【わたし】の話(中③)
――友達ちゃん、かわいいですね!
「…………」
――目元だけでもすごく綺麗な子ですね。顔出ししないんですか?
――アニメのキャラか何かのコスプレ?
――身体能力バケモンで草。
「…………」
――もしかして伊賀とか甲賀の娘さん?
――この子これ染めてるんですか?
――サーカスとか劇団の子かな。
――これからは友達ちゃんも動画出て来てくれないかなー。
――なんでこんな子裏方に回してんのw
――脳筋アルビノ儚げ詐欺バカ山猿美少女ウーマン。
――めっちゃマスク取ってほしー!
――今後も出演してくれると嬉しいです。
「……、」
――いやマジで顔全部見して。
――友達ちゃんが一瞬フード下ろす瞬間 11:28
――次から二人体制で頼みます。
「っ」
――いやむしろもうこの子だけで、
最後まで、読む事は無く。
わたしは衝動に駆られるまま、その動画コメントを消し去った。
4
三月。
桜が小さな蕾を膨らませ、暖かな春の兆しがそこかしこに見える季節。
冬がまだ近い事もあってか、多くの人達は春の前座とか、出会いの前の別れの月とか、いまいちパッとしないイメージで捉えていたりするけど、わたしはそんな三月の事が結構好きだった。
だって別れがあるって事は、自分が今居る枠組みがリセットされるって事だから。
クラス替えや配置換え、卒業に進学に、転校っていうのもあるかもしれない。それまで過ごして来た箱の中から取り出され、新たな箱へ詰められるまでの待機時間。
それはわたしにとって、つかの間の休憩時間でもあった。
三月が来て学年がひとつ上がる度、クラスの枠組みが解かれリセットされる。
つまり四月に入って新しい環境に置かれるまで、わたしは一等賞でも三等賞でもない、評価される前のわたしに戻るのだ。
……もちろん、錯覚とか思い込みとか、そういうものだって分かってはいます。
一年間を三等賞のまま終えたって事実は残るし、きっと裏では教師達によるランク分けがもう終わってるし。
そもそも学校の中での三等賞がリセットされたって、学外でのコンクールとかでとった三等賞はそのまんまだし。くすん。
それでも……成績や運動で一等賞を目指さないで済むこの時期は、他の月より少しだけ気が楽なのは確かだった。
見える範囲に金ピカが無くて、目が眩んでしまう事も、羨んで息がしにくくなってしまう事も無い。
地べたに座るわたしが、また金ピカを見上げるための元気を蓄える、お休みの時間――。
……少なくともこれまでは、そうだった。
「あ~……終わった~……!」
放課後の昇降口前。
たくさんの荷物を軽々背負ったコトちゃんが、清々したという風に伸びをする。
周囲には似た様子の生徒達で溢れており、それぞれが思い思いに解放感を口にしていた。
わたしもその例に漏れず、呻き声の混じった息を吐き出した。
「はぁぁぁ……時間、かなりかかったね……」
「ずっと座りっぱなしはやっぱキツイなー……こう、体力とは別んとこが疲れたわ」
そしてコトちゃんは溜息交じりにそう呟き、昇降口の横にある立て看板をじっとりと睨む。
『第二神庭学園中等部 修了式・卒業式』――わたし達が今さっきまで参列していた式のもの。
修了式。
そう、今日この日をもって、わたし達の中学一年生生活が終わりを迎えたのだ。
入学してから一年。長かったようで短かったようでもあり、思い返すとやっぱり感慨深いものはある。
コトちゃんも同じように感じているのか、看板を睨む瞳がふっと和らいだ。
「……でも、これで一年生も終わりなんだなぁ。改めて思うと胸に来るもんがあるな……」
「卒業式も一緒にやるから、なんか自分まで卒業するような気分になっちゃうよね……」
わたし達の通うこの学校は、わたし達在校生の修了式と、三年生の卒業式を当日中に行う形式となっている。
それなりの長丁場になるため疲弊はするが、その分卒業生達が醸し出すしんみり感も長く味わっていたので、少しだけそれに引っ張られている感じはあった。
コトちゃんはそんなわたしの共感に「や、それもあるけど」と頷くと、名残惜しげに昇降口を振り返る。
少し上で、桜の蕾が風に揺れた。
「……この一年、嘘みたいに楽しかったからさ。ずっとこのままが良かったっつーか……だからその、つまり……二年生になっても一緒のクラスがいいなぁ、って……」
「……、……」
照れながらのその言葉に、わたしはすぐに返せなかった。
……コトちゃんがまたこちらを向く前に、取り繕う。
「……まだ離れ離れになるって決まった訳じゃないし、大丈夫だよ、きっと」
「そうだと良いんだけどなぁ……あーくそ、テストの結果待つよりムズムズする……!」
二年生でのクラス割り振りは、明日から入る春休みの最中、四月頭にある登校日に伝えられる。
現時点ではどうなるか誰にも分からず、コトちゃんも気が気でならないようだった。
「初詣でお願いしたし大吉も引いたんだし、ほんと頼むぞマジで……!」
「……お願い事はともかく、出るまで引いた大吉にご利益なんてあるのかなー」
「えっ、あ、あるに決まってんだろ……? いーや、むしろ余計に払ったおみくじ代の分だけ神様も真面目に聞いてくれてるね!」
「その考え方がもう罰当たりな気がしまーす……」
というかオカルト否定派が何言ってるんだろう。
わたしは変に不安がっているコトちゃんをイタズラ混じりに煽りつつ、一緒に帰り路につく。
「はぁ……クラス替えなんて一生やんないでいいのになぁ……」
「…………」
――それは、イヤだよ。
……わたしはそう思ったけど、口には出さず。
小さく浮かべた愛想笑いの裏に、バレないように押し込めた。
*
少し歩いてバスに乗り、おしゃべりしながら十分ちょっと。
そうして高級住宅街に差し掛かるあたりのバス停で、いつもわたし達はお別れしている。
勿論、わたしが降りる方。
なんとコトちゃんの家は結構な豪邸であるらしく、高級住宅街の中でも相当いい立地にあるとの事だった。
……『らしい』とか『事だった』とか伝聞系なのは、コトちゃんの家にお呼ばれした事が無いからである。
わたしも一度はウワサに聞く『玄関から敷地外に出るまで数分歩かなくちゃいけない庭』を見てみたいと思っているんだけど、家や家族の話を振るとコトちゃんがそれはもう嫌悪感丸出しの顔をするため、なんか怖くて一年経った今も遊びに行きたいと言い出せずにいた。
そのため、遊ぶ時はいつも外か私の家のどちらか。彼女の家族や、例の『うちの人』の顔すら見た事が無い。
……いつか、遊びに行けるかな。
コトちゃんだけを乗せたまま、高級住宅街の方へと遠ざかって行くバスを見送りながら、今日もわたしはそんな事を思うのだ。
「…………はぁ、」
そうしてバスのお尻が完全に見えなくなると、無意識に溜息が落ちた。
それに気付いて咄嗟に口を押えたけど、まぁ意味なんて無い。
むしろそんな風にする自分が後ろめたくて、逃げるようにバス停から立ち去った。
(……息、しにくい……)
途中、喉元を抑え、口の中で呟く。
……ここ最近、ずっとそうだった。
喉の奥、胸の裏側に重たいものが張り付いて、息の通り道が邪魔されている。
勿論、実際に何かがそこにある訳じゃなく、精神的なものだ。
不安とかプレッシャーとか、たぶんそういった感情が悪さをしているんだと思う。
どうしてこんな気持ちになっているんだろう。わたしには、この不調の原因がさっぱり分からなかった。
「…………」
……嘘。これも嘘です。
本当はどうしてか分かっている。
息苦しくなっている理由も、さっきから逐一コトちゃんに感じてしまう、変な引っ掛かりも。
ちゃんと全部自覚しているから――ずっと、息がしにくいままなのだ。
「……ふー……」
細く長く息を通し、少しだけ胸を広げる。
そしてスマホを取り出し『ひひいろちゃんねる』を開き、チャンネル主として動画の管理画面に入る。
そこには今まで作って来た動画のデータがずらりと並んでいて――わたしは、そのうちの一つを注視した。
それは今年のお正月に、コトちゃんと一緒に撮影した動画。
わたしはすぐにその再生数を確認し……目に飛び込んだその数字に、広げた筈の胸が詰まった。
「――また、増えちゃってる……」
動画の再生数が、朝に確認した時より増えている。
それも一時間に百再生や千再生なんて速度じゃない。『ひひいろちゃんねる』を始めてから今まで、見た事のない勢いだ。
「…………」
……これが他の動画なら、きっと嬉しく思ってる。
増え続ける再生数を純粋に喜んで、浮かれて、数分ごとに数字をチラチラ確認とかしちゃっていたかもしれない。
だけど、この動画での、それは――。
「……大丈夫、まだ、全然……」
自分でも気付かない内に呟きながら、チャンネル内における再生数トップの動画の数字を見る。
『橋の話』――タイトルの通り、この御魂橋市にクモの巣のように張り巡らされている、無数の川と橋にまつわる怪談話を纏めた動画。
手間と時間と集めた『本物』の心霊映像をたくさん使って制作した、結果としてすごく人気が出た渾身作だった。
当然、その完成度も再生数も評価数も、雑談枠であるコトちゃんとの動画が及ぶものじゃなくて、様々な意味で大きな差が横たわっている。そうでなくちゃ、いけない。
……でも、そこから少しだけ視線をずらせば、既に再生数の抜かれた他の動画がたくさんあって。
「…………」
きり、と。どこからか音が聞こえた。
わたしが、強く歯を噛んだ音だった。
*
お正月に撮ったコトちゃんとの動画を投稿したのは、今年の一月末の事だった。
撮影時期と投稿時期にズレがあるのは、視聴者による特定を少しでも難しくするためだ。
今回は色々目立つコトちゃんが出演していた動画だったため、念には念を入れ撮影から一ヶ月ほどの間を開ける事としたのである。
……まぁそれにどのくらいの効果があるのかは分からないけど、動画作りの指南書に書かれていた事だし、何かしらは違うんだとは思う。きっと。
ともかく、そうして投稿したその動画だったけれど――当初のウケはあまり良いものではなかった。
まぁ、当たり前だ。
オカルト系のチャンネルなのに怖い話をせず、女の子二人がただ仲良く過ごしているだけの動画なんて、需要の読み違えにも程がある。
そのため再生数、評価共に低空飛行もいいところで、後から投稿した動画にも一時間経てば追い抜かれているくらいだった。
……だけど、わたしはそれで良かった。
例え再生数が伸びなくても、視聴者から低評価を受けたとしても気にしない。
だってあの動画は、わたしがわたしのためだけに撮ったものだったから。
いつか他の動画に埋もれ、誰にも見て貰えなくなったとしてもいい。
『ひひいろちゃんねる』に、わたしの世界に。白金と銅が一緒に居る光景が刻まれていれば、それでいい――この時は、そうとだけ思っていたのだ。
……おかしくなり始めたのは、コトちゃんとの動画を投稿してから暫く経った頃。
そろそろ二月も終わろうかという時期の事だった。
ずっと低空飛行を続けていたコトちゃんとの動画が、いきなり再生数を跳ね上げたのだ。
わたしは特に宣伝も何もしていなかったから、何が起こったのか分からなかった。
後で知ったところによれば、何でもコトちゃんとの動画の切り抜きが今更になって一部のSNSで取り上げられ、すごい子が居るって話題になっていたらしい。
森林エリアの探索中、コトちゃんがするすると木を登り、山猿……もとい忍者のように幾つもの木々を飛び渡る姿――そんなシーンの切り抜き。
……なんでこれが話題になるんだろう?
少しの間首を傾げたわたしだったけど、冷静に見返せば途中で宙返りしたり枝に掴まってくるくる回っていたり、めちゃくちゃアクロバティックで確かにすごいやつだった。
コトちゃんと森を歩けばよく見られる光景だったから、なんか感覚が麻痺していたみたいだ。
とにもかくにも、そうしてSNSで興味を持った人が元ネタの動画に流れ込み、再生数の増加に繋がったのである。
はじめはわたしも純粋に喜んでいた。
単純に注目度が上がったって事だし、それに伴ってチャンネル登録者数もかなり増えたし。
そして何より、コトちゃんが凄いって言われるのは、わたしも嬉しかったから。
……でも、だんだんとそうじゃなくなった。
動画の伸びはわたしが思っていたよりもすごくて、気付けば『ひひいろちゃんねる』内での存在感は結構なものとなっていた。
ジャンル的に、マニア系のオカルトよりも多くの人にウケる動画となっているのは分かる。
それでも、ひとつ、またひとつと、過去に作ったオカルト動画の再生数と評価数が抜かれて行く度、モヤモヤしたものが少しずつわたしの胸に溜まっていくのを感じてしまう。
おまけに、動画への注目の質が少しずつ変わって行った。
動画内のコトちゃんは基本的にフードとマスクで顔を隠していたけれど、どうしてもガードの緩くなる時はある。
特に激しく動き回る子だから、そうした隙は意外と多かったみたい。木々を飛び渡る時とか、飛び降りた直後とか、被っていたフードやマスクがズレる瞬間が幾つかあった。
そして、編集時のわたしですら気付かなかったようなその一瞬を目敏い視聴者が切り抜いてしまった事で、運動能力面の他にルックス方面への注目度も高まってしまったのだ。
完全に顔が出ていなくても、コトちゃんの美貌はよりたくさんの人目を惹いた。
たくさんのフォロワーを持ったオタクの人とか、有名なコスプレイヤーとか、そういった界隈の人の目にもそれなりに触れていたみたいだった。
結果としてコトちゃんの動画の伸びに更なるブーストがかかり、今もなおどんどんと再生数と高評価を増やし続けている。
そう――わたしの『眼』と何も関係の無い、コトちゃんの動画が。
(……………………)
……わたしは。
わたしは今、すごくモヤモヤとして、嫌な気持ちになっている。
「――ただいま」
わたしの家。
狭く小さな玄関に、呟き声が木霊した。
ほとんど囁くような声だったけど、うちはドアの音が煩いからそっちで伝わる。
リビングの奥から、余所行きの格好をしたお母さんがひょっこりと顔を出した。
「おかえり~。結構遅かったねぇ、寄り道とかして来た?」
「ううん、ただ式が長かっただけ。ほら、修了式と卒業式一緒だから」
「あぁ……それじゃ疲れたでしょ。何だかしおれてる気がする」
「……そうかな。そうかも」
……まぁ、わたしの元気が無いのはまた違う理由だけど。
とはいえいちいち訂正する気もなく、ぽてぽてと二階の自室へと向かった。
「あ、お母さんこれから錫ちゃんお迎えに行ってくるけど、これから出かけたりとかする?」
「しませーん……お昼寝でもしてまーす……」
「じゃあ鍵かけてくから。お留守番よろしくね」
「はーい、いってらっしゃーい」
お母さんはそう言うと、ばたばたと慌ただしく家を後にした。
そうして家に一人きり。
自室の扉を開けたわたしは、着替えもしないで自分のベッドへ飛び込んだ。
「…………」
仰向けになり、天井を見上げる。
そのまま何も考えずにただぼうっとして、無心になろうと頑張ってみた。
……だけど、頑張ってる時点で無心になんてなれる訳も無くて。
逆に色んな事が頭の中に湧き出てしまい、ぐるぐるモヤモヤ。観念したわたしは細長い溜息を吐き出し、ぐるりとうつ伏せになってスマホを眺める。
開いてしまうのは当然、『ひひいろちゃんねる』だった。
「……う、また……」
するとコトちゃんとの動画がまた再生数と評価を増やし、チャンネル内の順位を上げていた。
そろそろチャンネル動画の再生数ベスト10に入りそう。
また胸のモヤモヤが大きくなって、ぽふんと布団に顔を埋めた。
……こんな思いをするくらいなら、動画自体を一時的に視聴禁止にしたり、いっそ消しちゃえばいい。
何度も何度もそう思ったけど、出来なかった。
そんな姑息な真似したってわたしがもっと惨めになるだけだし、何より――あの光景を、あの時間を、わたしの世界から消したくなんてなかったから。
あると嫌なのに、消してしまうのも嫌ときた。
なんかもう、自分の面倒臭さにウンザリとする。
「……はぁ」
のっそりと顔を上げれば、楽しそうに笑うわたしとコトちゃんが映る。
見ていると胸が温かくなって、でもすごく重たくもなって。
「……っ」
また、動画の順位が上がる。
わたしはスマホから目を引き剥がすようにベッド端へと投げ捨てて、強く強く瞼を閉じた。
*
春休みに入ってからも、動画の勢いは止まらなかった。
SNSがきっかけだし一時的な人気だと思っていたんだけど、コトちゃんの身体能力とルックスの二つの要素が重なったせいか、話題の持続性が予想以上にしぶとかったのだ。
流石にピーク時の勢いは無い。だけど毎日毎日確実に再生数と高評価が積み上がり、わたしのオカルト動画を越えていく。
例えば、『張り紙の話』。
路地で見かけた変な張り紙のお話で、視聴者とオカルト体験を共有できるよう、わたしなりにすごく頭を捻った動画だった。
例えば、『水族館の話』。
以前行った水族館で見た酷い水槽のお話で、視たら一発アウトなやつをギリギリかわして撮った映像をネタにした、すごく身体を張って作った動画だった。
例えば、『陽炎の話』。
知らない内にわたしの交友関係に追加されていた知らない誰かのお話で、怖いの我慢してちょっとだけおしゃべりした体験談を交えた、すごく勇気を出して作った動画だった。
それらが全部、コトちゃんの動画より下になった。
みんなみんな、すごく頑張って作った動画だったのに。
……コトちゃんの動画は、何も頑張ってなんかないのに。
新しく動画を投稿しても、数字はまるで及ばない。ただ引き離され、差を広げられていく――。
……こんなのじゃ、ダメだ。
おなかの底を火で炙られているような感覚が、ずっと消えない。
「――なぁ、どうしたの、あかねちゃん」
「!」
はた、と我に返る。
スマホに落としていた顔を上げれば、そこには深く被ったフードの奥で心配そうな顔をするコトちゃんの姿があった。
「さっきから変な顔してっけど……えと、何かヤな報せとか来た感じ……?」
「う、ううん、ちがうよっ。ただちょっと……光が画面に反射して、見づらくて」
「ふーん? そんならいいんだけどさ」
わたしは適当に誤魔化しつつ、スマホをそっとしまい込み。
道の先で待っているコトちゃんの下に走った。
――春休みに入って数日。
わたしとコトちゃんはいつものように、オカルト探しに赴いていた。
今回訪れている場所は、都会エリアの端っこにあるローカルな遊園地。
ちょっぴり寂れ気味ではあるものの、普通に営業していて普通に人入りも多い、明るく賑やかな場所だ。
不気味な雰囲気なんて全然無いので、コトちゃんもだいぶ気が楽そうだった。
「つーか、来るのホントにここで良かったん? オカルト探しだし、もっとこう……デスゲーム映画とかで使われるような廃墟みたいなとこだと思ってたわ」
「そういうのも行きたいとは思ってるんだけどね。でも廃墟に入る許可取るのって子供じゃ難しいし、もし取れても保護者同伴じゃないとダメってなっちゃうから……」
「あー、あかねちゃんママは危ない事許してくれなさそうだよね。……一応聞くけど、内緒で危ないとこ行く気とかないよな?」
「流石にね。許可とか法律関係は、守ってないのがバレると大炎上しちゃうから」
「ならよかった」
人気のためにと色々な決まり事を無視した結果、謝罪や引退に追い込まれた配信者はものすごく多い。
特にわたしみたいな子供の配信者なんて、ルール違反をした瞬間大人にスマホ自体を取り上げられておしまいだ。そうならないよう、出来る限り気を付けているつもりではあった。
「まぁ廃墟じゃなくても、遊園地って場所自体は怖い話の人気シチュエーションではあるから。普通の所でも、何かしら居たらいいなって」
「そうなー……確かに乗り物ごとに何か話作れそうではあるよな」
オカルト話には相変わらず興味の薄そうなコトちゃんだけど、遊園地のアトラクションにはワクワクしているようだった。
色々と目移りしてて、乗る気マンマンであるのが窺える。
……いつもなら、わたしもオカルト探しはそこそこに、一緒になって遊園地を楽しんでいたんだと思う。
だけど今は、とてもそんな気になれなかった。
「……えっと、ごめん。わたし今日はオカルトの方優先したいんだけど……」
「えー?」
おずおずと切り出すと、コトちゃんは不満げに唇を尖らせた。
「色々乗んないの? 遊園地の怖い話って大抵乗り物系だろ?」
「そうだけど……外から視るだけでも分かるから」
そう言って、瞼の上から軽く『眼』を撫でる。
すると『眼』の奥にじわりとした熱が生まれ――数瞬の後には、『眼』に映る世界がより広く鮮明に、そして自由自在に視点を動かせるようになっていた。
この一年近く、動画のために積極的に『眼』を活用していたおかげかな。つい最近になっていつの間にか出来るようになっていた、力を込めた分だけ視界を広げられるという新しい『眼』の機能である。
これを上手く使えば、アトラクションに乗らなくても効率的にオカルト探しが行える。
いちいち列に並んで時間をかけるより、もっとたくさんの場所を周れる筈だった。
「えっと……もしあれだったら、コトちゃんだけでも乗って来ていいよ。わたしの方は一人で大丈夫だから、ここで一旦別れて、お互い満足したらまた集合って感じに……」
「……や、いーや。ああいうの一人で乗るのも虚しいモンだしさ。今日はあかねちゃんの方に付き合うよ」
「う、ごめんね……」
残念そうに苦笑するコトちゃんに胸がチクリと痛んだけど、わたしも譲ろうとは思えなかった。
そうしてしょんぼりと謝ると、コトちゃんは「いいって」と手を振って、そのまま気を取り直すように打ち鳴らす。
「その代わり、今度二人で違う遊園地行こうよ。春休みだしちょっと勇気だして、東京とか大阪とかのでっかいテーマパーク。当然、オカルト関係は無しで、どう?」
「……、……うん、そうだね。近い内に行ってみよっか」
「やった! じゃあいつ行く? 今週……はいきなりすぎるか、やっぱ来週とか――」
オカルト探しが出来ないなら意味が――その先が浮かぶ前に心をきつく抑えつけ、頷く。
そうして笑顔で旅行の予定を詰め始めるコトちゃんと一緒に、わたしはゆっくりと遊園地を周り始めた。
おなかの底を炙る火が強まっていくのを、感じながら。
その日は結局、目ぼしいオカルトは見つける事が出来なかった。
敷地の隅の方まで歩いて、でもロクなものが見つからなくて、ただウロウロするだけで終わり。
何も収穫のない、ただただ乾いた一日だった。
「……はぁ」
夜、寝る前。
いつかのように、ベッドに寝ころび溜息ひとつ。
……せっかく遊園地に行ったのに、コトちゃんにはつまんない思いをさせちゃったな。
冷静になった途端にまた申し訳なくなって、メッセージでごめんなさいのスタンプ乱舞。
そのままスマホを近くに放り投げ……ようとして、無意識のうちに『ひひいろちゃんねる』を開いていた。
「…………」
コトちゃんの動画は、今日も一日中人気者だったみたい。朝から今までで、とんでもなく再生数を稼いでいる。
……わたしの動画も決して再生されてないって訳じゃないけど、一覧で見ると勢いの差が浮き彫りになってしまう。
特にこの前投稿したばかりの新しい動画が、勢いで負けているのが切ない。
コトちゃんの動画から来る人のおかげでブーストがかかっていて、再生数も評価もかなりいい推移なのに……比較対象に及んでいないせいで、どうしても、何か……。
(……コトちゃんの動画より、面白く作れてると思うんだけどな……)
息がしにくい。
話題性が足りないのは分かってる。でも、どうすればいいんだろう?
他の人気ある配信者のスタイルを取り入れて、もっとインパクトが出る動画作りにした方が良いのかな。
けれど、人気が出るよう大げさに話を作ったりとかはしたくない。
それじゃあ武器を捨ててしまう。『眼』を、『本物』を使ってる意味が無くなっちゃう。
(……やっぱり、新しいオカルト見つけなきゃ。もっと人の目を惹ける、すごいやつ――、ん)
と、またおなかの底にチリチリとしたものを感じ始めた時、スマホに通知が来た。
コトちゃんからのメッセージだ。
さっきのごめんなさいスタンプの乱舞に対抗するように、「気にすんな」の意が色んな言葉で連投されている。
『気にしないでいいかんね』『大丈夫』『いやほんと』『楽しかったし』『いいよいいよ』『全然平気』『あれはあれでさ』『気にすんなってば』『わたしはげんきです』――他多数。
その声が無くても分かる必死さに、胸に詰まっていた息がくすりと抜けた。
「……気にすんな、かぁ」
勿論、コトちゃんが伝えたい意味は違うだろう。
けれどタイミング的に、どうしても動画の事にもかかってしまう。
(…………)
画面を操作し、また『ひひいろちゃんねる』に戻す。
コトちゃんの動画はまだ伸び続けてるし、新しい動画との差も広がっている。
……だけどやっぱり、その伸び方が日増しに鈍くなっている事も確かだ。
もうSNSでの旬も過ぎてるし、このままならきっとその内に勢いは無くなる。前みたいな低空飛行に戻る。
チャンネルの一番である『橋の話』には――まだ、全然届かない。
「そう……そう、大丈夫だもん、まだ、ぜんぜん……」
だから……だから、まだ平気。
新しい動画で追い越せなくたって、良いオカルトが見つからなくたって。
まだ平気だし、大丈夫。全然、気にしなくっていい。
『ひひいろちゃんねる』の――わたしの世界の一等賞は、わたしのまま、変わっていない。
「…………はー」
自分にそう言い聞かせているうち、少しずつ落ち着いて来る。
たぶん一時的なものだとは思うけど、さっきよりは息が楽。
わたしはそれ以上『ひひいろちゃんねる』を見る事を止め、スマホの画面をコトちゃんのメッセージへと戻した。
すると目を離した間にどういった流れになっていたのか、話題が遊園地でした旅行の約束の事へと移っていた。
遊園地での様子から分かっていたけど、よっぽど楽しみであるらしい。
行く場所とその予定日を相談してくる文の端々からコトちゃんのウキウキ具合が伝わり、思わず小さな笑みが零れる。
(……わたしも、今度はちゃんと楽しむようにしよう。今日みたいな感じにはならないように)
オカルト探しは一旦忘れ……いや、それは無理だから脇に置く程度にして。
楽しむ事をメインに据え、コトちゃんとの旅行を堪能しよう。初詣の時のように、またあの時間を過ごすんだ。
それが終わった時には、きっとコトちゃんの動画も落ち着いている。
何を心配していたんだろうって馬鹿らしくなっている。そうなるに、決まってる――。
「よし」
半ば妄想だったけど、心の中でそう信じ。
わたしは本腰を入れて、コトちゃんと旅行の予定を組み始めた。
そうしてその気になると現金なもので、わたしもなんだかワクワク気分。
コトちゃんとの計画立ても夜遅くまで盛り上がり、お母さんにいい加減に寝なさいと怒られてしまった。
その日はそれでおしまい。
少し興奮していたけど、夜更かししていたせいもあってすぐに眠ってしまった。
ここ最近はずっとモヤモヤしていたせいで眠り難かったから、久しぶりにスッと眠れた気がする。
何か楽しい夢を見ていた気がするけど、よくは覚えていない。
ぐっすりと、すやすやと。気が付いたら次の日の朝になっていて、いつもよりだいぶ寝坊してしまっていて、だから、
――だからわたしは、その瞬間を見逃した。
「…………え」
朝起きて、それに気が付いた時。わたしはまず見間違いだと思った
寝ぼけ眼の度が上手く合っていないのだと、何度も目を擦って見直した。
……でも、私の目に映るものは何も変わらない。
手の中のスマホ画面に映し出された、『ひひいろちゃんねる』の投稿動画一覧。再生数でソートした、その一番上――。
「――なん、で……?」
――そこにあったのは、コトちゃんの動画だった。
わたしの『橋の話』はそこに無く、二番目に下がっていた。
……昨日までは大差をつけての一番だったのに、今や追い抜かされている。
なんで、どうして。
昨日まで、全然だったのに。平気だったのに。大丈夫だった筈なのに――。
息がくるしい、おなかがきもちわるい。
頭の中がぐるぐるとかき回されて、感情もぐちゃぐちゃになっていく。
だけど、そんな中でもハッキリと分かる事が一つだけあった。
……ああ、そっか、そうなんだ。もう、ハッキリとしてしまった。
「わ、わたし……」
――わたしは、わたしの作った世界ですら、一等賞になれなかったんだ。
*
運動会の動画が、上がっていたらしい。
「…………」
去年コトちゃんがむちゃくちゃをやって、出禁コールまで飛び交ったあの運動会。
その時の動画が昨日の内にSNSにひっそり上げられていて、それでまた話題が再燃していたようだった。
たぶん、話題を知った生徒かその家族が流出させたのだろう。
高々運動会の動画くらいで――とも思ったけど、運動会の時のコトちゃんはわたしの動画の時と違って、フードとマスクをつけていない。
むちゃくちゃな身体能力に加え、今度はその美貌もはっきり映っているとなれば、やっぱりかなりの人の興味を惹いていた。
でも幸い、前の時ほどの勢いじゃない。
運動会の動画もあくまで追加情報って感じで、前の話題に紐づけられた上げ方だったから、盛り上がりとしてはそれなり程度に収まっている。
けれど――ちっぽけなわたしの世界をひっくり返すには、そんな程度でも十分だったのだ。
「……あー……」
……虚無感。さっきまで心がぐちゃぐちゃだったのが嘘みたい。
もう指の一本すら動かすのが億劫で、ただただ横になって呻くしか出来なかった。
(……予想、してない訳じゃなかったんだけどなぁ……)
ほぅ、と何度目かも分からない溜息を吐く。
……わたしがコトちゃんに『ひひいろちゃんねる』の事を内緒にしていたり、そもそも彼女がオカルト関係を小馬鹿にするのを喜んでいたのは、こんな風になるのが怖かったからだ。
分かっていた。分かっていたのだ。
オカルトが視える視えないとか、『眼』があるとかないとか、そういったものは関係ない。
緋緋色金じゃないただの銅じゃ、白金の輝きに呑まれるかもしれないって。
そんなの、分かっていた筈なのに。
だからお正月の時だって、不安だった筈なのに――。
「あぁぁぁぁもぉぉぉぉ~……!」
胸の中に新しくモヤモヤが生まれ、また心がぐっちゃぐちゃ。
動くようになった身体でベッドの上をじたばたする。
あんな動画、投稿しなきゃ良かった――。
……そう思って削除でも出来ればまだ楽なのに、今になってもそんな気になれないのが辛いところだ。
というか、『あんな動画』とすらも思えない。重傷だ。
「わたしのチャンネルなのにぃ……コトちゃんのじゃないのにぃ……!」
ちゃんとした動画じゃないのに。
『眼』を使ってないのに。
怖いやつじゃないのに。
構成も編集も力抜いてたのに、あと――。
いろんな『のに』が流れては消え、どうしようもない悔しさが沸き上がる。
「ううぅぅぅぅ~~~……!!」
枕に顔をうずめて叫んでみるけど、当然スッキリなんてする訳ない。
胸の奥から押し寄せるモヤモヤに際限は無くて、酸欠寸前になるまで叫び続けてようやく一旦収まった。頭が痛くて、きもちわるい。
「ぜぇはぁ、ひぃふぅ……う?」
そうして乱れた息を整えていると、スマホに通知が入ってる事に気が付いた。
のろのろと拾い上げて見てみれば、コトちゃんから。
どうやら昨日途中で終わった旅行の計画の続きをしたいようだったけど……当然、そんな気持ちになれる筈ない。
というか、今コトちゃんとやり取りしたらふとした弾みで酷い言葉を投げかけてしまいそうな気がして、悪いとは思ったけど気付かなかった事にした。
(……やつあたりとか、ダメだもん……)
思うものはすごくある。
でもここでコトちゃんを恨んだりするのは、いくら何でもアレすぎるって思った。
だって動画を撮ったのはわたしで、投稿したのもわたしで、削除してないのもわたし。
そもそもコトちゃんは動画に出たくないと嫌がっていて、それをお願いしたのもわたし。
どこからどう見てもわたしの自業自得で、コトちゃんは何も悪くない。
……というか運動会の動画のせいで色々特定とかされかけてるし、むしろわたしの被害者だ。後で対策しなきゃ……。
「…………」
そう、全部わたしが招いた事。
わたしはスマホからコトちゃんの通知を消して、『ひひいろちゃんねる』をまた開く。
正直今は見たくも無くて、一度は収まったモヤモヤと悔しさがまた心をぐちゃぐちゃにしていくけれど――だからこそ、一緒に湧き出すものもある。
「……あきらめない、から」
ぎゅっと唇を引き締め、わたしの世界の一等賞を奪ったコトちゃんの動画を睨む。
悔しさに反応して、いろんなところに火がついたみたいだった。
さっきまでの虚無感なんてもうどこにも無くて、今はもう変な熱が身体を満たしてる。
諦めないって、このままじゃ終われないって、心がふつふつと煮立っている――。
(取り返すんだ。わたしの世界の一等賞を、わたしが、自分で)
そうだ。取られてしまったのなら、奪い返せばいい。
コトちゃんの動画よりも面白い……ちがう、たくさんの人の目を惹ける動画を作って、また一番になる。
くすんだ銅から、白金と同じくらい輝ける緋緋色金になって、正真正銘の一等賞になる。
もともと、いつかそうなれるようにっていう願掛けの意味も込めて、コトちゃんとの動画を撮ったのだ。
だったら、ある意味おあつらえ向きの状況になったと言えるかもしれない。
……そう考えれば、ちょっとだけ救われる気がした。
(じゃあ……やっぱり、すごいオカルトを見つけなきゃ……)
投稿したオカルト動画の全部が敵わなかった以上、これまで見つけて来たオカルトではやっぱりどこかが地味なのだ。
なら、もっとたくさんの人の興味を煽れる、派手ですごいオカルトをネタにしなければ。
『本物』を武器にし続けるのなら、そうしなきゃいけない。
(……けど、どこにそんなのが居るんだろう)
オカルトの居そうな場所はまだ分かるけど、『すごいの』が居そうな場所となると思い浮かばない。
これまでいろんなホラースポットを探索したし、昨日だって遊園地を探し回った。
でも、それでダメだったのが今だから……もうその探し方自体がダメなのかも。
(……なら、あとは)
口の中だけで呟き、ちらりと手の中のスマホを見る。
そうして思い出すのは、昨日にコトちゃんとした会話。
遊園地を歩いている時に、彼女が何気なくした問いかけが蘇る。
――……一応聞くけど、内緒で危ないとこ行く気とかないよな?
「…………行き、ます」
スマホを胸にかき抱き、太腿をすり合わせる。
この時わたしは、自分の意思でいけない事をする覚悟を決めていた。