黒い涙が流れ、私の白い頬を落ちていく。



「ぅ? ……、ぁえ……?」



……何が起きたのか、分からなかった。


衝撃で顔を跳ね上げた姿勢のまま、フードの奥に手を入れて。

そうして指先についた血を捏ね合わせ、ただ呆然と立ち竦み――。



――次の瞬間、粘つくような灼熱が、両目の奥で破裂した。



「あが――ぃ、っづ、ぅぎぃぁぁぁああああああああああッ!?」



絶叫。

突然に巻き起こったその熱はすぐに激痛に変わり、私の眼球を貫いた。


いや、両目だけじゃない。

熱と痛みはすぐに全身に伝播して、肉も骨も臓器も、何もかもを焼き尽くす。


私は堪らず地面に転がって、血が出るほどに爪を突き立て自分の身体を抱きしめた。



「ああっぁ、あッ、あぐ、ぁ、は、は、んっぎ、はっ、ぁあッ、は、あッ――!!」



痛い。

熱い。

痛い。熱い。熱い。

熱い、痛い、熱い熱い痛い熱い痛い痛い痛い痛い――!



全身の血管に、神経に、煮えたぎるマグマを流されたかのようだった。


息も、悲鳴も、上手く出来ない。

痛くて、熱くて、頭の先から爪先までどくんどくんと脈打って、その度に激痛で意識が飛ぶ。

なのにすぐまた同じ痛みで起こされて、気絶と覚醒の繰り返しを強制される。



(なんっ……で、ぇ……なん、で……っ!?)



疑問が幾度も幾度も脳裏で繰り返されるけど、ただの反射のようなもので、そこに私の思考は無い。

潰された芋虫のようにみっともなく悶え、苦痛を呪い。必死に掴んだ石畳に、吐瀉物と目から零れる血液とが汚らしく撒き散らされた。



「――……っか、びゅ」



いつまで、そうしていたのだろう。

突然、頭の中心でぶつりという音がして、全身の感覚が無くなった。


激痛も灼熱も一切が断たれ、虚空へと掻き消える。

私は苦痛から解放された事すら理解できないまま、糸の切れた肉人形として転がった。



「――、――」



ざぁざぁ。ざぁざぁ。

人の音が無くなったその場所で、ただ雨音だけが響き続ける。


冷たい雨粒が地に横たわる私の身体を叩き、跳ねる水煙に溶かしてゆく。


もう、何も分からない。感じない。


ぼやけた視界が細く窄まり、やがて黒に塗り潰されて――





……そうして至った、深く昏い闇の中。


私はまた、掠れた誰かの声を聞いた気がした。




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